事実の証明

心残りのまま永眠した 神谷 力 氏の手記。 トリカブト事件を冤罪と断定し、 判決の矛盾を鋭く指摘する。
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全文-24 (2013/02/13(水) 18:01:26)
2012.02.20 

 全文-24 

 四 総菜会社の企画と設立準備

 私が総菜会社について考えはじめたのは、党活動をしていたときです。党の機
関専従員をしていた私も、夜勤の多い看護婦の恭子も、勤務を終えてからの食
材の購入は頭痛の種でした。二人の話題となったのは、栄養のバランスの取れた
食材を、定期的に自宅に届けてくれる店はないかということです。二人が党活動
を離れてからは、私の就職で困難を来します。履歴書に、職歴を実際に勤めてい
た株式会社の社名を記載しますが、調査をすれば、その会社は党の直営書店
で、私が元機関専従員であることがわかるのです。就職活動をして、実際にそれ
で断られた会社もあります。そのことから、自営業としての総菜会社の設立は常
に念頭にありました。

 一九七三年九月、新聞の募集広告に応募したP社に入社します。P社での六年
間に及ぶ業務経験によって企業経営への自信もつき、いよいよ総菜会社の企画
をはじめました。東京都足立区や埼玉県草加市は、集合住宅の密集地帯で、共
稼ぎの夫婦も多く、宅配にも便利です。総菜会社の設立場所は、草加市内と決め
ます。一九八〇年十二月、、P社を退職して企画を本格的にはじめますが、専業
主婦となった恭子を伴ってのハワイやヨーロッパ五か国の旅行、それに国内各地
の旅行で忙しく、企画は進みません。一九八一年七月、恭子が他界し、なにもか
も嫌になり、企画を投げ出してしまいます。
同一九八一年一二月、気持ちを奮い起こして、総菜会社の企画と設立準備を
開始します。二人でなつ江の実家を訪れ、なつ江が体調を崩し国立沼田病院で
軽い心電図異常が見られたときです。それが気持ちを奮い起こす切っ掛けでし
た。

 私は総菜会社を「株式会社ヘルシー」 と名付けますが、一九八二年五月に完
成した最初の企画書では、規模は小さくても七千万円の自己資金を中心に、若
干の銀行からの借入金だけで会社を経営することを計画しました。そのため、最
初の経営企画書は銀行提出用の簡単なものでした。なつ江の体調が回復してか
ら設立準備を本格化しようと考えていたのですが、なつ江の病気が長引き、デス
クワークに専念するうちに企画が豊富になり、特に料理の実習による料理表が三
〇〇品目を超えるころから、料理表を取り入れて企画書を大幅に書き替えます。
なつ江が病死する三か月ほど前には自己資金が枯渇状態に陥り、経営企画書
は出資者を募集するという方向で書き直しました。下書きを終え、清書をはじめた
矢先に、一九八五年九月、なつ江が病死します。

 恭子を失い、なつ江を失った痛手から、無性に東京を離れたくなります。大阪に
行こう、そう決心すると、それが最善の方法と思えてきます。関西は食文化の中
心と言われ、関西風の味付けに興味をいだいていた私は、その実際と、あわよく
ば関西地域で総菜会社の事業展開ができないかと考え、その可能性を探ること
にしました。大阪と京都の中間点を足場にすることに決め、同一九八五年十一月
初めに寝屋川市のGハイツを賃借し、大阪転居の準備を行い、自宅マンションや
宝石などの売却を予定して資金の目当てをつけました。その後、同月十八日に
利佐子と知り合い、利佐子は大阪転居を承諾し、Gハイツは事務所として使用
し、大阪市城東区に住居としてTRビルの三DKの住居を借り、翌年一月に転居し
ます。

 私は土曜日と日曜日それに祝日を除く毎日、京阪本線でTRビルとGハイツのあ
いだを通勤します。とくに日程を組んでいるわけではありませんが、仕事場へ勤
務する雰囲気を作ることが、だらだらとした仕事にならないで済むと考えました。
午前九時ころ私は自宅を出て京阪本線に乗り、香里園駅前で食材を購入して、
料理実習をかねてGハイツで朝食を作ります。昼食は関西地域の味付けを知る
ために、できるだけ外食にしていました。各地に足を運んで集合住宅の密集状況
を見分したり、企画書の再点検と清書が主な仕事です。清書はこの年三月に終
わり、「経営企画書」は完成します。

 以上のように、検察官が殺人の準備行為を行っていたと主張する期間、私は総
菜会社の企画と設立準備をしていたのです。経営企画書が完成してから五年三
か月後に私は逮捕され、その四か月後の千九百九十一年十月の第一回公判の
直後に、経営企画書を記憶をたどって「株式会社ヘルシー経営企画書(要旨)」 
として複製し、弁護士に渡しました。(以下、原本を「経営企画書」、複製したもの
を「企画書要旨」 と記します)。口で説明するだけでは充分に意が伝わりにくいと
と思い、文章としてできるだけ原本に忠実に再現したのです。この「企画書要旨」 
は第一審の審理中に裁判所にも提出しますが、判決では事実に基づかずに想像
の上で作り上げた文書だときめつけます。


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