事実の証明

心残りのまま永眠した 神谷 力 氏の手記。 トリカブト事件を冤罪と断定し、 判決の矛盾を鋭く指摘する。
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全文-28 (2013/02/15(金) 12:35:47)
2012.03.15

 全文-28
 

 五 子育てへのあこがれ

 

一日も欠かさず毎日、拘置所に区役所の有線放送が聞こえてきます。「午後五

時になりました。外で遊んでいる小学生のみなさん、おうちに帰りましょう」 私は

この放送を聞くたびに、身につまされます。私は鍵っ子でした。遊び仲間の子供た

ちが家に帰りはじめると急に寂しくなり、最後の一人が立ち去るときその子をじっ

と見つめて立ち尽くします。家は大小六部屋もある一軒建てで、寂しがり屋の私

は夜一人で家にいるのがつらく、帰宅時間が不規則な美容師をしている母の帰り

を、長時間外で待ちました。

 

 私はある書物で、次のようなことを読んだことがあります。


 ヒトとは、大人と子供が入り交じったような不思議な生き物だ。動物界にはネ

オテニー(幼形成熟)という現象があるという。卵から成体に達する過程で幼生

形の段階で発達が止まり、幼生形のまま生殖腺が成熟して生殖する現象のこと

をいうそうだ。ウーパールーパーと俗に呼ばれているアホロートルがその代表的

な動物だというが、霊長類ではヒトだけがその特徴を持っているといわれている。

写真で見るとゴリラの子供の体形はヒトの体形によく似ているが、成長するにつ

れて体形は変わり成体となるとヒトとは似なくなる。ところが、人は成長しても身

長などは伸びるが体形はほとんど変わらない。

 

毎日きまって、小学四年五年のころの鍵っ子の感傷に浸る私は、体形だけでな

く、完成されていない未成熟な脳の持ち主だと思います。ですが、私はこの感性を

失いたくありません。この未成熟な感性は微妙な味わいがあるのです。子供のこ

ろの経験が、厳しいものであったにもかかわらず恭子と結婚したとき、早く子供を

作り、模範的な父親として、子供を育ててみたいという欲望が強かったのは、やは

り未成熟な脳が原因だと思うのです。
恭子も不幸な子供時代を送りながら、子供を産み育てる意欲は私と同じでした
結婚後、子育てという楽しい話が続きます。そのとき私は職業について考えてし

まいます。党の機関専従員と言っても、革新的書籍の外販が主な仕事で、誇りを

持って仕事はしていますが、できれば、将来役に立つ技能を、身につけたいと希

望していました。それも独学で済み、党活動にも貢献できる資格です。

最初に就職した音響機器の製造販売会社が倒産したとき、技術部に所属していた
私が、労働組合活動の延長で残務整理として経理を担当し、経理の有用さ

を知ります。恭子と結婚する二年前でした。恭子と結婚して子育てが話題になっ

ていたとき、職業について、経理の勉強をして将来その道に進みたいと、私は恭

子に打ち明けます。恭子は賛成し、手助けすると嬉しそうでした。

大学を出ていない私は、日商簿記検定試験一級の合格を目指しますが、その

受験科目の一つ、原価計算の難関にぶつかります。私は学習参考書を分析し

て、「家庭で出来る原価計算」 という学習方法を編み出します。家庭を工場に見

立て、すべての家計費を詳細に記録し、私と恭子の家事労働の時間を労務費と

して把握しながら、製造工場の原価計算システムと同じ方法で家計の原価計算

を行うのです。恭子も面白がって積極的に手伝います。三年続けて効果は抜群

です。企業会計の中で、原価計算は最も得意な分野になりました。

しかし、地ならしはしたものの、結婚から五年経っても、子宝が授かりません。

私たちは病院で検査を受けます。検査の結果、私に問題はなく、恭子が卵管の

異常で妊娠は難しいと診断されます。それからは、夫婦で努力は続けますが、子

育ての話題は口にしなくなります。党活動を離れて一年後の結婚八年目に私は

不倫を犯し、その不幸から夫婦で立ち直るために、足立区の住宅公団から、草加

市内の三DKPマンションを購入して転居します。「午前様なら十分千円の罰

金」は、このころからはじめました。恭子は夜勤のない銀座の診療所に勤めます。

P社に勤務していた私は、都心の銀行に寄ったときには、必ず恭子を誘って銀座

で食事をしました。

銀座の診療所を退職した恭子は、友人に勧められて服飾デザインの勉強をは

じめます。恭子の描くデザインのデッサンは、素人の私が見てもすばらしい出来で

した。その才能に驚いた私は、恭子に服飾デザイナーになることを勧めます。恭

子もその気になって努力をします。このころ日商簿記検定試験一級に合格した私

は、受験資格が調って税理士試験の受験勉強をはじめますが、P社の業務の忙

しさと、惣菜会社の企画をはじめたこともあり、勉強は進みませんでした。私たち

は結婚十四年目に、草加のマンションから、東京都台東区根岸のマンションを購

入して、新たな気持ちで生活をはじめます。恭子の服飾デザイナーを目指す勉強

は熱が入りますが、その二年後ほどのち、恭子は人生の終焉を迎えてしまいま

す。


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