事実の証明

心残りのまま永眠した 神谷 力 氏の手記。 トリカブト事件を冤罪と断定し、 判決の矛盾を鋭く指摘する。
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全文-25 (2013/02/15(金) 09:46:00)
2012.02.22

 全文-25

「企画書要旨」は、東京拘置所に収容された約三か月後に、なんの資料もなく
書き終えたものです。罫紙(六百字詰め) に換算すると四〇ページから成り、業
務内容、宅配料理の献立表、利益計画表(第五期までの予想財務表) を詳細
に記述しています。ここで問題となるのは、業務内容や利益計画表は、企業会計
の専門家である私にとって、なんの資料がなくても作成するのは造作もないことで
すが、献立表については資料がなければ作成できません。なぜなら、次の表を参
照していただければわかるように、献立表には各食品の栄養素として、その単位
あたりのカロリー・蛋白質・脂質・カルシウム・鉄分・ビタミンA・ビタミンB1・ビタミン
B2・ビタミンC・食塩という配列で表示し、献立表の料理の栄養素を明らかにして
いるからです

料理表-2 
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 この献立表の栄養素の配列は、一九八二年から一九八五年にかけて約四四
〇品目に及ぶ料理の実習と、それぞれの料理表の作成を行い、それを組み合わ
せて約一八〇種類の献立表を仕上げたとき、参考図書『日本食品標準成分表』
に表示されている栄養素を、料理表に正確に書き写して作成したため、その参図
書の栄養素の配列がそのまま私の記憶となり、「企画趣意書」 に記載するこが
できたのです。私が設立しようとしていた総菜会社は、宅配する副食材料につい
て、バランス栄養食と銘打って、一日に必要とする各栄養素を、まんべんなく摂取
できるように配慮することにしました。その献立表で栄養素を細かく集計できるよ
うにしたのです。

 現在出版している『日本食品標準成分表』 の栄養素表の配列は変更されてい
るかもしれませんが、当時のこの参考図書には数百ページにわたって、すべての
食品について先ほど述べた一〇種類の栄養素の配列で記載されています。東京
拘置所での書籍の購入はすべて記録されますから、「企画書要旨」 を書き終え
た入所後約三か月のあいだに、この参考書を購入していないことは明確に立証
できます。これらのことから、「企画書要旨」 が想像上の作文であると認定した判
決は、明らかに事実を誤認しています。なお、スタンダートな料理として裁判所に
提出した「企画書要旨」 の数点の料理表の中からハンバーグの料理表を抜粋し
ましたが、使用量、カロリー、栄養素等の数値は記憶になく適当に記入し正確で
はありません。

 ところで、逮捕以前に逮捕を予想して、その言い逃れのために企画書要旨なる
ものをでっち上げたのではないか、との判決同様の見解もあるかと思います。し
かし、それはありえません。私が逮捕を予想して、殺人行為をごまかし総菜会社
を隠れみのにするために、逮捕までに事実でない総菜会社の話を創作したとする
と、当然、総菜会社の全体像を頭に描き、公判での総菜会社に関係する尋問に
対して二転三転することなく答えられるように準備したはずです。ところが、総菜
会社に関連する供述は、数々の問題で二転三転するのです。

 検察官が描く殺人のための準備行為で、総菜会社に関連する問題とは、エバ
ポレーター、トリカブト、マウス、クサフグ、エタノール、カプセルの七品目の購入が
主な問題です。これら購入品は、逮捕から五年ないし十年前に購入し、記憶は薄
れていますから、記憶をたどって逮捕前に購入日と数量を確定しておかなけなけ
れば、公判で、検察官の追求にあっても、答えが二転三転し一貫した供述ができ
ません。逮捕後の取り調べで自ら供述したエバポレーターとマウスを除く五品目
については、公判で販売店の人たちが証言しそ、の場で購入日と購入数量を私
はノートにメモし、その後、これらの証人尋問調書が入手できず、メモを頼りにして
記憶をたどり、実際を明らかにできたのです。それでも第一審の公判では、二転
三転した供述を訂正し、事実を主張する機会はありませんでした。

 二転三転した私の供述内容を明らかにしたいのですが、被告人尋問調書が一
冊も手元に入らず、公判での供述内容が定かでありません。よって、記憶に残る
エバポレーターについての供述内容を説明し、マウスとクサフグは購入目的の実
際を簡潔に記述します。なお、トリカブト、エタノール、メタノール、カプセルの購入
は、総菜会社と関係がありませんので、次項五でその実際を説明いたします。

 エバポレーターの一回目の購入は一九七九年です。会社の取引銀行との関係
で、私が口座を開設していたF銀行室町支店の帰り道、理化学材料を販売してい
るT株式会社のショーウィンドーにエバポレーターが展示されていました。通りす
がりに何度か見ているうちに、興味を覚えて店の人からカタログを貰い、使用目
的や使用方法を理解した上で購入します。関東風と関西風の味付け、濃い口醤
油と薄口醤油、赤ワインと白ワイン、などなど、濃縮して比べたらどのような味の
違いがあるのか、おもちゃを買うようなつもりでエバポレーターを購入します。しか
し、部品が足りず、箱に収めたまましまい込みます。その後、仕事の忙しさに加え
て、恭子がたびたび心臓発作で入院するなどで、エバポレーターを使用すること
なく過ぎていきます。恭子が病死してコーポTに移り住むとき、収まりがつかない
多くの家具と共にエバポレーターも処分してしまいました。

 二回目の購入は一九八二年六月です。五月に最初の経営企画書が完成し、そ
の中で具体化していた顧客に月一回配布する『ヘルシー月報』 の話題集めに、
エバポレーターを利用することを思いつきます。エバポレーターでどのような話題
が提供できるかは、一回目購入のときの利用方法とほぼ同じです。このときは組
み立てる途中でガラス管を破損し、ガラスセットを購入しますが、ふたたびなす底
フラスコを破損し、同年一〇月、なつ江と結婚し仕事場をコーポTからマンション
STの自宅に移したとき破棄します。

 三回目の購入は一九八三年三月ですが、逮捕のときの取り調べで自ら供述し
ていながら、公判では二回目と錯綜して供述が二転三転します。結局、エバポレ
ーターの使用は、水道の蛇口に差し込んでガラス器具内を低圧にするアスピレー
ターが、抜けたり水が飛び散ったりして、実用に供さないまま箱に収めて放置します。

 公判では検察官が、一回目の購入を無視し、二回目を一回目、三回目を二回
目と言い替えて私を尋問します。捜査当局が一回目の購入を把握していながら、
検察官はなぜ一回目を認めないのか。一回目の購入を認めると、その当時は殺
人の準備行為をはじめたとする一九八一年から、二年も前のことであり、エバポ
レーター購入が殺人の準備行為とは無関係となり、私の説明が事実となるからで
す。

 私は第一審ではこのことに気がつかず、一回目から三回目の購入状況が錯雑
として、供述が二転三転し、そのうちに供述を諦めてしまいます。『ヘルシー月報』
についても、この錯雑としたなかで、供述する機会を失い、一度も供述していません。
逮捕以前に逮捕を予想してエバポレーターの購入を、総菜会社の話と結び付け
て創作し準備したのなら、公判で供述が、検察官のミスリードに惑わされて、
二転三転することはありません。


 

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全文-26 (2013/02/15(金) 12:07:41)
2012.03.06

 全文-26
 
 一九七九年ころT株式会社のショーウィンドウにエバポレーターが展示されてい
たことは事実であり、そのころ私がエバポレーターを購入したことを捜査当局もT
株式会社の事情聴取で把握しており、当時の売上伝票が破棄されて書類では確
認できなかったということなのです。私の自らの供述に対して、その供述の真偽に
ついて、取り調べに当たったK警部は、一九七九年ころの購入は事実だと私に明
確に話しています。三回購入しても、一度も実用に供したことがないから、この一
回目の購入目的のみが脳裏にあり、検察官の作為ある主張に適時に反論出来
ず、供述が二転三転するのです。

 この状況で、逮捕以前に逮捕を予想して、総菜会社について矛盾なく説明でき
るように創作し準備したといえるでしょうか。料理表の栄養素の配列は、掲載した
料理表を見ればわかるように、一品目の料理表に調味料も含めて平均して一〇
種類の食材を使用します。約四四〇品目の料理表を作成するために四千回以上
『日本食品標準成分表』をチェックし、栄養素の配列を記憶していたのです。
逮捕直前まで私が住んでいた札幌の自宅が、逮捕後家宅捜索されますが、書
籍の中に『日本食品標準成分表』 があるのが確認され、月二万円の食費で効
率よく栄養を取るために、カロリー計算などをしてみた献立表も見つけています。
逮捕の一か月ほど前から、自宅のあるマンションを刑事がたびたび見張るのを、
私は窓から確認していますし、外出のときの尾行は常でしたから、逮捕が間近で
あることはわかっていました。もし逮捕を予想して、総菜会社の話を創作するた
めに『日本食品標準成分表』 を使用したのであれば、その作業中に料理表は作
成しており、栄養素の配列は逮捕前にすでに記憶が終わって、その段階で『日本
食品標準成分表』 などを処分せずにそのまま置いておくことはありえません。
私が実際に殺人のための準備行為を行い、それをごまかすために総菜会社を
隠れみのにしようとして、逮捕までに総菜会社の話を創作したとすると、栄養素の
配列だけが記憶されており、エバポレーター、マウス、クサフグについては、供述
が二転三転するほど、いい加減な記憶しかないということはありえません。これら
についても、周到に用意し確固とした供述が出来るはずです。その点を熟慮すれ
ば、この栄養素の配列を記憶していたという事実が、総菜会社の企画を実際に
行っていたことの、なによりの証拠なのです。
 
マウスとクサフグの購入目的について簡単に説明いたします。
マウスの一回目と二回目の購入目的は、当時、塩分の摂取過多による健康への
影響について、高血圧症などを中心にさまざまに取りざたされてましたが、具体
的な動物実験の結果は明らかにされておらず、マウスで実験して、「ヘルシー月
報」 に掲載できれば話題性があると考えマウスを購入します。
 
マウスの一回目の購入ですが、一九八三年十一月か十二月、池袋のペットシ
ョップから五匹を購入しますが、マウスを殺す可能性のある実験で、なつ江の目を
はばかり、自宅を避けてアパートSに持ち込みます。注射器を購入し、針なしで食
塩水をマウスの口に注入しようとして注射器を噛み砕かれ、扱い方がわからず実
験を中止し、五匹は西池袋の自宅近くにある廃屋の荒れた庭内に放してやります。
マウスの二回目の購入は、一九八四年二月か三月、電話帳で調べ株式会社
Nから五十匹購入します。食塩を一gから十gまで、購入した精製水一〇〇mlに
溶かし、マウスのしっぽにマジックで印を付け一〇グループに分け、一日一回1m
lずつ腹部に注射します。私との体重換算で、一日に三〇gから三〇〇gの摂取量
です。マウスは成長が非常に早く、当時はうろ覚えの知識でマウスの一日はヒト
の一年分の成長に該当すると誤解していました。実験期間を三〇日取りますが、
一週間で体重が二倍ほどに成長し、虐待で凶暴になり扱うことに恐怖を感じ実験
をやめてしまいます。体毛が異常に抜けるとか、手足や体の動きが極端に鈍るな
どを確認しようとした私の前で、体になんの変化も起こさないマウスは、汚れた姿
で元気に動き回ります。ドッグフードを両手で抱えて、カリカリ食べるかわいい姿な
ど、ヘルシー月報への話題の提供は、笑い話としての成果でした。五十匹のマウ
スは、前回と同じ荒れた庭内に放しました。
クサフグの購入は、最後の購入に依存はありますが、横須賀市で漁業を営む
M氏の証言、一九八四年三月ころから一九八五年秋ころまで、七回にわたり約
一二〇〇匹購入したことを、おおよそ間違いないと、私は認めています。そのうち
料理の実習に使える三〇センチほど大型のものは、三回目購入の一九八四年
六月に一匹、四回目の同年九月に二匹、六回目の翌一九八五年六月に三匹です。
フグ料理の実習に至る経過を説明します。私が料理本で実習した料理には、
魚料理も多く含まれています。料理本で魚を捌く面白さはなんといってもフグであ
ることを知り、捌くことに興味を覚え、同時にフグ料理を献立に加えられないか検
討してみます。材料費としては、トラフグは無理ですが、マフグなら可能性がある
ことがわかります。調理は採算上、私が調理師免許を取得することを考えてみま
す。早速フグ料理の実習書を購入して調べると、フグの毒性なども含めて種々の
ことが解説されていますが、とくに捌き方の善し悪しで身や皮に毒が回ると解説さ
れており、興味が強くなります。
手始めにフグを捌いてみることにしますが、都道府県条例でフグの調理師免許
を持たない者は、調理済みでない丸のままのフグは購入できないことがわかりま
す。いろいろ調べて見ると、クサフグなら理由のいかんによっては丸のまま入手で
きると判断します。購入の理由として、料理の実習に使用するとは言えず、大学
でクサフグの毒性を研究している友人に頼まれたと嘘をつくことにし、電話帳でM
氏を調べ、クサフグの購入をはじめます。二回目の購入の時、名刺を渡して身分
を明確にしました。一匹千円は、定置網を仕掛けて捕獲すると聞いて、一回の定
置網で大型の物が一〇匹程度捕れると思い、私が言い出した値段です。しかし
大型の物が捕れず、大型の物を得るために意地になり、飲み代を考えれば、など
と浪費癖がでて、購入が六回にも及び、大変な出費をしてしまいました。
アパートSには料理の実習ができる台所はなく、実習はすべて西池袋の自宅
で行います。購入したクサフグは自宅に持ち込み、実習に使えない小型の物は、
マンションのごみ捨て場に廃棄しました。一九八四年に購入した大型の三匹は、
九月に実習書のとおり捌いてみますが、なんとか捌けた程度で満足がいきません
。再度購入しようと電話をしますが、時期的に捕獲は難しいと言うので翌年まで待
つことにします。一九八五年六月購入の大型の三匹は冷凍保存し、数日後に捌
いてみますが、前回よりましな程度です。フグ刺しの薄造りなどは、とても手に負
えません。フグ料理を宅配の献立に加える見通しの立たないまま、免許取得は断
念します。ただ、捌いた各部位の毒の回り方に興味があり、前回と同じように、捌
いた順を明らかにして、身、皮、肝臓をそれぞれサランラップに包み自宅の冷凍
庫に保存します。

全文-27 (2013/02/15(金) 12:35:19)
2012.03.13

 全文-27
 
 同一九八五年六月か七月、マウスを五〇匹(最小販売単位) 三回目として株
式会社Nから購入し、アパートSに持ち込みます。購入目的は、捌いたクサフグ
の各部位の毒性を調べるためでした。クサフグの各部位は、最初に捌いた部位、
肉、皮、肝臓を六個のワイングラス等に少量切り取って入れ、すりつぶして精製
水を加えます。また、『ヘルシー月報』 の話題集めのため、密閉ガラス瓶にエタノ
ール漬けにして保存しておいた、毒性があると言われている、ジャガイモの芽、梅
干しの種の中身、トリカブト塊根の三種のエタノールを、三枚の小皿にそれぞれ
少量移します。
一匹のマウスをそっと手のひらで抱き、クサフグの肝臓の水溶液を腹部に注射
して容器に戻します。じっとしていたマウスは、急に幾度も飛び跳ね、激しく痙攣し
て死亡します。その凄惨な情景に私はショックを受け、投与は一匹で中止しました
。数日後、最初と最後に捌いたクサフグの各部位を、六個の密閉ガラス瓶を購入
してエタノールに漬けて、総菜会社関係の資料を入れてある段ボール箱に、三種
の密閉ガラス瓶と共に保存します。なお、魚貝図鑑によると、購入した大型のフグ
は、クサフグではなくショウサイフグです。
一九八六年四月二六日、マウスの四回目の購入をします。購入目的は三回目
と同じです。経済状態の見通しが立たず、東京に戻ろうと考え、総菜会社の資料
の整理をはじめました。。そのとき、性懲りもなく、クサフグの部位など九個の密閉
ガラス瓶の毒性を調べてから廃棄することにし、大阪のA店から五〇匹購入して
Gハイツに持ち帰ります。マウスと対面するとその愛くるしさに、私はしばらくのあ
いだ無心に一匹のマウスと戯れていました。毒性を調べるなど論外です。マウス
を陽気に戻して、五〇匹のマウスを、すぐ近くを通る京阪本線の線路際の側溝に
放してやりました。
 
密閉ガラス瓶の処分と惣菜会社の終息についてお話します。利佐子が死亡し、
一九八六年六月大阪から東京に戻った私は、西池袋の自宅
を売却し、葛飾区
新小岩のTビルの一室を賃借し事務所兼住居とします。就職し
て生活資金を得ながら、
惣菜会社の出資者を探すことにし、それに適した経営企
画書にするため、
さらに下書きに手を加えます。その清書をはじめますが、七月
下旬ころから一部の
マスコミの殺人疑惑を全面に掲げた中傷がはじまり、顔写真
と実名が世間に広がるに
及んで、八月、惣菜会社の設立を断念し、Tビルを引き
払い横浜の実家に
一時身を寄せます。
同年一二月、S社に入社し、足立区内の
一KのコーポEに引っ越し、入社
一年三か月後の一九八八年三月、総務部長兼
経理部長に就任しますが、
惣菜会社の設立には、わずかですがまだ未練を感じ
ていました。同年十月、
コーポEから会社に近い二DKのマンションEWに転居し
ます。
経営企画書の下書きと未完の清書、および九個の密閉ガラス瓶を入れた段ボ
ール箱は、引っ越しのたびに持ち歩きます。部長就任後二年ほどのあいだに、惣
菜会社へのこだわりは完全に消えてしまいます。この時期が「株式会社ヘルシ
ー」の終息の時と言えます。
一九九〇年に入り、S社は東京証券取引所に上場されているM社に吸収合併
されることが明らかになります。そうなれば殺人疑惑で世間の話題になった私が、
会社にとどまることは不可能です。S社でも殺人疑惑を問題にされたことがありま
したが、業務で実力を示して乗り切りました。同年三月、私は身辺の整理をはじ
めます。そのとき、惣菜会社の資料は、トリカブト塊根二個を漬けた密閉ガラス瓶
および経営企画書の下書きと未完の清書を残して、ほかの八個の密閉ガラス瓶
の中身や料理表などの資料はすべて廃棄します。
トリカブト塊根のエタノール漬けを残したのは、前年夏ころNHKのA記者から、
「利佐子の血液からアコニチンが検出された」 と聞いたことに起因します。同一
九九〇年一〇月、保険金請求の民事訴訟で利佐子の血液からトリカブト毒が検
出されたとのO教授の証言があり、密閉ガラス瓶を所持していることに不安を感
じ、早急に処分することにします。私は、マンションEWの台所で、密閉ガラス瓶か
らトリカブト塊根を漬けたエタノールを小皿に空けて、日が射していた窓際のカー
ペットの上に置いて点鼻乾燥を試みますが濃縮の効果はなく、風呂場でヘアドラ
イヤーの熱風を長時間当てて濃縮し、水飴状になることを確認して塊根とエタノー
ルは廃棄します。 
検察官は、この時期、私が完成した水飴状物質を密閉ガラス瓶に入れて保存
していたと主張しますが、であるなら、右のような私の行為は必要ないのです。と
ころが、東北大学のM教授は、マンションEWのカーペットから、トリカブト毒が検
出されたとの鑑定書を公判で提出しています。小皿からこぼれたのでしょう。この
鑑定結果が、私の行為が実際であることのなによりの証拠です。アパートSの畳
からも検出されていますが、密閉ガラス瓶の蓋を開けて臭いを嗅いだり指先につ
けてなめたり、マウスのときは小皿に空けていますから、そのときこぼれたのが検
出されたのです。
同年十一月、利佐子殺害の疑惑がマスコミによって大々的に報道されたことか
ら、S社を依願退職します。身辺整理をした三月のときには、このような事態にな
るとは思いませんでした。ただ、私がS社から不正行為で得た資金は、不正運用
による金利などを差し引いても、一億円を超えています。ある事情があって不正
行為は表沙汰にならないという確信がありましたが、もしものときは、その責任を
とらなければならないと考えながら、私は一年を目標にして海外連結決算のシス
テムを作り上げ、その後S社を退職することを決心していました。
同年十二月、マスコミを避けて札幌のシャトーSに転居します。そのとき持ち込
んだ密閉ガラス瓶に、らっきょう漬けなどを入れて使用しますが、逮捕後、警視庁
捜査一課がシャトーSを家宅捜索して、密閉ガラス瓶二個を押収し、東北大学M
教授に鑑定を依頼します。その結果、らっきょう漬けを入れた密閉ガラス瓶から、
トリカブト毒が検出されます。
 またこの転居のとき、経営企画書を一度読み返してから、下書きと未完の清書
を廃棄しました。これにより、惣菜会社関係の資料はすべて廃棄したことになりま
す。


全文-28 (2013/02/15(金) 12:35:47)
2012.03.15

 全文-28
 

 五 子育てへのあこがれ

 

一日も欠かさず毎日、拘置所に区役所の有線放送が聞こえてきます。「午後五

時になりました。外で遊んでいる小学生のみなさん、おうちに帰りましょう」 私は

この放送を聞くたびに、身につまされます。私は鍵っ子でした。遊び仲間の子供た

ちが家に帰りはじめると急に寂しくなり、最後の一人が立ち去るときその子をじっ

と見つめて立ち尽くします。家は大小六部屋もある一軒建てで、寂しがり屋の私

は夜一人で家にいるのがつらく、帰宅時間が不規則な美容師をしている母の帰り

を、長時間外で待ちました。

 

 私はある書物で、次のようなことを読んだことがあります。


 ヒトとは、大人と子供が入り交じったような不思議な生き物だ。動物界にはネ

オテニー(幼形成熟)という現象があるという。卵から成体に達する過程で幼生

形の段階で発達が止まり、幼生形のまま生殖腺が成熟して生殖する現象のこと

をいうそうだ。ウーパールーパーと俗に呼ばれているアホロートルがその代表的

な動物だというが、霊長類ではヒトだけがその特徴を持っているといわれている。

写真で見るとゴリラの子供の体形はヒトの体形によく似ているが、成長するにつ

れて体形は変わり成体となるとヒトとは似なくなる。ところが、人は成長しても身

長などは伸びるが体形はほとんど変わらない。

 

毎日きまって、小学四年五年のころの鍵っ子の感傷に浸る私は、体形だけでな

く、完成されていない未成熟な脳の持ち主だと思います。ですが、私はこの感性を

失いたくありません。この未成熟な感性は微妙な味わいがあるのです。子供のこ

ろの経験が、厳しいものであったにもかかわらず恭子と結婚したとき、早く子供を

作り、模範的な父親として、子供を育ててみたいという欲望が強かったのは、やは

り未成熟な脳が原因だと思うのです。
恭子も不幸な子供時代を送りながら、子供を産み育てる意欲は私と同じでした
結婚後、子育てという楽しい話が続きます。そのとき私は職業について考えてし

まいます。党の機関専従員と言っても、革新的書籍の外販が主な仕事で、誇りを

持って仕事はしていますが、できれば、将来役に立つ技能を、身につけたいと希

望していました。それも独学で済み、党活動にも貢献できる資格です。

最初に就職した音響機器の製造販売会社が倒産したとき、技術部に所属していた
私が、労働組合活動の延長で残務整理として経理を担当し、経理の有用さ

を知ります。恭子と結婚する二年前でした。恭子と結婚して子育てが話題になっ

ていたとき、職業について、経理の勉強をして将来その道に進みたいと、私は恭

子に打ち明けます。恭子は賛成し、手助けすると嬉しそうでした。

大学を出ていない私は、日商簿記検定試験一級の合格を目指しますが、その

受験科目の一つ、原価計算の難関にぶつかります。私は学習参考書を分析し

て、「家庭で出来る原価計算」 という学習方法を編み出します。家庭を工場に見

立て、すべての家計費を詳細に記録し、私と恭子の家事労働の時間を労務費と

して把握しながら、製造工場の原価計算システムと同じ方法で家計の原価計算

を行うのです。恭子も面白がって積極的に手伝います。三年続けて効果は抜群

です。企業会計の中で、原価計算は最も得意な分野になりました。

しかし、地ならしはしたものの、結婚から五年経っても、子宝が授かりません。

私たちは病院で検査を受けます。検査の結果、私に問題はなく、恭子が卵管の

異常で妊娠は難しいと診断されます。それからは、夫婦で努力は続けますが、子

育ての話題は口にしなくなります。党活動を離れて一年後の結婚八年目に私は

不倫を犯し、その不幸から夫婦で立ち直るために、足立区の住宅公団から、草加

市内の三DKPマンションを購入して転居します。「午前様なら十分千円の罰

金」は、このころからはじめました。恭子は夜勤のない銀座の診療所に勤めます。

P社に勤務していた私は、都心の銀行に寄ったときには、必ず恭子を誘って銀座

で食事をしました。

銀座の診療所を退職した恭子は、友人に勧められて服飾デザインの勉強をは

じめます。恭子の描くデザインのデッサンは、素人の私が見てもすばらしい出来で

した。その才能に驚いた私は、恭子に服飾デザイナーになることを勧めます。恭

子もその気になって努力をします。このころ日商簿記検定試験一級に合格した私

は、受験資格が調って税理士試験の受験勉強をはじめますが、P社の業務の忙

しさと、惣菜会社の企画をはじめたこともあり、勉強は進みませんでした。私たち

は結婚十四年目に、草加のマンションから、東京都台東区根岸のマンションを購

入して、新たな気持ちで生活をはじめます。恭子の服飾デザイナーを目指す勉強

は熱が入りますが、その二年後ほどのち、恭子は人生の終焉を迎えてしまいま

す。


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