事実の証明

心残りのまま永眠した 神谷 力 氏の手記。 トリカブト事件を冤罪と断定し、 判決の矛盾を鋭く指摘する。
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(2013/01/01(火) 00:00:01)
         
 
このブログ、 【事実の証明】 とは、
人口に膾炙された 「トリカブト殺人事件」 の犯人とされ無期懲役刑が下されたが、
無罪を主張する 神谷 力 氏が書いた、再審請求の為の文書です。

数回分を残して病に倒れた、
神谷氏の思いが込められた未完の文書です。

長編なので関係者と相談の上、
再審請求用に短く編集した 【事実の証明-1~6】 と、
長編の原文 【全文-1~43 で構成しました。

長編になった理由は神谷氏の著書の

仕組まれた無期懲役

よりの引用が多いからです。
それだけ神谷氏の思いが感じられます。

興味のある方は購入サイトをリンクしてますので、
ご検討下さい。



PCや文章に未熟な管理人による
標題、区切り、各行の文字数など 、
若干変わっていますが、原文ママを心がけました。



素人の編集で、校正しきれない、
ミスタッチ(見逃した誤変換、OCR の誤認識含む)など、 

読みづらいところもあると思いますが、大意は判っていただけると思います。


管理人は関係者の方と共に、
関連当局が描いた、冤罪事件 と確信してここで公表することにしました。
この事件を見直していただけると幸いです。



神谷氏は 2012年11月17日22時50分永眠されました。

ご冥福を祈りつつ・・・・・



神谷氏の著書


*************************************************

 【事実の証明-1~6 から 【全文-1~43  へ昇順で続きます。
 読み下すようにした為、最新記事は末尾 になっております。

 個別の記事を読むには、ご面倒でしょうが、
 スクロールするか、 左サイドの最新記事、
カテゴリ月間アーカイブなどから ご覧下さい。


  ※ 1  2013.01.06 記事を 6→1 から 1→6 へ昇順に読み下すようにしました。
 ※ 2  2013.01.11 神谷 力 氏の 手記の全文を 【全文-1~43】 として載せるることにしました。
 ※ 3  2013.02.02 グラフの画像差し替えました。(
事実の証明-3 全文-14
 
※ 4  2013.02.21 料理表の画像差し替えました。(全文-25
 ※ 5  2013.02.22 このページの青字箇所を該当ページへリンクしました。 
 
※ 6  2013.03.05 カテゴリに グラフ・表 追加しました。
 ※ 7  2014.04.13 このページ中の 
OCR についてのリンクを追加し、文章を若干修正しました。
 






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 事実の証明-1  (2013/01/01(火) 00:01:00)
 
 事実の証明-1

 私の公判での闘いは、利佐子が服用したとされる、カプセルに詰められるトリカブト
毒の毒量の問題からはじまります。トリカブト毒は、経口的にそのまま摂取すれば、苦
みを伴う強いひりひりした刺激があり、とても耐えられないとのことですから、検察官
は、利佐子はカプセルで服用したと推認します。利佐子がトリカブト毒を服用したと仮
定すれば、この推認に私は異議はありません。

 私が購入したカプセルで最も大きい物は、パボランカプセルの、容量0.六七mlの
白いカプセルです。利佐子が服用したと仮定すれば、この白いカプセルに、トリカブト
毒を含む水飴状物質を詰めて服用したことになります。利佐子の保存血液から検出
されたトリカブト毒の毒量は、体重で換算して約五,九mgです。この毒量が白いカプ
セルに詰められるか、が争点です。この問題では、東北大学のM教授が、鑑定結果
の違う三種類の鑑定書を提出しています。

 最初の鑑定書は、一九九二年五月、第九回公判で提出されたもので、警視庁捜査
一課のY警部補が、専門家の指導で、白川産トリカブトの乾燥根2.2gからメタノー
ルで抽出・濃縮した水飴状物質を鑑定した結果です。鑑定結果は、「乾燥根1g当たり、
水飴状物質の収量は〇.一gです」

 二回目の鑑定は、一九九四年一月に提出された「共同鑑定書」に記載されていま
す。白川産トリカブトの根塊三十一個を、一個ごとにメタノールで抽出.濃縮した水飴
状物質を鑑定した結果です。各個の鑑定結果を平均すると、「乾燥根1g当たり、水飴
状物質の収量は約〇.二三g、それに含まれる毒量は二.六mgです」

 三回目の鑑定書は、一九六四年二月、第二八回公判で提出された物で、最初と同
じY警部補が、白川産トリカブトの生根約一〇〇gからエタノールで抽出.濃縮した水
飴状物質を鑑定した結果です。生根一〇〇gを乾燥させると、約三〇gの乾燥根にな
るとの証言があります。それで換算すると、鑑定の結果は、「乾燥根1g当たり、水飴
状物質の収量は約〇,〇四七g、それに含まれる毒量は約三,六mgです。

 最初の鑑定書が提出された第九回公判で、鑑定結果から、致死量の二mgを含む
水飴状物質が、白いカプセルに詰められるか、私は計算してみました。計算では、カ
プセルが九個以上必要です。公判はすでに九回を経過して、いろいろと調べたいこと
があるのですが、鑑定書や証人尋問調書が私の手元に一冊もなく、検察官の主張に
適切な反論ができません。カプセルが九個以上必要だという結果は、私の悔しさを検
察官にぶつける強力な武器となります。この時点から、利佐子が服用したとされるトリ
カブト毒とフグ毒が、白いカプセルに詰められるのかという問題が、服用から発症まで
約二時間の問題とともに、私の非常に重要な事項となります。

 二回目の鑑定書が提出されたときには、必要最小限度の六冊の鑑定書と九冊の
証人尋問調書が手元にありました。年金で生活している八四歳になる父にコピー代
の借用を申し込み、快い返事を受けて、弁護人にコピーをお願いし、一九九三年一一
月に届いたのです。これらの資料から、二回目の鑑定結果でも、利佐子の体内総毒
量を含む水飴状物質が、白いカプセルに詰め切れないことを明らかにできました。
三回目の鑑定書が提出されたとき、私は挫折感を味わいます。三回目の鑑定結果で
は、容量〇,七mlの二号カプセルに、トリカブトの致死量の約二七倍詰められている
のです。これがが事実なら反論の余地はありません。

 私は第三十回公判で、東北大学M教授に三つの鑑定結果の相違について詳細に
質問しますが、M教授は曖昧な答弁に終始します。
白いカプセルには、フグ毒も詰めなければならないのですが、フグ毒については、
クサフグの肝臓からアルコールで抽出・濃縮したどろどろ状物質の収量や、それに含
まれる毒量の、鑑定および証言は一切なく、私が問題にしたくても、この件に関する
鑑定および証言は一切なくその糸口がつかめません。この件に関する鑑定の申請を、
弁護人に依頼しようと検討しているうちに、事実審理が結審すると知らされて、果たせ
ませんでした。

 利佐子が病死でなく中毒死であるとすれば、私が毒物を利佐子に服用させるには、
友人たちと落ち合う午前十一時二十分以前に済ませておかなければなりません。航
空機が延着したのは予想外であって、定刻に到着することを前提として行動してい
たからです。利佐子の保存血液からトリカブト毒が検出されたと証言されるまで、
殺人疑惑と騒がれても、私には毒物の特定はできませんでした。服用してから何の
異常も示さず、約二時間後に突然吐き気をもよおして、発症するような毒物の存在
は、私の知識では皆無です。この疑問には、殺人疑惑を騒いだマスコミも答えてい
ません。私が逮捕されることはないと確信していたのは、これが原因です。

 事実の証明-2  (2013/01/02(水) 06:04:30)
事実の証明-2

 この事件には、多くの謎が含まれています。トリカブト毒は、ほんの微量を口に
含むだけでも、ぴりぴりという下を刺すような刺激と、ひどい苦味で、そのままで
は口から摂取することはできません。自殺など覚悟の上で服用する以外は、そのま
ま服用することは不可能です。よって殺人の道具に使用するなら、料理などに微量
を混ぜてその料理を大量に食べさせるか、カプセルに詰めて服用させる以外ありま
せん。この事件の場合は、カプセルで服用させたことになっています。ですから、
カプセルに詰められる毒量や、どのようなきっかけでカプセルを服用させたかなど、
この事件では、数々の謎を解いていかなければなりません。
謎解きというと、思い出されるのが推理小説です。私がもし、この事件を推理小
説に仕立てるとしたら、謎解きの中心には、やはり服用から発症までの経過時間を
据えるでしょう。

 利佐子が殺されたとするなら、高額な生命保険を掛けた私が殺害したことは容易
に推理することができます。ほかに犯人がいるか? という隠された事情の存在も
希薄ですから、ほかの犯人を探すという謎解きには馴染みません。利佐子は、殺さ
れたのか、病死なのか、ということが、数々の謎解きの結果としてわかるだけです。
私が犯人でなければ、ほかに真犯人がいるという事件ではありません。

 この事件の謎を解くには、充分な論理的思考とその展開が要求されます。第一審
判決と、それを踏襲している控訴審判決が、論理的に展開されているか全く疑問で
す。推理小説は論理の美を描くと、最近読んだ本に出ていました。判決が推理小説
と違うことは言うまでもありませんが、それでも推理小説と同じように、筋道の通
らない判決は、いくら組み立て方が上手でも私は美しさを感じません。

 判決公判から八か月後に判決文が出来上がりますが、それまでに私の手元には、
公判でメモノートに記録していた鑑定書の大部分と、ぜひ必要な証人尋問調書とを、
コピー代を工面して弁護人から送付してもらいました。判決文を受け取るまでに、
私はそれらの裁判資料を熟読します。その結果、利佐子が病死であることを証明する
「三つの事項」と「一つの事柄」 によって、私の無実が完璧に論証できる見通しがつきま
した。

「三つの事項」 とは、

第一の事項
 「利佐子の最初の自覚症状の訴えから、心肺停止までの経過時間などの諸条件を考察
すると、仮に、トリカブト毒とフグ毒を服用したとしても、その服用した時間帯が特
定され、その時間帯は、証拠上、利佐子がカプセルを服用した事実はないと認定され
ている時間帯であること」

第二の事項
 「利佐子は、トリカブトの塊根およびフグの内臓から、アルコールで抽出・濃縮した、
抽出物質を詰めたカプセルを服用したとされているが、そのカプセルの容量には限界
があり、利佐子が服用したと推定される毒量は、服用したとされるカプセルには詰め
きれないこと」

第三の事項
 「利佐子が服用したとされるトリカブト毒は、事前に、被告人が抽出・濃縮を行ない、
密閉ガラス瓶に保管していたものをカプセルに詰めたとされているが、そうであれば、
利佐子の血液および密閉ガラス瓶から検出されたトリカブト毒の、アコニチンとメサコ
ニチンの成分比率がほぼ同じでなければならないものが、大幅に相違すること」

「一つの事柄」 とは、

 「トリカブト中毒死の場合、例外なく、死亡に至る最終的症状は心室細動ですが、なつ江
は死亡時の入院で、発症から死亡まで心室細動は一切現れず、死亡の時は静かに心臓の
動きが止まる心静止です」。

 事実の証明-3  (2013/01/03(木) 10:28:32)
事実の証明-3

 利佐子の保存血液の鑑定時点から逮捕まで約四年間の遊びがありますが、「服用
から発症まで約二時間」 の問題が絡んでいると私は考えています。血液の保存が
混入を防ぐ完璧な状態であるなら、遊びはなかったはずです。保存の杜撰さが、捜査
当局が服用から発症まで約二時間を乗り越えられず、逮捕に踏み切ることができな
い障害でした。別件で逮捕に踏み切るのは、一部のマスコミが事件を大々的に取
り上げてアジテーションを行ってからです。私には、マスコミが裁判の第一審を担当し
ていると感じるほどでした。逮捕されてからも、服用から発症まで約二時間の問題は
解決されていません。検察側の立場から、公判でこの問題が解決されたように見せ
掛けがあったのは第一審の事実審理が終わる間際です。

 原審では、検察官が様々な状況証拠を提起して有罪と断定し、裁判官はそれを認
定します。私は無罪を主張して、その状況証拠にすべて反論しました。保存血液から
の両毒の検出でさえ、保存が杜撰であったことから状況証拠と見られて当然です。
これらの状況証拠が、有罪の証拠となるか、無罪の証拠となるかは、私が示している
「三つの事項」 と「一つの事柄」 が、崩せるか、崩せないかによって決定します。
言い替えれば、状況証拠を道理にかなったように工夫して有罪に見せ掛けても、
「三つの事項」と「一つの事柄」 が崩せなければ、状況証拠はすべて無罪の証拠と
なるのです。

 心停止後の血中濃度の動態について、次のような主旨の証言がある。

 琉球大学のO助教授は、心室細動も心停止の一つであると証言する。
東北大学のS教授は、心停止後の血中濃度の上昇は非常に考えにくいと証言する。
東京理科大学のF教授は、死亡後、血中濃度は増えるわけがないと証言している。

 心肺停止後の血中濃度の上昇については、この証言から、その可能性はないと言
えます。よって、一二五.七ng/mlという血中濃度は、心肺停止時にはその濃度まで
上昇していたことになります。グラフで示すと、利佐子の場合、図5のようになるこ
とはないと言えます。なお、図1から図5までのグラフは、曲線の形を明確にす
るため、C点の先を点線で描いていますが、実際には、曲線がC点から先、どのよ
うなカーブを描くか不明です。

グラフ-1.2
画像をクリックすると大きくななります。

 次に、心肺停止後に代謝や分解があるかという問題を検討します。

 東北大学M教授は、利佐子から血液が採取された約一年後の第一次鑑定と、
約五年後の第二次鑑定とのあいだに、測定値にほとんど相違がないことから、血液を冷凍保存し
ておけば、その中に含まれるトリカブト毒は、ほとんど分解しないと証言しています。

 よって、代謝や分解があったとすると、心肺停止から血液が採取されるまでの、
遺体で保存されていた二二時間のあいだが問題となります。

 東京理科大学F教授は、「死亡直後も酵素活性がまだ多少あるとすれば血中濃
度は減るだろう」 と証言し、
血液鑑定をしたM教授は、「分析方法として、アコニチンのほかにベンゾイルアコニン、
あるいはアコニチン、そういった代謝物、あるいは分解物を測れば、総量をもっと詳しく吟味できると思う」

と証言しています。


 これらの証言から、心肺停止後に代謝や分解があり、二二時間のあいだにアコニチン三毒
素が他の物質に若干形とも代謝および分解した可能性が指摘できます。よって、心
肺停止時のアコニチン系三毒素の総量が、一二五,七ng/mlより高かった可能性が
あります。以上から、「心肺停止時のトリカブト毒の血中濃度は一二五.七ng/ml以上で
ある」 と、「以上」 を加えることによって正確な表現となります。

 両毒が利佐子の体内に存在していたと仮定したことで、大変不自然な問題が生
じて、混入説が浮かび上がります。
この問題は「第一の事項」 全般に関わります。先ほどの両毒の鑑定結果を見ま
すとトリカブト毒は変換物質(代謝物および分解物) を含めず三毒素だけで
一二五.七ng/mlです。フグ毒は変換物質を含めて二六.四ng/mlです。そのうち
変換物質(4-エピテトロドキシンおよびテトロドン酸) が約九七.七%です。

 M教授は、トリカブト毒の変換物質であるベンゾイルアコニンおよびアコニンを測定すれ
ば総量をもっと詳しく吟味できると証言しています。


 両毒が利佐子の体内に存在し、その結果、採取された血液から両毒が検出され
たとすると、両毒は同一の血液に含まれて数年間冷凍保存されていたのですから
、フグ毒の約九七.七%の変換物質は、遺体で二二時間冷蔵保存されているあい
だに、変換したのかという疑問も生じます。しかし、これが不自然なのです。先のF
教授の証言から考えると、若干の変換はあるのかと受け取れますが、約九七.七
%も変換するとは考えられません。フグ毒は冷凍保存でも、変換の可能性がある
のか考えてみましたが、一般に行われている血液検査のための冷凍保存では、血液
に含まれる、ほとんどの物質が、変換がなく成分が固定されると効いていますから
、フグ毒も、冷凍保存で、成分が変換することはなく、固定されると推定できます。

 事実の証明-4  (2013/01/04(金) 17:44:53)
事実の証明-4

 では、ほかにどのようなことが考えられるか、検討してみます。
トリカブト中毒について五つの症例を調べますと、事実上の心停止である心室細
動が起きない場合、発症してから五時間から一〇時間で回復しています。また、フ
グ中毒について、大阪大学のS教授は、呼吸停止から早い例では四時間、大体七
、八時間で、人工呼吸器で呼吸を確保すると回復すると証言しています。要するに
、回復するとは、有毒の物質が無毒の物質に変換するということです。両毒とも同
じような経過時間を辿って回復するところが似ています。両毒について、生体では、
このような現象が見られます。

 このことから、利佐子が両毒を服用したと仮定して、発症から心肺停止までの四
三分間に、若干は変換したとしても、約九七.七%も変換したとは考えられません。
とすると、若干の変換は無視して、服用時、すでに有毒のテトロトドキシンは、
約二,七%、〇,七ng/mlほどしか含まれていなかったと見るのが順当です。この
量は、利佐子の体重四七kgで換算すると、体内総毒量は約〇,〇三三mgとな
り、致死量の約六〇分の一です。((致死量は両毒とも約二mg)。

 O教授は、両毒の投与比率を変えた場合の生存時間の延長について、次のような
主旨の証言をしている。

 アコニチンを致死量の約五倍投与するのに対して、同時投与するテトロドトキシ
ンの投与量を、致死量の一倍、二倍、三倍、四倍と変えて実験してみると、生存
時間の延長倍率は一・二倍とか一・五倍とか二倍とかに変わってくる。致死量の
約六倍の投与量は、比較的顕著に延長する投与量を選んでいる。

 この証言でわかるように、テトロトドキシンが致死量の約六〇分の一では、判決
が確認している、トリカブト三毒素の体内総毒量五,九mg、致死量の約三倍に比し
て、余りにも微量で、両毒の拮抗作用などは無きにひとしいものです。よって、利佐
子がトリカブト中毒死と仮定すると、発症時間が約二倍に延長し「一〇分が経過す
るか、血中濃度が約二〇ng/mlに上昇するまで」 という両毒の拮抗作用の影響が
なくなり、「カプセルが溶解してから、五分が経過するか、トリカブト毒の血中濃度が
一〇ng/mlに上昇するまでに発症する」 と確定できます。このことは、図一でもわ
かるように、両毒の拮抗作用があった場合に比較して、時間的にも大きな差になり
ます。

 このように、検察官が利佐子の中毒死の基盤として主張し、裁判所が認定した、
両毒の拮抗作用を、まったくの机上の空論にしてしまいます。

 また、ありえないことですが、発症から心肺停止までの四三分間に、テトロトドキ
シンが約九七.七%変換したと推測しますと、生体では同じような回復までの時間
経過の現象が見られるトリカブト三毒素も、同程度の変換があると見なさなければ
なりません。仮に、アコニン等の変換物質を含めて鑑定し、三毒素以外に九七,七
%の変換物質が測定されたとすると、変換物質を含めたトリカブト毒の総量ng/ml、
利佐子の四七kgの体重で換算すると体内総毒量は一九六,九三mg、致死量の約
九八倍になります。判決が推認しているフグ毒の体内総毒量は一,二四mg、致死
量の約〇,六倍です。トリカブト毒の変換が、フグ毒の変換より少なかったとしても
、この両毒の致死量の一六〇倍ほどの大幅な差が、両毒の拮抗作用が効果を現
す五倍ほどに縮むとは考えられません。ありえないことを計算まで行ってみたのは
このことを示したかったからです。

 やはりこの場合も、両毒の拮抗作用は、机上の空論に来してしまいます。
では何故テトロトドキシンが、約九七,七%もテトロドン酸等に変換したのか!
私は、両毒が、利佐子から採取された血液の保管中に混入されたと断定していま
すから、保管していた血液に混入される前に、その混入されるフグ毒が、何らかの
理由で変換してしまっていたと判断しています。

 事実の証明-5  (2013/01/05(土) 18:33:47)
 
  事実の証明-5

 カプセル服用の可能性

 友人たちと落ち合う予定時刻の午前一一時二O分から私と別れるまでは、第一
審当時私は、利佐子が私と一緒にいたのだからカプセル服用の可能性はあるだろ
うと単純に考えていた。しかし、利佐子は、友人たちが二階から到着ロビーに降りてく
るのを探している最中だ。到着の遅れたことがわかっていれば余裕もあるが、いつ
降りてくるかわからず間断なく探しており、落ち合えばすぐに南西航空のターミナル
ピルに友人たちと移動しなければならないから、カプセルを服用している余裕など
ない。

 このように検討してくると、午前一一時二O分以降のカプセルの服用は利佐子の
置かれていた具体的条件を無視すれば可能だというだけで、利佐子の具体的件を
検討すると服用は不可能だという結論になる。

 それでは、友人三人と落ち合う予定の午前一一時二O分より前に、利佐子がカ
プセルを服用した可能性はどうだろうか。利佐子がカプセルの服用を申告していな
いこと、夕食後でないこと、この二点を除けば、服用の条件としてはなんの障害もない。
問題となるのは、利佐子が最初の自覚症状を訴えるまでにカプセルを服用してから
二時間以上経過するということだけだ。ただし、この問題がもっとも重要なことだが。
判決の認定は、利佐子の置かれていた具体的な条件をまったく検討することなく
下されている。午後O時五三分以降のカプセルの服用は、友人三人の証言から一切
ありえないことは明らかにされているが、いま論じたように午前一一時二O分以
降のカプセルの服用も、利佐子の置かれていた具体的条件を検討すればその可能性はない。
判決も午前一一時二O分以降のカプセルの服用は不自然と認識したのか、二つの鑑定結果を示して、
判決が認定する発症時刻、午後一時一五分から二時間以上前の午前一一時一五分以前にカプセルを
服用した可能性のあることを推認する。

 それでは、判決が推認するように、発症から二時間以上前に利佐子が両毒入り
のカプセルを服用した可能性があるかを見ていくことにしたい。

トリカブト中毒の五つの症例

[症例1]

 平成元年四月、男性医師(五二歳) が採取した山菜(トリカブトをニリン草と誤
認) をおひたしにして医師は小皿に一皿、その長男は二つまみほど食した(同午
後六時五分) 、医師は食直後から舌のしびれを感じていたが、同六時四十分か
ら外出し同七時五分帰宅直後長男が口、手、足の痺れを訴えたのでトリカブト中
毒と直感し、強制嘔吐、医薬品の投与、人工透析等の処置を行った。医師は同
午後九時から不整脈が現れ、同午後十時には血圧が七十mmHgまで低下、冷
汗、皮膚温低下、悪心、嘔吐が続いた。同午後十時から十一時頃が最も症状が
強かった。また、痺れは翌朝四時前まで続いた。一方、長男は同午後七時過ぎに
は不整脈が出現したが同午後十一時頃には回復した。痺れ感も翌朝二時には消
失した。記録された心電図によると長男は医師よりも危険な不整脈を持ってい
た。医師は摂取量が多く症状は末期に近かったにも拘わらず、心電図所見が軽
症であったのは、医師が高血圧のために服用している持続型の抗カルシウム剤
アダラートL(一日二十mgを二回服用) のためではないかと推察している。

[症例2]

 平成元年八月、男性(四十四歳)は郵送されてきたクズモチを十切れ、その娘
(四歳)は一切れ半食した。男性は五分後に口及び体のしびれを感じ、摂取二十
分後に来院した。来院時不穏状態で発汗、嘔吐があり、足の麻痺があった。鎮静
目的で医薬品を投与したところ、呼吸抑制がみられたため人工呼吸を開始した。
この前後より大腿動脈の拍動触知不能となり、致死的不整脈を発症していたの
で、心肺蘇生術及び各種の医薬品による治療を行ったが、心停止となり、来院後
四時間で死亡した。
 その娘は、摂取五分後に口、手足のしびれを訴え、やがて歩行困難となり摂取
二十分後に来院した。受診時不整脈は認められなかったが、その五分後に悪心
嘔吐及び不整脈が出現した。直ちに胃洗浄や医薬品の投与等の処置を行った。
その後、医薬品の投与等の処置を行い、来院後九時間で不整脈は回復し、全身
状態も安定した。、

[症例3]

 平成四年四月、午前七時、男性(四十五歳) がトリカブトの根と茎を細切りにし
浸しておいた水溶液を自殺目的で服用し、同午前七時三十分に来院した。来院
時の主訴は口唇周囲のしびれ感であった。同午前七時四十五分に胃洗浄や下
剤投与等の処置を行ったが、同午前八時二十分には不整脈が現れ、呼吸停止
に至った。人工呼吸及び医薬品投与等の処置を行った結果、自発呼吸が戻り同
午前八時四十七分には不整脈は消失した。同午前九時から同日夕刻までわず
かに心室性期外収縮を認めるのみであった。

[症例4]

 平成四年二月、昼、女性(六十一歳) が自殺目的でトリカブトの根を食し、同十二
時三十五分救急外来を受診した。受診時、譫妄状態で血圧低下(七十mmHg)
、瞳孔散大、流涎、下痢、嘔吐が認められ、同十二時五十五分、突然、致死的不
整脈を発症した。直ちに、心肺蘇生術及び各種の不整脈剤による治療を行った
が、不整脈、心停止を頻回繰り返した。そこで心肺蘇生術施行下に血液吸着療
法を行ったかっか、開始後約二十分頃より不整脈や心停止の頻度が減少し、硫
酸マグネシュームによる不整脈のコントロールが可能となった。翌朝には致死的
不整脈は消失したが、心室性期外収縮は翌朝以降も持続した。

[症例5]

 平成五年四月、四家族八名が付近の山より採取した山菜(トリカブトをモミジガ
サと誤認) をおひたしにして食した。摂取約二〇分後全員に舌先先端部にしび
れを感じ、その後しびれ感は体幹及び上肢に広がった。八名中二名は摂取三十
分ないし二時間後に前胸部不快感、嘔吐及び呼吸困難を訴え病院で受診した。
受診時は不整脈はなかったが、その後不整脈が現れた。胃洗浄などの処置により、
摂取五時間後不整脈は回復し自覚症状も軽快した。

 事実の証明-6  (2013/01/06(日) 07:18:30)
 事実の証明-6

トリカブト中毒の発症と個人差 

 利佐子が両毒入りのカプセルを服用して発症するまで二時間以上経過したとす
ることに、トリカブト中毒の発症に至るまでの個人差がなにか大きく影響しているの
だろうか。この問題を明らかにするために、トリカブト中毒の発症に至るまでの個人差
について、さきに挙げた五つの症例を参考にして検討してみる。ただし、発症後の個
人差については、治療行為が各症例によってまちまちなので問題として取り上げるこ
とはしていない。

 発症までの個人差を検討する場合は、二つの要因に分ける必要がある。第一の要
因は、吸収能力など本来の体質的な個人差で、胃の消化能力、小腸の吸収能力が
良いか悪いか、吸収後の血中濃度の上昇と、薬理作用を及ぼす器官・組織への薬物
の結び付きの間とでもいえるタイムラグの個人差、発症に至る閾値の個人差などだ
が、健康状態も影響を与える。第二の要因は、消化の早い抽出エキスや粉末の摂取
か、消化の遅い葉や茎の摂取か、という摂取の形態や、空腹状態か、満腹状態か、
という摂取時の胃の状態だ。この第二の要因は、個人差というよりは摂取時の条件と
いえるが、一応個人差として扱う。発症までの個人差を検討する場合、この二つの要
因を明確に分けて検討する必要がある。

 トリカブト中毒の摂取から吸収による発症までの経過時間の個人差は、本来の体
質的な要因による個人差は小さく、摂取の形態や摂取時の胃の状態による個人差が
主な要因であることは明らかといえる。
以上から利佐子がトリカブト中毒と仮定すると、やはり本来の体質的な要因による
個人差は小さく、発症までの経過時間は、摂取の形態や摂取時の胃の状態による個
人差が主な要因といえる。よって利佐子は、空腹時に、消化の必要のない抽出エキ
スを服用したとされるから、カプセルが溶解してから発症するまでの時間は、症例2の
二名と同等かそれより早いと思われる。しかし、症例2の二名の五分間は、二名の症
状の出現の仕方を比較してみると、タイムラグなどが影響して、トリカブト中毒の発症
時間の最短時間と考えられるので、利佐子は、カプセルが溶解してから発症まで、五
分が経過すると見るのが順当だ。

 判決は、利佐子がカプセルを三重にして服用したと示唆するから、カプセルの溶
解時聞が一O分程度と推定すると、右の五分と合わせて、カプセルを服用してから
発症するまで一五分程度ということになり、それよりも五分や一O分延長したとして
も、とても二時間には及ばない。それでは、判決が推認するように、トリカブト毒とフ
グ毒の措抗作用が影響しているというのだろうか? その点を次に検討してみよう。

 両毒の投与比率で拮抗作用は変わる 

トリカブト毒とフグ毒を、一個のカプセルに詰めて利佐子に服用させる。私はこの
意味を考え抜いた。しかし、なぜそうするのかわからない。なにかを期待してやみく
もにフグ毒を詰めた?そんなことはありえない。フグ中毒がどれほど重症であろうと
呼吸を確保すれば死に至らないことは、料理の実習書を読んで私は充分に理解し
ていたし、そのことをクサフグを購入するとき、M氏などにも話している。さらに、フグ
中毒の場合、摂取してから数時間経過してから呼吸停止になることも料理の実習
書を読んでわかっていた。利佐子が発症すれば、すぐに治療が行なわれるだろ
うから呼吸の確保は容易なことだ。利佐子を殺害する目的で、トリカブト毒と一緒に
フグ毒をカプセルに詰める意味はない。

 それでは、両毒に拮抗作用があり発症時聞が延長することを私が知っていて、
両毒をカプセルに一緒に詰めたというのだろうか。発症時聞が延長することを、どう
して知りえたのか?その方法はない。判決は、マウスを使用しても、なつ江を利用し
ても、私が両毒の桔抗作用の実験を行なったとは認定できなかった。判決の認定
は別として、私は次のことを考えてみた。

 マウスで実験をして、トリカブト中毒の発症時間の延長を知る実験器具もない
素人の私が、不可能なことだ。共同鑑定書を提出したO教授は、両毒の純品を
ミクロ天秤などの精密器具を使って正確に定量し、両毒の投与の量をそれぞれ選び、
幾つものケースに組み合わせて実験して結果を得ているのだ。それも発症時間の
実験結果ではない。生存時間の実験結果なのだ。仮に、私の手元に両毒の抽出
物質があったとしても、その毒量を定量する方法はない。両毒を一緒にむやみに
投与しても、どちらの毒でマウスが死んだかさえわからない。O教授は、両毒の一
つの組み合わせだけでも四O匹のマウスを使用し比較して結果を得ている。私が
塩分摂取過多の実験のために購入したマウスは五O匹だ。このマウスを全部両毒
の拮抗作用に使用したとしても、両毒を幾つのケースに組み合わせて実験できる
だろうか。せいぜい五つの組み合わせ実験ができる程度だ。もう一度言うが、私に
は毒量を定量する方法がない。その組み合わせが妥当なものかさえわからない。

 万が一、幸運にも両毒を一緒に投与して生存時間の延長が確認できたとしたら、
素人の私は、発症時間の延長に気がつくどころか、死亡までの時聞が延びたの
だから、どちらかの毒が、どちらかの毒を減毒したと考える。カプセルに詰められる
毒量は限られている。利佐子を殺害する目的なら、できるだけ多くの毒量をカプセ
ルに詰めたい。もちろん、私はフグ毒でヒトを殺せないことは知っているから、トリカ
ブト毒の話だ。当然、カプセルにフグ毒を詰めるのはやめるだろう。

 それでも、私はしつこく自らに問いかける。マウスの実験で、私が発症時間の延
長に気がつく方法はないだろうか? それは無理だ。専門家のO教授でさえ、一九
九三年二月ころから六カ月ほどの期間をかけて、両毒の投与比率を変えて何回か
実験しているが、それでも発症時間の延長は確認しておらず、生存時間の延長か
ら発症時間の延長を推定しているにすぎない。口の利けないマウスの発症を確認
することは、専門家でも困難だと証言されている。まして、素人の私がマウスの発
症を確認することはできず、発症時間の延長に気がつくはずはないのだ。

 それでは、参考文献から知りえたのではないか? それは、さらに不可能だ。第
二回公判で検察官は琉球大学のO助教授に、両毒の桔抗作用について記載した
参考図書の存在を執劫に問いただすが、明確な答えがなく、結局、一般に入手で
きない文献名を挙げるにとどまる。まして、発症時聞が延長する両毒の投与比率
で拮抗作用は変わるなどと記載した文献は一切ないのだ。私が発症時間の延長を、
参考文献から知りえた可能性はない。

全文-01 (2013/01/14(月) 17:18:52)
2011.10.17

 第一章 トリカブト殺人事件を物語る

 一 極悪人の誕生

 乗客は急ぎ足でゲートへ向かっていました。私は羽田空港の長い通路をゆっくりと
歩きます。東京に戻ると空気は相変わらずよどんでいましたが、胸に思いきり吸い込
むと、親しい友人たちに囲まれたような安らぎを覚えました。
 ゲートの外は乗客とそれを迎える人で混雑しています。テレビカメラを肩にかつい
だ男が目に映り、私はぎくりとして足を止めます。マスコミの激しい攻勢から避難する
ために、札幌に住んで六ヶ月が経過しました。失業保険の受給認定のために、今朝、
札幌の自宅を出たときから尾行がついて、逮捕が間近いことを感じます。注意深くゲ
ートの外を見まわしました。ゲートを中心に扇状に人垣が広がるなかに、目付きの鋭
い男が数人私を凝視しています。私は覚悟を決め前へ歩きだしました。

 ゲートを出たところで数人の男が近づき、一人が私の名前を呼びます。返事と同時
に、二人の男が両わきから私の両肘を抱え込み走りだします。体は宙に浮き、足はむ
なしく空を切ります。一人が先に走り、人混みを強引にかき分けます。人垣の扇状の
広がりが崩れ、人々がどよめき、怒号が飛び交います。人いきれを押しのけながら勢
いよく進み、混雑を抜け出して建物の外に出ました。
痛みを伴うほどに、二人の男はますます私を抱え込みます。背を人々の視線が突
き刺します。私は身動きの取れないまま足だけをばたつかせ、引きずられるように駆
けていました。 路上の段差や舗装の色など、地面の模様が次つぎと変わるのを意
識しながら、百メートルほど駆けたのは覚えていますが、あたりの情景はほとんど目
にはいりませんでした。

 私が周囲に心が向いたのは、警視庁の護送車の車内でした。窓はカーテンが引か
れ外は見えませんが、車は首都高速道路を走っているようです。私は軽い吐きけと
目まいを感じていました。手錠なしで連行されてきた私の手首に手錠が掛けられ、
冷たい感触が全身を駆け巡ります。業務上横領および横領との逮捕状が読まれたとき、
私は殺人容疑でないことに驚きました。

「捜査一課は殺人事件が担当だと聞いてますが、横領事件の捜査もやるのですか」
「君の場合はいろいろとあるからね。ケースによっては横領の捜査もやるよ」


 逮捕の指揮をとったこの警部が、四十四日間の私の取り調べを最後まで担当しました。
質問を続けようとしたのですが、吐き気と目まいがひどくなり、私の感応は、
回りが白くぼやけてハレーションが掛かったような状態でした。

「すみません、目まいがひどいのです。机の上に顔を伏せていてよろしいでしょうか。」
「そんなにひどいのかね、やむを得ないだろう」


 車は警視庁の地下駐車場に入りました。

「着いたよ。気分はどうかね。歩けるかね」
「だいじょうぶ歩けます」


 刑事に促されて私は車を降りました。広い駐車場です。腰に捕縄を打たれ、手錠の
ため、両腕は前に揃えていなければなりません。
五一歳になる私は背筋を伸ばし姿勢を正して歩きだしました。
正面にエレベーターが大口をあけて待ってます。一九九一年六月九日、私が自由を失う日でした。

 この事件の報道は、私が生命保険の民事訴訟を取り下げた一九九〇年一〇月か
ら激しさを増します。利佐子の血液からトリカブト毒が検出される。恭子、なつ江、利
佐子、五年間に心臓不全が原因で、3人の妻が死亡しました。三人目の妻の保存
されていた血液から、トリカブト毒が検出されたという事実は、誰の脳裏にも私が極悪
人と映るのが当然でしょう。利佐子の友人たちが、私への嫌悪の気持ちにはやり、事
実の見極めもなく極悪人としてマスコミに話したことも多大に影響しています。

 世論を形成することにマスコミの力が大きいことは、さまざまの報道を目の当たりに
して納得できることです。其の報道を裏腹に伝えたとき、世論を誤った方向に導き、計
り知れない悪影響を関係者に与えてしまいます。
私の五歳年上の兄は六九歳でこの世を去りますが、生前、松山事件など多くの冤
罪事件の救援活動に奔走してきました。私は兄に真実を伝える手紙を書き救援を頼
みます。兄の返事は、「君は信じられない」という厳しい内容でした。兄などの手紙か
ら私を極悪人とするマスコミのアジテーションの激しさを知ります。極悪人という私へ
のレッテルを、兄にまで信じさせた逮捕後の報道が、いかに激しいものであったか思
い知ることができました。



全文-02 (2013/01/16(水) 06:18:58)
2011.10.19

 第二回

 利佐子と知り合う切っ掛けと、三匹の猫との反目に触れながら、二人の大阪での生
活がどのような状況であったか、私の経済状態がいかに行き詰まったかを語ります。
二人の結婚生活は大阪ではじまります。私が設立を準備していた総菜の宅配会社
「株式会社ヘルシー」の大阪における立地条件を調査するために、東京から転居した
からでした。私の住まいは、東京の池袋駅西口から徒歩で五分、二LDKのマンションで
持ち家です。大阪転居後も、東京の住まいは帰京のたびに使用するために、家財などはほ
とんどそのままにし、大阪へは利佐子の家財と利佐子の愛猫三匹を連れて移ります。

 利佐子と知り合ったのは一九八五年十一月十日です。なつ江の四十九日の法要
を済ませたその翌日、人のざわめきが恋しくなった私は、自宅から徒歩五分ほどの
西池袋のKクラブに立ち寄りました。その店で私の席を担当したのが利佐子です。翌
日、利佐子に電話で食事に誘われ、食事をしながら話しているうちに、私より十三歳
年下の三十三歳ということがわかります。客とホステスのたわいない会話でした。私
は自分の現在の立場を虚実取り混ぜて座興のつもりで話します。妻に二度死なれて
いること、経営コンサルタント業で年収一千万円であること、総菜会社の設立を準備
するために近日中に大阪に移転すること、などなど、気軽な気持ちで話しました。

 同伴して入店するため幾度か利佐子と食事をするうちに、利佐子はノルマの厳しい
ホステス業に行き詰まりを感じていると言い出します。利佐子は私のマンションに
遊びに来るようになり、大阪に一緒に転居することを承諾し、二人は婚約しました。
翌年1月、大阪に転居して、二月十日、城東区役所に婚姻届を提出します。
大阪に転居してから、利佐子は体調を崩します。大阪の土地柄に馴染めないと
いつも話すことから、三月に入り友人の多い東京へ遊びに行くことを勧めました。
それ以来、利佐子は大阪と東京を往復し、体調は完全に回復します。生命保険会社
が生命保険金の支払いを拒否したひとつの理由として、私と知り合う一年ほど前、
自律神経失調症で、病院に通院していたことを告知していない、告知義務違反を
挙げています。大阪での体調の崩れはその再発でしょう。

 あとになって公判などで知ったことですが、利佐子はマージャン中毒と言われるほ
どマージャンが好きで、クラブに勤めていたころはほとんど毎晩、店が終わるとジャン
荘で徹夜でマージャンをしていたそうです。その根城にしていたジャン荘が、池袋の自
宅から徒歩で五分ですから、東京に戻ったときの利佐子はジャン荘に入り浸っていた
のでしょう。あるクラブのバンドシンガーをしているT氏本人の公判での証言によると、
私と知り合う一年ほど前まで利佐子と同棲していたT氏が、利佐子と別れた理由は、
マージャンが原因だったと言います。利佐子のジャン荘通いは相当ひどかったようで
す。大阪では、ジャン荘に通った形跡はありません。

 利佐子が東京に戻るとき、私が同行したことはあまりありませんでした。仕事が忙
しいわけではなく、猫三匹の世話が必要で二人で二泊以上家をあけることはできませ
ん。白い雄のペルシャが一匹、黒い雌のペルシャが一匹、ヒマラヤンが一匹、雄雌は
忘れました。三匹は猫としては大型です。利佐子には親子のようになついています。
利佐子がいないとき、白い雄は私によく臭い小便を引っかけます。雄犬でもないのに
片足を上げて飛ばします。

 大阪に移り住んで一週間ほどしたとき、利佐子は猫を理由に。私と一緒に寝ていた
ベッドから、居間の和室に布団を敷いて一人だけ寝所を移しました。大阪のマンショ
ンは、六畳の和室が隣り合わせに二部屋、約八畳ののリビングキッチンを挟んで、玄
関に近い方に四畳半の洋室とトイレや風呂場があります。その洋室にベッドを入れて
いました。もう一方の和室は、三匹の猫の専用の部屋です。
夫婦のいとなみは、私が和室に通うことになります。そのとき、三匹の猫は「ウー」
とかなんとか言って私を牽制します。自分たちより格の低い者が、布団に滑り込むの
を許さないという態度です。夫婦のいとなみのときぐらいは、専用の部屋に引きこもっ
てもらいたいのですが、利佐子は常に猫を自分の周囲にはべらせていたいのです。
私と一緒に猫が布団のなかにいても意に介しません。私は落ち着きを失ってしまいます。

 利佐子が東京に行っているあいだ、大阪で私は三匹の猫を相手に格闘していました。
利佐子とではなく、私は猫と結婚したのではないかと、行為が錯綜してしまいます。
利佐子と一緒に住むようになってから、利佐子を観察する時間よりも、猫を観察する
時間が長いのです。利佐子と一緒にいるときも、無意識に猫の動きを追っています。
これでは利佐子との愛を培うことなど出来ません。
私には浪費という悪癖があります。自らの生活を調えるための浪費ではありませ
ん。女性との愛を培うための浪費でもありません。一心に女性の嬉しそうな笑顔が見
たいための浪費なのです。不正行為によって得た私の資産は、この浪費によって減
少します。

 一九八一年十二月、「株式会社ヘルシー」の設立準備を開始したときの予算は七
千万円でした。なつ江が体調を崩し、心電図に軽い異常が見られたときです。六ヶ月
後発症し入院します。のち三年三ヶ月入退院を繰り返し、一九八五年九月、帰らぬ人
となります。着付けの師範免許を持つなつ江は和服に目がなく、人間国宝が描いた
手描き友禅などの高級な和服を次つぎに購入します。私はなつ江の嬉しそうな笑顔を
見るのがこの上なく幸せで、資産が消えていくのもかまわずなつ江のやるに任せていました。
なつ江の死後、資産の整理をしてみると一億円近い資産の大部分は消えています。
なつ江の残した一千万円の生命保険金は貴重な生活資金となります。
私は東京を離れ、食文化の中心といわれる大阪で総菜会社の設立を模索して見る
ことにしました。資金は池袋の自宅マンションを売却することにします。十一月上旬、
大阪に赴き大阪での事務所兼住居とするマンションを契約し、大阪転居の準備を進
めました。

 その後利佐子と知り合い、年収一千万と話したウソが、客とホステスのたわいない
会話では済まなくなります。私は、会社設立のための経営企画書のなかで、損益につ
いて、見通しを立て、その損益計算書に、九百万円の年収を計上していましたので、
利佐子に訂正することを行いませんでした。利佐子は私の年収一千万円の話を信じ
、結婚後、この金額を生活の経済基盤とします。



全文-03 (2013/01/17(木) 21:04:28)
2011.10.24

第三回

 大阪に転居してからの経済状況はひどいものでした。池袋のマンションは利佐子が東
京の本拠地としているため売却できません。二月に池袋のマンションに限度一杯まで
抵当権をかけて借り入れを起こし、その資金でひと息つきます。
私の浪費癖は治まりません。利佐子には月五十万円の生活費を渡し、東京への往復旅費や
遊行費なども補填します。利佐子と知り合う前、住居兼事務所として借りた寝屋川市のマンション
は事務所として使用し、新たに城東区に住居としてマンションを借りました。それらの家賃も含めると、
月に百万円ほどの生活費がかかります。

 数ヶ月間の生活資金は確保してありましたが、四月にサラ金から借り入れた資金で、
利佐子の両親を関西旅行に招待し、五月に友人三人を招待して石垣島に旅行することを利佐子に約束し、
予約金を四月に旅行会社に支払います。生前、なつ江がデパートから総額約二千万円で購入した
宝石数店を、デパートの得意先係員が、九百万円ほどで転売できると言い、それをあてにした借り入れ
でした。宝石の代金は三百八十万円しか受け取れません。私の経済状態は先行きの見通しが立た
なくなります。長年東京で生活してきたわたしには大阪の食の味覚もつかめず、宅配に必要な
住宅密集地域の立地条件も東京より劣り、大阪での設立に自信を失っていました。
五月に入ると経済状態の行き詰まりは目に見えてきます。東京に戻ろう。池袋のマンションを売却し、
借入金を精算して裸になって出直すことにしました。会社に勤め収入を得ながら、総菜会社の企画に
賛同する出資者をさがすことにします。生命保険も、私の掛け捨ての定期保険四社と利佐子の
終身保険二社を解約すれば支払いの見通しはつきます。
 
 利佐子は五月一九日からの沖縄旅行を楽しみにしています。沖縄旅行から帰って
きてから、事実をそのまま話すことにしました。利佐子が私と苦労をともにしてくれる
か、愛想が尽きて私から去っていくか、利佐子の判断に任せるほかはありません。
利佐子は、トリカブト中毒で死亡したのか、死因を心筋梗塞とした当初の判断が正
しいのか、前日の行動も含めて、利佐子の死亡当日の足取りを追ってみます。
石垣島の観光旅行は四泊五日の予定でした。五月二十一日、利佐子は那覇空港
で、東京から来る友人三人と落ち合って石垣島へ向かい、私は猫の世話のため大阪
に戻ることにしていました。

 前日二人は大阪を発って、午後、那覇空港に到着します。私は沖縄を訪ねるのは
初めてですし、利佐子も那覇市内の観光は久し振りです。私たちは忙しく那覇市内の
名所旧跡を観てまわります。午後七時、有名なステーキハウスで夕食をとり、繁華街
をぶらついて早めにホテルに戻りました。午後十一時ころ部屋で寿司をつまみながら
ビールを飲み、その後、床につきます。
朝八時に起床し、洗面など済ませて九時前にレストランに行きます。朝食はバイキ
ング形式で、取ってきたのは、利佐子はパンとコーヒーでした。私はパンにスクランブ
ルエッグ、ソーセージ、野菜サラダ、それに牛乳とジュースです。
大阪では、ふだん利佐子が起きるのは正午近くです。朝食は取らず、昼過ぎにコー
ヒーとクッキーなどで軽く食事を済ませ、夕食で多めの食事を取り、テレビを見ながら
夜半に夜食を取ります。わたしとは六時間時間差のある生活です。利佐子はコーヒー
が好きで、那覇ではコーヒーを飲むためにパンを少し口にしたという程度です。
朝食を終えて部屋に戻ったのが十時前、出発の準備をしてロビーに下りたのが十
時十五分、ホテルを出たのは十時三十分ころでした。ホテルからタクシーに乗り、那
覇空港に着いたのが十時五十分過ぎです。

 友人三人を乗せた羽田空港からの便が、那覇空港に到着する予定時刻は午前十
一時二十分でした。到着が早まる可能性もあり、友人たちと落ち合う場所、石垣島へ
の乗り継ぎ客の待合所の前で待機します。私たちは乗り継ぎ客ではないので、待合
所には入れません。ガラス越しに外から中を注視していました。
十一時三十分を過ぎても、友人三人は待合所に現れません。南西航空の石垣島
空港行きの出発カウンターは、この待合所から、二キロほど離れた場所にあると聞い
ていましたので慌てました。石垣空港行きの出発時刻は午後時零時です。利佐子を
その場に残して、私は全日空のカウンターに問い合わせに行きました。到着が遅れて
いるとのことです。利佐子は戻り、利佐子と一緒にいらいらしながら、まばたきも忘れ
て探します。十一時四十分ごろ場内放送で利佐子に呼び出しが掛かります。全日空
のカウンターに行った利佐子が、係員に伴われて戻ってきました。歩きながら利佐子
に事情を訊き、係員に連絡用の車への同乗を頼みますが、乗客でないと断られます。
利佐子は待合所を通りエプロンに出ていきました。

 私はタクシーで南西航空のターミナルビルに向かいます。タクシーで五分くらいで
す。ターミナルにわたしが着いたとき、利佐子は搭乗手続きを済ませて、搭乗口にむ
かう出口にいました。私は利佐子や友人たちと、ゲート越しに口早く言葉を交わしま
す。利佐子は、航空機のタラップを上がったところで手を振り、搭乗口に消えました。
それが元気な利佐子を見た最後です。

 私は元のターミナルビルまで、三十分ほどかけてぶらぶら歩いて帰りました。
大阪行きの便まで二時間ほど時間があり、食事をしてターミナルビルを散策します。
ロビーで居眠りをしていると、午後二時過ぎ場内放送で呼び出しがあり、利佐子の発病を知ります。
南西航空のターミナルビルに行きましたが、二時間ほど待たされます。私が石垣空港に着いたのは
午後五時過ぎでした。そのときすでに、利佐子は死亡していました。

 私と別れてからの利佐子の状態、警視庁の取り調べと、判決で知り得たことを、時
間を追って記述します。航空機に搭乗した利佐子は、搭乗手続きの遅れで、友人たちの十一列前
の席に座ります。航空機は午後零時五分に出発しました。安全ベルトを外しての飛行は二十分
くらいで、飲み物のサービスはなく、客の求めがあれば応じる態勢でした。石垣空に着いたのは
午後零時五十三分です。利佐子は到着後友人とベンチに腰掛けて喫煙しますが、トイレにも行かず
飲食もしていません。常に友人三人と一緒です。午後一時ころ一台のタクシーに四人が一緒に乗り、
宿泊先のホテルに向かいました。

全文-04 (2013/01/19(土) 08:47:21)
2011.10.26

第四回

 一時十五分ホテルに到着します。そのときに大量の汗をかいていたとの友人の証
言があります。ホテルのチェックインの手続きは、四人を代表して利佐子が行いまし
た。利佐子は書類にきちんと記入し、はきはきした態度で、何の異常も認められなか
ったと、応対したホテルの係員は証言しています。友人たちも同じ証言です。
ホテルはコッテージ方式で、客室はそれぞれ別棟になっています。チェックインを終
えてカウンターのある建物を出て、小道を客室に向かって歩いている途中、午後一時
二十七分、客室の手前で突然吐き気を訴えます。客室に駆け込むなり嘔吐しますが
、胃液様の物を若干吐いただけです。その後、ベッドに横になり、冷や汗、嘔吐、手の
痺れ等を訴え、症状は急激に悪化します。

 午後二時三分、救急車でホテルを出ます。救急車の車内では意識も晴明で、救急
隊員の質問に、「変わった物は別に食べていない。朝食でコーヒーとパンを少し食べ
ただけ」などと、はっきりした口調で答えています。
午後二時十分ころ救急車内で、突然、呼吸と心臓が停止します。二時十二分ころ
心肺停止のまま病院に到着し、蘇生のための治療を受けますが、一度も蘇生するこ
となく午後三時4分。死亡が確認されます。旅先での急死のため、翌日行政解剖が行われ、
死体検案書に死因は心筋梗塞と記載されました。

 利佐子の保存された血液からトリカブト毒が検出されたということが、なにを物語るか。
血液の検出から四年後に逮捕されますが、なぜ四年のあそびがあったのでしょう。
利佐子の死から逮捕までの経過をたどります。

 生前、利佐子は、数人の友人に高額な生命保険の加入を話していました。池袋の
自宅での通夜の日、利佐子の友人たちに私は激しく追求されます。一部のマスコミ関
係者が、取材のためにマンションの下で控えていると聞きました。告別式は、マスコミ
関係者が出入りするなかで葬儀場で行われます。そのとき利佐子の友人の撮った私
の顔写真が、二ヶ月後、目隠しなどのない素顔のまま、実名を明らかにした記事とと
もに、後に廃刊となる写真週刊誌に掲載されます。

 告別式から一ヶ月ほど経ったある日、引っ越し準備中の大阪のマンションに、利佐
子の友人から依頼されたと言って、スポーツ系の新聞社のO記者が、取材のために
私を訪ねてきます。私は質問にていねいに答えます。七月だったと記憶してますが、
その日刊紙に、私を中傷する記事が連載されます。O記者は、一審判決が出たあと
で、拘置所在住の私に対して、勝利宣言のような追い討ちの手紙をよこします。連載
した記事に、よほど自信があったのでしょう。

 写真週刊誌と日刊紙の、殺人疑惑を全面に掲げた報道以来、外出のときの電車内
に、私の事件を記事にしたことを伝える、週刊誌の宙吊り広告を見かけるようになりま
す。私はすぐ目をそらしますが、また目線を向けてしまいます。一部のマスコミによる
私の事件の報道は、利佐子の保存血液から、トリカブト毒が検出されたとの証言が
あるまでの約四年間、散発的ですが途絶えずに続きました。

 利佐子の葬儀を終えて七か月後、一九八六年一二月、私は新聞広告の求人募集
欄を見て応募し、採用されて会社勤めを始めます。会社で経理部に所属した私は、仕
事に熱中します。会社は株式を店頭登録によって一般公開し、米国と台湾に子会社
を持つ従業員六百人ほど、年間売上約一〇〇億円の製造販売会社です。企業会計
人として腕を振るうには、私にとって最適の企業でした。私の事件についても、会社の
トップに正直に話し、仕事をおろそかにしなければそれでいい、との了解を得ます。
海外の二つの子会社との連結決算は、私の未知の分野ですが、それだけに強い興
味がわき、精力的に勉強しました。入社以来、日夜を分かたず奮闘し、総菜会社設立
の望みは、遠い存在となります。
 
 私の年収は、残業手当なども含めると七百万円ほどでした。他の借金は全て清算
しましたが、親族に残している約五百万円の借入金を返済するために、家計を月十
万円程度に切りつめて預金をしました。住まいは、世話になっていた横浜の両親のも
とから、就職後すぐに、会社のある東京都足立区に、家賃四万円のアパートを借りて
引っ越します。質素な生活を一年ほど続けて返済資金が貯まると、困った習癖が芽を
出しました。同僚と地元のミニクラブに飲みに行ったことが切っ掛けとなり、ふたたび
銀座などに飲みに行くようになります。

 入社して一年三か月後の一九八八年三月、前任者の常務取締役部長が健康上の
理由で退職し、都市銀行の支店長を定年退職して就任していた経理部長も、高齢で
嘱託となっていたために、私が総務部長兼経理部長に抜擢され、事務部門の統括を
一手に引き受けることになりました。
一日四,五時間の睡眠時間で、私は仕事をこなしました。旧態依然とした経理シス
テムを、新しいシステムに組み替えます。二年ほど前に開業した台湾子会社の操業
が本格的となり、海外連結決算を有価証券報告書に記載して、大蔵省に報告するこ
とが義務となると、そのシステム作りに苦心します。会計監査に来る公認会計士の指
導を受けながらの海外連結決算のシステム作りは、産業界でも未知の問題が多く、
一生をかける仕事として充分に価値があるものでした。決算期には、米国、台湾と海
外子会社への出張を繰り返しながら、海外連結決算のコンピューターによるシステム
化を図り、処理基準の作成に熱中します。この分野の勉学に身を入れ、わずかしかな
い専門書を読みあさりますが、体系的な理論書はなく、自ら理論の体系化を進めるな
ど、ゆくゆくは、この道の専門家となることを目標とします。

 部長就任当時は、総菜会社の設立に、わずかですがまだ色気がありました。その
色気も、海外連結決算の魅力にはとても及びません。すでに病人食の宅配業も現れ
、コンビニエンスストアが整備されるなど、食品業界は日進月歩です。部長就任後二
年くらいのあいだに、総菜会社へのこだわりは完全に消えてしまいます。

 企業会計人としては経済の感覚は優れているはずなのですが、なぜか、私生活で
は経済的な感覚は希薄になります。将来の生活を支えるために、職権を利用して不
正で得た資金でしたが、衝動的に浪費の悪癖が頭をもたげ、女性の嬉しそうな顔が
見たさに、またもや銀座などを飲み歩き、浪費を重ねます会社の椅子に、尻が張り付
くほど忙しいのですが、睡眠の時間を削ってまで、無意義な時間を作ります。不正で
得た資金は手元にとどまらず、銀座のクラブなどをはじめとする飲食店や高級ブティ
ック、それに、心にかなう女性のふところを目指して飛んでいきました。

全文-05 (2013/01/20(日) 10:00:49)
2011.10.31

全文-5

 会社勤めのあいだ、逮捕されることは脳裏をかすめることはありませんでした。利
佐子が病死でなく中毒死であるとすれば、私が毒物を利佐子に服用させるには、友
人たちと落ち合う午前十一時二十分以前に済ませておかなければなりません。航空
機が延着したのは予想外であって、定刻に到着することを前提として行動していたか
らです。利佐子の保存血液からトリカブト毒が検出されたと証言されるまで、殺人疑惑
と騒がれても、私には毒物の特定はできませんでした。服用してから何の異常も示さ
ず、約二時間後に突然吐き気をもよおして、発症するような毒物の存在は、私の知識
では皆無です。この疑問には、殺人疑惑を騒いだマスコミも答えていません。私が逮
捕されることはないと確信していたのは、これが原因です。

 一九八九年夏ころ、NHKのA記者が取材に訪れ、「利佐子の血液からアコニチンが検出された」
と言って私の感想を引き出そうとします。私はアコニチンとは何かを知らず、答えませんでした。
書店などで調べて、トリカブトの毒素の一成分で、即効性があることを知ります。
速効性があるということは、服用してから約二時間経過してから発症するなどということ
はあり得ません。私がトリカブトを栽培していたことを、どこかで聞き込んで、私の反応を見る
ためにA記者は話したのだと推測しました。服用から発症まで約二時間の絡むような話に、
私は拘泥することはありませんでした。

 利佐子の保存血液からトリカブト毒が検出されたという証言は、私にショックを与え
ましたが、書物で読んだ速効性があるという記述は信憑性があり、私の動揺はすぐに
治まりました。利佐子の死から、証言があった一九九〇年一〇月まで四年五ヶ月が
経過しています。血液の鑑定は、利佐子が死亡してから数ヶ月あとに実施されたと判
断しますと、それから約四年逮捕されないということは、トリカブト毒の速効性の問題
が解決できないからと見るのが順当です。

 保険金支払い請求の民事訴訟は、保険金が欲しかったことも事実ですが、もうひと
つ、殺人疑惑は真実の話ではなく、私は潔白であると、証明することが目的でもあり
ました。保存血液からトリカブト毒が検出されたと証言があったとき、私は身に覚えが
ないことから、今後も充分に争えると断定します。
私はこの民事訴訟で、重大な過ちを犯していました。かって不正行為で得た資金
を、経営コンサルタント業で得た収入だと、民事訴訟を担当した弁護士さんにウソをつ
いていたのです。この収入が民事訴訟の一つの争点でした。弁護士さんから訴訟を
継続する条件として、コンサルト先の会社の確認がぜひ必要だと求めれます。
実際には関与先がなく 、不正行為を打ち明けることもできず、私は弁護士さんの信
頼を失いました。信頼を失っては民事訴訟を継続することはできません。十一月、私
は訴訟を取り下げました。

 それからは、マスコミの取材攻勢が激しくなります。危険水域を大幅に超えた河の
堤防が決壊したごとく、各社の報道が世論を呑み込んでいきました。週刊誌は言うに
及ばず、テレビも連日のように私の話題をワイドショーなどで取り上げます。私が八年
前、自宅のベランダで、栽培するために購入したトリカブトの鉢植えでしたが、それを
販売した店が判明したことも加わって、報道合戦は激しさを増し、極悪人としての私の
レッテルは世評に定着します。十一月中旬、ある新聞社の記者が取材に訪れます。
その記者が、「トリカブト毒は速効性があり、服用して五分もすると発症する」
と教えてくれました。速効性に、時間的裏付けが与えられたのです。時間的裏付けが
与えられたのです。五分が若干変動するとしても、服用からは発症まで二時間近く掛
かることは、常識的に考えられません。逮捕されることはないという私の志向は強くな
ります。

 会社などで世間のうわさを耳にしていると、裁判の第一審はマスコミによってはじめ
られたという雰囲気です。あるテレビ局などは、カプセルにグリセリンを塗って、溶解
時間を計る実験をして見せてくれました。マスコミは私への取材のため、会社へ際限
なく押しかけてきます。私は十二月に入り、会社を依願退職しました。
マスコミとの接触を避けるために、札幌に転居してからの私の生活は、持ち込んだ
パソコンを使用しての海外連結決算のシステム作りと、税理士試験の受験勉強に明
け暮れる毎日でした。札幌に転居して新年を迎えたときの手持資金は、百万円を切っ
ていました。生活費の予算は月十万円です。家賃や光熱費、雑費および書籍代など
を差し引くと、食費は月二万円ほどです。総菜会社設立準備のときの料理実習の経
験を生かして、食材は安物を使いますが、工夫をして内容を充実させます。ですが、
食べるのは私ひとり、それが寂しいことでした。

 三月から失業保険金の給付を受けます。就職は無理なので、二年間、この給付金
と手持資金を合わせて生活することにします。その間に税理士資格が取れない場合
は、アルバイトで収入を確保して受験勉強を続けることにしました。
私はこの経済的なつましさと、心の豊かさが同居した生活が私本来の生き方であるこ
とに気がつきます。三十二歳までの生活は、このような日々でした。その後の生活の
破廉恥さは、我ながらあきれ果ててしまいます。

 札幌に転居して初めての尾行に、税理士試験の受験申し込みを済ませて、札幌国
税局を出て北一条通りを、西三丁目の交差点の方向へ歩いていたときです。札幌に
も遅い春が訪れ、桜のつぼみも膨らみはじめていました。不審な男が私の十メートル
ほど後ろをつけてきます。私は歩みを速くしたり遅くしたりして、男との間隔を測ります
が、男の歩むリズムも同じです。この通りには、中央警察署もあり、民放テレビ局の社
屋もあります。友人の話で、警察には札幌の自宅の所在が知れていることはわかっ
ていました。尾行はこの通りからはじまっています。私は、マスコミ関係者と見当をつ
けて、まくことにしました。若いころ、革新政党で活動していた私は、尾行者をまく要領
は心得ています。距離がひらくように仕向けて、アマをまくのは簡単でした。札幌では
よく出歩きましたが、マスコミにつかまって取材を受けたことは一度もありません。
六月九日の逮捕の日は、二人の刑事が自宅からつけてきました。途中で、尾行に
私が気がついたとわかると、刑事は、千歳空港の出発ロビーまで、牽引車に引かれ
るようについてきます。厚かましさにかけては、さすがにプロは違います。連絡を受け
た警部が、羽田空港で私を待ち受けていました。

 服用から発症まで約二時間という疑問を持ったままでの逮捕に、私は釈然としませ
ん。横領容疑の取り調べが終わり、殺人容疑の取り調べがはじまると、警部は私に、
「五年も逮捕が遅れた原因は、服用から発症まで二時間近く経過している問題が、解
決できなかったからではないのですか」と訊いてみます。警部は、「捜査にも手順がある」と、
歯切れが悪い言い方をします。殺人容疑で再逮捕されてから、その拘留期限の切れるまでの
二十二日間、執拗にこの問題を問いただしますが、それを是とするような答えは得られず、
疑問が募るばかりでした。私はこの問題が、この事件の核心となる事柄であり、
裁判でも最大の争点になると確信しました。


全文-06 (2013/01/23(水) 20:04:28)
2011.11.15

全文-6

二 有罪と定められたレールに乗って走っている気分

 暑い、じっとしていても汗が噴き出してきます。私が東京拘置所に収容されたのは、
一九九一年七月二五日です。
夜中に、突然、黒の礼服を着た訪問者が現れます。孤独な私の慰問のためか?それ
にしては、小物を収める棚の近辺を漁っています。私はそっと起きると、ほうきを持っ
て身構えます。出て来た!私は思いきりほうきで叩きます。ゴキブリ君は、布団のヘ
リを伝って一目散に逃げていきました。翌朝、ゴキブリ君の訪門口を探しますが、
コンクリート造りとはいえ、建物が何しろ古い。三畳に、洋式便器と流し台の設置された
一畳ほどの床、流し台の下などは、板が腐り穴だらけです。
毎夜訪ねてきます。二センチほどの黒い光沢のある平べったく横にずんぐりしたやつ
です。夜中でも本が読める程度に明るいので、動きはよくわかります。話し相手のい
ない私は、極悪人扱いされて追いまわされた、やるせない気持ちを、ゴキブリ君にぶ
つけます。ひとわたり棚を探索してから帰途につくのを見計らって、「君も極悪人として
追いまわされているだろう、似た者どうし、さあ勝負」 とつぶやき、ほうきを持って私は
一騎打ちをはじめます。私の勝つ確率は四日に一回くらい、私が勝った次の夜には新手
が一匹繰り出してきます。ひと夜に二匹訪ねてくることはありません。拘置所だからで
しょうか、ゴキブリ君の世界はよく統制が取れているのです。夏のあいだ、ほとんど毎
夜、この戦いを繰り返しました。

 手錠の感触から離れて、すでに三か月が過ぎています。拘置所では、日常生活は
もちろん、所内を移動するときも手錠とは無縁でした。第一回公判に臨むため手首に
手錠がかけられたとき、「ああ、手錠か」 という程度の感触でしたが、公判の回数を
重ねるに従って、手錠の感触は、冷たく心に食い込んできます。
第一回公判に臨んだ私は、気負いだけが心を支配していました手錠が外され、被告人が
控える個室で、開廷を待つ一時間ほどのあいだ、備品の雑誌に目を落としますが、
字面を追うだけで内容は頭に入りません。またか、またか、と三度小用に立ちます。
午前十時、手錠を掛けて入廷し被告人席に着席したときは気持ちは落ち着いていました。
裁判官などはすでに着席しています。正面は一段高くなり三名の裁判官、
一段下がった右側が弁護人席、左側が検察官席です。被告人は傍聴席を背にして、
二名の看守と共に弁護人席に近い長椅子に座ります。前には長机が置いてありました。
手錠が外され、傍聴人が入廷し、裁判が開始されます。私は振り向いて傍聴席を
見る余裕が出ていました。傍聴席はほぼ満席です。人定質問で裁判長の前の被尋問
席に立った私は、質問を受けながら、裁判官の表情の動きを捉えようと努力します。
三名の裁判官も、マスコミの報道に無縁ではないのです。私に対してどのような心証
を得ているのか気がかりです。人定質問が終わり被告人席に戻ってからも、三名の
裁判官の表情を見比べることに、公判が終わるまで、全神経が集中してしまいました。

 検察官の起訴状朗読がはじまると、三名の裁判官は、わずかにうなずきながら聞い
ているように私には感じられます。うなずくとは、合意を表す合図です。午前十時から、
昼食を挟んで、午後三時三十分までの四時間三十分ほどの公判中、検察官と弁護
人がそれぞれ陳述します。それを受け止める裁判官の反応の表情から有罪の心証
に傾いていると読み取りました。気のせいだろうか? 私は首をかしげてつぶやきます。
裁判官がそのような先入観を持って、第一回公判に臨むことはないのかもしれません。

 この杞憂は、逮捕後の取り調べで、カプセルの服用から発症まで約二時間の問
題に、答えが得られなかったことの影響と、私には血液採取後のトリカブト毒の混入
を立証することが不可能で、利佐子の保存血液からトリカブト毒が検出された事実が
私の脳裏で葛藤し心を圧迫していたからです。この圧迫感は、公判が進行するにつ
れて杞憂でないことが明らかになります。
私は冒頭陳述の口述ように文書を用意していましたが、その機会がなく、文書を陳
述書として提出して第一回公判は終わりました。陳述書には、血液からの検出の問
題には一切触れてません。

全文-07 (2013/01/25(金) 06:03:06)
07-2011.11.17

全文-07

 第二回、第三回公判において、利佐子を解剖し血液を保管した筑波大学O助教授
の証人尋問が行われました。血液の鑑定はO助教授が行ったのではなく、東北大学
のM教授で、O助教授はその鑑定報告書にもとづく証言でした。
O助教授の証言を簡潔に示します。解剖直後は、病死だろうという気持ちは変わり
ありません。利佐子の死亡から10日ほどたった6月初め、写真週刊誌の記者から、
利佐子が高額の生命保険に加入していると聞き、死因として薬物の可能性も充分に
検討しなければと思います。助教授は、独りで考えていても、らちが明かないと、
7月10日、研究室の先生方四人とその他研究員六、七名を集めて検討会を行います。
多くの薬物をリストアップした中に、誰が言い出したか記憶にないとのことですが、
トリカブト毒もリストに入りました。
一回だけ行われた検討会でトリカブト毒が浮かび上がり、O助教授は九月末ぐらい
に東北大学からトリカブトを取り寄せ、根を薄く切ってシャーレの中に並べてエタノー
ルを注ぎ2、3週間放置します。翌年一月二十日ころ、その抽出液を犬になめさせ、中
毒を起こした犬の血液を東北大学M教授に送りました。鑑定の結果、血液からトリカ
ブト毒が検出されます。

 第四回、第五回公判において、利佐子の保存血液の鑑定を検察側に依頼されて、
フグ毒を検出した東京大学N講師の証人尋問がありました。
利佐子の死亡から約五年、逮捕から一か月後の一九九一年七月、鑑定のため、試
験管に入った血液を封筒に入れて東京大学に警察官が持ち込みます。N講師はそれ
から鑑定をはじめ、血液からフグ毒を検出し定量も行っています。第四回公判はこの
年の一二月ですが、鑑定の進め方、定量分析の方法、致死量を含む草フグの肝臓の
量、肝臓からメタノールを溶媒として抽出・濃縮した物質がどろどろ状になることを明
らかにし、どろどろ状物質を更に精製するには、特殊な機器と薬品、それに高度な技
術が必要だと証言します。
両毒の鑑定内容の四回の公判を経過して、私の気持ちはしだいに追い詰められて
いきます。その後の公判は、逮捕されて取り調べを受けたとき、私が無実を明らかに
したいために供述した、六種類の購入品の購入理由を、検察官は全て裏返しにして、
極悪人としての私の立場を固めようとした公判でした。

 トリカブトの購入は、福島県白川郡所在の山野草販売店野天著を承認として召喚
し、購入の日と数量について、仕入れ伝票から、一九八一年十一月ころから翌年九月
ころまでの間、四,五回にわたり、鉢植えのトリカブトを合計六十二鉢購入したと証
言させます。実際には、私は一九八二年六月下旬から同年九月上旬の間に三回五十二鉢
を購入しています。証言と実際の相違である、一九八一年一一月ころの購入が、なつ江
の発症にかかわる、検察側の立証に重要な役割を果たしていることに、控訴審の準備中
に私は気がつきます。

 クサフグの購入は、神奈川県横須賀市で漁業を営むM氏と、そこで従事している人
を、証人として召喚し、購入の日と数量について、一九八四年三月から翌一九八五年
秋ころまでの間、6、7回にわたり、約千二百匹を購入したとの証言を得ます。
実際には、私は一九八四年四月から翌年六月までの間、六回にわたり、千八十匹
ほど購入します。
証言と実際の相違である一九八五年秋ころは、後に記述するように、この時期マウ
スは購入しておらず、検察官が主張するマウスによるフグ毒の効能実験はできない
のです。この証言を検察側は是認しますが、主張に一貫性がないと言えます。

 カプセルの購入は、東京都荒川区所在の薬H店の店員をしょうにんとして召喚し、
風邪薬のフルカントジン、強壮剤のレバゴルトV、鎮痙剤のパボランカプセル、のカプ
セル入りの薬を週に一、二回の割合で購入していたこと、一九八五年九月ころには、
製造中止となったパボランカプセルの在庫品の全部七、八個をまとめて購入したとの
証言を得ます。
実際には、薬H店の関連会社が製造したと店員に勧められて、フルカントジンを
一、二回、同じ理由で勧められたレバゴルトVを、私が試用してみようと数か月間購入
します。パボランカプセルは、なつ江が腹痛のときの常備薬として年に四箱ほど買い
置きし製造中止と聞いて在庫品を七箱ないし八箱を購入します。
パボランカプセルは一箱十二カプセル入りですが、検察官は利佐子がトリカブト毒と
フグ毒をカプセルで服用したことを強調したいために、カプセルの購入を印象づけよう
としたのです。利佐子が服用したとされるカプセルは一個です。それが目的なら、なぜ
百個近いカプセルを購入する必要があるのでしょうか。

 メタノールとエタノールの購入については、逮捕後の取り調べで、消毒用のエタノー
ルの話はしますが、私がどのように供述したか記憶が定かでありませんので、実際の
購入について記述します。
消毒用にエタノールを薬H店から購入しますが、早朝で薬H店が開店前のときは、
斜め向かいのJ薬局から購入しました。ところが間違えて、J薬局から購入したのはメタノールでした。
購入した日と数量は、一九八二年七月から一九八五年九月までの三年二か月の間に、月五本から六本、
五〇〇ミリリットル入り容器で一九五本ないし二百三十四本購入します。
検察官の主張は、私がアルコールを使用して、トリカブトの塊根とクサフグの肝臓から毒を抽出した
ということなので、消毒用にメタノールを誤って購入したことは、大変不利に働きます。


全文-08 (2013/01/25(金) 06:12:40)
2011.11.22

全文-08

 エバポレーターの購入については、逮捕後の取り調べで、総菜会社の内容を説明
するために、私が明らかにしたことでした。
私の供述をもとに警視庁捜査一課は、東京都千代田区所在の理化学材料を販売
しているT株式会社で事情調査を行い伝票等から、一九八二年六月七日と翌一九八
三年三月二三日の二回と、一九八三年七月九日に部品のガラスセットの購入を認定
します。
実際には、一回目の購入は一九七九年で、逮捕後の取り調べでは強く主張してい
ますが、十年が経過して伝票が保存されていなかったためか、無視されます。この時
期の購入が、エバポレーターを買う動機を説明する上で重要な意味があるのですが。
マウスの購入についても、逮捕後の取り調べで、総菜会社の内容を説明するため
に、私が明らかにしたことです。

 私の供述から、捜査一課は、東京都練馬区所在の実験動物を販売する株式会社N
の事情聴取を行います。私が購入したことは確認出来ますが、購入の日や数量につ
いては確認できず、私の供述を一応参考にしたようです。
私がマウスを購入した日と数量は、一九八三年十一月か十二月、池袋のペットショ
ップから五匹、一九八四年二月か三月、株式会社Nから五十匹(最小販売単位)、一
九八五年六月か七月、同Nから五十匹、一九八六年四月二十六日、大阪所在の実
験動物を販売するA店から五十匹(最小販売単位)です。
私はこの事実を逮捕後の取り調べで、全て供述していますが、裁判官は、トリカブト
の購入との関連で、株式会社Nからの購入を、一九八二、三年ころと違えて認定しま
す。クサフグの購入時期を一九八四年三月ころから翌一九八五年秋ころまでの間と、
検察官の主張のとおり裁判官も認定しますが、では、クサフグからフグ毒を抽出して
マウスで毒性試験をしたという、検察官の主張の筋書きは、どのように解釈したらよ
いのでしょう。残念ながら、この矛盾の露呈は、第一審の裁判が終了した後に私は気
がつきました。

 第一審の三七回の公判のほとんどは、私を極悪人に仕立てる筋書きを描くため
に、検察側が召喚した証人の証人尋問で満たされています。多くの公判で、証人尋問
が終わると検察官は私を裁判官の前に引き出し、その証人にかかわる事柄を私に尋
問します。私は事実を話せばいいのだという気負いから、軽くいなす意気込みで被尋問席に
立ちますが、取り上げられた数々の問題は、六年かr一二年も前のことで、記憶が薄
れている事柄が多く、なんの準備もなく公判で質問され、記憶をたどりますが、記憶の
もつれは、ほぐす糸口を間違うと、ますます絡みつきます。

 逮捕直後から、私は取り調べにあたった警部や検事に、供述のわずかな食い違い
をとらえられては揚げ足を取られます。そのことは、公判が開始されてからも検察官
によって続きました。私は公判が進むにつれて被尋問席に立つと、それ以前の公判
での供述と、整合性を欠かないようにと最新の注意を払いますが、以前の公判での
供述調書が手元にない悲しさ、気負えば気負うほど、l整合性を欠き失点を重ねます
。検察官は六年から一二年前ほど前のことを追求してくるのですから、記憶が定かで
あるはずはありません。公判を重ねるなかで、記憶が掘り起こされ、供述を二転三転
させながら、私の認識は事実に合致していったと言えます。

 裁判に不慣れな私は、不慣れということすら思い及ばず、心のどこかで裁判を侮っ
ていたのかも知れません。その一つとして、弁護士の先生方への態度に現れます。
先生方とは各公判の前に接見(面会)によって、打ち合わせをすべきなのですが、国
選弁護人の弁護報酬は非常に低額だと聞いていた私は、遠慮からその要請をせず、
公判のたびに書状で、証人への質問事項などを先生方へ連絡して済ませるといいう
安易な態度でした。弁護人への書状で連絡するだけで、証人へ聞きただしたい事項
が、先生方に正確に伝わるはずはありません。開廷中の法廷で、私は弁護人とこそ
こそ打ち合わせをして、裁判長に幾度か注意されます。このようなことでは、十分な
時間と費用を補償されている検察官に、太刀打ちできる訳がありません。

 検察官の起訴状などは、取り調べのときのダイジェスト版だと、ほとんど気にもかけ
ずに私は朗読を聞いていました。起訴状に沿ったトリカブトやクサフグなどの六種類
の購入品に対する検察官の主張は、トリカブトの根塊とクサフグの肝臓から、エタノー
ルないしメタノールを溶媒として、トリカブト毒またはフグ毒を含む溶液を抽出し、エバ
ポレーターで濃縮して水飴状物質またはどろどろ状物質を得て、マウスで毒性の効能
実験を行って、両毒をカプセルに詰めて利佐子に服用させたという筋書きです。
検察側の筋書きは、逮捕後の警部や検事の取り調べで、ほぼ想像がついていまし
た。私の頭を支配していた、服用から発症まで約二時間の問題が、この想像を軽く考
えたのです。六種類の購入品について、記憶をたどり充分に事実を整理しておくべき
なのに、なんの準備もなく公判に臨みました。召喚された証人の供述と実際との食い
違いを、弁護人のの適切な証人尋問で正していく努力を私は怠ったのです。服用から
発症までの二時間の問題にこだわり、検察官の有罪との主張の矛盾、例えば、クサ
フグを購入した時期には、マウスは一匹も購入しておらず、毒性の効能実験はできな
いのに、なぜ購入したと主張するのか、という矛盾などは、事前の準備があれば公判
で指摘できます。裁判に不慣れな私が、裁判を侮っていたのかもしれないというのは、
このような状況について述べたのです。

 事前の努力が充分ではなかった私は、第一七回公判あたりから、証人への尋問と
その供述を聞く態度が、明らかに有罪との心証をあらわしているように感じて、気後
れし、気持ちが守勢に立たされてしまいます。

全文-09 (2013/01/28(月) 22:11:15)
2011.11.24

 全文-09

 三  証人尋問調書が手元にない悔しさ

 夏の暑さはまた来年、喧嘩仲間も訪れない涼しい静かな季節を迎えました。この季
節になると、銀座の町の風情がよく思い出されます。拘置所に閉じ込められても、銀
座の町とはまったく無縁ではありません。公判がある日、護送車は裁判所への行き帰
り、銀座四丁目の交差点を通過します。車窓からは、銀座の町を、眺めることできる
のです。銀座の秋は、私にとって人生を分外に踏み違えた季節です。少年のころから馴染
んでいた革新政党に、青年時代に入党し、専従活動家として汚れのない生活を送っ
来ました。三二歳で革新政党を離れます。会計事務所などの勤めを経て、三三歳の
秋、P社に入社し経理課に所属しました。さっそく銀座への飲み歩きの洗礼を受けま
すが、その伝票が数日後に経理課にまわってきます。一般社会の裏のシステムを知
らなかった私も、そのからくりを一つひとつ覚えていきます。免疫体のない私の心身
は、悪い慣習に抵抗することなく犯されていきました。

 入社後二年ほどで経理課を任されるようになると、不正行為で得た資金で、銀座に
個人的に飲みに行くようになります。アルコールに弱い私は、店の雰囲気と女性との
会話が楽しいのです。私の通う銀座の店は、個人的に行くようになってから、約十五
年間替わっていません。ホステスさんを追いかける男性は多いと聞きますが、私はホ
ステスさんを追いかけたことはなく、本支店合わせて四店あるその店に居着いてしま
いましたが、経済的に援助をした数人のホステスさんを含めて、肉体関係を求めたこ
とは一度もなく、手を握ったことことすらありません。女性の笑顔を見たさに、会話をし
、援助をしたのです。少年時代から蓄積した女性観が、寸分も変わることなく生きてい
たといえます。その店から受けた心の温まる思い出は、自由を奪われる身となってか
らも忘れることはできません。
裁判所からの帰りが遅くなり、手錠と腰縄という惨めな姿で、ネオンの輝きを増した
銀座の町を、眩しく感じながら通ることが有ります。車窓から見る銀座の町、いつまた
自由に散策できるか、気が遠くなる思いがしました。

 私の公判での闘いは、利佐子が服用したとされる、カプセルに詰められるトリカブト
毒の毒量の問題からじまります。トリカブト毒は、経口的にそのまま摂取すれば、苦み
を伴う強いひりひりした刺激があり、とても耐えられないとのことですから、検察官は、
利佐子はカプセルで服用したと推認します。利佐子がトリカブト毒を服用したと仮定す
れば、この推認に私は意義はありません。
私が購入したカプセルで最も大きい物は、パボランカプセルの、容量0.六七mlの
白いカプセルです。利佐子が服用したと仮定すれば、この白いカプセルに、トリカブト
毒を含む水飴状物質を詰めて服用したことになります。利佐子の保存血液から検出
されたトリカブト毒の毒量は、体重で換算して約五,九mgです。この毒量が白いカプ
セルに詰められるか、が争点です。この問題では、東北大学のM教授が、鑑定結果
の違う三種類の鑑定書を提出しています。

 最初の鑑定書は、一九九二年五月、第九回公判で提出されたもので、警視庁捜査
一課のY警部補が、専門家の指導で、白川産トリカブトの乾燥根2.2gからメタノール
で抽出・濃縮した水飴状物質を鑑定した結果です。鑑定結果は、「乾燥根1g当たり、
水飴状物質の収量は〇.一gです」

 二回目の鑑定は、一九九四年一月に提出された「共同鑑定書」に記載されていま
す。白川産トリカブトの根塊三十一個を、一個ごとにメタノールで抽出.濃縮した水飴
状物質を鑑定した結果です。各個の鑑定結果を平均すると、「乾燥根1g当たり、水飴
状物質の収量は約〇.二三g、それに含まれる毒量は二.六mgです」

 三回目の鑑定書は、一九六四年二月、第二八回公判で提出された物で、最初と同
じY警部補が、白川産トリカブトの生根約一〇〇gからエタノールで抽出.濃縮した水
飴状物質を鑑定した結果です。生根一〇〇gを乾燥させると、約三〇gの乾燥根にな
るとの証言があります。それで換算すると、鑑定の結果は、「乾燥根1g当たり、水飴
状物質の収量は約〇,〇四七g、それに含まれる毒量は約三,六mgです。

 最初の鑑定書が提出された第九回公判で、鑑定結果から、致死量の二mgを含む
水飴状物質が、白いカプセルに詰められるか、私は計算してみました。計算では、カ
プセルが九個以上必要です。公判はすでに九回を経過して、いろいろと調べたいこと
があるのですが、鑑定書や証人尋問調書が私の手元に一冊もなく、検察官の主張に
適切な反論ができません。カプセルが九個以上必要だという結果は、私の悔しさを検
察官にぶつける強力な武器となります。この時点から、利佐子が服用したとされるトリ
カブト毒とフグ毒が、白いカプセルに詰められるのかという問題が、服用から発症まで
約二時間の問題とともに、私の非常に重要な事項となります。

 二回目の鑑定書が提出されたときには、必要最小限度の六冊の鑑定書と九冊の
証人尋問調書が手元にありました。年金で生活している八四歳になる父にコピー代
の借用を申し込み、快い返事を受けて、弁護人にコピーをお願いし、一九九三年一一
月に届いたのです。これらの資料から、二回目の鑑定結果でも、利佐子の体内総毒
量を含む水飴状物質が、白いカプセルに詰め切れないことを明らかにできました。
三回目の鑑定書が提出されたとき、私は挫折感を味わいます。三回目の鑑定結果で
は、容量〇,七mlの二号カプセルに、トリカブトの致死量の約二七倍詰められている
のです。これがが事実なら反論の余地はありません。

 私は第三十回公判で、東北大学M教授に三つの鑑定結果の相違について詳細に
質問しますが、M教授は曖昧な答弁に終始します。
白いカプセルには、フグ毒も詰めなければならないのですが、フグ毒については、
クサフグの肝臓からアルコールで抽出・濃縮したどろどろ状物質の収量や、それに含
まれる毒量の、鑑定および証言は一切なく、私が問題にしたくても、この件に関する
鑑定および証言は一切なく、私が問題にしたくても、その糸口がつかめません。この
件に関する鑑定の申請を、弁護人に依頼しようと検討しているうちに、事実審理が結
審すると知らされて、果たせませんでした。
 
 第二五回公判(一九九三年十一月)で、私は不思議な雰囲気に包まれます。法廷
は薄暗くされ、スクリーンが裁判長の正面、私の真横に据えられます。東京理科大学
F教授の鑑定書をもとにした証言がはじょまると、法廷はまるで研究発表の会場のよ
うになります。F教授はこの研究について、最近、学会で発表したと証言します。
道理で、私はうなずきます。学会での研究発表を、そのまま法廷に持ち込んだと思わ
れる道具立てです。証言の内容も、研究発表をそのまま再現したようなやり取りを
検察官と行っています。

 私は首が痛くなります。スクリーンが真横にあって見にくいのです。正面に向けた
真横にあるスクリーンを見るために、私は腰を前の長机にささえるようにして首を前方
に突き出し、左横を見ながら長時間その姿勢を保っていました。ただ、傍聴席のマス
コミ関係者が、私の表情をうかがおうと、傍聴席の片隅に寄っているので、私はその
視線を避けるために、自らの視界についたてを立てるように、首をできるだけ正面に
向けようと不自然に伸ばしながら横目を使っていたのです。肉体的にこれほど疲れた
公判は初めてでした。

雑感 (2013/01/29(火) 06:03:57)

 ふと思ったのですが、この文書を作る事になった経緯を少々・・・
 
 神谷氏が約1年半にわたり手紙に書いた再審請求の為の文書です。
2012.10月頃に完成する予定でしたが、同5月に病に倒れ未完です。
この文書を公開することについては、故人も条件付きで了解されてたので、
関係者と相談してここで公開することにしました。

 【全文 1-43】の、最初の行の数字は、手紙の日付です。
長編でしかも重複する所も結構あったりします。
本人も承知の上です。それだけ思いがこもっているのだと思います。

 これをタイプするにあたり、神谷氏は再審請求がされる迄、外部に漏れることを懸念していましたので、
作業中はインターネットにつながない、データはPCに残さず、
USBメモリなどの外部メモリに保存したりしました。

 【仕組まれた無期懲役】からの引用箇所が相当あるので、
タイプの苦手な私は考えました。(笑
今、話題の自炊業者に頼んで、PDF化してもらい、利用することにしました。
業者が使うAdobe Acrobat X にはOCR機能が含まれてるようで利用します。

 これほどの長文をタイプすることは初でした。引用箇所をコピーして、ワードに貼り付け、
誤認識したところを訂正しながらの作業ですが、全てがコピペでは無いので
多少自ら校正のまねごとをしましたが、素人のすることはしれてます。
OCRの誤認識を見逃したり、タイプミスがあったりしてます。
改めて出版関係の方達の専門性に驚くばかりでした。

 でも、私にはタイプするよりはるかに楽でした。(^^) 次に本文の該当ヶ所に貼り付け、体裁を整えます。
こうして作った【全文 1-43】を【事実の証明 1-6】に編集しました。
又、文中の血中濃度に関するグラフは、エクセルなどできれいに作り直すよう指示がありましたが、
私にはそのスキルは無いので、そのまま画像として載せました。
【仕組まれた無期懲役】からの引用箇所は、範囲の指定はありませんが、Pxxx
としました。

 実は、HPを作る事も考えてソフトなど手に入れましたが、
どうもうまくいかず、(自分の程度はこんなモンです。(^^;)) ブログで行うことにしました。
今後、HPを作る事もある・・・・・(期待薄)

 読みづらいところもあると思いますが、この事件をもう1度振り返って下さい。
併せて、頻繁に起こっている 
冤罪事件 についてもお考えいただくと幸いです。



全文-10 (2013/01/31(木) 18:57:52)
2011.11.29

 全文-10

 苦労して聞いていたわりには、証言の内容はお粗末きわまりない物です。F教授
は、学会での研究発表だけにしておくべきでした。利佐子の具体的条件に照らしてみ
れば、まったく場違いの研究発表です。だが待てよ? 私は証言を聞き進むうちに、こ
の研究が警視庁科学捜査研究所からの鑑定嘱託によって、三年ほど前からはじめら
れたことがわかったのです。私の逮捕が約二年五か月前ですから、それ以前から当
裁判を目当てにして研究が進められていたことになります。それならわかります。
検察官がやけに熱心な理由が。

 鑑定内容の詳しい解説は第2章に譲ることにして、なにを言わんとしているかを、
簡略に説明します。この鑑定は、発症時間にかかわるものではなく、カプセルの服用
から、死亡に至るまでの、経過時間に関係するものだということを、まず指摘しておき
ます。利佐子は午後二時十分に心臓停止に至り事実上死亡しますが、その時刻から
約四時間前にカプセルを服用した可能性があることを、明らかにしようとする意図を
持つ鑑定です。その条件として、小麦粉と混合して、利佐子はトリカブト毒の血中濃度
が、服用から約四時間後に最高血中濃度に到達したときに死亡したという前提に立ちます。

 私はこの鑑定結果が、利佐子に適用できないことに、公判がはじまって二時間ほど
経った時点で気がつき、検察官とF教授の、馴れ合いを思わせるやり取りを聞いてい
て、ばからしくなってきます。F教授は、「最高血中濃度到達時間は作用が最も強く現
れる時期で、そのところで死に至る可能性がある」 と証言します。それを受けて、検
察官は、最高血中濃度と致死との関係を強調し、利佐子がカプセルを服用して、四時
間ほど経過してから死亡したことを、印象づけようとF教授と盛んにやり取りを繰り返
します。

 利佐子は午後二時十分に心肺停止に至り事実上死亡しますが、仮にトリカブト中
毒死とすれば、保存血液の濃度から、体内総毒量は約五,九mgと推認されており、
致死量の約三倍です。F教授がスクリーンで描いているグラフは、一時間後、二時間
後、四時間後と血中濃度を直線で結んでいきますが、その直線のつながりの形から、
上に膨らむ曲線になることがわかります。

 利佐子の死亡から四時間前の午前十時十分にカプセルを服用したとすると、その
後の利佐子の血中濃度の動態は、二時間後の南西航空に搭乗して間もない午後0
時十分に、致死量の約一,五倍の三mg程度、三時間後は元気にチェックインの手続
きをしていますが、その状況を無視して検察官が発症時刻と主張する午後一時十五
分に、致死量の二倍を超える四,五mg程度、そして、死亡する午後二時十分に、致
死量の約三倍の五,九mgに達するのです。

 なにがばかばかしいかは、説明する必要もないほど明らかです。服用から発症ま
で約二時間を立証するために、涙ぐましい努力をしたことはうかがえますが、苦肉の
策にすぎません。
私は弁護人に頼んで、利佐子の具体的条件を挙げて、F教授に質問してもらいまし
た。それに対してF教授は、「そのことについては、私は何とも申し上げられない立場
でございますので」 と答えます。私は、口を噤んで叫びました、「あなたは、どこで証
言していると思うのだ! ここは殺人事件を裁く法廷にほかならない。あなたは、一人
の人間を陥れる手助けとなる証言をしているのだ。『私は何とも申し上げられない』
と言うがすでに多くを物語っているではないか」 と。学生を教える立場の人が、この
ような無責任なことでいいのでしょうか。

 この鑑定に関する公判は、二日間、六時間ほど費やして証人尋問が行われまし
た。研究発表の準備にかける費用と労力は、相当にかかったようです。内容の希薄さ
に比べて、このあたりの舞台装置を見ると、検察官の立場の強さをつくづく感じてしま
います。私にこれだけの費用と労力を与えてくれるなら、私の意にかなった鑑定
の実施によって、無罪を間違いなく勝ち取る自信があります。国選弁護人の先生は、
国から支払われているわずかな弁護料でよくやってくれています。ですが、熱意を持
って動けば動くほど赤字になるといいます。検察側のせめて三分の一でいいのです。
権力を武器にした鑑定嘱託と、その裏付けとなる費用が弁護側にあったなら、このよ
うな理不尽さは、簡単に打破できるのですが。被告人とは、なんと弱い立場なのだろ
うと、私は、第二五回公判のこの日、しみじみと味わいました。

 四 効果的な抗弁が組み立てられない
 
 裁判が開始されて、ほぼ二年が経過しました。東京拘置所の窓から眺める四季
折々の庭の風情に、私は飽きることがありません。
冬の気温の低い日は、体が震えて止まらないことがあります。昼、ペンを持つ手が
かじかんで、文字が進まなくなり、窓の外に目をやると、土鳩が前の建物の梁に鈴な
りです。強い鳩、弱い鳩、その駆け引きを見ていて、その面白さに心が安らぎます。山
鳩も庭の低木に巣を作り、餌を求めて庭をよちよちと歩きます。その美しい姿に気品
を感じますが、冬は姿をあまり見かけなくなりました。
春は桜の季節です。庭の染井吉野が満開になると、清楚さや華やかさを誇るよう
に、語りかけてきます。染井吉野が散ると、間もなく八重桜が満開となり、重厚さを押
しつけるように、、にぎやかに話しはじめます。染井吉野は花が散ってから若葉が顔
を出しますが、八重桜は花と若葉が一緒に顔を出します。その違いでしょうか、私の
心に醸し出す和やかさは微妙に変わるのです。

 夏の虫たちとの遊び、ぶつぶつと話しかけて独りで相槌を打ちます。夜中のゴキブ
リ君との一騎打ちは相変わらずですが、昼間、もぞもぞと虫が出て来ます。彼らは先
祖代々、ここの住人のようです。流し台の下が彼らの居住区とわかりますが、居住権
があり、追い出すわけにはいきません。追い出されるとしたら、あとから住んだ私のほ
うです。ここから、追いだされてみたいものです。
一匹お出ましになり、私は顔を近づけてよく見ます。遊んでも面白くないので、草鞋
虫君なら無視します。私が遊ぶのは団子虫君です。扁平なら草鞋虫、丸みがあったら
団子虫、体の色はともに灰褐色色ですが、団子虫が濃い色をしています。お出ま
しは団子虫君です。私が人差指で、体を上から軽く押さえつけて、指を離すと、団子
虫君は体を団子状に丸めます。指ではじいて転がしますが、よく転がります。目、ある
のかな、目が回らないだろうか。畳の上では、背を下にして体を開いてくるりと反転し
て簡単に起き上がりますが、私は丸まった団子虫君を真っ平らな机の上に置きます。
団子虫君、かわいそうに、体を開いて、よいしょよいしょと、たくさんの手足をばたつか
せますが、体を反転できず起き上がれません。三十分ほどもがいていた団子虫君、
疲れたらしく、もがくのをやめて動かなくなります。私は人差し指で畳の上に転がして
やります。団子虫君は起き上がると、慌てたように逃げていきました。

 秋になると柿の木が実を付けます。拘置所に柿の木、庭の幅は、同じ作りの前の
建物まで、三十メートル弱です。初めての秋、私は窓外の香木が柿の実を付けたの
を見て驚きました。柿の実は豊かに生りますが、カラス君が枝に留まってもついばみ
ません。渋いのでしょう。実が地面に落ちてしばらくすると、カラス君がついばみはじ
めます。私は話しかけてみました。実は甘いのかと。カラス君はついばみに夢中です。
私も手にしたいと思いますが、それはかなわないことでした。

全文-11 (2013/01/31(木) 19:07:40)
2011.12.05

全文-11

 検察官は、小麦粉との混合を持ち出して、服用から致死まで約四時間に拘泥しま
した。それは当然です。私が逮捕されて、取り調べを受けたときの、警部や検事の話
を総合すると、利佐子が那覇空港で友人三人と会う予定だった、午前十一時二十分
以降のカプセルの服用を立証するには、ほとんど不可能な条件を満たしていたから
です。午前十一時二十分以降、航空機が延着するとも知らず、私と利佐子は友人三
人が現れるのを必死で探していました。現れたら即、利佐子は友人三人と行動を共に
します。また、航空機が延着したから機内の席が離れたので、予定では、機内でも友
人三人と、一緒の並びの席に座るはずでした。この条件については、警部も検察も私
の供述に反論はしていません。

 このような条件のなかで、両毒入りのカプセルを、私が利佐子に、服用することを
勧めることが、できるでしょうかと主張します。そこで警部も検事も、服用から発症まで
約二時間の問題について、私がどのようにしたのかを、幾度もしつこく尋問しました。
この取り調べの状況から、服用から発症まで約二時間の問題が、全く解決されていな
いことを、検察側は認めたことになります。

 この時は進行しているF教授の小麦粉混合の研究に、検察側がどれほど期待して
いたか、あの舞台装置を見てもわかります。第二五回公判は、検察官にとって晴れ
の舞台だったでしょう。しかし、利佐子の血中濃度の動態を加味すると惨めな舞台で
もあるのです。まさか、裁判官が、この惨めな舞台に目が眩んで、利佐子の血中濃度
の動態という簡単な事実を見極められず、騙されるとは思いませんでしたが、念のた
め、一九九四年一月、第二七回公判の前に、利佐子の血中濃度の動態を加味した
供述書を裁判所に提出します。

 陳述書を提出して、これから反論だと意気込んでいたところ、弁護人から、二か月
後の三月で事実審理は結審すると知らされます。私は自らの耳を疑いますが、聞き
違いではありません。被告人の立場とは、こんなものでしょうか? 一体、私の主張を
どれだけ聞いたというのだ! これから裁判資料を入手し、反論を組み立てようとして
いるのに、私の怒りは頂点に達します。私に反論のための時間を与えないということ
は、やはり、血液から両毒が検出されたことによって、裁判は、有罪と決めつけて開
始されたとしか思えません。

 私は、犯したと誤解されている殺人行為について、よく自問自答をします。琉球大
学のO助教授は、解剖後、心筋梗塞と断定しますが、一か月ほど経過して高額な生
命保険の加入を知り、他殺の可能性も念頭に置いて血液の検査をはじめます。O助
教授は、私が実益を求めて殺人を犯した可能性を考えたのです。
一般論として、実益を求めて殺人を犯した人は、他者の治療を受け入れる心は、希
薄だと思います。実益を求めての殺人は、精神をコントロールできる状態で犯す殺人
です。精神のコントロールが正常な状態で犯した殺人は、殺人が悪行だということは
知っていても、心をえぐるような感覚ではなく、心を素通りする程度の感覚だと思われ
ます。他者の説得も素通りするでしょう。よく、自らの心に他者が潜むと言われますが
その他者に寄りかかれば、言い訳をするだけになります。真に犯した殺人行為を反
省しその心をえぐるには、自ら行う以外にありません。
自分の殺害という行為によって、閉ざしてしまった相手の人生を、深く深く考えてみる
以外にないのです。それが極悪な行為だったと、反省できたかどうかわかるのは、自
分の心を透かして見ることができる本人だけです。

 私は殺人は犯していません。私は、いま述べた一般論を持って私を評していた世
間の声が、非常につらく心に響いたのです。妻を二億円近い生命保険に加入させ、
約一か月後に殺害して、完全犯罪が成立すると考えるほど、私は間抜けではありま
せんが、世間にとってそれは言い訳と聞こえるだけでしょう。血液からの両毒の検出
という証拠を、打ち負かすことのできる立証、それにはアリバイに匹敵する論証が必
要ですが、それが、服用から発症まで約二時間の事項なのです。この事項の審理は、
公判でまだ一度も行われていません。この審理を、私は気力を整えて待っていました。

 二か月のあいだに七回の公判が予定されます。各回の公判の審理内容も日程も
決まっていました。私が提出した陳述書の審理を行う余地などありません。一九九四
年二月七日の第二八回公判から、三月十四日の第三二回公判までの、五回の公判
で、カプセルに詰められる毒量の問題と、服用から発症まで約二時間の問題が、五
週間ほどで審理されます。この二つの問題は、私が最も重要と捉えている事項です。
そこで審理される鑑定書も証言内容も、私はまだわかりません。第三二回公判が事
実審理の実際上の結審だと知って、私は途惑いの気持ちをあらわにして、弁護人に
怒りをぶつけます。

 後悔することが私にはありました。それが途惑いの気持ちに影を落としています。
一九九四年一二月二二日、大阪に出張して公判が開かれます。この大阪公判に
私は参加しませんでした。理由は私の意気地無さです。大阪までの連行は新幹線で
す。手錠をかけ腰縄を打たれ看守に付き添われて、駅構内を歩き、車内で座っていな
ければなりません。頭からすっぽり何かをかぶって、顔を隠すということは、殺人を犯
していない私には論外です。

全文-12 (2013/01/31(木) 19:23:57)
2011.12.12

 全文-12

 世間に顔を晒す気概に乏しい私は、欠席しました。これが三度目です。一度目は一
九九二年二月、那覇で開かれた公判で、二度目は期日は不明ですが秋田の公判で
この場合の欠席理由も同じです。大阪公判の後、公判の審理内容を先生方から聞い
て驚きました。なつ江の死因がトリカブト中毒であるという、大阪大学医学部S教授の
証言が、状況証拠をもとに展開されたのです。私にとっては突然の衝撃でした。先生
方から聞く事ができたのは概略ですから、詳しいことを知りたいのですが、証人尋問
調書もなく手立てがありません。出席しなかったことを、大変悔やみました。この証言
の反面が、第一審が終了した後に、服用から発症まで約二時間の事項と、肩を並べ
るほど重要な事柄になります。

 私の手元にある裁判資料は、第二五回公判の直前に入手した資料です。それ以
前の公判では資料が手元にないため、検察官に被尋問席に引き出されても、効果的
な抗弁が組み立てられませんでした。入手した裁判資料を調べた結果、その抗弁を
補完したい事柄が様々あるのですが、公判の内容と日程が決まっていて、割り込むこ
とができません。F教授の証言に反論した陳述書についてだけは、被告人尋問調書
に明記しておきたかったので、第二七回公判で、別の事柄で被尋問席に引き出され
たとき、打ち合わせのとおり、弁護人に尋問してもらいました。しかし、即時に検察官
が、「当尋問事項と関わりない」 と異議を申し立て、裁判官が認めて、私の望みは去
ってしまいます。このようなことは、これまでの公判でたびたびありました。その都度、
裁判官への私の不信は強く重なります。

 同じ第二七回公判で、私は夜道でわずかに見えていた明かりを見失います。闇は
深いのです。裁判官の表情から、私はそのような印象を受けました。裁判官が、私に、
「利佐子の血液から両毒が検出されたことをどう思うか」 と尋問します。私は、
「採血されて八か月間保管されているあいだに混入された」 と答えました。私は有罪
はほぼ決定していると確信します。

 利佐子から採取された血液の保管方法について、私が初めてO助教授の証言に
接した第二回公判では、私の気持ちには、多くの疑問が貼り付きました。第三回公判
のO助教授の証言を聞いて、私の気持ちは、疑問が不信に変わります。私はその不
信の気持ちを質問によって直接O助教授にぶつけてみたかったのですが、その後、O
助教授は被尋問席に座ることはありませんでした。約一年後の第一七回公判で、弁
護人から、那覇公判の現場検証の訴訟資料「血液保存実況見分調書」 の写真を見
せてもらいます。実験室と冷蔵庫の写真を見た私は、唯一の直接証拠ともなりうる重
要な血液を、これほど無造作に保管するものかと驚いてしまいました。

 実験室は十坪以上ありそうな部屋で、実験器具が置かれ、日常多くの研究員が実
験のために使用していることがうかがえます。この部屋の一遇に、上下二ドア式で、
上段が冷凍庫、下段が冷蔵庫という、ごく一般的な大きさの、鍵の掛からない家庭用
冷蔵庫が置かれています。現場検証が行われたのは、一九九二年二月で、O助教授
は一九九〇年六月に東京の日本大学に転勤し、利佐子の血液も一九九一年十二
月ころ琉球大学から日本大学に移されたため、検証のときに現物は保管されていま
せん。現場検証の写真では冷凍庫と冷蔵庫のドアが開けられ、冷蔵庫の中は薬品類
が整然と収められており、立会人が指で示す冷凍庫の入り口近くに試験管が置かれ
ています。
O助教授の証言では、利佐子の血液を入れた二本の試験管は、解剖日、警察署
名、神谷利佐子と紙に書いたラベルと一緒に、袋に入れて縛って保管したということ
です。現場検証で立会人が指で示した保管状態では、実験室に出入りができ、利佐
子の血液の保管を知る人なら、誰もが利佐子の血液に細工をすることが可能です。
保管後、研究員など十名ほど集めて検討会が行われ、トリカブト毒がリストに入り、そ
の後、トリカブト塊根のエタノール抽出液が放置されます。第十七回公判での、利佐子の
友人Aの証言では、O助教授は週刊誌の記者に血液の保存を話しているということです。

 私は利佐子に、トリカブト毒を服用させていません。物的証拠として、混入を防ぐ完
璧な保管をしていたのなら、血液からトリカブト毒は検出されませんでした。
O助教授の保管状態では、血液の保管中にトリカブト毒が混入したことは、疑いよう
のない事実です。
裁判がはじまった当初から、私が危惧していた、保存血液からのトリカブト毒の検
出という事実が、裁判官の有罪との心証を決定づけていないか、ということを、第二
七回公判で、裁判官は態度によって明確に示しました。この心証を覆すことは、もは
や不可能です。私は、アリバイに匹敵する二つの事項、服用から発症までの約二時
間の問題と、カプセルに詰められる毒量の問題で、論証を完璧に行い、無罪を勝ち取
る以外ないと決意します。

 アリバイに匹敵する二つの事項は、第二十八回公判以降の五回の公判で審理さ
れるはずです。五週間の短期決戦となります。私は、二つの事項の論証を組み立て
るために、有罪と決めつけて鑑定を行い、証言をする、東北大学のM教授に、どのよ
うに反論したらよいか、少ない資料を調べながら、様々なケースを検討します。そのな
かで、一つの問題が浮き彫りにされます。
裁判官は、私に、「トリカブト毒を保管していた密閉ガラス瓶に、らっきょう漬けを入
れて、それを食べて怖くなかったのか」 と尋問します。私は「平気でした」 と答えま
す。この尋問は、トリカブトの塊根を密閉ガラス瓶を使用してエタノールに漬け、それ
を東京のマンションEWで空けて、札幌のシャトーSに持ち込み、らっきょう漬けを入れ
て使用していたのです。逮捕後、このらっきょう漬けの入った密閉ガラス瓶を捜査当局が押収し、
M教授に鑑定を依頼したところ、トリカブト毒が検出されますが、その尋問です。

 検察官は、私がトリカブトの塊根からトリカブト毒を抽出・濃縮し、マウスで毒性実験
を行い、完成した水飴状物質を密閉ガラス瓶で保管し、その水飴状物質をカプセル
に詰めて利佐子に服用させ殺害したとの筋書きを描きます。検察官は、密閉ガラス瓶
の鑑定結果で、筋書きは裏付けられたと強調したかったのでしょうが、その主張はな
かったように記憶しています。この審理のなかで、先ほどの裁判官の尋問がありました。

 トリカブト毒の猛毒成分は、アコニチン、メサコニチン、ヒパコニチン、ジェサコニチン
の四成分ですが、トリカブトを漢方薬として扱う製薬会社のM研究室長が、「毒素の構
成比のパターンが違えば、産地が違う可能性は高い」 「トリカブト根をエタノールに漬
けておいても数年間は高い毒性を維持する」 「四種類の毒素は構造的に非常に似
ており、体内で特定の一つだけが代謝されるとは考えがたい」 という主旨の証言をします。

 この証言からわかることは、検察官の描く筋書きどおりとすれば、利佐子の血液か
ら検出されたトリカブト毒の成分比率と、密閉ガラス瓶から検出されたトリカブト毒の
成分比率がほぼ一致しなければなりません。私の手元にある裁判資料には、密閉ガ
ラス瓶の鑑定結果や、証言の記述が見つからず、結論は出せませんが、もし、血液と
密閉ガラス瓶の比率が一致していたのなら、図星の手柄を立てたと意気込み、検察官は
大いに騒ぐでしょう。騒がなかったことから、一致していなかったと私は推測しています。

 この問題を、今後の五回の公判で持ち出そうと考えますが、これに関係する裁判
記録がなく、審理に割り込ませる糸口がつかめません。私か、あるいは弁護人が、密
閉ガラス瓶の鑑定をしたM教授に質問しても、検察官の「当審理に関係ない」 との異
議申し立てと、裁判長の是認で、なしえないことは必定です。
もう少し早くこの問題に気がついていれば、弁護人の先生方と相談ができたのです
が先生方との打ち合わせは、公判当日の改定前の十五分ほどの接見です。山のよう
にある課題も、処理しきれない状況で、この問題を相談するのは無理でした。私は、
第一審で明らかにすることは諦め、控訴審を念頭に置いて、時間をかけて調査するこ
とにしました。


全文-13 (2013/01/31(木) 19:28:17)
2011.12.19
 
 全文-13

 五 黒子がしゃしゃり出て演技する心境

 「七重八重、掻き回せども味噌汁の、実のひとつだになきぞ悲しき」などと、稚拙な
駄洒落を口にしながら、朝食の味噌汁を掻き回します。給食を担当する人は何十人と
配色して回りますから、味噌汁の容器を一人ひとりいちいち掻き回してから、食器に
つぐわけにはいきません。年に二.三度ですが、私は味噌汁に、恨めしそうな目で訴
えてから、無性に腹が立ってきます。もちろん、自分のさもしさにです。拘置所での一
番の楽しみは、食生活と言えます。
三食のうちで朝食が一番腹に染みます。午後四時に夕食を済ませてから、翌朝七
半ころの朝食まで、口は食べ物と挨拶を交わすことはありません。朝の食べ物との
出会いに、いつも同じように感激します。一汁二菜が付く昼食や夕食と違い、朝食は
麦飯に味噌汁、それに振掛けや佃煮など二品が、日替わりで少々付く程度の質素な
ものです。それでもクークーと鳴り物入りで訴える、背と腹がくっつきそうなおなかは満
足してくれます。

 経済的に豊かなら、甘味なものは、日常的に口にすることができます。私の大好物
のショートケーキなどと贅沢を言わなければ、せんべいにキャラメル、あんパンにチョ
コレートなどの多くの庶民的な甘味物や、牛乳、納豆、練乳、マーガリン等が購入でき
ます。私は、加糖の練乳とマーガリンを等量練り合わせて、パン食のときの、パンに
ぬって食べるのが好きです。下手なカスタードクリームより、よほどうまいのです。チュ
ーブ入りの練乳も安価ですし、マーガリンも安く、経済的に豊かでない私は助かりまし
た。この頃、マーガリンはバターより健康によい食品だと言われてました。
私は久しぶりのクリームパンを頬張り、味わいながら少しずつ飲み込んでいきま
す。小机の上には、まだ、あんパンがあり、にやりとします。明日からの第二十八回公
判を前にして、至福のひとときでした。

 第二八回公判に臨んだ私は、東北大学M教授の証言を聞いて挫折感を味わいま
す。警視庁捜査一課のY警部補が抽出・濃縮を行い、二号カプセルに詰めた物質を、
M教授は鑑定してY鑑定書として提出し、証言しているのです。そのカプセルの鑑定
結果では、トリカブト毒が致死量の約二七倍詰められていると説明します。挫折感を
味わいながら聞いていた私は、この後半の直前、一月下旬に弁護人に届いた、「共同
鑑定書」 を借りて目を通しはじめます。
「共同鑑定書」 は、東北大学のM教授、O教授、S教授の三教授が共同で鑑定を
行い提出した鑑定書です。鑑定書は、Ⅰ鑑定事項、Ⅱ鑑定事項、Ⅲ鑑定事項、Ⅳ鑑
定事項、の四項目に分かれています。その中に参考資料として、私の事件を判断す
る上で、非常に重要な事実や例示が記載されてます。記載の量が多く、内容が多岐
にわたるので、十分な時間を持って詳細に調べなければなりません。
公判中調べる時間のない私は、Y鑑定書に関わる内容がないか、飛ばし読みのな
かから、拾いこみを行います。ありました。季節を違えて採取した三十一個のトリカブ
ト塊根を、M教授自ら、一個ずつ、抽出・濃縮し、鑑定した結果です。M教授自らが、
鑑定資料を準備し、鑑定したのです。これほど確実な鑑定結果は望めません。私はこ
の鑑定結果を、メモにして持ち帰ります。

 私は、この第二八回公判で、裁判長の制止も構わず、弁護人と小声で証人尋問の
打ち合わせをします。制止など、構っていられなくなったのです。弁護人の証人尋問
に、もどかしさを、感じはじめたからです。裁判長は、これ以来、私が証人に質問でき
るように、かなりの質問時間を設けます。これは、私への便宜を図るためではなく、有
罪との心証を決した余裕から、裁判の進行を遅らせないための便法と私の目には映
りました。裁判官の態度と表情でわかるのです。検察官が証人に尋問し、証人が答弁
するときは、証人への裁判官の態度は穏やかです。私が証人に質問し、証人が答弁
するときは、裁判官の証人への態度と表情は変わらず、私へ向けられたとき、口をへ
の字に結び厳しい表情に、がらりと変わります。私は気のせいであることを願います
が、私が質問に立つたびに、その感覚は私の心に蓄積し、ぬぐいようがありません。
この感覚とともに、私は弁護人への気遣いから疲れを感じはじめます。弁護人との
打ち合わせのない、独断での私の質問、弁護人の証人尋問の口数が少なくなってい
きます。弁護人が何を意図して、証人尋問を組み立てているのか配慮していない私
の態度が、弁護側の弱点をさらけ出していることを、私は気がつきませんでした。この
弱点が、のちに、私が公判の雰囲気から、浮き上がった存在に感じることにつながっ
ていきます。弁護人への筋を違えた気遣いをしながら、ひとりで張り切っていたので
す。

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