事実の証明

心残りのまま永眠した 神谷 力 氏の手記。 トリカブト事件を冤罪と断定し、 判決の矛盾を鋭く指摘する。
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全文-12 (2013/01/31(木) 19:23:57)
2011.12.12

 全文-12

 世間に顔を晒す気概に乏しい私は、欠席しました。これが三度目です。一度目は一
九九二年二月、那覇で開かれた公判で、二度目は期日は不明ですが秋田の公判で
この場合の欠席理由も同じです。大阪公判の後、公判の審理内容を先生方から聞い
て驚きました。なつ江の死因がトリカブト中毒であるという、大阪大学医学部S教授の
証言が、状況証拠をもとに展開されたのです。私にとっては突然の衝撃でした。先生
方から聞く事ができたのは概略ですから、詳しいことを知りたいのですが、証人尋問
調書もなく手立てがありません。出席しなかったことを、大変悔やみました。この証言
の反面が、第一審が終了した後に、服用から発症まで約二時間の事項と、肩を並べ
るほど重要な事柄になります。

 私の手元にある裁判資料は、第二五回公判の直前に入手した資料です。それ以
前の公判では資料が手元にないため、検察官に被尋問席に引き出されても、効果的
な抗弁が組み立てられませんでした。入手した裁判資料を調べた結果、その抗弁を
補完したい事柄が様々あるのですが、公判の内容と日程が決まっていて、割り込むこ
とができません。F教授の証言に反論した陳述書についてだけは、被告人尋問調書
に明記しておきたかったので、第二七回公判で、別の事柄で被尋問席に引き出され
たとき、打ち合わせのとおり、弁護人に尋問してもらいました。しかし、即時に検察官
が、「当尋問事項と関わりない」 と異議を申し立て、裁判官が認めて、私の望みは去
ってしまいます。このようなことは、これまでの公判でたびたびありました。その都度、
裁判官への私の不信は強く重なります。

 同じ第二七回公判で、私は夜道でわずかに見えていた明かりを見失います。闇は
深いのです。裁判官の表情から、私はそのような印象を受けました。裁判官が、私に、
「利佐子の血液から両毒が検出されたことをどう思うか」 と尋問します。私は、
「採血されて八か月間保管されているあいだに混入された」 と答えました。私は有罪
はほぼ決定していると確信します。

 利佐子から採取された血液の保管方法について、私が初めてO助教授の証言に
接した第二回公判では、私の気持ちには、多くの疑問が貼り付きました。第三回公判
のO助教授の証言を聞いて、私の気持ちは、疑問が不信に変わります。私はその不
信の気持ちを質問によって直接O助教授にぶつけてみたかったのですが、その後、O
助教授は被尋問席に座ることはありませんでした。約一年後の第一七回公判で、弁
護人から、那覇公判の現場検証の訴訟資料「血液保存実況見分調書」 の写真を見
せてもらいます。実験室と冷蔵庫の写真を見た私は、唯一の直接証拠ともなりうる重
要な血液を、これほど無造作に保管するものかと驚いてしまいました。

 実験室は十坪以上ありそうな部屋で、実験器具が置かれ、日常多くの研究員が実
験のために使用していることがうかがえます。この部屋の一遇に、上下二ドア式で、
上段が冷凍庫、下段が冷蔵庫という、ごく一般的な大きさの、鍵の掛からない家庭用
冷蔵庫が置かれています。現場検証が行われたのは、一九九二年二月で、O助教授
は一九九〇年六月に東京の日本大学に転勤し、利佐子の血液も一九九一年十二
月ころ琉球大学から日本大学に移されたため、検証のときに現物は保管されていま
せん。現場検証の写真では冷凍庫と冷蔵庫のドアが開けられ、冷蔵庫の中は薬品類
が整然と収められており、立会人が指で示す冷凍庫の入り口近くに試験管が置かれ
ています。
O助教授の証言では、利佐子の血液を入れた二本の試験管は、解剖日、警察署
名、神谷利佐子と紙に書いたラベルと一緒に、袋に入れて縛って保管したということ
です。現場検証で立会人が指で示した保管状態では、実験室に出入りができ、利佐
子の血液の保管を知る人なら、誰もが利佐子の血液に細工をすることが可能です。
保管後、研究員など十名ほど集めて検討会が行われ、トリカブト毒がリストに入り、そ
の後、トリカブト塊根のエタノール抽出液が放置されます。第十七回公判での、利佐子の
友人Aの証言では、O助教授は週刊誌の記者に血液の保存を話しているということです。

 私は利佐子に、トリカブト毒を服用させていません。物的証拠として、混入を防ぐ完
璧な保管をしていたのなら、血液からトリカブト毒は検出されませんでした。
O助教授の保管状態では、血液の保管中にトリカブト毒が混入したことは、疑いよう
のない事実です。
裁判がはじまった当初から、私が危惧していた、保存血液からのトリカブト毒の検
出という事実が、裁判官の有罪との心証を決定づけていないか、ということを、第二
七回公判で、裁判官は態度によって明確に示しました。この心証を覆すことは、もは
や不可能です。私は、アリバイに匹敵する二つの事項、服用から発症までの約二時
間の問題と、カプセルに詰められる毒量の問題で、論証を完璧に行い、無罪を勝ち取
る以外ないと決意します。

 アリバイに匹敵する二つの事項は、第二十八回公判以降の五回の公判で審理さ
れるはずです。五週間の短期決戦となります。私は、二つの事項の論証を組み立て
るために、有罪と決めつけて鑑定を行い、証言をする、東北大学のM教授に、どのよ
うに反論したらよいか、少ない資料を調べながら、様々なケースを検討します。そのな
かで、一つの問題が浮き彫りにされます。
裁判官は、私に、「トリカブト毒を保管していた密閉ガラス瓶に、らっきょう漬けを入
れて、それを食べて怖くなかったのか」 と尋問します。私は「平気でした」 と答えま
す。この尋問は、トリカブトの塊根を密閉ガラス瓶を使用してエタノールに漬け、それ
を東京のマンションEWで空けて、札幌のシャトーSに持ち込み、らっきょう漬けを入れ
て使用していたのです。逮捕後、このらっきょう漬けの入った密閉ガラス瓶を捜査当局が押収し、
M教授に鑑定を依頼したところ、トリカブト毒が検出されますが、その尋問です。

 検察官は、私がトリカブトの塊根からトリカブト毒を抽出・濃縮し、マウスで毒性実験
を行い、完成した水飴状物質を密閉ガラス瓶で保管し、その水飴状物質をカプセル
に詰めて利佐子に服用させ殺害したとの筋書きを描きます。検察官は、密閉ガラス瓶
の鑑定結果で、筋書きは裏付けられたと強調したかったのでしょうが、その主張はな
かったように記憶しています。この審理のなかで、先ほどの裁判官の尋問がありました。

 トリカブト毒の猛毒成分は、アコニチン、メサコニチン、ヒパコニチン、ジェサコニチン
の四成分ですが、トリカブトを漢方薬として扱う製薬会社のM研究室長が、「毒素の構
成比のパターンが違えば、産地が違う可能性は高い」 「トリカブト根をエタノールに漬
けておいても数年間は高い毒性を維持する」 「四種類の毒素は構造的に非常に似
ており、体内で特定の一つだけが代謝されるとは考えがたい」 という主旨の証言をします。

 この証言からわかることは、検察官の描く筋書きどおりとすれば、利佐子の血液か
ら検出されたトリカブト毒の成分比率と、密閉ガラス瓶から検出されたトリカブト毒の
成分比率がほぼ一致しなければなりません。私の手元にある裁判資料には、密閉ガ
ラス瓶の鑑定結果や、証言の記述が見つからず、結論は出せませんが、もし、血液と
密閉ガラス瓶の比率が一致していたのなら、図星の手柄を立てたと意気込み、検察官は
大いに騒ぐでしょう。騒がなかったことから、一致していなかったと私は推測しています。

 この問題を、今後の五回の公判で持ち出そうと考えますが、これに関係する裁判
記録がなく、審理に割り込ませる糸口がつかめません。私か、あるいは弁護人が、密
閉ガラス瓶の鑑定をしたM教授に質問しても、検察官の「当審理に関係ない」 との異
議申し立てと、裁判長の是認で、なしえないことは必定です。
もう少し早くこの問題に気がついていれば、弁護人の先生方と相談ができたのです
が先生方との打ち合わせは、公判当日の改定前の十五分ほどの接見です。山のよう
にある課題も、処理しきれない状況で、この問題を相談するのは無理でした。私は、
第一審で明らかにすることは諦め、控訴審を念頭に置いて、時間をかけて調査するこ
とにしました。


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