事実の証明

心残りのまま永眠した 神谷 力 氏の手記。 トリカブト事件を冤罪と断定し、 判決の矛盾を鋭く指摘する。
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全文-11 (2013/01/31(木) 19:07:40)
2011.12.05

全文-11

 検察官は、小麦粉との混合を持ち出して、服用から致死まで約四時間に拘泥しま
した。それは当然です。私が逮捕されて、取り調べを受けたときの、警部や検事の話
を総合すると、利佐子が那覇空港で友人三人と会う予定だった、午前十一時二十分
以降のカプセルの服用を立証するには、ほとんど不可能な条件を満たしていたから
です。午前十一時二十分以降、航空機が延着するとも知らず、私と利佐子は友人三
人が現れるのを必死で探していました。現れたら即、利佐子は友人三人と行動を共に
します。また、航空機が延着したから機内の席が離れたので、予定では、機内でも友
人三人と、一緒の並びの席に座るはずでした。この条件については、警部も検察も私
の供述に反論はしていません。

 このような条件のなかで、両毒入りのカプセルを、私が利佐子に、服用することを
勧めることが、できるでしょうかと主張します。そこで警部も検事も、服用から発症まで
約二時間の問題について、私がどのようにしたのかを、幾度もしつこく尋問しました。
この取り調べの状況から、服用から発症まで約二時間の問題が、全く解決されていな
いことを、検察側は認めたことになります。

 この時は進行しているF教授の小麦粉混合の研究に、検察側がどれほど期待して
いたか、あの舞台装置を見てもわかります。第二五回公判は、検察官にとって晴れ
の舞台だったでしょう。しかし、利佐子の血中濃度の動態を加味すると惨めな舞台で
もあるのです。まさか、裁判官が、この惨めな舞台に目が眩んで、利佐子の血中濃度
の動態という簡単な事実を見極められず、騙されるとは思いませんでしたが、念のた
め、一九九四年一月、第二七回公判の前に、利佐子の血中濃度の動態を加味した
供述書を裁判所に提出します。

 陳述書を提出して、これから反論だと意気込んでいたところ、弁護人から、二か月
後の三月で事実審理は結審すると知らされます。私は自らの耳を疑いますが、聞き
違いではありません。被告人の立場とは、こんなものでしょうか? 一体、私の主張を
どれだけ聞いたというのだ! これから裁判資料を入手し、反論を組み立てようとして
いるのに、私の怒りは頂点に達します。私に反論のための時間を与えないということ
は、やはり、血液から両毒が検出されたことによって、裁判は、有罪と決めつけて開
始されたとしか思えません。

 私は、犯したと誤解されている殺人行為について、よく自問自答をします。琉球大
学のO助教授は、解剖後、心筋梗塞と断定しますが、一か月ほど経過して高額な生
命保険の加入を知り、他殺の可能性も念頭に置いて血液の検査をはじめます。O助
教授は、私が実益を求めて殺人を犯した可能性を考えたのです。
一般論として、実益を求めて殺人を犯した人は、他者の治療を受け入れる心は、希
薄だと思います。実益を求めての殺人は、精神をコントロールできる状態で犯す殺人
です。精神のコントロールが正常な状態で犯した殺人は、殺人が悪行だということは
知っていても、心をえぐるような感覚ではなく、心を素通りする程度の感覚だと思われ
ます。他者の説得も素通りするでしょう。よく、自らの心に他者が潜むと言われますが
その他者に寄りかかれば、言い訳をするだけになります。真に犯した殺人行為を反
省しその心をえぐるには、自ら行う以外にありません。
自分の殺害という行為によって、閉ざしてしまった相手の人生を、深く深く考えてみる
以外にないのです。それが極悪な行為だったと、反省できたかどうかわかるのは、自
分の心を透かして見ることができる本人だけです。

 私は殺人は犯していません。私は、いま述べた一般論を持って私を評していた世
間の声が、非常につらく心に響いたのです。妻を二億円近い生命保険に加入させ、
約一か月後に殺害して、完全犯罪が成立すると考えるほど、私は間抜けではありま
せんが、世間にとってそれは言い訳と聞こえるだけでしょう。血液からの両毒の検出
という証拠を、打ち負かすことのできる立証、それにはアリバイに匹敵する論証が必
要ですが、それが、服用から発症まで約二時間の事項なのです。この事項の審理は、
公判でまだ一度も行われていません。この審理を、私は気力を整えて待っていました。

 二か月のあいだに七回の公判が予定されます。各回の公判の審理内容も日程も
決まっていました。私が提出した陳述書の審理を行う余地などありません。一九九四
年二月七日の第二八回公判から、三月十四日の第三二回公判までの、五回の公判
で、カプセルに詰められる毒量の問題と、服用から発症まで約二時間の問題が、五
週間ほどで審理されます。この二つの問題は、私が最も重要と捉えている事項です。
そこで審理される鑑定書も証言内容も、私はまだわかりません。第三二回公判が事
実審理の実際上の結審だと知って、私は途惑いの気持ちをあらわにして、弁護人に
怒りをぶつけます。

 後悔することが私にはありました。それが途惑いの気持ちに影を落としています。
一九九四年一二月二二日、大阪に出張して公判が開かれます。この大阪公判に
私は参加しませんでした。理由は私の意気地無さです。大阪までの連行は新幹線で
す。手錠をかけ腰縄を打たれ看守に付き添われて、駅構内を歩き、車内で座っていな
ければなりません。頭からすっぽり何かをかぶって、顔を隠すということは、殺人を犯
していない私には論外です。

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