事実の証明

心残りのまま永眠した 神谷 力 氏の手記。 トリカブト事件を冤罪と断定し、 判決の矛盾を鋭く指摘する。
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全文-02 (2013/01/16(水) 06:18:58)
2011.10.19

 第二回

 利佐子と知り合う切っ掛けと、三匹の猫との反目に触れながら、二人の大阪での生
活がどのような状況であったか、私の経済状態がいかに行き詰まったかを語ります。
二人の結婚生活は大阪ではじまります。私が設立を準備していた総菜の宅配会社
「株式会社ヘルシー」の大阪における立地条件を調査するために、東京から転居した
からでした。私の住まいは、東京の池袋駅西口から徒歩で五分、二LDKのマンションで
持ち家です。大阪転居後も、東京の住まいは帰京のたびに使用するために、家財などはほ
とんどそのままにし、大阪へは利佐子の家財と利佐子の愛猫三匹を連れて移ります。

 利佐子と知り合ったのは一九八五年十一月十日です。なつ江の四十九日の法要
を済ませたその翌日、人のざわめきが恋しくなった私は、自宅から徒歩五分ほどの
西池袋のKクラブに立ち寄りました。その店で私の席を担当したのが利佐子です。翌
日、利佐子に電話で食事に誘われ、食事をしながら話しているうちに、私より十三歳
年下の三十三歳ということがわかります。客とホステスのたわいない会話でした。私
は自分の現在の立場を虚実取り混ぜて座興のつもりで話します。妻に二度死なれて
いること、経営コンサルタント業で年収一千万円であること、総菜会社の設立を準備
するために近日中に大阪に移転すること、などなど、気軽な気持ちで話しました。

 同伴して入店するため幾度か利佐子と食事をするうちに、利佐子はノルマの厳しい
ホステス業に行き詰まりを感じていると言い出します。利佐子は私のマンションに
遊びに来るようになり、大阪に一緒に転居することを承諾し、二人は婚約しました。
翌年1月、大阪に転居して、二月十日、城東区役所に婚姻届を提出します。
大阪に転居してから、利佐子は体調を崩します。大阪の土地柄に馴染めないと
いつも話すことから、三月に入り友人の多い東京へ遊びに行くことを勧めました。
それ以来、利佐子は大阪と東京を往復し、体調は完全に回復します。生命保険会社
が生命保険金の支払いを拒否したひとつの理由として、私と知り合う一年ほど前、
自律神経失調症で、病院に通院していたことを告知していない、告知義務違反を
挙げています。大阪での体調の崩れはその再発でしょう。

 あとになって公判などで知ったことですが、利佐子はマージャン中毒と言われるほ
どマージャンが好きで、クラブに勤めていたころはほとんど毎晩、店が終わるとジャン
荘で徹夜でマージャンをしていたそうです。その根城にしていたジャン荘が、池袋の自
宅から徒歩で五分ですから、東京に戻ったときの利佐子はジャン荘に入り浸っていた
のでしょう。あるクラブのバンドシンガーをしているT氏本人の公判での証言によると、
私と知り合う一年ほど前まで利佐子と同棲していたT氏が、利佐子と別れた理由は、
マージャンが原因だったと言います。利佐子のジャン荘通いは相当ひどかったようで
す。大阪では、ジャン荘に通った形跡はありません。

 利佐子が東京に戻るとき、私が同行したことはあまりありませんでした。仕事が忙
しいわけではなく、猫三匹の世話が必要で二人で二泊以上家をあけることはできませ
ん。白い雄のペルシャが一匹、黒い雌のペルシャが一匹、ヒマラヤンが一匹、雄雌は
忘れました。三匹は猫としては大型です。利佐子には親子のようになついています。
利佐子がいないとき、白い雄は私によく臭い小便を引っかけます。雄犬でもないのに
片足を上げて飛ばします。

 大阪に移り住んで一週間ほどしたとき、利佐子は猫を理由に。私と一緒に寝ていた
ベッドから、居間の和室に布団を敷いて一人だけ寝所を移しました。大阪のマンショ
ンは、六畳の和室が隣り合わせに二部屋、約八畳ののリビングキッチンを挟んで、玄
関に近い方に四畳半の洋室とトイレや風呂場があります。その洋室にベッドを入れて
いました。もう一方の和室は、三匹の猫の専用の部屋です。
夫婦のいとなみは、私が和室に通うことになります。そのとき、三匹の猫は「ウー」
とかなんとか言って私を牽制します。自分たちより格の低い者が、布団に滑り込むの
を許さないという態度です。夫婦のいとなみのときぐらいは、専用の部屋に引きこもっ
てもらいたいのですが、利佐子は常に猫を自分の周囲にはべらせていたいのです。
私と一緒に猫が布団のなかにいても意に介しません。私は落ち着きを失ってしまいます。

 利佐子が東京に行っているあいだ、大阪で私は三匹の猫を相手に格闘していました。
利佐子とではなく、私は猫と結婚したのではないかと、行為が錯綜してしまいます。
利佐子と一緒に住むようになってから、利佐子を観察する時間よりも、猫を観察する
時間が長いのです。利佐子と一緒にいるときも、無意識に猫の動きを追っています。
これでは利佐子との愛を培うことなど出来ません。
私には浪費という悪癖があります。自らの生活を調えるための浪費ではありませ
ん。女性との愛を培うための浪費でもありません。一心に女性の嬉しそうな笑顔が見
たいための浪費なのです。不正行為によって得た私の資産は、この浪費によって減
少します。

 一九八一年十二月、「株式会社ヘルシー」の設立準備を開始したときの予算は七
千万円でした。なつ江が体調を崩し、心電図に軽い異常が見られたときです。六ヶ月
後発症し入院します。のち三年三ヶ月入退院を繰り返し、一九八五年九月、帰らぬ人
となります。着付けの師範免許を持つなつ江は和服に目がなく、人間国宝が描いた
手描き友禅などの高級な和服を次つぎに購入します。私はなつ江の嬉しそうな笑顔を
見るのがこの上なく幸せで、資産が消えていくのもかまわずなつ江のやるに任せていました。
なつ江の死後、資産の整理をしてみると一億円近い資産の大部分は消えています。
なつ江の残した一千万円の生命保険金は貴重な生活資金となります。
私は東京を離れ、食文化の中心といわれる大阪で総菜会社の設立を模索して見る
ことにしました。資金は池袋の自宅マンションを売却することにします。十一月上旬、
大阪に赴き大阪での事務所兼住居とするマンションを契約し、大阪転居の準備を進
めました。

 その後利佐子と知り合い、年収一千万と話したウソが、客とホステスのたわいない
会話では済まなくなります。私は、会社設立のための経営企画書のなかで、損益につ
いて、見通しを立て、その損益計算書に、九百万円の年収を計上していましたので、
利佐子に訂正することを行いませんでした。利佐子は私の年収一千万円の話を信じ
、結婚後、この金額を生活の経済基盤とします。



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