事実の証明

心残りのまま永眠した 神谷 力 氏の手記。 トリカブト事件を冤罪と断定し、 判決の矛盾を鋭く指摘する。
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全文-03 (2013/01/17(木) 21:04:28)
2011.10.24

第三回

 大阪に転居してからの経済状況はひどいものでした。池袋のマンションは利佐子が東
京の本拠地としているため売却できません。二月に池袋のマンションに限度一杯まで
抵当権をかけて借り入れを起こし、その資金でひと息つきます。
私の浪費癖は治まりません。利佐子には月五十万円の生活費を渡し、東京への往復旅費や
遊行費なども補填します。利佐子と知り合う前、住居兼事務所として借りた寝屋川市のマンション
は事務所として使用し、新たに城東区に住居としてマンションを借りました。それらの家賃も含めると、
月に百万円ほどの生活費がかかります。

 数ヶ月間の生活資金は確保してありましたが、四月にサラ金から借り入れた資金で、
利佐子の両親を関西旅行に招待し、五月に友人三人を招待して石垣島に旅行することを利佐子に約束し、
予約金を四月に旅行会社に支払います。生前、なつ江がデパートから総額約二千万円で購入した
宝石数店を、デパートの得意先係員が、九百万円ほどで転売できると言い、それをあてにした借り入れ
でした。宝石の代金は三百八十万円しか受け取れません。私の経済状態は先行きの見通しが立た
なくなります。長年東京で生活してきたわたしには大阪の食の味覚もつかめず、宅配に必要な
住宅密集地域の立地条件も東京より劣り、大阪での設立に自信を失っていました。
五月に入ると経済状態の行き詰まりは目に見えてきます。東京に戻ろう。池袋のマンションを売却し、
借入金を精算して裸になって出直すことにしました。会社に勤め収入を得ながら、総菜会社の企画に
賛同する出資者をさがすことにします。生命保険も、私の掛け捨ての定期保険四社と利佐子の
終身保険二社を解約すれば支払いの見通しはつきます。
 
 利佐子は五月一九日からの沖縄旅行を楽しみにしています。沖縄旅行から帰って
きてから、事実をそのまま話すことにしました。利佐子が私と苦労をともにしてくれる
か、愛想が尽きて私から去っていくか、利佐子の判断に任せるほかはありません。
利佐子は、トリカブト中毒で死亡したのか、死因を心筋梗塞とした当初の判断が正
しいのか、前日の行動も含めて、利佐子の死亡当日の足取りを追ってみます。
石垣島の観光旅行は四泊五日の予定でした。五月二十一日、利佐子は那覇空港
で、東京から来る友人三人と落ち合って石垣島へ向かい、私は猫の世話のため大阪
に戻ることにしていました。

 前日二人は大阪を発って、午後、那覇空港に到着します。私は沖縄を訪ねるのは
初めてですし、利佐子も那覇市内の観光は久し振りです。私たちは忙しく那覇市内の
名所旧跡を観てまわります。午後七時、有名なステーキハウスで夕食をとり、繁華街
をぶらついて早めにホテルに戻りました。午後十一時ころ部屋で寿司をつまみながら
ビールを飲み、その後、床につきます。
朝八時に起床し、洗面など済ませて九時前にレストランに行きます。朝食はバイキ
ング形式で、取ってきたのは、利佐子はパンとコーヒーでした。私はパンにスクランブ
ルエッグ、ソーセージ、野菜サラダ、それに牛乳とジュースです。
大阪では、ふだん利佐子が起きるのは正午近くです。朝食は取らず、昼過ぎにコー
ヒーとクッキーなどで軽く食事を済ませ、夕食で多めの食事を取り、テレビを見ながら
夜半に夜食を取ります。わたしとは六時間時間差のある生活です。利佐子はコーヒー
が好きで、那覇ではコーヒーを飲むためにパンを少し口にしたという程度です。
朝食を終えて部屋に戻ったのが十時前、出発の準備をしてロビーに下りたのが十
時十五分、ホテルを出たのは十時三十分ころでした。ホテルからタクシーに乗り、那
覇空港に着いたのが十時五十分過ぎです。

 友人三人を乗せた羽田空港からの便が、那覇空港に到着する予定時刻は午前十
一時二十分でした。到着が早まる可能性もあり、友人たちと落ち合う場所、石垣島へ
の乗り継ぎ客の待合所の前で待機します。私たちは乗り継ぎ客ではないので、待合
所には入れません。ガラス越しに外から中を注視していました。
十一時三十分を過ぎても、友人三人は待合所に現れません。南西航空の石垣島
空港行きの出発カウンターは、この待合所から、二キロほど離れた場所にあると聞い
ていましたので慌てました。石垣空港行きの出発時刻は午後時零時です。利佐子を
その場に残して、私は全日空のカウンターに問い合わせに行きました。到着が遅れて
いるとのことです。利佐子は戻り、利佐子と一緒にいらいらしながら、まばたきも忘れ
て探します。十一時四十分ごろ場内放送で利佐子に呼び出しが掛かります。全日空
のカウンターに行った利佐子が、係員に伴われて戻ってきました。歩きながら利佐子
に事情を訊き、係員に連絡用の車への同乗を頼みますが、乗客でないと断られます。
利佐子は待合所を通りエプロンに出ていきました。

 私はタクシーで南西航空のターミナルビルに向かいます。タクシーで五分くらいで
す。ターミナルにわたしが着いたとき、利佐子は搭乗手続きを済ませて、搭乗口にむ
かう出口にいました。私は利佐子や友人たちと、ゲート越しに口早く言葉を交わしま
す。利佐子は、航空機のタラップを上がったところで手を振り、搭乗口に消えました。
それが元気な利佐子を見た最後です。

 私は元のターミナルビルまで、三十分ほどかけてぶらぶら歩いて帰りました。
大阪行きの便まで二時間ほど時間があり、食事をしてターミナルビルを散策します。
ロビーで居眠りをしていると、午後二時過ぎ場内放送で呼び出しがあり、利佐子の発病を知ります。
南西航空のターミナルビルに行きましたが、二時間ほど待たされます。私が石垣空港に着いたのは
午後五時過ぎでした。そのときすでに、利佐子は死亡していました。

 私と別れてからの利佐子の状態、警視庁の取り調べと、判決で知り得たことを、時
間を追って記述します。航空機に搭乗した利佐子は、搭乗手続きの遅れで、友人たちの十一列前
の席に座ります。航空機は午後零時五分に出発しました。安全ベルトを外しての飛行は二十分
くらいで、飲み物のサービスはなく、客の求めがあれば応じる態勢でした。石垣空に着いたのは
午後零時五十三分です。利佐子は到着後友人とベンチに腰掛けて喫煙しますが、トイレにも行かず
飲食もしていません。常に友人三人と一緒です。午後一時ころ一台のタクシーに四人が一緒に乗り、
宿泊先のホテルに向かいました。

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