事実の証明

心残りのまま永眠した 神谷 力 氏の手記。 トリカブト事件を冤罪と断定し、 判決の矛盾を鋭く指摘する。
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全文-05 (2013/01/20(日) 10:00:49)
2011.10.31

全文-5

 会社勤めのあいだ、逮捕されることは脳裏をかすめることはありませんでした。利
佐子が病死でなく中毒死であるとすれば、私が毒物を利佐子に服用させるには、友
人たちと落ち合う午前十一時二十分以前に済ませておかなければなりません。航空
機が延着したのは予想外であって、定刻に到着することを前提として行動していたか
らです。利佐子の保存血液からトリカブト毒が検出されたと証言されるまで、殺人疑惑
と騒がれても、私には毒物の特定はできませんでした。服用してから何の異常も示さ
ず、約二時間後に突然吐き気をもよおして、発症するような毒物の存在は、私の知識
では皆無です。この疑問には、殺人疑惑を騒いだマスコミも答えていません。私が逮
捕されることはないと確信していたのは、これが原因です。

 一九八九年夏ころ、NHKのA記者が取材に訪れ、「利佐子の血液からアコニチンが検出された」
と言って私の感想を引き出そうとします。私はアコニチンとは何かを知らず、答えませんでした。
書店などで調べて、トリカブトの毒素の一成分で、即効性があることを知ります。
速効性があるということは、服用してから約二時間経過してから発症するなどということ
はあり得ません。私がトリカブトを栽培していたことを、どこかで聞き込んで、私の反応を見る
ためにA記者は話したのだと推測しました。服用から発症まで約二時間の絡むような話に、
私は拘泥することはありませんでした。

 利佐子の保存血液からトリカブト毒が検出されたという証言は、私にショックを与え
ましたが、書物で読んだ速効性があるという記述は信憑性があり、私の動揺はすぐに
治まりました。利佐子の死から、証言があった一九九〇年一〇月まで四年五ヶ月が
経過しています。血液の鑑定は、利佐子が死亡してから数ヶ月あとに実施されたと判
断しますと、それから約四年逮捕されないということは、トリカブト毒の速効性の問題
が解決できないからと見るのが順当です。

 保険金支払い請求の民事訴訟は、保険金が欲しかったことも事実ですが、もうひと
つ、殺人疑惑は真実の話ではなく、私は潔白であると、証明することが目的でもあり
ました。保存血液からトリカブト毒が検出されたと証言があったとき、私は身に覚えが
ないことから、今後も充分に争えると断定します。
私はこの民事訴訟で、重大な過ちを犯していました。かって不正行為で得た資金
を、経営コンサルタント業で得た収入だと、民事訴訟を担当した弁護士さんにウソをつ
いていたのです。この収入が民事訴訟の一つの争点でした。弁護士さんから訴訟を
継続する条件として、コンサルト先の会社の確認がぜひ必要だと求めれます。
実際には関与先がなく 、不正行為を打ち明けることもできず、私は弁護士さんの信
頼を失いました。信頼を失っては民事訴訟を継続することはできません。十一月、私
は訴訟を取り下げました。

 それからは、マスコミの取材攻勢が激しくなります。危険水域を大幅に超えた河の
堤防が決壊したごとく、各社の報道が世論を呑み込んでいきました。週刊誌は言うに
及ばず、テレビも連日のように私の話題をワイドショーなどで取り上げます。私が八年
前、自宅のベランダで、栽培するために購入したトリカブトの鉢植えでしたが、それを
販売した店が判明したことも加わって、報道合戦は激しさを増し、極悪人としての私の
レッテルは世評に定着します。十一月中旬、ある新聞社の記者が取材に訪れます。
その記者が、「トリカブト毒は速効性があり、服用して五分もすると発症する」
と教えてくれました。速効性に、時間的裏付けが与えられたのです。時間的裏付けが
与えられたのです。五分が若干変動するとしても、服用からは発症まで二時間近く掛
かることは、常識的に考えられません。逮捕されることはないという私の志向は強くな
ります。

 会社などで世間のうわさを耳にしていると、裁判の第一審はマスコミによってはじめ
られたという雰囲気です。あるテレビ局などは、カプセルにグリセリンを塗って、溶解
時間を計る実験をして見せてくれました。マスコミは私への取材のため、会社へ際限
なく押しかけてきます。私は十二月に入り、会社を依願退職しました。
マスコミとの接触を避けるために、札幌に転居してからの私の生活は、持ち込んだ
パソコンを使用しての海外連結決算のシステム作りと、税理士試験の受験勉強に明
け暮れる毎日でした。札幌に転居して新年を迎えたときの手持資金は、百万円を切っ
ていました。生活費の予算は月十万円です。家賃や光熱費、雑費および書籍代など
を差し引くと、食費は月二万円ほどです。総菜会社設立準備のときの料理実習の経
験を生かして、食材は安物を使いますが、工夫をして内容を充実させます。ですが、
食べるのは私ひとり、それが寂しいことでした。

 三月から失業保険金の給付を受けます。就職は無理なので、二年間、この給付金
と手持資金を合わせて生活することにします。その間に税理士資格が取れない場合
は、アルバイトで収入を確保して受験勉強を続けることにしました。
私はこの経済的なつましさと、心の豊かさが同居した生活が私本来の生き方であるこ
とに気がつきます。三十二歳までの生活は、このような日々でした。その後の生活の
破廉恥さは、我ながらあきれ果ててしまいます。

 札幌に転居して初めての尾行に、税理士試験の受験申し込みを済ませて、札幌国
税局を出て北一条通りを、西三丁目の交差点の方向へ歩いていたときです。札幌に
も遅い春が訪れ、桜のつぼみも膨らみはじめていました。不審な男が私の十メートル
ほど後ろをつけてきます。私は歩みを速くしたり遅くしたりして、男との間隔を測ります
が、男の歩むリズムも同じです。この通りには、中央警察署もあり、民放テレビ局の社
屋もあります。友人の話で、警察には札幌の自宅の所在が知れていることはわかっ
ていました。尾行はこの通りからはじまっています。私は、マスコミ関係者と見当をつ
けて、まくことにしました。若いころ、革新政党で活動していた私は、尾行者をまく要領
は心得ています。距離がひらくように仕向けて、アマをまくのは簡単でした。札幌では
よく出歩きましたが、マスコミにつかまって取材を受けたことは一度もありません。
六月九日の逮捕の日は、二人の刑事が自宅からつけてきました。途中で、尾行に
私が気がついたとわかると、刑事は、千歳空港の出発ロビーまで、牽引車に引かれ
るようについてきます。厚かましさにかけては、さすがにプロは違います。連絡を受け
た警部が、羽田空港で私を待ち受けていました。

 服用から発症まで約二時間という疑問を持ったままでの逮捕に、私は釈然としませ
ん。横領容疑の取り調べが終わり、殺人容疑の取り調べがはじまると、警部は私に、
「五年も逮捕が遅れた原因は、服用から発症まで二時間近く経過している問題が、解
決できなかったからではないのですか」と訊いてみます。警部は、「捜査にも手順がある」と、
歯切れが悪い言い方をします。殺人容疑で再逮捕されてから、その拘留期限の切れるまでの
二十二日間、執拗にこの問題を問いただしますが、それを是とするような答えは得られず、
疑問が募るばかりでした。私はこの問題が、この事件の核心となる事柄であり、
裁判でも最大の争点になると確信しました。


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