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服用から発症まで約二時間の論拠を初めて示したのは、『共同鑑定書』 です。そ
の筋書きは、「致死量のトリカブト毒を摂取した場合、口唇や舌のしびれ感は摂取直
後から二十分ないし三十分以内に出現し、不整脈は悪心、発汗、嘔吐等と前後して
三十分から約一時間前後に出現することが多い」 とし、「トリカブト毒とフグ毒を同時
に服用すると、両毒による拮抗作用があり、その拮抗作用は、両毒をそれぞれ致死
量の約五倍で同時投与した場合に、時間延長の効果が最も大きく、投与から発症ま
で、発症から死亡までの時間が、それぞれ平均的に二倍程度延長した。」 としてい
ます。この二つの事柄は、共同鑑定書と、それを説明した証言を、私がまとめたもの
ですが、前の「嘔吐等が約一時間前後に出現する」 と、後の「投与から発症まで二
倍延長した」 を、乗じて、「服用から発症まで約二時間」 を、鑑定書は捻出してい
るのです。
後の鑑定結果は、マウスおよびラットによる実験結果を、人に適用していますが、こ
れについて、「ヒトとマウスやラットとの、両毒の作用機構は基本的に同一である」 と
証言し、「ヒトのアコニチン(トリカブト毒)およびテトロドトキシン(フグ毒)による毒性
(作用)発現の機構もマウスやラットと同様に、生命維持にとって重要な臓器・組織の
細胞膜に存在するナトリウムチャンネルの興奮作用および阻害(抑制)作用にそれぞれ
基づくものと考えられる。すなわち、ヒトにおいてもアコニチンおよびテトロドトキシン
の作用機構は、マウスおよびラットのそれと基本的に同一のものである」 と説明するのです。
また鑑定書は五つの症例を例示していますが、公判中の短時間では充分に検討
することができず、「嘔吐等が約一時間後に出現する」 ことは確認に至りません。
参考資料に、ヒトの中毒症状として、「初期に酩酊状態、のぼせ、顔面紅潮、眩暈、
舌や口のまわりから順次頂部、上肢部、腰部へと下降するシビレ感、蟻走感、心悸亢
進、さらに進むと流涎、舌の硬直、言語不明瞭、悪寒、冷汗、悪心、嘔吐、口渇、腹痛
、下痢などからチアノーゼ、瞳孔散大、体温低下、血圧低下、喘鳴、視力障害、意識
混濁、脈拍細小・不整・微弱・緩徐、呼吸緩慢・痲痺などを起こして死に至る」 と記載
されています。
この症状の進行を見ると、「嘔吐等」 は中期以降の症状であり、利佐子の発症が
嘔吐からはじまり、それ以前に初期症状であるしびれ感が全くなかったことが、
利佐子がトリカブト毒中毒ではないことの裏付けになると確信します。
一九八四年二月八日、第二九回公判で、O教授は両毒の拮抗作用の鑑定結果と
証言を行います。これ以前のこうはんで証言した大学の先生方は、利佐子の死亡当
日の具体的条件と動態を示しての私の質問には、言葉を濁して曖昧な答弁に終始
します。その上、検察官の奥の手、「異議申し立て」 が寄せ手となり、私はひるみ、立
ち往生しているうちに、一般論として質問できる、肝心な事柄の質問の時間を、失うこ
とがありました。この轍を踏まないようにと、O教授への質問を、二項目だけは解答を
得ようと腐心します。それに対するO教授の証言は、次のような主旨のものでした。
両毒をヒトに同時に投与したときの症状の現れ方について、「両毒の拮抗作用があ
っても、症状は、初期、中期、末期と、順次出現する。両毒の拮抗作用があっても、
しびれ感などの初期症状が出現しないわけではなく、遅れるだけである。」
両毒の投与比率を変えた場合の、生存時間の延長について、「アコニチンを致死
量の約五倍投与するのに対して、同時投与するテトロトドキシンの投与量を、致死量
の一倍、二倍、三倍、四倍と変えて実験してみると、生存時間の延長倍率は一・二倍
とか一・五倍とか二倍とかに変わってくる。致死量の約六倍のテトロトドキシンの投与
量は、比較的顕著に延長する投与量を選んでいる」
この二項目の証言は、非常に重要です。この証言は、両毒の拮抗作用をマウスや
ラットで実験して結果を出し、「ヒトの両毒の作用機構は、マウスやラットのそれと基
本的に同一のものである」 と説明した上での証言です。私は、この二項目の証言で
満足しました。なぜなら、利佐子は、事前に初期症状のしびれ感を全く訴えることなく
、嘔吐が最初の症状であり、保存血液からの両毒の検出量は、トリカブト毒が致死量
の約三倍、フグ毒が致死量の約0.六倍と、五対一です。O教授は、利佐子の死亡当
日の、発症状況や、血中濃度の動態から、間接的に、利佐子はトリカブト毒中毒死で
はないと証明したことになります。とくに、両毒の投与比率の問題は、服用から発症ま
で約二時間を正当化して、利佐子に適用しようとした、検察官の論拠が根底から覆る
ことになります。

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第三〇回公判は、M教授とS教授の共同鑑定書についての説明と証言がありまし
た。共同鑑定書を詳しく調べることのできない私は、自分自身でも不可解と思える心
境にとらわれます。肝心な質問をやめてしまうのです。これ以上、裁判官の心証を悪
くしたくないという気持ちも働きました。私の質問は、利佐子の具体的条件と動態を示
して問題を提起する以外ありません。答弁は、言葉を濁しての曖昧なものです。
裁判官の苦々しい顔が目に映ります。質問しても効果がないのなら、裁判官を刺激す
るのはもうやめよう、という心理が働いてしまいます。わずかに私の心中を動かしてい
るもの、第一審で無罪を勝ち取りたいという期待がまだ残っています。
前回の公判から今回の公判まで、二〇日間の期間がありました。その間私は考え
抜き、第一審で無罪を勝ち取るのは諦め、控訴審での闘いを念頭において、できるだ
け多くの無罪を立証する証拠を、集めておこうと決意を固めていました。前回O教授
から得た二項目の証言を、M教授とS教授への関連質問で、曖昧な言葉で効果を薄
められることを恐れました。裁判官を刺激したくないという心理は無罪を勝ち取りたい
という期待よりも、せっかく得た証拠を、裁判官を刺激して、さらに心証を悪くし、裁判
官がO教授の証言を取り上げて、M教授達に尋問し、崩しにかかる隙を与えたくない
という心の動きでした。
私は、第二五回公判の小麦粉混合のときの体内総毒量の検討を生かして、両毒
の拮抗作用についても、利佐子の具体的条件を反映した体内総毒量の動態のグラフ
を描いてみます。この結果、トリカブト毒が致死量に達しても、利佐子は発症していな
いという不思議な結論でした。この結果をグラフにまとめて、第三〇回公判で裁判所
に提出しますが、裁判官からはなんの尋問もなく無視されます。
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第三一回公判において、トリカブトの産地と成分比率などについて、M教授の依頼
で鑑定書を提出した千葉大学のS教授は、長年にわたるトリカブト毒の研究にもとづ
き、トリカブト毒の抽出にかかわる証言をしています。この公判で、私はS教授に直接
質問することを許可されます。私の関心は、カプセルに詰められるトリカブト毒を含む
水飴状物質の量と、それに含まれる毒量の問題です。
共同鑑定書からメモをとって私が計算した結果では、M教授が自ら抽出・濃縮した
「共同鑑定書」 の三一個の鑑定結果は、「水飴状物質の収量は、乾燥根1g当たり
平均で約二二五mg、その毒量は約二.六mg」 です。Y警部補が抽出・濃縮し、M教
授が鑑定した「Y鑑定書」 の五個の鑑定結果は、「水飴状物質の収量は、乾燥根一g
当たり平均で約四七mg、その毒量は約三.六mg」 です。毒量は塊根ごとに違いが
あり、Y鑑定書の塊根は毒量の多いものだったと考えれば問題ありません。問題なの
は、水飴状物質の収量です。共同鑑定書の約二二五mgに対して、Y鑑定書は
約四七mgで、五分の一ほどです。同じカプセルに、Y鑑定書は共同鑑定書の約五倍
の毒量が詰められることになります。
この違いは何が原因なのか、私はS教授に質問します。共同鑑定書が溶媒にメタノール
を使用し、Y鑑定書がエタノールを使用していること、塊根は乾燥根と生根であることなど、
抽出・濃縮方法を具体的で詳細に説明します。
この二つの抽出・濃縮方法の効率について、S教授は、「アルコールの抽出方法は、ほとんど
すべてのものがアルコール抽出エキスとして取れる。メタノールがエタノールより抽出効率は
いいが、生根からの抽出では、生根から水が溶出してエタノールに水が含まれ、抽出効率が
良くなり、抽出効率はメタノールと大差がない」と証言しています。また、アルコールだけで、
トリカブト毒だけをより多く選択的に抽出できるかという質問に、S教授は 「困難だ」 と答えます。
更に、両抽出方法の違いによって水飴状物質の収量に大幅な差が出るかと質問しますが、
「そう差がないが、抽出に時間をかけたY鑑定書が多分たくさん抽出されてると思う」 と答えます。
共同鑑定書とY鑑定書の鑑定結果を比較すると、乾燥根に換算して一gの塊根か
らの水飴状物質の収量が、共同鑑定書が約二二五mg、Y鑑定書が約四七mgです。
S教授の証言では、抽出に時間を掛けたY鑑定書が、水飴状物質の収量が多くなる
はずですが、実際には、収量は、Y鑑定書が共同鑑定書の五分の一です。この収量
に含まれる毒量は、塊根に含まれる毒量の違いを無視すれば、同量です。このことが
同じカプセルに、Y鑑定書が共同鑑定書の五倍の毒量が詰められる結果を生むの
です。S教授の証言から考えて、その原因は、溶媒の違いにあると私は判断します。
M教授自から抽出・濃縮した共同鑑定書の溶媒のメタノールは、教授の立場を考え
ると間違いはないと思いますので、Y警部補が抽出・濃縮したY鑑定書の溶媒がエタ
ノールではなく、他の溶媒を使用した可能性を私は推測します。Y鑑定書は私は見た
ことがなく、M教授の証言を聞いただけですので、推測の域を出ていません。次回の
公判でM教授が証言しますので、そのとき納得できるまで質問することにしています。
千葉大学のS教授への抽出効率についての質問が終わって、私は、予定していた
二つの問題の質問をはじめることにしました。一つは前回の公判で裁判所に提出し
裁判官に無視された、「利佐子のトリカブト毒の体内総毒量の動態のグラフ」 を示し
て、致死量に至っても発症していない不思議を、どう判断するかの意見を求めること
です。もう一つは植物毒と動物毒の違いはあっても、アルコール抽出方法に専門的知
識と経験があれば、「フグの肝臓一〇gから、メタノールを溶媒として抽出・濃縮したど
ろどろ状物質の収量」 がどの程度になるか判断がつくと思い、大まかに推定してもら
うことでした。
この二つの問題は、私の無罪を立証するする証拠として重要な意義を持つもので
すが、質問をはじめたところ、即、検察官の「異議申し立て」 があり、二つの問題とも
あっけなく葬られます。
一九九四年三月一四日の第三二回公判は、M教授が出廷する最後の公判です。
わたしのM教授に対する質問は、鑑定書やM教授の証言の矛盾点を鋭くえぐる、
これまでにない圧巻なものとなるはずでした。気負う気持ちを抑えて質問を続けます
が、まともな答えは返ってきません。そのうちに、気負う気持ちを抑えて質問すること
が、かえって自分の気持ちを白けさせます。公判の雰囲気から、私が浮き上がってし
まうのです。
僭越ですが、私の裁判を、上演中の素人歌舞伎にたとえてみました。私は、黒子が
しゃしゃり出て演技をするような、ばつの合わない心境に陥ります。この歌舞伎の多く
の観客の中に、演出者である裁判官が席を占め、劇の筋立ては演出の繰り返しで熟
知してます。演出者は、芝居の節目で、演技の出来映えを心に留め、終演後、全体の
演技を評価して、その善し悪しを公表しなければなりません。役者の多くは出入りの
証人が務めます。主役は検察官ですが、脇役である証人を引き連れて、舞台に登場
し演技を行います。
私は黒子として、舞台の隅で目立たぬように、主役に準ずる弁護人の演技を後見
しています。素人歌舞伎の黒子など、歌舞伎座などの一流どころの、舞台配置をまね
た置物です。演出者との話し合いもなく、脚本も求められず、目を通すこともできませ
ん。劇の進行にともない演出者の顔色をうかがいながら、黒子の惨めな立場を認識
していくことになります。
黒子にも、劇の進行にともなう、心の動きがあるのです。後見している準主役と、脇
役との演技が噛み合わず、混乱などしたとき、黒子自身が飛び出して演技をしたくな
ることもあります。心の動きが、体の動きを伴うのは、主に、主役の大根役者のような
演技と。脇役の演技の絡みが、馴れ合いに終始したときです。私は、主役の検察官を
無視して、相手にされないことを知りながら脇役の証人に、演技のまずさを伝えるた
めに、実際に体を動かして演技をして見せますが、脇役のとぼけた表情と、観客の笑
いを誘うだけです。
劇の筋立ては開演のときからすでに決まっていて、演出者は役者の演技を見たい
のであって、黒子の演技など見る気はなく、冷たく黙殺します。それでも、黒子は冷静
さを装って演技を重ねます。それ以外に黒子には、観客を納得させる方法がなかった
のです。黒子がしゃしゃり出て、舞台で役者に代わって演技をするなどということは、
観客の笑いを買っても、それは失笑にすぎません。劇場の中で、独り浮き上がってし
まった存在であることに気がついた黒子は、舞台の中央で呆然と立ちすくみ、演技を
やめ、口を閉ざします。
私は肝心な質問に踏み込むこともなく、M教授への質問をやめてしまいます。いま
にして思えば残念なことで、M教授の矛盾した証言について、M教授の答えがたとえ
言い訳であっても、言質を取っておくべきだったと公開します。公判に臨む被告人の
心境の微妙な揺るぎを、切実に思い知らされた出来事でした。
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第三二回公判が終わり、二か月後の五月一九日、第三五回公判の論告と最終弁論を控えて、
私は三月二五日付けで最終陳述書を裁判所に提出しますが、その後の第三四回公判で
取り上げられることもなく無視されます。
私は、「服用から発症まで約二時間」 については合わせて約四万五千字、
「カプセルに詰められる毒量」 については合わせて一万五千字の陳述書を提出しています。
これらの陳述書を裁判官がまともに検討するなら、無罪への期待も少しは生まれますが、
この第一審で経験した、裁判官の任期による交代のときも、期待した私の望みを逆なで
するように、保存血液からの両毒の検出という事実による有罪との心証は、交代した裁判官
に確実に引き継がれていました。このことから、第一審で無罪を勝ち取ることは、ほぼ絶望だと感じ
ています。
私の興味は、論告求刑にあります。なつ江の死がどのように扱われるか、この問題
です。大阪大学のS教授は、入院中のなつ江の症状を検討して、一九九三年一二月
の大阪公判で、なつ江の死因はトリカブト中毒だと証言しました。この問題は、逮捕後
の警視庁捜査一課の警部と、東京地検の取り調べで取り上げられています。日本で
は司法取引が行われるということは聞いたことがありません。ですが、次のようなこと
が取り調べの課程のなかでありました。
「なつ江の死因について調査するために、墓からなつ江の遺骨を少々持ち出して、
現在、トリカブトが検出されるか鑑定中だが、利佐子がどのようにしてトリカブト毒を服
用したのか、君がはなしてくれたら、なつ江の死因については不問にしてもいいのだが」
という主旨です。二十二日間の殺人事件の取り調べの過程で、様々な尋問との絡みのなかでの
話ですから、正式な取引ではありませんが、私は取引を持ちかけられたと受け取りました。
実益を求めて利佐子を殺害したのなら、無期懲役、なつ江まで殺したのなら死刑、
私はそのように理解しています。五十メートルプールに耳かき一杯のトリカブト毒の純品を
投入して、その鑑定は可能だと検事は強調します。遺骨の鑑定、私が実際になつ江を
トリカブト毒で殺害したのなら、検出されるでしょう。しかし、なつ江は病死です。
遺骨が鑑定されても、私はなんの心配もしていません。この遺骨の鑑定の問題は、そ
の後、第一審では一切耳にしていません。論告求刑で、なつ江の死因について、どの
ような判断を示すのか、大阪公判に欠席した私は、大変興味を抱いています。
一九九四年五月十九日、論告求刑の公判が開廷されます。検察官は、耳を塞ぎた
くなるような言葉で私を罵倒しながら、筋書き通りの論告を行います。なつ江の問題
は、なつ江を利用して両毒の効能実験をしたことを強調しますが、死因についてはぼ
やかしてしまいます。遺骨の鑑定結果についても、一切触れません。
検出できなかったからでしょう。求刑は、無期懲役でした。弁護人の最終弁論は、
まだまとまりがついていないようで、聞いていても主張の中核がつかめません。
私が最も重要な問題として提起した、利佐子の体内総毒量の動
態のグラフについては、弁護人への私の説明が不充分だったようで、ほとんど触れら
れていなかったのが残念でした。私が独走せずに、弁護人と常に協調を強めていなら
ばと、悔やみが残ります。
六 耳を素通りした判決
一九九四年九月二二日、東京地方裁判所で判決を受ける日です。不透明な私の
心のように、朝からどんよりと雲が垂れ込めていました。首都高速六号線の右手に、
隅田川が並行しています。裁判所に向かう護送車の窓からは、もやで霞んで見通し
のきかない川辺の風景がぼんやりと広がっています。田尾眼の浸水テラスに、ホーム
レスの青いビニールシートのハウスが連なっていました。足立区に住むことが長かっ
た私は、この首都高速六号線は通い慣れた道です。そのころは気にもかけなかった
青いビニールシートが、自由の身を奪われてみると、自由の象徴として目に染みます。
自由の貴さが心身をえぐり、痛みが和らぐことはありません。
論告求刑公判から判決の日まで、四か月が経過しています。その間、私は冷静に
判決の内容を見極めようとしました。
有罪を決定する直接証拠はただ一点、利佐子の保存血液からの両毒の検出です。
私の無罪を決定する、直接証拠に匹敵する主張は二点、
利佐子のトリカブト毒の体内総毒量のグラフから、致死量に達しても発症していない状況と、
カプセルに詰められる毒量について共同鑑定書の鑑定結果を適用すれば、
トリカブト毒のどろどろ状物質を詰める余地はないことです。
利佐子の体内総毒量のグラフを検討すると、死亡時午後2時10分の血中濃度のト
リカブト毒の体内総毒量は致死量の約三倍ですが、その四十三分前の発症時午後
一時二七分の体内総毒量を致死量と仮定すると、血中濃度が直線的に上昇して、服
用から発症まで二二分、カプセルの溶解時間を一〇分と見てそれを加えても、カプセ
ルの服用は午後〇時五五分となり、その時刻は友人達がカプセルを服用していない
と証言した時間帯です。また、東北大学のO教授は、「両毒の拮抗作用は、投与から
発症、発症から致死まで、経過時間がそれぞれ平均的に約二倍に延長する」 と証
言していますから、利佐子に両毒の拮抗作用が最大にあったと仮定した場合でも、発
症から致死までの四三分間は拮抗作用によって約二倍に延長した時間であり、当
然、、カプセル服用から発症までの二二分間も約二倍に延長した結果ということにな
ります。その上、O教授は、「血中濃度時間曲線は、ある程度までは急に上昇し、ある
程度からだんだん下がっていくような、上に膨らみを持つ曲線になる」 と証言してい
ますので、午後一時二七分の発症時にはすでに致死量を超えていると判断できます。
トリカブトの体内総毒量が致死量に達しても発症していない不思議とは、私は、このこ
とを述べたのです。
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カプセルに詰められる毒量については、共同鑑定書で、「アコニチン系アルカロイド(トリカブト毒)
の致死量は、水飴状のとき二二五mg程度と推定される」 と説明しています。M教授は、
「水飴状物質は、水溶液と置き換えても重量に大きな差は出ないと考える」 と説明しています。
この証言は、水飴状物質は比重が約一だという証言ですから、致死量の約三倍の水飴状物質は
約〇.二二五mlとなります。利佐子が服用したと仮定して、その最大のものは〇号(容量〇.六七ml)
のカプセルで、致死量の約三倍の水飴状物質〇.六七五mlを詰めると、それで一杯になり、フグ毒の
どろどろ状物質を詰める余地はありません。
この二点を、私は陳述書などで説明しています。判決の内容を見極めようとした私
の考え方は、指摘した二点から、裁判官が少しでも論理的に事実を考察する能力が
あるならば、血液保存状態の杜撰さを認識して、私の二点の主張を重視し、この四か
月間の間に、公判の全内容を再審理するだろうと、私の判断は固まりました。全公判
をとおして、裁判官は、保存血液からの両毒の検出によって、有罪との心証に満たさ
れていたことは間違いありません。しかし、私の二点の主張はあまりにも重大です。
誠実さを堅持して職責を果たす裁判官なら、考えを改めて再審理するのが当然です
し、それが常識ある裁判官の務めです。この四か月間、私は考え方を進めているうち
に、無罪は必ず勝ち取れるという勇気が沸き起こりました。
判決公判の午前十時に法廷に足を踏み入れたときは、法定内を一見できるほど落
ち着いていました。大きな法廷で傍聴席は満席です。被告人席に着くとまもなく、裁判
長に促され、裁判官の五メートルほど前の判決を受ける席に立ち、私は深々と頭を下
げます。緊張は極度に達し足が震えました。裁判長が判決を読みます。
「主文、業務上横領、横領、殺人、詐欺未遂により被告人を無期懲役に処する。
未決勾留期間は七百日を刑期に参入する。」
判決理由は椅子に座って聞きますが、ショックは大きく、怒りが心底から湧き出し、
感情が高ぶり判決理由が耳を素通りします。気を取り直して裁判長の声をとらえよう
としますが、関心は私が主張する二点の問題に集中し、ほかに何を言ってるのか心
に反響しません。その部分がやっと出たと認めたときには、言い訳染みた言葉を伴っ
て耳を通り抜けていました。一時間ほどで判決理由の読み上げを終わり、裁判長は
閉廷を告げます。一時間ほどの間、私は三人の裁判官を代わるがわる睨みつけてい
たのですが、一度だけ左陪審席の裁判官が私と視線を合わせすぐに逸らしただけで
それ以外に三人の裁判官とも、私に視線を向けることはありませんでした。昼食後、
弁護を担当した二人の先生が面会に来られ、判決内容についていろいろな角度から
検討を加えました。先生方と話して、心の中で渦巻いていた怒りは凝縮して一点に固まり、
面会を終えて控室に戻ったときには確固とした闘争心に変わっていきます。
帰途につき護送車が隅田川に沿うと、曳き船の五倍ほど船体の大きい無動力の荷
船を、タグボートが力強く上流に向かって曳いていく姿を、これからの闘いに奮い立ち
ながら見つめていました。
第二章 論理的でない矛盾に満ちた判決
一 誰がミスリードを行ったか
この事件には、多くの謎が含まれています。トリカブト毒は、ほんの微量を口に含む
だけでも、ぴりぴりという下を刺すような刺激と、ひどい苦味で、そのままでは口から
摂取することはできません。自殺など覚悟の上で服用する以外は、そのまま服用する
ことは不可能です。よって殺人の道具に使用するなら、料理などに微量を混ぜてその
料理を大量に食べさせるか、カプセルに詰めて服用させる以外ありません。この事件
の場合は、カプセルで服用させたことになっています。ですから、カプセルに詰められ
る毒量や、どのようなきっかけでカプセルを服用させたかなど、この事件では、数々の
謎を解いていかなければなりません。謎解きというと、思い出されるのが推理小説です。
私がもし、この事件を推理小説に仕立てるとしたら、謎解きの中心には、やはり服用から
発症までの経過時間を据えるでしょう。
利佐子が殺されたとするなら、高額な生命保険を掛けた私が殺害したことは容易
に推理することができます。ほかに犯人がいるか? という隠された事情の存在も希
薄ですから、ほかの犯人を探すという謎解きには馴染みません。利佐子は、殺された
のか、病死なのか、ということが、数々の謎解きの結果としてわかるだけです。私が犯
人でなければ、ほかに真犯人がいるという事件ではありません。
この事件の謎を解くには、充分な論理的思考とその展開が要求されます。第一審判
決と、それを踏襲している控訴審判決が、論理的に展開されているか全く疑問です。
推理小説は論理の美を描くと、最近読んだ本に出ていました。判決が推理小説と違う
ことは言うまでもありませんが、それでも推理小説と同じように、筋道の通らない判決
は、いくら組み立て方が上手でも私は美しさを感じません。
推理小説の描き方の方法として、「ミスリード」 というテクニックがあるそうです。
そのテクニックによって読者を間違った方向へ導き、なかなか事実が見抜けず、最後
にどんでん返しで、「そこまで、よくもだましてくれた」 という、推理小説を読み終えた
ときの喜びが生まれるそうです。
裁判は、検察官と弁護人のやり取りで進行します。激しく対立する論点においては、
どちらかがミスリードを行っていると言えないでしょうか。仮に、検察官が行ったミスリ
ードに、裁判官が事実を見抜けず最後までだまされたとすると、誤審が生じることにな
ります。推理小説のミスリードとは比較にならない問題が起こるのです。
この第二章は、できるだけミステリータッチで描いてみようと思いました。しかし、組
み立てを形にしていくうちに、それは必要ないことがわかります。なにしろ、この事件
は、少し注意深く検討すれば事実が見えてくるのです。有罪との判決を下した第一審
および控訴審の裁判官は、検察官のミスリードを鵜呑みにすることによって、注意力
が散漫になり、なすべき検討を怠ったにすぎません。この事件では、検察官のミスリ
ードがミステリーそのものなのです。
このことから、被告人であり書き手である私が、事実を裏返しにして、私自身がミス
リードを織り込むような、書き方をする必要がなかったのです。なにしろ、検察官がそ
の役割を、万事演じてくれたのですから。この事件でのミスリードとは、どのようなもの
か? その点を吟味しながら読み進むなら、この読み物は、ミスリードのテクニックとし
ても充分に興味深く読めると思います。
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判決公判から八か月後に判決文が出来上がりますが、それまでに私の手元には、
公判でメモノートに記録していた鑑定書の大部分と、ぜひ必要な証人尋問調書とを、
コピー代を工面して弁護人から送付してもらいました。判決文を受け取るまでに、私
はそれらの裁判資料を熟読します。その結果、利佐子が病死であることを証明する
「三つの事項」と「一つの事柄」 によって、私の無実が完璧に論証できる見通しがつきました。
「三つの事項」 を要約すると、
「利佐子の血中濃度の動態から、両毒入りのカプセルを服用したと仮定しても、
それはカプセルを服用していないと判決が認定した時間帯に含まれること」
「利佐子が服用したとされるカプセルには、トリカブト毒の水飴状物質を充填すると満杯になり、
フグ毒のどろどろ状物質は詰められないこと」
「利佐子の血液から検出されたトリカブト毒と、利佐子に服用させるために私がカプセルに
詰めたとされるトリカブト毒の成分比率が、大幅に相違し同一性がないこと」 の三点です。
「一つの事柄」 とは、
「トリカブト中毒死の場合、例外なく、死亡に至る最終的症状
は心室細動ですが、なつ江は死亡時の入院で、発症から死亡まで心室細動は一切
現れず、死亡の時は静かに心臓の動きが止まる心静止です」。
この一点と先の三点については、第四章で詳細に説明いたします。
利佐子の保存血液の鑑定時点から逮捕まで約四年間の遊びがありますが、「服用
から発症まで約二時間」 の問題が絡んでいると私は考えています。血液の保存が
混入を防ぐ完璧な状態であるなら、遊びはなかったはずです。保存の杜撰さが、捜査
当局が服用から発症まで約二時間を乗り越えられず、逮捕に踏み切ることができな
い障害でした。別件で逮捕に踏み切るのは、一部のマスコミが事件を大々的に取
り上げてアジテーションを行ってからです。私には、マスコミが裁判の第一審を担当し
ていると感じるほどでした。逮捕されてからも、服用から発症まで約二時間の問題は
解決されていません。検察側の立場から、公判でこの問題が解決されたように見せ
掛けがあったのは第一審の事実審理が終わる間際です。
原審では、検察官が様々な状況証拠を提起して有罪と断定し、裁判官はそれを認
定します。私は無罪を主張して、その状況証拠にすべて反論しました。保存血液から
の両毒の検出でさえ、保存が杜撰であったことから状況証拠と見られて当然です。
これらの状況証拠が、有罪の証拠となるか、無罪の証拠となるかは、私が示している
「三つの事項」 と「一つの事柄」 が、崩せるか、崩せないかによって決定します。
言い替えれば、状況証拠を道理にかなったように工夫して有罪に見せ掛けても、
「三つの事項」 と「一つの事柄」 が崩せなければ、状況証拠はすべて無罪の証拠と
なるのです。
この第二章では、状況証拠の主なものを記載し、私の立場から説明して、無実の
主張の背景と心境を明らかにします。さらに第四章では、「三つの事項」 と「一つの
事柄」 が崩せないことを詳しく論証し、その論証を崩すことができなければ、誰にお
いても、罪と抗言することは許されないことを力説します。
全文-19
二 検察官は当事件をいかに描いてるか
一九八一年七月、最初の妻恭子が心筋梗塞で死亡しました。逮捕後、警視庁捜査
一課も東京地検も、恭子の死については一切問題にしていません。裁判を通して検
察官も取り上げたことはないのです。恭子が病死であったことは、検察官が描く状況
証拠が、恭子が死亡したのちから、語りはじめることでも明らかです。
当時私は東京都台東区根岸の三DKのマンションに住んでいましたが、恭子との
思い出の深いそのマンションを売却するために、同年十月に荒川区所在のコーポT
を賃借し住居とします。翌一九八二年六月、二度目の妻となるなつ江が、虎の門病院
に最初の入院をし、それを機会に、なつ江の住居である豊島区西池袋の2LDKのマ
ンション(私の持ち家)でなつ江と同棲します。なつ江とは同棲後すぐに結婚し、西池
袋の同マンションを住居とします。
私は発病後のなつ江の看病に気を遣い過ぎ、当時設立準備をしていた総菜会社の
作業が進みません。なつ江と相談し、平日の昼間だけコーポTを事務所として使用し
ます。作業と言っても経営企画書の作成が主なもので、二KのコーポTでは広く無駄
なので、一九八三年九月からは同じ荒川区内の六畳一間のアパートSに移ります。
このコーポTとアパートSを使用して、私がトリカブト毒とフグ毒を抽出・濃縮して保
存していたと、検察官は話を組み立て、私が別目的で購入した七種について、両毒を
得るために購入したと、それぞれの購入内容を次のように主張します。
トリカブトについては、検察官は、私が一九八一年一一月ころから翌一九八二年九
月ころにかけて、福島県西白河郡所在の山野草販売店Kから、四、五回にわたって
トリカブト(アコニチン系アルカロイドであるアコニチン、メサコニチン、ヒパコニチン、
ジェサコニチンの猛毒成分) を含むキンポウゲ科植物のトリカブトの鉢植えを、一九八
一年十一月六鉢、一九八二年七月二五鉢、同年八月から九月まで三一鉢、合計六二鉢購入
したと、仕入伝票をたどりながら行った、販売店Kの主人の証言をもとに主張します。
クサフグについては、一九八四年三月ころから翌一九八五年秋ころまでに六、七回
に渡り、神奈川県横須賀市で漁業を営むM から、一九八四年三月ころ約三〇匹、そ
の後間もなく約六〇匹、夏前に二〇〇匹ないし三〇〇匹、秋に約三〇〇匹、一九五
四年ママ(一九八五年か?)四月に二〇〇匹ないし三〇〇匹、秋ころに約二〇〇匹、
合計一二〇〇匹の内蔵に猛毒(テトロトドキシン)を持つクサフグを、一匹一〇〇〇円
で購入していると、M氏などの証言をもとに主張します。
エバポレーターの購入については、逮捕後の取り調べで、総菜会社の説明に必要
なため、私が自ら供述しています。私の供述は、購入先、購入目的および数量で、一
九七九年に一式、一九八二年六月に一式、同年七月にガラスセット一式、一九八三
年三月に一式です。捜査当局は販売店の東京都千代田区所在のT株式会社で事情
聴取し、伝票の保存のない最初の購入以外は確認できたと私に伝えます。公判での
検察官の主張は、最初の購入を除いたものでした。
マウスの購入についても、逮捕後の取り調べで、同じ理由から、私が自ら供述して
います。私の供述は、一九八三年十一月か十二月に池袋のペットショップから五匹、
翌一九八四年二または三月に東京都練馬区所在の実験動物販売会社株式会社N
から五〇匹(最小販売単位)、一九八五年六月または七月に同Nから五〇匹、一九
八六年四月二十六日に大阪府所在の実験動物を販売するA店から五〇匹(最小販
売単位)です。捜査当局は株式会社Nに事情聴取しますが、私が購入したことは確認
できても、伝票が見つからず詳しいことはわかりません。A店では、私の供述どおりに
確認できます。公判での検察官の主張は、私の供述のとおりでした。
カプセルとエタノールの購入については、逮捕後の取り調べの成り行きから、私が
事務所としていたアパートの、最寄りの駅前にある薬H店が特定されます。公判で薬
H店の店長が証言して、その証言をもとに検察官は、カプセルは、一九八四年七月以
前から翌一九八五年十、十一月ころまでの、一、二年の間に、風邪薬のフルカントジ
ン(ニトロカプセル入り) および強肝剤のレバゴルトV(六〇カプセル入り)、鎮痙剤の
パボランカプセル(一二カプセル入り) を週に一、二回の割合で購入し、同年九月こ
ろ製造中止になったパボランカプセルの在庫品の全部七,八箱をまとめて購入してい
る。エタノールは、同時期に、数回にわたり五〇〇ml入り無水エタノール (消毒用で
茶色い半透明のガラス瓶《遮光瓶》 に入っており、ラベルにもその旨明示されてい
る) を購入したと主張します。
メタノールの購入については、薬H店では販売しておらず、捜査当局が斜め向かい
にあるJ薬局で事情聴取して明らかになります。その内容は、エタノールの購入とほ
ぼ同じ時期、多数回にわたり、五〇〇ml入りメタノール (燃料用で、白いポリ容器に
入っており、ラベルもその旨表示されている) を多数購入していたこと、その間、
「毒物および劇物譲受書」 によって確認された購入が、一九八四年六月一四日から
翌一九八五年六月五日まで七回にわたり合計二六本あること、検察官は公判で、こ
の事情聴取の内容を主張します。
以上の購入品を材料にして、検察官は私の事件を組み立てました。
全文-20
トリカブト毒およびフグ毒を、トリカブトの塊根およびクサフグの肝臓から抽出するに
は、エタノールまたはメタノールを溶媒として使用します。この抽出方法では、アルコ
ールに溶けるほとんどのものが抽出されます。抽出物を含む溶媒のアルコールは液
状ですから蒸留してアルコールを分離しなければなりません。蒸留には例えばヘアー
ドライヤーでもできますが、エバポレーターを使用すると効率的です。この作業を
「濃縮」 すると言います。濃縮した濃縮物は、ヘアードライヤーを使用しても、エバポ
レーターを使用しても同じ濃縮物です。トリカブトの場合は水飴状物質、クサフグの場
合はどろどろ状物質です。エバポレーターを使用したから濃縮物に含まれる毒量が増
える、ということは絶対にありません。アルコールによる抽出と、エバポレーターによる
濃縮は、このような作業をいいます。
この作業で、トリカブト、クサフグ、エバポレーター、エタノール、メタノールの五種の
購入品を使用します。検察官は、この「抽出」 「濃縮」 そしてその濃縮物の保存を、
先ほど述べたように、私がコーポTと転居後のアパートTで行っていたと主張します。
そこで、この作業によって得られる、トリカブトの塊根とクサフグの肝臓からの、濃縮
物の収量に注目しなければなりません。
私がマンションのベランダで栽培したときの経験では、トリカブトの塊根は、大きめの
物でも三〇gほどでした。これは生根の毒量です。生根を乾燥させて乾燥根にすると、重量が
約三〇%になると証言されてますから、乾燥根にすると約一〇gです。
東北大学のM教授は、水飴状物質の比重について証言しています。
普通、こういった物から抽出した場合の比重が、一より極めて大きいとか、極めて小さいということは、 |
東北大学三教授の共同鑑定書では、三一個の塊根の鑑定結果を含めたこれまで
の経験によると、「水飴状物質の収量は、乾燥根一g当たり平均で約二二五mg」 と
記載されています。右(上)囲みのM教授の証言は、水飴状物質の比重は約一gとい
うことを表していますから、「水飴状物質の収量は、乾燥根一g当たり平均で約〇、二二五cc」
となります。私が購入したトリカブトの鉢植えは、検察官の主張では六二鉢です。一鉢で塊根は
一個ですから、約一〇gの乾燥根が六二個取れます。重量で約六二〇g、乾燥根一g
当たり平均で約〇,二二五CCですから、鉢植え六二鉢では、約一三九・五CCとなります。
検察官は、私が抽出・濃縮した水飴状物質を、密閉ガラス瓶で保存していたと主張
します。確かに、保存していた形態と目的は違いますが、私が所持していた密閉ガラ
ス瓶(二〇〇CC入りと五〇〇CC入りの二種類) の一個から、トリカブト毒が検出さ
れました。検察官の主張する抽出・濃縮が事実と仮定すれば、六二鉢の塊根すべて
を抽出・濃縮し水飴状物質にしても、一三九、五CCですから、密閉ガラス瓶一個に入ります。
検察官は、この水飴状物質で、マウスを使用し、なつ江を利用して、効能実験を行
い、完成させて、カプセルに詰め、利佐子に服用させて殺害し、その後も保管してい
たと主張します。この主張から当然のこととして、水飴状物質を保存した密閉ガラス瓶
は一個であるということが結論づけられます。この事件の核心の一つですが、詳しく
は第四章で説明いたします。
クサフグの肝臓からアルコールで抽出・濃縮した濃縮物がどろどろ状物質になると
いう証言はありますが、その収量については鑑定も証言もありません。東京大学N講
師は、クサフグの肝臓等約一〇gに二mg(ヒトの致死量)のフグ毒を含むと証言しています。
クサフグの肝臓から抽出・濃縮したどろどろ状物質の収量については推定してみる
以外ありません。トリカブトの乾燥根一gから水飴状物質が約二二五mg収量がある
ことを参考にすると、クサフグの肝臓一〇gからは、どろどろ状物質は二g程度収量が
あると推定できます。ただし、トリカブトは乾燥根ではなく生根(重量が乾燥根の約三
倍) と比較すべきだという考え方もありますし、クサフグの肝臓には血液や蛋白質も
多く含むから、もう少し多くなるという見方もできます。しかし私がココで問題にしたい
のは、仮に私がクサフグの肝臓からどろどろ状物質を抽出・濃縮したとして、その収量
を推定し、検察官の主張がいかに矛盾しているかを指摘するためですので、収量を
二gとしてもさほど問題ではありません。
検察官は、クサフグの購入について、一年六か月に、六,七回にわたり、約一二〇
〇匹を購入し、抽出・濃縮を行ってどろどろ状物質を集め、マウスやなつ江で効能実
験を行い、利佐子に服用させたと主張します。「カプセルに詰めて」 と主張したかどう
かは、カプセルに詰められる量から問題ですが、私の記憶にありません。
私が扱った大量のクサフグから判断しますと、平均して体長は約一五センチ、重量
は三〇gぐらいです。料理実習のため捌いたの三〇センチほどの大型のもの六匹で
すが、重量は一〇〇gくらい、肝臓は、量っていませんが、二〇g程度はあったと思い
ます。このことから推定すると、私が扱った大量のクサフグの、平均した肝臓の重量
は、一匹五g程度でしょう。
一二〇〇匹購入したとすれば、それから取れる肝臓は六〇〇〇g、どろどろ状物質
の収量は一二〇〇gです。また、肝臓等約一〇gにヒトの致死量の二mgのフグ毒を
含むと証言されていますから、抽出効率が五〇%としても、三〇〇人のヒトを殺害で
きる量です。
私が利佐子を殺害する目的でクサフグを購入するなら、これほど大量に購入する必
要はありません。M教授の証言から、どろどろ状物質も比重は約一と判断できますか
ら、一二〇〇gは一・二Lです。購入は三回目で済むものを、一,二Lもどろどろ状物
質を収集して、何に使うというのでしょうか。〇号カプセル(容量〇,六七mg) で
約二〇〇〇個分です。一度にではなく、一年六か月にかけて七回にわたり購入して
いるのです。この問題を、控訴審に至るまで私は取り上げましたが、検察官からは何
ら返答はありませんでした。
検察官は、私がマウスを使用して、トリカブト毒とフグ毒の効能実験を行ったと主張
しました。ここで耐性ということを説明いたします。「耐性とは、細菌や生物が薬品など
に対して抵抗する力」 のことです。ここまでは辞典にも書いてあります。しかし、「トリ
カブト毒の耐性が、体重当たり、マウスはヒトの約五〇倍である」 と説明している参
考文献は、書店で探しても皆無です。検察官も探し出して法廷に提出することはでき
ませんでした。私が、この耐性のことを知ったのは、第一審裁判の公判での証言から
です。「フグ毒の耐性が、体重当たり、マウスはヒトの何倍になるか」 は未だに知りま
せん。
このような事情のなかで、私がマウスを使用して、トリカブト毒とフグ毒を使用して、
トリカブト毒とフグ毒の効能実験ができるでしょうか。また、私には両毒の毒量を量る
ことは不可能です。例えば、水飴状物質を少しずつ量を増やしながらマウスに投与し
て、E量でマウスが死に至ったとします。E量の毒量は量れません。マウスの体重は
三〇gです。そこで、六〇kgのひとの致死量を体重で換算して、E量の二〇〇〇倍と
特定します。しかし実際には、耐性を考慮に入れて、E量の四〇倍としなければなりま
せん。これをヒトの致死量2mgから逆算しますと、マウスの耐性を五〇倍として、E量
は〇,〇五mgとなります。しかし耐性が五〇倍であることを知らないと、ヒトの致死量
を一〇〇mgと計算してしまうのです。フグ毒についても同じことが言えます。結局、効
能実験では、マウスについては、致死に至る毒性があることがわかるだけで、検察官
が主張する、ヒトについての効能など何もわかりません。
全文-21
O教授は、両毒の投与比率を変えた場合の生存時間の延長について、次のような 主旨の証言をしている。 アコニチンを致死量の約五倍投与するのに対して、同時投与するテトロトドキシ ンの投与量を、致死量の一倍、二倍、三倍、四倍と変えて実験してみると、生存時 間の延長倍率は一・二倍とか1・五倍とか二倍に変わってくる。致死量の約六倍の 投与量は、比較的顕著に延長する投与量を選んでいる。 |
心停止後の血中濃度の動態について、次のような主旨の証言がある。 琉球大学のO助教授は心室細動も心停止の一つであると証言する。 東北大学のS教授は、心停止後の血中濃度の上昇は非常に考えにくいと証言する。 東京大学のF教授は、死亡後、血中濃度は増えるわけがないと証言している。 |
トリカブト中毒の五つの症例 [症例 1] 平成元年四月、男性医師(五二歳) が採取した山菜(トリカブトをニリン草と誤 認) をおひたしにして医師は小皿に一皿、その長男(一七歳) は二つまみほど食 した(同午後六時五分) 医師は食直後から舌のしびれを感じていたが、同六時四 〇分から外出し同七時五分帰宅直後長男が口、手、足の痺れを訴えたのでトリカ ブト中毒と直感し、強制嘔吐、医薬品の投与、人工透析等の処置を行った。医師は 同午後九時から不整脈が現れ、同午後一〇時には血圧が七〇mmHgまで低下、冷や汗、皮膚温低下、悪心、嘔吐が続いた。一方、長男は同午後七時すぎには不 整脈が出現したが同午後一一時頃には回復した。痺れ感も翌朝二時には消失し た。記録された心電図によると長男は医師よりも危険な不整脈を伴っていた。医師 は摂取量が多く症状は末期に近かったにもかかわらず、心電図所見で軽症であっ たのは、医師が高血圧のために服用している持続型の抗カルシウム剤アダラー トL(一日二〇mgを二回服用) のためではないかと推察している。 [症例 2] 平成元年八月、男性(四十四歳) は郵送されてきたクズモチを十切れ、、その娘(四歳) は一切れ半食した。男性は五分後に口及び体の痺れを感じ、摂取二十分後に来院した。来院時不穏状態で発汗、嘔吐があり、足の麻痺があった。鎮静目的で医薬品を投与したところ、呼吸抑制が見られたため人工呼吸を開始した。この前後より大腿動脈の拍動触知不能となり。致死的不整脈を発症していたので、心肺蘇生術及び各種の医薬品による治療を行ったが、心停止となり、来院後四時間で死亡した。 その娘は、摂取五分後に口、手足の痺れを訴え、やがて歩行困難となり摂取二十分後に来院した。受診時不整脈は認められなかったが、その五分後に悪心及び不整脈が出現した。直ちに、胃洗浄や医薬品の投与等の処置を行った。その後、血圧低下、痙攣発作及び呼吸停止を起こしたため人工呼吸を施行したところすぐに回復した。その後医薬品の投与等の処置を行い、来院後九時間で不整脈は回復し、全身状態も安定した。 [症例 3] 平成四年四月、午前七時、男性(四十五歳) がトリカブトの根と茎を細切りし浸しておいた水溶液を自殺目的で服用し、同午前七時三十分に来院した。来院時の主訴は口唇周囲のしびれ感であった。同午前七時四十五分に胃洗浄や下剤投与の処置を行ったが、同午前八時二十分には不整脈が現れ、呼吸停止に至った。人工呼吸及び医薬品投与等の処置を行った結果、自発呼吸が戻り同午前八時四十七分には不整脈は消失した。同午前九時から同日夕刻まではわずかに心室性期外収縮を認めるのみであった。 [症例 4] 平成四年二月、昼、女性(六十一歳) が自殺目的でトリカブトの根を食し、同十二時三十五分救急外来を受診した。受診時、譫妄状態で血圧低下(七〇mmHg)、瞳孔散大、流涎、下痢、嘔吐が認められ、同十二時五十五分、突然、致死的不整脈を発症した。直ちに、心肺蘇生術施行下に血液吸着療法を行った結果、開始後約二〇分頃より不整脈や心停止の頻度が減少し、硫酸マグネシウムによる不整脈のコントロールが可能となった。翌朝には致死的不整脈は消失したが、心室性期外収縮は翌朝以降も持続した。 [症例 5] 平成五年四月、四家族八名が付近の山より採取した山菜(トリカブトをモミジガサと誤認) をおしたしにして食した。摂取約二〇分後全員にした先端部に痺れを感じ、その後しびれ感は体幹及び上肢に広がった。八名中三名は摂取三十分ないし二時間後に前胸部不快感、嘔吐及び呼吸困難を訴え病院で受診した。受診時は不整脈はなかったが、その後不整脈が現れた。胃洗浄などの処置により、摂取五時間後不整脈は回復し自覚症状も軽快した。 |
心臓は刺激伝導系によって心拍動が著制されます。刺激伝導系は、右心室に洞結
一気に左右心室に伝わって心筋の収縮を起こします。これが一回の拍動になります。
房室ブロックとは、房室結節を電気が通る過程でとおりが悪くなることを指します。
心室性頻拍とは、心室性期外収縮が異常に速くなった状態を指しますが、
まだ一応のリズムを持って心臓から血液が全身に押し出されています。
心室細動とは、心筋がてんでんばらばらに動いている状態で、肉眼的には心臓が
震えているように見えます。このときは、心臓は有効な血液の押し出しを行わず
血液の循環は止まっています。
この進行の仕方は、通常では、房室ブロック、心室期外収縮、心室性頻拍、心室細動
の順なようです。
それでは、トリカブト中毒の心電図異常とはどのようなものか、五つの症例について
五つの症例の心電図異常 症例1の医師は、明らかなものとしては心室性期外収縮である。 症例1の息子は、心房細動(心室細動と違い命に別状は来さない) に房室ブロ ックが加わったものから心室頻拍に移行する。 症例2の男性は、心室細動で死亡する。 症例2の娘は、心室性頻拍から心室性期外収縮で不整脈は消失する。 症例4の女性は、心室性頻脈、心室細動を繰り返す。 症例5の二名は、心室性期外収縮から心室性頻拍に移行する。 |
房室ブロックが確認され、その後程度の重い二度の房室ブロックが現れて
虎の門病院を紹介されます。
全文-22
友人Bの尋問調書、およびホテルの従業員からチェックインのときの状況を聞 いた利佐子の兄の尋問調書によると、チェックインの手続きは四人を代表して 利佐子が一人で行い、記入した書類にも筆跡の乱れはなく、てきぱきと手続き をしている。どのような自覚症状も一切訴えていない。 |
利佐子を解剖した琉球大学医学部O助教授の尋問調書によると、利佐子が 死亡した翌日、八重山警察署から、何時何分にどういう症状というメモをもらい、 午後一時二十七分、嘔吐がはじまったということで、その時間をいちおう発症と 考えたと、証言している。 |
東北大学O教授他二名作成の鑑定書(一九九四年一月一八日付け) による と、トリカブト毒のヒトの中毒症状としては、初期に酩酊状態、のぼせ、顔面紅潮、 眩暈、舌や口のまわりから順次頂部、上肢部、腹部へと下行するシビレ感、蟻 走感、心悸亢進、さらに進むと流涎、舌の硬直、言語不明瞭、悪寒、冷汗、悪心、 嘔吐、口渇、腹痛、下痢などからチアノーゼ、瞳孔散大、体温低下、血圧低下、 喘鳴、視力障害、意識混濁、脈拍細小・不整・微弱・緩徐、呼吸緩慢、痲痺な どを起こして死に至るとされる。 |
この口ないし手足や体幹のしびれ感について、共同鑑定書の鑑定人の一人、 O教授は次のような主旨の証言をしている。 人間の場合には手足、口の痺れを訴えることから症状が起こり、初期の口の 中のしびれは直接的な口の中での作用で、手足のしびれは吸収後の体の中で の作用である。 |
両毒をヒトに同時に投与したときの症状の現れ方について、O教授は次のよう な主旨の証言をする。 両毒の拮抗作用により、投与から発症、発症から致死まで、経過時間がそれ ぞれ平均的に約二倍に延長する。 両毒の拮抗作用があっても、症状は、初期、中期、末期と、順次出現する。 両毒の拮抗作用があっても、しびれ感などの初期症状が出現しないわけでは なく、遅れるだけである。 |
救急隊員の尋問調書によると、心肺停止の直前まで、問い掛けにはっきりとし た口調で答えており、意識の混濁はない。心肺停止のとき、目をむくような状況 は認めていないと証言している。 |
私が繰り返し提起している、利佐子の死亡当日のトリカブト毒の血中濃度の動態に
ついてですが、午後〇時五十三分以降のカプセルの服用はないと検察官自ら認定
しながら、その後の血中濃度の動態についての私の提起には耳を傾けず
共同鑑定書 Ⅳ 鑑定 一の1 被害者神谷利佐子と同等の体格の者に対して、アコニチン系アルカロイ ドを投与する場合、アコニチン系アルカロイドの致死量は、 (1) 水飴状のとき二二五mg程度 (2) 粉末状のとき四五〇mg程度(抽出物と小麦粉の重量比を一対一として 計算) と推定される。 一の2 右記致死量を被害者神谷利佐子と同等の体格の者に投与した場合の発 症時間は、 口唇や舌のしびれ感は摂取直後から二〇~三〇分以内に出現し、不整 脈は悪心、発汗、嘔吐等と前後して三〇分から一時間前後に出現する と、推定される。 二 フグ毒とトリカブト毒を同時に生体に投与した場合の生体における発症 時間は, 経口投与では、アコニチン単独投与の場合と差が生じる。すなわち、投 与量や投与形態にもよるが同時投与の場合が単独投与の場合よりも二 倍程度遅くなると推定される。 三 メサコニチン、ヒバコニチン、アコニチン、ジェサコニチンのそれぞれの体 内吸収速度及び比率を比較することは、 ジェサコニチンを除いて可能である。すなわち、これらアルカロイドの体内 吸収速度は、ヒバコニチン>アコニチン≧サコニチンの順序である。ま たその比率は別紙6から、およそ三・二対一対一と推定される。なおジェ サコニチンについての服用液及び血中濃度に関するデータはなく、実際 の中毒時の吸収の程度を推定するのは困難である。 |
O教授は、両毒の投与比率を変えた場合の生存時間の延長について、次の ような主旨の証言をしている。 アコニチンを致死量の約五倍投与するのに対して、同時投与するテトロトドキシ ンの投与量を、致死量の一倍、二倍、三倍、四倍と変えて実験してみると、生存 時間の延長倍率は一・二倍とか一・五倍とか二倍に変わってくる。致死量の約六 倍の投与量は、比較的顕著に延長する投与量を選んでいる。 |
トリカブト中毒の五つの症例 [症例1] 平成元年四月、男性医師(五二歳) が採取した山菜(トリカブトをニリン草と誤 認) をおひたしにして医師は小皿に一皿、その長男は二つまみほど食した(同午 後六時五分) 、医師は食直後から舌のしびれを感じていたが、同六時四十分か ら外出し同七時五分帰宅直後長男が口、手、足の痺れを訴えたのでトリカブト中 毒と直感し、強制嘔吐、医薬品の投与、人工透析等の処置を行った。医師は同 午後九時から不整脈が現れ、同午後十時には血圧が七十mmHgまで低下、冷 汗、皮膚温低下、悪心、嘔吐が続いた。同午後十時から十一時頃が最も症状が 強かった。また、痺れは翌朝四時前まで続いた。一方、長男は同午後七時過ぎに は不整脈が出現したが同午後十一時頃には回復した。痺れ感も翌朝二時には消 失した。記録された心電図によると長男は医師よりも危険な不整脈を持ってい た。医師は摂取量が多く症状は末期に近かったにも拘わらず、心電図所見が軽 症であったのは、医師が高血圧のために服用している持続型の抗カルシウム剤 アダラートL(一日二十mgを二回服用) のためではないかと推察している。 [症例2] 平成元年八月、男性(四十四歳)は郵送されてきたクズモチを十切れ、その娘 (四歳)は一切れ半食した。男性は五分後に口及び体のしびれを感じ、摂取二十 分後に来院した。来院時不穏状態で発汗、嘔吐があり、足の麻痺があった。鎮静 目的で医薬品を投与したところ、呼吸抑制がみられたため人工呼吸を開始した。 この前後より大腿動脈の拍動触知不能となり、致死的不整脈を発症していたの で、心肺蘇生術及び各種の医薬品による治療を行ったが、心停止となり、来院後 四時間で死亡した。 その娘は、摂取五分後に口、手足のしびれを訴え、やがて歩行困難となり摂取 二十分後に来院した。受診時不整脈は認められなかったが、その五分後に悪心 嘔吐及び不整脈が出現した。直ちに胃洗浄や医薬品の投与等の処置を行った。 その後、医薬品の投与等の処置を行い、来院後九時間で不整脈は回復し、全身 状態も安定した。、 [症例3] 平成四年四月、午前七時、男性(四十五歳) がトリカブトの根と茎を細切りにし 浸しておいた水溶液を自殺目的で服用し、同午前七時三十分に来院した。来院 時の主訴は口唇周囲のしびれ感であった。同午前七時四十五分に胃洗浄や下 剤投与等の処置を行ったが、同午前八時二十分には不整脈が現れ、呼吸停止 に至った。人工呼吸及び医薬品投与等の処置を行った結果、自発呼吸が戻り同 午前八時四十七分には不整脈は消失した。同午前九時から同日夕刻までわず かに心室性期外収縮を認めるのみであった。 [症例4] 平成四年二月、昼、女性(六十一歳) が自殺目的でトリカブトの根を食し、 同十二時三十五分救急外来を受診した。受診時、譫妄状態で血圧低下 (七十mmHg)、瞳孔散大、流涎、下痢、嘔吐が認められ、同十二時五十五分、 突然、致死的不整脈を発症した。直ちに、心肺蘇生術及び各種の不整脈剤による 治療を行ったが、不整脈、心停止を頻回繰り返した。そこで心肺蘇生術施行下に 血液吸着療法を行ったかっか、開始後約二十分頃より不整脈や心停止の頻度が 減少し、硫酸マグネシュームによる不整脈のコントロールが可能となった。翌朝には 致死的不整脈は消失したが、心室性期外収縮は翌朝以降も持続した。 [症例5] 平成五年四月、四家族八名が付近の山より採取した山菜(トリカブトをモミジガ サと誤認) をおひたしにして食した。摂取約二〇分後全員に舌先先端部にしび れを感じ、その後しびれ感は体幹及び上肢に広がった。八名中二名は摂取三十 分ないし二時間後に前胸部不快感、嘔吐及び呼吸困難を訴え病院で受診した。 受診時は不整脈はなかったが、その後不整脈が現れた。胃洗浄などの処置により、摂取五時間後不整脈は回復し自覚症状も軽快した。 |
東北大学M教授による鑑定書の利佐子の血液のトリカブト毒の鑑定結果は次 のとおりである。 アコニチン 二九・一ng/ml メサコニチン 五一・〇ng/ml ヒバコニチン 四五・六ng/ml 合計 一二五・七ng/ml 東北大学N講師による鑑定書の利佐子の血液のフグ毒の鑑定書は次のとおり である。 テトロトドキシン等 二六・四ng/ml なおこの測定値には、テトロトドキシン以外にその変換物質である4-エビテトロ ドトキシン、テトロドン酸を含み、その比率は、三対四対一二六であり、ほとんどが テトロドン酸に変換している。 |
検察官は、この事実を避けて、警視庁捜査一課のY警部補が抽出・濃縮し二号
トリカブト毒の吸収部位が小腸であることについて、東北大学のS教授は次の ような主旨の証言をする。 トリカブト毒は植物塩基で、胃の中のような酸性の状況ではイオン化しており、 胃の粘膜からの吸収はほとんど起こらない。吸収部位は、小腸粘膜で有る。 また、東京大学のF教授は、次のような主旨の証言をする。 トリカブト毒は植物アルカロイドで、胃の中では吸収されない。小腸に入ってか ら吸収される |
全文-23
山鳩の鳴き声や小鳥のさえずりで私は目を覚まします。毎朝、爽やかな気持ち
で布団を畳める拘置所の自然が、沈みがちな心を支えていました。子供のころ、
杜の都の広瀬川のほとりで育った私は、この自然の目覚まし時計は珍しいことで
はありません。育った自然環境はすばらしいものでしたが、家庭環境は望ましい
ものではありませんでした。その家庭環境が私の女性観を心に植え付け、現在に
至っています。その女性観について話すことをお許しください。
戦後父は東北大学工学部教授の職を辞して、革新政党の活動に身を投じます。
私が小学三年のとき、父は占領軍の弾圧を受け、いわれのない政治犯として、自
由を奪われる身となります。実母は、教授夫人から一転して貧しい立場に追い込
まれ、働きながら私を育てます。母は寂しさから、六歳ほど年下の男性Yに身も心
も移しました。小学五年のとき、講和条約が発効し自由の身となった父は、母を
心を込めて説得しますが、母は家庭を捨ててYのもとに走ります。ですが、遊びに
すぎなかったYに、けんもほろろに跳ね返されます。
母が多量の睡眠薬を飲み自宅で深い眠りについていたとき、唇にひび割れしな
いように脱脂綿に水を浸して母の唇を湿していた私は、東京に働きに出ていた五
歳年上の兄が戻ってきて、父と隣室で相談しているのを聞いてしまい、母の自殺
がYの無責任さにあることを知り、Yへの怒りが込み上げてきます。意識が戻るこ
とを心待ちにした私の願いもむなしく、二日ほど苦しんだ母は、私に見守られなが
ら息を引き取りました。兄は外出し、父は台所で夕食の支度をしているときです。
私は涙を一切流していません。涙さえ浮かばぬほど、私は悲傷に打ち拉がれて
いたのです。
母とYとの寝室のなかでの出来事を、幾度となく、目にし耳にしていた私は、嫌も
応もなく、ませていました。母の死後、父も兄も革新政党の活動で、支持者の寄
付に頼る生活費では私を育てられません。小学五年の終業のとき、県北の他人
の経営する工場に住み込み、働きながら学校に通う三年間の生活がはじまりま
す。母の死はYに振られたのが原因なのか? いや、それだけではない、出来の
悪い私に悲観したのだ。私の自問自答は続きました。しかし、自問自答の結果
は、Yが、母をもてあそんだことにあるのだという結論に達します。私は、生涯、Y
のような無責任な女性との交際は行わないと決心しました。私の女性観の萌芽で
す。中学三年のはじめに父のもとに戻った私は、心の通い合う義母に恵まれたこ
ともあり、過ぎゆく年月のなかで、実母の死の痛手から解放されます。
最初の妻二一歳の恭子と結婚したのは、私が二五歳のときでした。
私は革新政党の党員として東京の北部地域で活動を行い、私の住居の近くに住
み埼玉県の大病院に看護婦として勤めていた恭子を知り、説得して入党させ、党
活動のなかで心が通い合い結婚します。恭子は子供のころ継父のいじめのなか
で育ち、その反動で、私への信頼、甘え、依存など、私の望む女性観を満たして
いました。結婚七年目に、共に、党活動の実体に感情的疑問を抱き、二人は党を
離れます。それからの私たちは、頻繁に旅行に行くなど、妻の喜びの笑顔を得る
ために、私は恭子が戸惑うほどの、さまざまな努力を重ねます。私の女性観の実
践でした。
しかし、思わぬ落とし穴がありました。私は二五歳で結婚するまで、男女の性行
為については限りなくすばらしいものと想像していました。しかし、夫も初めての性
行為、妻も初めての行為では、うまく運ぶはずがありません。最初のつまづきがそ
の後も尾を引いて、想像していた満足感は得られず、試行錯誤を続けるなかで性
生活に自信を失います。結婚するまでの私は、若い男性のご多分に漏れず、性
行為への欲求は強く、自らの慰めで紛らわせ、結婚相手以外との性行為は、私
の女性観としての信念に合わないとねじ伏せていました。それが結婚八年目に、
実母の死から学んだはずの信念を踏みにじり、ついに私はほかの女性、なつ江
に手をつけてしまいます。
恭子と結婚して二年目に、足立区の二KDの住宅公団に当選し住居とします。
その数年後、恭子が知人からチワワ犬を貰い、犬好きの私と共に買いはじめま
す。なつ江と知り合ったのは、私が党活動をやめて、最初に六か月間勤めた会社
です。恭子は党関係の病院を退職し、まだ再就職せずに自宅に居ました。なつ江
がチワワ犬を見たいというので、恭子に電話で同僚を連れていくと連絡します。終
業後、なつ江を自宅に伴うと、「急に誘われて調布に行くことになった」 との置き
手紙と、二人分の食事が用意されていました。調布の恭子の叔父の家には、私
たちはよく家庭マージャンをしに行きますが、同僚が男性だと思い、遠慮せず出
かけたのでしょう。その夜遅くなるまでなつ江はチワワと遊び、私は信念がほころ
びて、なつ江と性的関係を持ってしまいます。私の人生は、この日から、安らかな
日から、悔恨の日々に変わりました。一九七二年十一月の冬が近づく寒い夜のこ
とです。
なつ江との一か月ほどの性行為で得たものは、私の性について の想像がい
かに頭でっかちであったかということです。男性との性経験が数年に及ぶと聞い
ていたなつ江の反応が、恭子よりもさらに小さかったのです。なつ江との関係は、
なつ江の親族が私の自宅に押し掛けてくることによって、恭子に知られてしまいま
す。恭子の嘆きがいかに強かったか、団地のそばを通る電車の線路際を長
時間うろついていて、近所の人に保護されたこともあります。その後夫婦の生活
はしだいに回復していきますが、私が恭子に望む、信頼、甘え、依存は、恭子が
死亡する八年後まで回復しませんでした。
なつ江はその後故郷の実家に帰りますが、二年ほどで東京に戻り私を頼りま
す。私の優柔不断さは、女性観の裏返しなのですが、なつ江の願いを断ることが
できず、私の犯した罪の慰謝料のつもりで、住まいを世話し当座の生活資金を与
えます。さらに、西池袋の新築中のマンションを三千万円で購入し、慰謝料として
なつ江に贈与することで別れることをなつ江に約束させます。贈与税を免れるた
めに経理の実務経験の長いなつ江に就職を指示し、私の預金を担保にして、な
つ江に住宅ローンを組ませることを検討しますが、なつ江が就職しないうちにマン
ションが完成し私の名義で購入してしまいます。入居後のなつ江は、就職口も探
さず私の提供する資金で生活を続け、購入する衣類や装身具などもしだいに高
級品へと変化していきました。和つぃは、優柔不断さというより、この事実を恭子
に知られることが恐ろしかったのです。贈与税を免れる方法を見い出せないまま、
なつ江との関係が解消できずに年月が過ぎてしまいます。
恭子は詮索することの大嫌いな女性でした。なつ江との不倫のあとでも、私の
行動に、日心を差し挟む言辞は一切していません。私は女性観の核心である信
頼、甘え、依存は失いましたが、子供のころの惨めさを補うための寄り添う心は、
恭子から常に感じていました。結婚後、党活動や職場の慰安旅行以外、恭子を
自宅に一人にして外泊したこと一切はありません。恭子は一人でいることは耐え
られない、かわいい女性でした。私の不倫による、恭子の深い孤独の心境を、少
しでも修復したい私は、恭子と約束をします。午前0時を過ぎて帰宅したときは罰
金千円、一〇分過ぎるごとに千円加算すると。恭子は午前0時近くになると、玄
関の前で待ちます。私が午前0時過ぎに玄関に入ると、恭子は「やった!」
と言ってにっこりします。罰金のあるなしにかかわらず、毎夜、心の温まる笑みを
浮かべて、「お帰りなさい」 と言って私を出迎えます。その笑みは、恭子がこの世
を去るまで続きました。恭子は私の生き甲斐でした。
全文-24
四 総菜会社の企画と設立準備
私が総菜会社について考えはじめたのは、党活動をしていたときです。党の機
関専従員をしていた私も、夜勤の多い看護婦の恭子も、勤務を終えてからの食
材の購入は頭痛の種でした。二人の話題となったのは、栄養のバランスの取れた
食材を、定期的に自宅に届けてくれる店はないかということです。二人が党活動
を離れてからは、私の就職で困難を来します。履歴書に、職歴を実際に勤めてい
た株式会社の社名を記載しますが、調査をすれば、その会社は党の直営書店
で、私が元機関専従員であることがわかるのです。就職活動をして、実際にそれ
で断られた会社もあります。そのことから、自営業としての総菜会社の設立は常
に念頭にありました。
一九七三年九月、新聞の募集広告に応募したP社に入社します。P社での六年
間に及ぶ業務経験によって企業経営への自信もつき、いよいよ総菜会社の企画
をはじめました。東京都足立区や埼玉県草加市は、集合住宅の密集地帯で、共
稼ぎの夫婦も多く、宅配にも便利です。総菜会社の設立場所は、草加市内と決め
ます。一九八〇年十二月、、P社を退職して企画を本格的にはじめますが、専業
主婦となった恭子を伴ってのハワイやヨーロッパ五か国の旅行、それに国内各地
の旅行で忙しく、企画は進みません。一九八一年七月、恭子が他界し、なにもか
も嫌になり、企画を投げ出してしまいます。
同一九八一年一二月、気持ちを奮い起こして、総菜会社の企画と設立準備を
開始します。二人でなつ江の実家を訪れ、なつ江が体調を崩し国立沼田病院で
軽い心電図異常が見られたときです。それが気持ちを奮い起こす切っ掛けでし
た。
私は総菜会社を「株式会社ヘルシー」 と名付けますが、一九八二年五月に完
成した最初の企画書では、規模は小さくても七千万円の自己資金を中心に、若
干の銀行からの借入金だけで会社を経営することを計画しました。そのため、最
初の経営企画書は銀行提出用の簡単なものでした。なつ江の体調が回復してか
ら設立準備を本格化しようと考えていたのですが、なつ江の病気が長引き、デス
クワークに専念するうちに企画が豊富になり、特に料理の実習による料理表が三
〇〇品目を超えるころから、料理表を取り入れて企画書を大幅に書き替えます。
なつ江が病死する三か月ほど前には自己資金が枯渇状態に陥り、経営企画書
は出資者を募集するという方向で書き直しました。下書きを終え、清書をはじめた
矢先に、一九八五年九月、なつ江が病死します。
恭子を失い、なつ江を失った痛手から、無性に東京を離れたくなります。大阪に
行こう、そう決心すると、それが最善の方法と思えてきます。関西は食文化の中
心と言われ、関西風の味付けに興味をいだいていた私は、その実際と、あわよく
ば関西地域で総菜会社の事業展開ができないかと考え、その可能性を探ること
にしました。大阪と京都の中間点を足場にすることに決め、同一九八五年十一月
初めに寝屋川市のGハイツを賃借し、大阪転居の準備を行い、自宅マンションや
宝石などの売却を予定して資金の目当てをつけました。その後、同月十八日に
利佐子と知り合い、利佐子は大阪転居を承諾し、Gハイツは事務所として使用
し、大阪市城東区に住居としてTRビルの三DKの住居を借り、翌年一月に転居し
ます。
私は土曜日と日曜日それに祝日を除く毎日、京阪本線でTRビルとGハイツのあ
いだを通勤します。とくに日程を組んでいるわけではありませんが、仕事場へ勤
務する雰囲気を作ることが、だらだらとした仕事にならないで済むと考えました。
午前九時ころ私は自宅を出て京阪本線に乗り、香里園駅前で食材を購入して、
料理実習をかねてGハイツで朝食を作ります。昼食は関西地域の味付けを知る
ために、できるだけ外食にしていました。各地に足を運んで集合住宅の密集状況
を見分したり、企画書の再点検と清書が主な仕事です。清書はこの年三月に終
わり、「経営企画書」は完成します。
以上のように、検察官が殺人の準備行為を行っていたと主張する期間、私は総
菜会社の企画と設立準備をしていたのです。経営企画書が完成してから五年三
か月後に私は逮捕され、その四か月後の千九百九十一年十月の第一回公判の
直後に、経営企画書を記憶をたどって「株式会社ヘルシー経営企画書(要旨)」
として複製し、弁護士に渡しました。(以下、原本を「経営企画書」、複製したもの
を「企画書要旨」 と記します)。口で説明するだけでは充分に意が伝わりにくいと
と思い、文章としてできるだけ原本に忠実に再現したのです。この「企画書要旨」
は第一審の審理中に裁判所にも提出しますが、判決では事実に基づかずに想像
の上で作り上げた文書だときめつけます。
全文-25
「企画書要旨」は、東京拘置所に収容された約三か月後に、なんの資料もなく
書き終えたものです。罫紙(六百字詰め) に換算すると四〇ページから成り、業
務内容、宅配料理の献立表、利益計画表(第五期までの予想財務表) を詳細
に記述しています。ここで問題となるのは、業務内容や利益計画表は、企業会計
の専門家である私にとって、なんの資料がなくても作成するのは造作もないことで
すが、献立表については資料がなければ作成できません。なぜなら、次の表を参
照していただければわかるように、献立表には各食品の栄養素として、その単位
あたりのカロリー・蛋白質・脂質・カルシウム・鉄分・ビタミンA・ビタミンB1・ビタミン
B2・ビタミンC・食塩という配列で表示し、献立表の料理の栄養素を明らかにして
いるからです

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この献立表の栄養素の配列は、一九八二年から一九八五年にかけて約四四
〇品目に及ぶ料理の実習と、それぞれの料理表の作成を行い、それを組み合わ
せて約一八〇種類の献立表を仕上げたとき、参考図書『日本食品標準成分表』
に表示されている栄養素を、料理表に正確に書き写して作成したため、その参図
書の栄養素の配列がそのまま私の記憶となり、「企画趣意書」 に記載するこが
できたのです。私が設立しようとしていた総菜会社は、宅配する副食材料につい
て、バランス栄養食と銘打って、一日に必要とする各栄養素を、まんべんなく摂取
できるように配慮することにしました。その献立表で栄養素を細かく集計できるよ
うにしたのです。
現在出版している『日本食品標準成分表』 の栄養素表の配列は変更されてい
るかもしれませんが、当時のこの参考図書には数百ページにわたって、すべての
食品について先ほど述べた一〇種類の栄養素の配列で記載されています。東京
拘置所での書籍の購入はすべて記録されますから、「企画書要旨」 を書き終え
た入所後約三か月のあいだに、この参考書を購入していないことは明確に立証
できます。これらのことから、「企画書要旨」 が想像上の作文であると認定した判
決は、明らかに事実を誤認しています。なお、スタンダートな料理として裁判所に
提出した「企画書要旨」 の数点の料理表の中からハンバーグの料理表を抜粋し
ましたが、使用量、カロリー、栄養素等の数値は記憶になく適当に記入し正確で
はありません。
ところで、逮捕以前に逮捕を予想して、その言い逃れのために企画書要旨なる
ものをでっち上げたのではないか、との判決同様の見解もあるかと思います。し
かし、それはありえません。私が逮捕を予想して、殺人行為をごまかし総菜会社
を隠れみのにするために、逮捕までに事実でない総菜会社の話を創作したとする
と、当然、総菜会社の全体像を頭に描き、公判での総菜会社に関係する尋問に
対して二転三転することなく答えられるように準備したはずです。ところが、総菜
会社に関連する供述は、数々の問題で二転三転するのです。
検察官が描く殺人のための準備行為で、総菜会社に関連する問題とは、エバ
ポレーター、トリカブト、マウス、クサフグ、エタノール、カプセルの七品目の購入が
主な問題です。これら購入品は、逮捕から五年ないし十年前に購入し、記憶は薄
れていますから、記憶をたどって逮捕前に購入日と数量を確定しておかなけなけ
れば、公判で、検察官の追求にあっても、答えが二転三転し一貫した供述ができ
ません。逮捕後の取り調べで自ら供述したエバポレーターとマウスを除く五品目
については、公判で販売店の人たちが証言しそ、の場で購入日と購入数量を私
はノートにメモし、その後、これらの証人尋問調書が入手できず、メモを頼りにして
記憶をたどり、実際を明らかにできたのです。それでも第一審の公判では、二転
三転した供述を訂正し、事実を主張する機会はありませんでした。
二転三転した私の供述内容を明らかにしたいのですが、被告人尋問調書が一
冊も手元に入らず、公判での供述内容が定かでありません。よって、記憶に残る
エバポレーターについての供述内容を説明し、マウスとクサフグは購入目的の実
際を簡潔に記述します。なお、トリカブト、エタノール、メタノール、カプセルの購入
は、総菜会社と関係がありませんので、次項五でその実際を説明いたします。
エバポレーターの一回目の購入は一九七九年です。会社の取引銀行との関係
で、私が口座を開設していたF銀行室町支店の帰り道、理化学材料を販売してい
るT株式会社のショーウィンドーにエバポレーターが展示されていました。通りす
がりに何度か見ているうちに、興味を覚えて店の人からカタログを貰い、使用目
的や使用方法を理解した上で購入します。関東風と関西風の味付け、濃い口醤
油と薄口醤油、赤ワインと白ワイン、などなど、濃縮して比べたらどのような味の
違いがあるのか、おもちゃを買うようなつもりでエバポレーターを購入します。しか
し、部品が足りず、箱に収めたまましまい込みます。その後、仕事の忙しさに加え
て、恭子がたびたび心臓発作で入院するなどで、エバポレーターを使用すること
なく過ぎていきます。恭子が病死してコーポTに移り住むとき、収まりがつかない
多くの家具と共にエバポレーターも処分してしまいました。
二回目の購入は一九八二年六月です。五月に最初の経営企画書が完成し、そ
の中で具体化していた顧客に月一回配布する『ヘルシー月報』 の話題集めに、
エバポレーターを利用することを思いつきます。エバポレーターでどのような話題
が提供できるかは、一回目購入のときの利用方法とほぼ同じです。このときは組
み立てる途中でガラス管を破損し、ガラスセットを購入しますが、ふたたびなす底
フラスコを破損し、同年一〇月、なつ江と結婚し仕事場をコーポTからマンション
STの自宅に移したとき破棄します。
三回目の購入は一九八三年三月ですが、逮捕のときの取り調べで自ら供述し
ていながら、公判では二回目と錯綜して供述が二転三転します。結局、エバポレ
ーターの使用は、水道の蛇口に差し込んでガラス器具内を低圧にするアスピレー
ターが、抜けたり水が飛び散ったりして、実用に供さないまま箱に収めて放置します。
公判では検察官が、一回目の購入を無視し、二回目を一回目、三回目を二回
目と言い替えて私を尋問します。捜査当局が一回目の購入を把握していながら、
検察官はなぜ一回目を認めないのか。一回目の購入を認めると、その当時は殺
人の準備行為をはじめたとする一九八一年から、二年も前のことであり、エバポ
レーター購入が殺人の準備行為とは無関係となり、私の説明が事実となるからで
す。
私は第一審ではこのことに気がつかず、一回目から三回目の購入状況が錯雑
として、供述が二転三転し、そのうちに供述を諦めてしまいます。『ヘルシー月報』
についても、この錯雑としたなかで、供述する機会を失い、一度も供述していません。
逮捕以前に逮捕を予想してエバポレーターの購入を、総菜会社の話と結び付け
て創作し準備したのなら、公判で供述が、検察官のミスリードに惑わされて、
二転三転することはありません。
全文-26
この状況で、逮捕以前に逮捕を予想して、総菜会社について矛盾なく説明でき
全文-27
一九八六年六月大阪から東京に戻った私は、西池袋の自宅を売却し、葛飾区
新小岩のTビルの一室を賃借し事務所兼住居とします。就職して生活資金を得ながら、
惣菜会社の出資者を探すことにし、それに適した経営企画書にするため、
さらに下書きに手を加えます。その清書をはじめますが、七月下旬ころから一部の
マスコミの殺人疑惑を全面に掲げた中傷がはじまり、顔写真と実名が世間に広がるに
及んで、八月、惣菜会社の設立を断念し、Tビルを引き払い横浜の実家に
一時身を寄せます。
同年一二月、S社に入社し、足立区内の一KのコーポEに引っ越し、入社
一年三か月後の一九八八年三月、総務部長兼経理部長に就任しますが、
惣菜会社の設立には、わずかですがまだ未練を感じていました。同年十月、
コーポEから会社に近い二DKのマンションEWに転居します。
経営企画書の下書きと未完の清書、および九個の密閉ガラス瓶を入れた段ボ
五 子育てへのあこがれ
一日も欠かさず毎日、拘置所に区役所の有線放送が聞こえてきます。「午後五
時になりました。外で遊んでいる小学生のみなさん、おうちに帰りましょう」 私は
この放送を聞くたびに、身につまされます。私は鍵っ子でした。遊び仲間の子供た
ちが家に帰りはじめると急に寂しくなり、最後の一人が立ち去るときその子をじっ
と見つめて立ち尽くします。家は大小六部屋もある一軒建てで、寂しがり屋の私
は夜一人で家にいるのがつらく、帰宅時間が不規則な美容師をしている母の帰り
を、長時間外で待ちました。
私はある書物で、次のようなことを読んだことがあります。
オテニー(幼形成熟)という現象があるという。卵から成体に達する過程で幼生 形の段階で発達が止まり、幼生形のまま生殖腺が成熟して生殖する現象のこと をいうそうだ。ウーパールーパーと俗に呼ばれているアホロートルがその代表的 な動物だというが、霊長類ではヒトだけがその特徴を持っているといわれている。 写真で見るとゴリラの子供の体形はヒトの体形によく似ているが、成長するにつ れて体形は変わり成体となるとヒトとは似なくなる。ところが、人は成長しても身 長などは伸びるが体形はほとんど変わらない。 |
毎日きまって、小学四年五年のころの鍵っ子の感傷に浸る私は、体形だけでな
く、完成されていない未成熟な脳の持ち主だと思います。ですが、私はこの感性を
失いたくありません。この未成熟な感性は微妙な味わいがあるのです。子供のこ
ろの経験が、厳しいものであったにもかかわらず恭子と結婚したとき、早く子供を
作り、模範的な父親として、子供を育ててみたいという欲望が強かったのは、やは
り未成熟な脳が原因だと思うのです。
恭子も不幸な子供時代を送りながら、子供を産み育てる意欲は私と同じでした
結婚後、子育てという楽しい話が続きます。そのとき私は職業について考えてし
まいます。党の機関専従員と言っても、革新的書籍の外販が主な仕事で、誇りを
持って仕事はしていますが、できれば、将来役に立つ技能を、身につけたいと希
望していました。それも独学で済み、党活動にも貢献できる資格です。
最初に就職した音響機器の製造販売会社が倒産したとき、技術部に所属していた
私が、労働組合活動の延長で残務整理として経理を担当し、経理の有用さ
を知ります。恭子と結婚する二年前でした。恭子と結婚して子育てが話題になっ
ていたとき、職業について、経理の勉強をして将来その道に進みたいと、私は恭
子に打ち明けます。恭子は賛成し、手助けすると嬉しそうでした。
大学を出ていない私は、日商簿記検定試験一級の合格を目指しますが、その
受験科目の一つ、原価計算の難関にぶつかります。私は学習参考書を分析し
て、「家庭で出来る原価計算」 という学習方法を編み出します。家庭を工場に見
立て、すべての家計費を詳細に記録し、私と恭子の家事労働の時間を労務費と
して把握しながら、製造工場の原価計算システムと同じ方法で家計の原価計算
を行うのです。恭子も面白がって積極的に手伝います。三年続けて効果は抜群
です。企業会計の中で、原価計算は最も得意な分野になりました。
しかし、地ならしはしたものの、結婚から五年経っても、子宝が授かりません。
私たちは病院で検査を受けます。検査の結果、私に問題はなく、恭子が卵管の
異常で妊娠は難しいと診断されます。それからは、夫婦で努力は続けますが、子
育ての話題は口にしなくなります。党活動を離れて一年後の結婚八年目に私は
不倫を犯し、その不幸から夫婦で立ち直るために、足立区の住宅公団から、草加
市内の三DKのPマンションを購入して転居します。「午前様なら十分千円の罰
金」は、このころからはじめました。恭子は夜勤のない銀座の診療所に勤めます。
P社に勤務していた私は、都心の銀行に寄ったときには、必ず恭子を誘って銀座
で食事をしました。
銀座の診療所を退職した恭子は、友人に勧められて服飾デザインの勉強をは
じめます。恭子の描くデザインのデッサンは、素人の私が見てもすばらしい出来で
した。その才能に驚いた私は、恭子に服飾デザイナーになることを勧めます。恭
子もその気になって努力をします。このころ日商簿記検定試験一級に合格した私
は、受験資格が調って税理士試験の受験勉強をはじめますが、P社の業務の忙
しさと、惣菜会社の企画をはじめたこともあり、勉強は進みませんでした。私たち
は結婚十四年目に、草加のマンションから、東京都台東区根岸のマンションを購
入して、新たな気持ちで生活をはじめます。恭子の服飾デザイナーを目指す勉強
は熱が入りますが、その二年後ほどのち、恭子は人生の終焉を迎えてしまいま
す。
全文-29
十二月、私は不徳の行為を詫びるために、なつ江を自家用車で送りがてら群
なつ江との結婚生活は、戸惑いからはじまりました。なつ江は、八歳年上の私
子供を作ることは、病気が全快してからというのが二人の約束です。なつ江は
なつ江の四九日の法要を済ませたその翌日、私は自宅から徒歩で5分ほどの
私は寂しさが募っていました。この若い女性と結婚し子供でも育てることができ
利佐子はホステス業を廃業し、私と大阪に移り住みます。三匹の猫の激しい干
全文-30
2012.03.27
利佐子は、タバコを一日四十本ほど吸うヘビースモーカーでした。それに避妊
私の遊びとはなんだったのか、よく考えることがあります。銀座に飲みに行くこ
それぞれ事情は違いますが成就しませんでした。子供欲しさからの非常識な行為は、
二度と行わないと心に誓い、一か月ほどのちに、私は大阪市福島区の病院で
パイプカットをします。熟考しての決断でしたが、子育てへのあこがれを捨て去るには、
寂しい痛みが伴いました。
本書は、上告趣意書および補充書での私の主張を要約し原審の判決に系統
『仕組まれた無期懲役』 の原稿を書き上げた二〇〇二年の正月は、希望に満
上告審は五名の裁判官で構成されるのが常ですが、私の事件を審理する第一
小法廷は、二年ほど前から四名の裁判官で構成されていました。毎月十三日に、
最高裁判所から「拘留延期決定通知」 という書類が届くのでわかります。一月
十三日の書類も四名連記でしたので、審理が遅れているのはそれが原因かと思い、
決定はまだ先かと考えていたところ、二月十三日の書類で五名になりました。
いよいよ審理が本格化すると思っていた矢先、二月二十日付の「五名全員一致による」
という判決文が届きます。私の上告趣意書を詳細に検討するには、相当の日数を要する
はずですが、一名の裁判官は充分な審理をせずに判決を下したと思います。最高裁判
上告趣意書を記述する過程で読んだ刑事訴訟の本に、「裁判官に読んでもら
二名の国選弁護人が選任され、先生方に私の上告趣意書を渡して、主張の
全文-31
私は料理には自信があった。少年のころ、夜遅く仕事から帰り台所で食事を作る実母
にすがり付くようにしていた私は、しらずしらずに料理に興味を覚えた。
高校生のときには、趣味として台所に立つことが多くなった。東京
に恭子は惹かれたのか、革新政党の地域活動の合間を見ては東京都北区の私の
アパートに来て食事をすることが多くなる。私たちの交際期間は一年ほどだった。
恭子は埼玉県大宮市の日赤病院に勤めていたが、準夜勤務を終えた恭子を私は
夜中に60CC の単車で迎えに行く。大宮から北区まではかなりの距離だが、単車で
ドライブしながらの話し合いは楽しい。私のアパートに帰り着いて、質素だが心を込めて
作った私の手料理を二人で食べる。結婚するまでは恭子が私のアパートに泊まるよう
なことはなく、夜食のあとで私は近所のアパートまで恭子を送っていく。
結婚してからもこのドライブは続く。住まいは恭子が住んでいたアパートに私が
一九七九年ころには、P社での六年聞に及ぶ業務経験によって企業経営への自
の取引銀行との関係で私が口座を開設していたF銀行室町支店の帰り道、神田駅
近くで理化学材料を販売しているT株式会社のショーウインドーにエパポレーターを
見つける。通りすがりに何度か見ているうちに興味を覚えて居の人からカタログを貰い、
使用目的や使用方法を理解した上で購入する。
私は長年自宅で料理をしているあいだに、関東風の濃い味付けと、関西風の薄
なら食塩を湯に溶かしてみればわかるが、醤油が混ざるとわかりにくい。
だしの取り方、濃口醤油、薄口醤油の使い方でも塩分は変わる。関東風と関西風に
味付けをしたつゆを、エパポレーターで濃縮して味わってみたら面白い。
また、濃口醤油と薄口醤油を濃縮したらどちらが塩分が強いか。さらに、産地別の
赤ワインや白ワインを濃縮したらどんな味になるか、など、そのような興味に誘われて、
おもちゃを買うようなつもりでエパポレlターを購入した。自宅に持ち帰り部品を点検した
ところ、水道の蛇口とエパポレーターをつなぐゴムホースは別途購入する必要がある
ことがわかり、組み立て方も意外と複雑だ。ゴムホースを購入してから組み立てて使用
してみようと思い、箱に収めたまましまい込む。
その後、仕事の忙しさに加えて恭子がたびたび心臓発作を起こして入院するな
ことなく過ぎていく。
翌一九八O年二月、台東区根岸に3LDKのマンションUNを購入して草加から引っ
看護婦は辞めていたが、恭子は自らの体調を診ることに自信があったようで、発作は治ま
設立準備はそれほど進まず、エパポレーターはしまい込んだままだった。一九八一年
七月十九日午後五時ころ、恭子は発作を起こして入院し、翌二十日午前四時ころ
心筋梗塞で死亡する。私は虚脱状態に陥り、食品会社の企画も投げ出してしまう。
同年十月、恭子との思い出の深い根岸のマンションに住み続けることが苦痛で
気晴らしのドライブがてら、食品会社の食材として関心を高めていた高原野菜の
生育状態を見に、日帰りで栃木県那須高原に出かけた。その帰り道、那須高原から
岳温泉の近所に出てしまい、そこから東北自動車道の白河インターに向かう道筋で
渓谷美をアピールする立て看板を見る。五分ほど道をそれで坂を下ると美しい渓谷が
あり、そこに食堂を兼ねた山野草販売店Kがあった。
話は四年前にさかのぼるが、一九七八年の夏か秋、私はなつ江と千代田区神
希望する。それから二人は、山野草庖を見るとヤマトリカブトを探すようになる。
ベランダに並べてみると、一・五坪ほどのベランダにはまだ鉢植えを置く余裕が充分にある。
七月十一日に退院したなつ江と相談してベランダをヤマトリカブトで満たしてみること
にするが、一緒に行きたいと希望するなつ江の体調は優れず購入は先に延ばした。
二五鉢ほどを購入する。なつ江は体力に自信がないと言い同行しなかった。購入した
二五鉢ほどはすべて花が咲いていたが、後部座席に収めきれない一O鉢ほどを、
車の後部トランクに入れて花を傷める。前に購入した二七鉢のうちで花が咲いたのは
二O鉢ほどだが、今回購入したものと合わせて、三五鉢ほどのヤマトリカブトの花が
ベランダで咲き競うさまは見事だ。なつ江は自宅で生花用に使用しただけで、茶道教室
の生花用には持っていかなかった。その理由については私の記憶、が定かでないが、
体調が悪く茶道教室を休んでいたか、花を持参する当番のときのテーマに合わなかったか、
などの理由だと思う。
同年十二月上旬、購入したときの鉢がちゃちなものだったので、五二鉢ほどの
植え替えたものは全滅し、鉢に植え替えたもので若芽を出したのは一五鉢ほどだった。
プランターのものは腐葉土などで養分のやり過ぎがよくなかったのだと思う。九月に
花が咲いたのは一O鉢ほどで、生花にも使わず鉢植えのまま鑑賞する。
食品会社の資料などとともにダンボール箱に入れて、一九九O年十月まで保存
することになる。
そのような方法での塩出しは無理だと教わるが、広辞苑で調べる以外に手段のない
私には、現在でもその原理が理解できていない。結局、エパポレーターは使用する
必要がないまま組み立てることもなく打ち過ぎる。二回目に購入したときと同じ目的に
使用することも考えたが、全自動洗濯機の蛇口用の器具は、受け口は電気店で注文
すれば購入できるが、差し込みは購入の方法がわからず探し求めるまでには至らない。
同年九月、仕事場をコーポTからアパートSに移し、エパポレーターもアパートSに
アスピレーターを通した水を冷却器の循環水として使用するようセットする。ところが、
アスピレlターは蛇口を全聞にして使用するため圧力が強く、循環水がうまく取れない。
それに、アパートSは、六畳一聞に半畳弱の板の間と三O×四0センチほどの流しが
あるだけで、水圧の強さで水が飛び散るのを防ぎょうがない。家庭で使用するのは
無理だとふたたび認識し、試運転は中止する。
その後エパポレーターは一度も箱から出さず、なつ江が死亡した直後の一九八
かった態度を示す。なつ江を探して、日がな一日、部屋中をうろつき回るのだ。その姿、
がいじらしく、私はケンを手元に置いておけなくなり、ケンの息子がいる親類のところに
あげることにする。ケンがなつ江の親類に貰われていくあいだ、私は、夜、ケンをベッド
に誘いふところに抱いて寝てやりながら、ともにやもめになった身を慰め合った。
話を三年ほど戻して、私がなつ江と同棲してからは、なつ江、が言うには、私が
それに、遅れて家族になったために、ケンに遠慮をしていることもあるようだ。この
行事は毎日のように繰り返される。
なつ江はケンとメリーの下の世話のためにエタノールを購入していた。消毒用に
使用する以外に、和服の汚れ落としゃコーヒーサイホンの燃料にも使用するため
無水エタノールを購入して、消毒用に使うときにはエタノール七に対して水を三の
割合で加える。
から月に一、二度立ち寄って購入することになる。私が薬H店とかかわりを持つのは、
一九八一年十月、コーポTに入居してからだ。薬H店はコーポTの最寄りの駅前にあり、
外出などの帰りに立ち寄って薬や日用品などを購入するようになる。そのような事情で、
なつ江と同棲してからも薬H店からの購入は続いた。
仕事場をコーポTからアパートSに移す一九八三年九月まで、五OOM入り容器の無水
エタノールを月に五、六本購入を続けることになる。
薬H店のある駅前は、午後になると車を停めるスペースがほとんどなくなるほど
なつ江はコーヒーサイホンの燃料として長年エタノールを使用していたのだから
当時、高血圧症などを中心にさまざまに取りざたされていた。
しかし、塩分を取り過ぎると体にどのような影響を及ぼすか、ヒトはもちろんのこと、
具体的な動物実験の結果は明らかにされていない。私はここに目をつけた。マウスで
実験して、「ヘルシー月報」に掲載できれば話題性は充分にあると考える。いま思い
起こすと、素人の浅はかな思いつきにすぎないとも言えるが、その当時は真剣だった。
マウスは二十日鼠と言われるように、成長が非常に早いと聞いていた。現在でも正確
なことはわからないが、実験をした当時はうろ覚えの知識でマウスの一はヒトの一年分
の成長に該当すると誤解しており、マウスに一カ月間も食塩を多量に与えれば、ヒトが
三十年間食塩を多量に摂取したのと同じ結果が得られると錯覚する。
への話題の提供は、笑い話として掲載する以外に成果はなかった。
その後、駿河台電話局に行き電話帳で横須賀市で漁業を営むM氏を知り電話
一回目として三月に依頼し、電話で捕獲状況を聞いて四月に取りに行くが捕獲
時期的な影響と考え、次回に期待して数日後再度捕獲を依頼する。
三回目の購入は翌年六月になった。二OO匹ほど持ち帰り、バケツにぬるま湯を
同六月十四日、体力に自信があるということで、なつ江は群馬県高崎市の実姉
来年、定置網を仕掛ける時期まで待ってほしいとの返事を受ける。
翌一九八五年二月ころ電話で注文し、四月に捕獲できたことを確認して取りに
私はその凄惨な情景から目が離せず、顔をしかめてじっと見つめていた。さらに
クサフグの各部位を自宅から持ち出すとき、なつ江には友人に毒の回り具合を
ワイングラスや皿に入れたものは流しで処分する。トリカブト塊根のエタノlル漬けの
密閉ガラス瓶などは、また食品会社の資料の入ったダンボール箱にしまい込む。
マウスはその日のうちに前回と同じ廃屋の荒れた庭内に放してやった。このような
経験をしたにもかかわらず、数日後、凄惨な情景から受けた印象も薄れ、ヘルシー
月報の話題にするためにまた試みる機会もあるかと考え、最初と最後に捌いたクサ
フグの各部位を、六個の密閉ガラス瓶を使用してエタノール(勘違いして購入していた
メタノールの可能性もある)に漬けて保存し、ほかのクサフグの各部位は廃棄する。
それほどまでに金銭感覚は麻痩していたといえる。その間、六匹の大形の物を
入手するが、その六匹は体長三0センチほどで他の物に比べて格別に大きかった。
魚貝図鑑を見ると、クサフグとショウサイフグとは素人には模様の区別がわからない
ほどよく似ている。だが、大きさが違うと記載されていた。そのことから、当時は気が
つかなかったが、いま考えると、私が捌いた六匹のフグはショウサイフグではなかった
かと思えてくる。
なつ江は一九八三年二月に虎の門病院に第二回目の入院をして以来、一九八
一九八五年九月二十九日、私たちはなつ江の実家に行き、翌三十日午前一時
からの借入金だけで食品会社の経営を行なうことを計画していた。そのため、最初の
その痛手から無性に東京を離れたくなる。大阪に行こう。そう決心をすると、それ
私は土曜日と日曜日それに祭日を除く毎日、京阪本線でTRピルとGハイツのあ
大阪での利佐子の生活は、私と五時間ほどの時差があった。クラブ勤めの習慣
私の大阪での仕事は、食品会社の事業展開に適した地域を探すことからはじま
見事な包丁捌きだ。私たちは見とれていた。そのとき私は、自分の捌いたクサフ
四月二十六日、実験動物を販売する会社を電話帳で調べてA店を知り、電話で
一月下句、利佐子の両親を関西旅行に招待する相談をしていたとき、互いにそ
しかし、猫がいた。二人が一緒に二日以上自宅を空けることはできない。利佐子
二月に友人Aが泊まりがけで大阪に遊びに来た。そのときも与論島に旅行したと
A強壮剤は、なつ江が常用していた。いつころから服用をはじめたか確実なこと
なつ江が死亡してからは、私はA強壮剤を一切購入していない。なつ江が死亡し
一九八六年一月二十日、大阪転居の際に大阪に持ち込んだA強壮剤の液剤と
利佐子は私と同じように一日に服用する量はO号カプセル一個だが、毎日飲み
利佐子が東京でA強壮剤をどのような飲み方をしていたかは、利佐子から聞い
利佐子は友人たちにA強壮剤について、「夫が調合した栄養剤」などと言ってい
や住所の変更のために日本生命や太陽生命の外交員がよく出入りしていた。ど
利佐子は、年齢が一歳増すごとに支払保険料が上昇するから加入は早いほう
それなら、会社設立までに私が負担する支払保険料は利佐子の終身保険の数
公判で、年金保険ではなく、終身保険に加入したのが疑問だという主張があった。
やはり公判で、当時、終身保険はもっとも新しい商品で他の保険からの切り換え
九百万円なら売却できるという触れ込みだった宝石も、四月に三百八十万円の
利佐子が死亡した日、私は八重山警察署の事情聴取を受ける。その席で、生命
関係者がマンションの下で控えていたと聞く。やはり、一部のマスコミ関係者が
今述べた事情から、利佐子は、説得の理由を納得するまで訊いてくるでしょう。
全文-32
逮捕後の取り調べで、利佐子は「Gハイツに行ったことはない」 と言っていたと、
利佐子の友人が供述していることを私は聞かされました。私はGハイツの近所
ここで問題となるのは、フグについてです。捜査機関は、私がフグを購入したこ
大阪大学医学部S教授の尋問調書によると、この年の六月半ばに、捜査機 関のY巡査部長からなつ江の症状について意見書を依頼され、そのときフグ毒 という言葉があったと証言している。 |
私はその友人が誰なのか、想像してみました。利佐子が最も親しい友人として
全文-33
第四章 論理的でない矛盾に満ちた判決
私は、利佐子の血液からトリカブト毒が検出されたという事実を安易に考えてい
示せるわけがない。常識的に考えれば、証拠となる血液の管理は万全を期すと思
える。では、私以外の何者かが利佐子にトリカブト毒を盛ったのか? しかしK警部は、
当日の状況からそのようなことはありえないと言った。私は自らの考えをぐるぐる
追いかけるようにしながら悩み抜いた。
鑑定とは、不明なことを明らかにするために行なわれると私は信じている。相反
ナイフを凶器として使われた殺人事件においては、致命傷となった傷口と、凶器
第一審判決は、合理的な疑いを容れない程度にまで犯罪の証明がなされたという
が、いま述べたように犯行を直接証明する事項についてはなにひとつ証明されて
一九八六年五月一九日午後、大阪空港発全日空一O三便で那覇空港に到着し、
那覇市内及び糸満市を観光した後、那覇市内にあるTホテルに投宿した。
南西航空株式会社からの回答書によると、南西航空機内では飴が配られた だけで、飲み物のサービスはなかった。客の求めに応じる態勢は採られてる。 |
友人Bの尋問調書、およびホテルの従業員からチェックインのときの状況を聞 いた利佐子の兄の尋問調書によると、チェックインの手続きは四人を代表して利 佐子が一人で行ない、記入した書類にも筆跡の乱れはなく、てきぱきと手続きを している。どのような自覚症状も一切訴えていない。 |
利佐子を解剖した琉球大学医学部O助教授の尋問調書によると、利佐子が死 亡した翌日、八重山警察署から、何時何分にどういう症状というメモをもらい、午 後一時二七分、幅吐がはじまったということで、その時間をいちおう発症と考え た、と証言している。 |
救急隊員の尋問調書によると、このホテルはコツテ-ジ風の造りで、敷地内にそれぞれの客室まで道路があり、客室が離れ形式になっている。 |
救急隊員の尋問調書によると、心肺停止の直前まで、問い掛けにははっきり とした口調で答えており、意識の混濁はない。心肺停止のとき、目をむくような 状況は認めていないと証言している。 |
利佐子死亡後、担当医師Sは、医師法二一条により看護婦を通じて八重山警察
利佐子の友人Bの尋問調書によると、このとき(この年六月)、O助教授は週刊 誌の記者に、利佐子の血液を保存していることを話している。 |
で利佐子の死因をアコニチン系アルカロイド中毒による急性心不全とする鑑定要
被告人は、利佐子死亡後の一九八六年二一月一二日、生命保険会社四社を
他方、被告人は、同年七月一日、殺人及び詳欺未遂容疑で通常逮捕されたが
大阪大学医学部S教授の尋問調書によると、この年の六月なかばに、捜査機 関のY巡査部長からなつ江の症状について意見書を依頼され、そのときフグ毒と いう言葉、があったと証言している。 |
関係証拠によれば、トリカブト毒の中毒症状としては、初期においては、のぼせ、
東北大学M教授外二名作成の鑑定書(一九九四年一月一八日付)によると、ト リカブト毒のヒトの中毒症状としては、初期に酪町状態、のぼせ、顔面紅潮、眩 暈、舌や口のまわりから順次項部、上肢部、腹部へと下行するシビレ感、蟻走 感、心悸亢進、さらに進むと流涎、舌の強直、言語不明瞭、悪寒、冷、庁、悪 心、嘔吐、口渇、腹痛、下痢などからチアノーゼ、瞳孔散大、体温低下、血圧低 下、時鳴、視力障害、意識混濁、脈拍細小・不整・微弱・緩徐、呼吸緩慢・麻療 などを起こして死に至るとされる。 |
大阪大学医学部S教授の尋問調書によると、トリカブト中毒に出現する不整脈 とか、リューマチとか、心筋炎などでも、充分に起こりうると証言している。 |
そして、利佐子は、ホテルに到着した午後一時一五分ころには大量に発汗し、そ
また、利佐子の死亡に至る経過にかんがみると、利佐子は、救急車で搬送途中
本件全証拠を検討しても、利佐子に自殺を疑わせるような証跡はなく、前述した
そして、前述した利佐子の死亡に至る経緯のほか、その服用の方法に照らすと、
犯人が利佐子にカプセルを交付する機会を有していたこと、及び利佐子を殺害す
かけて、福島県西白河郡所在の山野草販売盾Kから、四、五回にわたってトリカブ
これをマウスに投与するほか、なつ江にも投与してその毒性実験を行い、なつ江と
同棲を始めた後の一九八二年六月一六日からなつ江の死亡した一九八五年九
よれば、被告人は、東京都荒川区所在のJ薬局から、一九八四年七月以前から翌
八五年六月五日までの問、多数回にわたり、五OOml入りメタノール(燃料用で、白い
ポリ容器に入っており、ラベルにもその旨明示されている)を多数購入していたこと、
また、その間の一九八四年六月一六日から翌八五年六月五日までの約一年間
次に、エパポレーターの購入についてみると、関係証拠によれば、被告人は、同
さらに、マウスの購入については、関係証拠によれば、正確な購入日時等を特
実験室で通常使用する濃縮用器械であるエパポレーターを使用すると、より効率的
クサフグは、通常三Ogから七Ogの体重を持ち、フグ毒であるテトロドトキシンを
被告人は、コーポTを使用していた期間中の一九八一年一一月二五日ころにト
被告人は、アパートSを使用していた期間中、前述したとおり、いずれもクサフグ
ところで、一九八八年七月一日、捜索差押許可状により、被告人が使用してい
鑑定書を提出した。
また、一九九一年一月二二日、被告人が居住していたマンションEWを退去する
次いで、一九九一年七月二O目、捜索差押許可状により、被告人が居住してい
エパポレーターの仕組みとその使用方法は、次のとおりである。すなわち、エパ
被告人がアパートSを使用していたころ、アパートSには五、六所帯が居住してい
以上の事実を認めることができる。そこで、以上認定した事実を前提として検討
濃縮していたこともまた、推認できるというべきである。
次に、フグ毒の抽出ないし保管について検討すると、被告人が使用ないし居住
-ターを使用するための条件が整った状態にあったこと、クサフグは生物であって、
栽培可能なトリカブトと異なること、クサフグの肝臓などに含まれるフグ毒は猛毒であ
以上認定した事実によれば、被告人は、コーポT及びアパートSにおいてトリカ
そこで、次に、なつ江に対する毒性実験の有無について検討を加える。前述した
なつ江は、一九八三年二月一五日午前九時四五分ころ、舌先・口唇の疲れ、流
その後、なつ江は、同年五月二三日から三O日まで虎の門病院に検査目的で
なつ江は、一九八四年七月九日午後一一時ころ、四肢の疲れ、起立不能を訴
なつ江は、一九八四年一一月二二目、口唇・手足の癒れ、悪心を訴えて虎の門
なつ江は、一九八五年九月三O日午前二時二O分ころ、金海循環器科病院に
午後七時ころに病院を出たが、それから約二時間一五分後の午後九時一五分ころに
トリカブト毒の中毒症状と認められる心室性期外収縮などの心電図異常が現れており、
また、第五次入院時の同年一一月二三日には、被告人は、午前一時ころから午後
零時ころまで病院内にいたが、その聞の午前四時四O分ころにはなつ江にフグ毒の
中毒症状と認められる呼吸停止が発症し、また、午後一時ころにはトリカブト毒の
中毒症状と認められる心室細動の心電図異常が現れているのであって、この間、
いずれも被告人はなつ江に対して毒物投与の機会を有していたということができる
のであるから、こうした事実を総合すれば、被告人が、トリカブト毒及びフグ毒の毒性
を調べるために、妻のなつ江に対しても、これを投与して毒性実験を行っていたことが
推認されるところである。
加えて、被告人は、利佐子死亡後の一九八六年七月中旬ころから始まった被告
そして、関係証拠によれば、被告人は、なつ江の発作の原因がなかなか分から
被告人は、恭子の病状の二度目の入院のところでは、「一九八一年五月、当時は、
その後にはこのような記載はなく、なつ江の第一次入院時のところでは、「やはり
以上の事実を総合すると、被告人は、トリカブト毒及びフグ毒の毒性を調べるた
これらの事実によれば、利佐子が遅くとも一九八六年三月ころから、被告人から
なお、関係証拠によれば、利佐子は、三月中旬ころ、友人Aに電話で、「私って
られるところであり、一時的な現象ではあるものの、利佐子が、白色カプセルの服用
と並行して、身体の異常を訴えていた事実も窺われるところである。
被告人は、かねてより、トリカブト及び、フグを購入するに止まらず、これらからト
ところで、本件は、利佐子を道具として利用する殺人の間接正犯であり、カプセ
以上のとおり、被告人が本件犯行を行ったことは明らかであるが、被告人種々
前述したとおり、本件においては、被告人が利佐子と別れた後、約一時間三五
また、利佐子がカプセルを二重にして服用していたことは被告人も認めるところ
犯行の手段方法の表示にも明確を欠くところがあることは所論のとおりであるが、
本件においては、被害者が既に死亡して存在せず、また、犯行の目撃者もなく、
私は、章のはじめで、判決文は論理的にまとめられていないと言った。しかし、都
トリカブト中毒の五つの症例 [症例1] 平成元年四月、男性医師(五十二歳)が採取した山菜(トリカブトをニリン草と誤 認)をおひたしにして医師は小皿に一皿、その長男(十七歳)は二つまみほど食した (同午後六時五分)。医師は食直後から舌のしびれを感じていたが、同六時四十分 から外出し同七時五分帰宅直後長男が口、手、足の療れを訴えたのでトリカブト中 毒と直感し、強制幅吐、医薬品の投与、人工透析等の処置を行った。医師は同午 後九時から不整脈が現われ、同午後十時には血圧が七0mmHgまで低下、冷汗、 皮膚温低下、悪心、幅吐が続いた。同午後十時から十一時頃が最も症状が強か った。また、痘れは翌朝四時前まで続いた。一方、長男は同午後七時すぎには不 整脈が出現したが同午後十一時頃には回復した。療れ感も翌朝二時には消失し た。記録された心電図によると長男は医師よりも危険な不整脈を伴っていた。医師 は摂取量が多く症状は末期に近かったにも拘わらず、心電図所見で軽症であった のは、医師が高血圧のために服用している持続型の抗カルシウム剤アダラーL(一 日三0mgを二回服用)のためではないかと推察している。 [症例2] 平成元年八月、男性(四十四歳) は郵送されてきたクズモチを十切れ、その娘 (四歳)は 一切れ半男性は五分後に口及び体のしびれを感じ、摂取二十分後に来 院した。来院時不穏状態で発汗、嘔吐があり、足の麻療があった。鎮静目的で医 薬品を投与したところ、呼吸抑制がみられたため人工呼吸を開始した。この前後よ り大腿動脈の拍動触知不能となり、致死的不整脈を発症していたので、心肺蘇生 術及び各種の医薬品による治療を行ったが、心停止となり、来院後四時間で死亡 した。 その娘は、摂取五分後に口、手足のしびれを訴え、やがて歩行困難となり摂取 二十分後に来院した。受診時不整脈は認められなかったが、その五分後に悪心嘔 吐及び不整脈が出現した。直ちに、胃洗浄や医薬品の投与等の処置を行った。そ の後、血圧低下、痙攣発作及び呼吸停止を起こしたため人工呼吸を施行したとこ ろすぐに回復した。その後医薬品の投与等の処置を行い、来院後九時間で不整脈 は回復し、全身状態も安定した。 〔症例3] 平成四年四月、午前七時、男性(四十五歳)がトリカブトの根と茎を細切りし浸し ておいた水溶液を自殺目的で服用し、同午前七時三十分に来院した。来院時の主 訴は口唇周囲のしびれ感であった。同午前七時四十五分に胃洗浄や下剤投与等 の処置を行ったが、同午前八時二十分には不整脈が現われ、呼吸停止にいたっ た。人工呼吸及び医薬品投与等の処置を行った結果、自発呼吸が戻り同午前八 時四十七分には不整脈は消失した。同午前九時から同日夕刻まではわずかに心 室性期外収縮を認めるのみであった。 [症例4] 平成四年二月、昼、女性(六十一歳)が自殺目的でトリカブトの根を食し、同十二 時三十五分救急外来を受診した。受診時、譜妄状態で血圧低下(七0mmHg)、瞳 孔散大、流涎、下痢、幅吐が認められ、同十二時五十五分、突然、致死的不整脈 を発症した。直ちに、心肺蘇生術及び各種の不整脈剤による治療を行ったが、不 整脈、心停止を頻回繰り返した。そこで心肺蘇生術施行下に血液吸着療法を行っ た結果、開始後約二十分頃より不整脈や心停止等の頻度が減少し、硫酸マグネ シウムによる不整脈のコントロールが可能となった。翌朝には致死的不整脈は消 失したが、心室性期外収縮は翌朝以降も持続した。 [症例5〕 平成五年四月、四家族八名が付近の山より採取した山菜(トリカブトをモミジガ サと誤認)をおひたしにして食した。摂取約二十分後全員に舌先端部にしびれを感 じ、その後しびれ感は体幹及び上肢に拡がった。八名中二名は摂取三十分ないし 二時間後に前胸部不快感、幅吐及び呼吸困難を訴え病院で受診した。受診時は 不整脈はなかったが、その後不整脈が現われた。胃洗浄などの処置により、摂取 五時間後不整脈は回復し自覚症状も軽快した。 |
この口ないし手足や体幹のしびれ感について、共同鑑定書の鑑定人の一人、 O教授は次のような主旨の証言をしている。 人間の場合には手足、口のしびれを訴えることから症状が起こり、初期の口 の中のしびれは直接的な口の中での作用で、手足のしびれは吸収後の体の中 での作用である。 |
判決が認定する十一月二十五日ころは晩秋といえる。この時期のヤマトリカブト
判決が認定する購入の期日は、山野草販売店Kが仕入先から仕入れた納品書
私、がヤマトリカブトを初めて購入した日を強引に一九八一年十一月二十五日
ころのヤマトリカブトの生育状態を考えれば、それは事実誤認といえる。
マウスの購入期日については、私が明らかにした事実と判決の認定とは二年間
この判決の認定では、私がマウスを使って殺人のための準備行為を行なったと
しかし判決は、このことを暗にほのめかすだけで、私が両毒の拮抗作用を利用
したとは正面切って指摘することができない。それは当然なのだ。なぜなら、判決は
なつ江を利用しての両毒の桔抗作用の実験については、大阪大学のS教授 が、「なつ江にトリカブト毒とフグ毒を同時に投与した所見はない」と証言してい る。 |
また、前々年度に比べて前年度が二七3m水道使用量が増加しているが、私が
さらに判決は、エパポレーターの使用で二度にわたって共同ヒューズを飛ばし
判決はマウスの購入をご九八二、三年ころ、一回に当たり五O匹の実験用マ
第一、なつ江に服用させて毒性の人体実験をしようとするヤマトリカブトを、私が
判決は、私がアパートSにおいてトリカブト毒を抽出したと、私自身が供述してい
私は、アパートSでトリカブト毒を抽出したなどとは一切供述していない。判決が
そこで次のことを指摘したい。薬H店では「パボランカプセル」を庖の陳列ケース
さて、私は、ヒトを一二OO人殺害できるだけのフグ毒を含む抽出・濃縮物質を
この立証で、判決が有罪の最大の根拠としていると思われる、利佐子の血液か
ところで判決は、私が、「自分にはカプセルを利佐子に交付する機会がなく、した
ていたと証言されているが、友人T氏は「透明のカプセルもあったと思う」と証言して
いることから、利佐子は友人たちに冗談を言っていたと判断できる。なぜなら、私が
調合した栄養剤ならカプセルを二重にして持ち歩く必要はないわけで、当然、透明の
カプセルを持ち歩く必要もない。利佐子は、液状のA強壮剤を白いカプセルを二重に
して持ち歩き、さらに長時間持ち歩く場合のことを考えて、三重にするため透明の
カプセルを持っていたのだ。
判決は発症時刻を次のように認定する。
私は最初にこの部分を読んだとき、呆れて笑い出してしまった。判決は午後一時
判決は、利佐子の中期症状として大量発汗を挙げる。毒物中毒でも同じだと思
このBの証言には疑問な点が多い。一例を挙げれば、利佐子が救急車で病院に
証拠といい、刑事訴訟法上、証拠能力が制限されると聞く。大量発汗の判決の認定
などは、その後の利佐子の行動を検討すれば、トリカブト中毒の中期症状でないこと
は明確に判断がつくのだ。それにもかかわらず、伝聞証拠のみを取り上げて発症
時刻を認定するなどということは、なんたることか。これに類することで、利佐子が
死亡した当初から私を殺人者として一部のマスコミに売り込んでいた友人たちの
おおげさな表現が、判決に反映するという部分が多く見受けられる。
発症時刻を確定することは非常に重要なので、判決の矛盾をもう一つ指摘して
され、全身から大量に発汗し頭髪もびしょ濡れであったと証言されている。病気や中毒
利佐子、が最初の自覚症状として嘔吐を訴え、客室に駆け込んで嘔吐をはじめ
一二分間経過するが、この間、四人分のチェックインの手続きを行ない、その後客室
午後一時二七分と確定する。
利佐子は午前九時ころ朝食としてコーヒーとパンを少し食べただけで、その後は
那覇空港から石垣空港までの所要時間は五〇分ほどだが、私の経験したところ
友人Aは、利佐子が東京で白いカプセルを服用したとき、「「やめて』と叫びたくな
それでは、南西航空機内で友人たちに気がつかれないようにひそかにカプセル
友人たちと落ち合う予定時刻の午前一一時二O分から私と別れるまでは、第一
このように検討してくると、午前一一時二O分以降のカプセルの服用は利佐子の
この二つの要因を検討するのに絶好の資料となるのが、五つの症例の症例1と
症例1の医師とその長男は、年齢も摂取の量も大幅に違いながら、摂取の形態
症例2の男性とその娘は、性別も年齢も摂取の量も大幅に違いながら、摂取の
症例1の医師とその長男の比較、症例2の男性とその娘の比較で、発症までの
症例1の医師は、参考資料ーによると、強制的に嘔吐をしたあとでさらに摂取四
症例2の男性とその娘は、摂取時の胃の状態は明らかにされていないが、二名
腸溶性製剤カプセル剤の胃から小腸への移行について、千葉大学のY教授は 次のような主旨の証言をする。 腸溶性製剤カプセル剤を空腹時に投与すると、胃から小腸には、ほぼ瞬間的、 あるいは一O分とか、二O分とか言われているが、かなり早い時期に小腸に移る。 食事後は食べ物を胃の中で消化するという役割があり、食後に腸溶性製剤カプセ ル剤を飲むと、小腸にいくまでに、早いもので、二O分とか三O分でいくが、あるとき には数時間かかるということもある。それは確率的な問題で、コントロールはできな いと思ったほうがいい。 腸溶性製剤カプセル剤は、小腸で速やかに崩壊する。 |
このように呼ぶことにする。
他の三つの症例についても若干検討する。
症例3の男性は、参考資料3によると、摂取四五分後の胃洗浄に際して大量の
症例4の女性は発症時聞が明記されていないが、摂取から三五分後には末期
症例5の八名の体幹などに広がるしびれ感の経過時間が、症例1の二名と類似
判決は、利佐子がカプセルを三重にして服用したと示唆するから、カプセルの溶
それでは、両毒に括抗作用があり発症時聞が延長することを私が知っていて、
万が一、幸運にも両毒を一緒に投与して生存時間の延長が確認できたとしたら、
素人の私は、発症時間の延長に気がつくどころか、死亡までの時聞が延びたの
それでは、参考文献から知りえたのではないか? それは、さらに不可能だ。第
それでは、共同鑑定書の鑑定結果を記載しよう。I鑑定事項、Ⅱ鑑定資料、Ⅲ鑑
共同鑑定書 Ⅳ 鑑定 一の1 被害者神谷利佐子と同等の体格の者に対して、アコニチン系アルカロイド を投与する場合、アコニチン系アルカロイドの致死量は、 (1) 水飴状のとき二二五mg程度 (2) 粉末状のとき四五Omg程度(抽出物と小麦粉の重量比を一対一として計算)と推定される。 一の2 右記致死量を被害者神谷利佐子と同等の体格の者に投与した場合の発 症時間は、口唇や舌のしびれ感は摂取直後から二0-三O分以内に出現し 、不整脈は悪心、発汗、嘔吐等と前後して三O分から一時間前後に出現 すると推定される。 フグ毒とトリカブト毒を同時に生体に投与した場合の生体における発症時 間は、経口投与では、アコニチン単独投与の場合と差が生じる。すなわ ち、投与量や投与形態にもよるが同時投与の場合が単独投与の場合より も二倍程度遅くなると推定される。 三 メサコニチン、ヒパコニチン、アコニチン、ジェサコニチンのそれぞれの体内吸 収速度及び比率を比較することは、 ジェサコニチンを除いて可能である。すなわち、これらアルカロイドの体内 吸収速度は、ヒパコニチン>アコニチン>メサコニチンの順序である。また、 その比率は別紙6から、おおよそ三・二対一対一と推定される。なおジェサコ ニチンについての服用液及び血中濃度にF関するデータはなく、実際の中毒 時の吸収の程度を推定するのは困難である。 |
私がこの一の2で特に問題にしたいのは二点についてだ。一点は、利佐子の最
もう一点は、M教授は捜査当局に協力を続けてきた人物であり、利佐子が両毒
O教授は、両毒の投与比率を変えた場合の生存時間の延長について、次のよう な主旨の証言をしている。 アコニチンを致死量の約五倍投与するのに対して、同時投与するテトロドトキシ ンの投与量を、致死量の一倍、二倍、三倍、四倍と変えて実験してみると、生存 時間の延長倍率は一・二倍とか一・五倍とか二倍とかに変わってくる。致死量の 約六倍の投与量は、比較的顕著に延長する投与量を選んでいる。 |
して二倍程度になり、フグ毒をトリカブト毒の五分の一、五分の二、五分の三、五分の四
と変えて投与すると、生存時間の延長は一・三倍とか一・五倍になるということだ。
そこで、利佐子の血液から検出された両毒の血中濃度を検討してみる。
東北大学M教授による鑑定書の利佐子の血液のトリカブト毒の鑑定結果は次 のとおりである。 アコニチン 二九・一ng/ml メサコニチン 五一・〇ng/ml ヒバコニチン 四五・六ng/ml 合計 一二五・七ng/ml 東京大学N講師による鑑定書の利佐子の血液のフグ毒の鑑定結果は次のとお りである。 テトロドトキシン等二六・四ng/ml なおこの測定値には、テトロドトキシン以外にその変換物質である4―エピテト ロドトキシン、テトロドン酸を含み、その比率は、三対四対二一六であり、ほとん どがテトロドン酸に変換している。 |
両毒をヒトに同時に投与したときの症状の現れ方について、O教授は次のよう な主旨の証言をする。 両毒の措抗作用により、投与から発症、発症から致死まで、経過時間がそれ ぞれ平均的に約二倍に延長する。 両毒の桔抗作用があっても、症状は、初期、中期、末期と、順次出現する。 両毒の拮抗作用があっても、しびれ感などの初期症状が出現しないわけでは なく、遅れるだけである。 |