事実の証明

心残りのまま永眠した 神谷 力 氏の手記。 トリカブト事件を冤罪と断定し、 判決の矛盾を鋭く指摘する。
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全文-01 (2013/01/14(月) 17:18:52)
2011.10.17

 第一章 トリカブト殺人事件を物語る

 一 極悪人の誕生

 乗客は急ぎ足でゲートへ向かっていました。私は羽田空港の長い通路をゆっくりと
歩きます。東京に戻ると空気は相変わらずよどんでいましたが、胸に思いきり吸い込
むと、親しい友人たちに囲まれたような安らぎを覚えました。
 ゲートの外は乗客とそれを迎える人で混雑しています。テレビカメラを肩にかつい
だ男が目に映り、私はぎくりとして足を止めます。マスコミの激しい攻勢から避難する
ために、札幌に住んで六ヶ月が経過しました。失業保険の受給認定のために、今朝、
札幌の自宅を出たときから尾行がついて、逮捕が間近いことを感じます。注意深くゲ
ートの外を見まわしました。ゲートを中心に扇状に人垣が広がるなかに、目付きの鋭
い男が数人私を凝視しています。私は覚悟を決め前へ歩きだしました。

 ゲートを出たところで数人の男が近づき、一人が私の名前を呼びます。返事と同時
に、二人の男が両わきから私の両肘を抱え込み走りだします。体は宙に浮き、足はむ
なしく空を切ります。一人が先に走り、人混みを強引にかき分けます。人垣の扇状の
広がりが崩れ、人々がどよめき、怒号が飛び交います。人いきれを押しのけながら勢
いよく進み、混雑を抜け出して建物の外に出ました。
痛みを伴うほどに、二人の男はますます私を抱え込みます。背を人々の視線が突
き刺します。私は身動きの取れないまま足だけをばたつかせ、引きずられるように駆
けていました。 路上の段差や舗装の色など、地面の模様が次つぎと変わるのを意
識しながら、百メートルほど駆けたのは覚えていますが、あたりの情景はほとんど目
にはいりませんでした。

 私が周囲に心が向いたのは、警視庁の護送車の車内でした。窓はカーテンが引か
れ外は見えませんが、車は首都高速道路を走っているようです。私は軽い吐きけと
目まいを感じていました。手錠なしで連行されてきた私の手首に手錠が掛けられ、
冷たい感触が全身を駆け巡ります。業務上横領および横領との逮捕状が読まれたとき、
私は殺人容疑でないことに驚きました。

「捜査一課は殺人事件が担当だと聞いてますが、横領事件の捜査もやるのですか」
「君の場合はいろいろとあるからね。ケースによっては横領の捜査もやるよ」


 逮捕の指揮をとったこの警部が、四十四日間の私の取り調べを最後まで担当しました。
質問を続けようとしたのですが、吐き気と目まいがひどくなり、私の感応は、
回りが白くぼやけてハレーションが掛かったような状態でした。

「すみません、目まいがひどいのです。机の上に顔を伏せていてよろしいでしょうか。」
「そんなにひどいのかね、やむを得ないだろう」


 車は警視庁の地下駐車場に入りました。

「着いたよ。気分はどうかね。歩けるかね」
「だいじょうぶ歩けます」


 刑事に促されて私は車を降りました。広い駐車場です。腰に捕縄を打たれ、手錠の
ため、両腕は前に揃えていなければなりません。
五一歳になる私は背筋を伸ばし姿勢を正して歩きだしました。
正面にエレベーターが大口をあけて待ってます。一九九一年六月九日、私が自由を失う日でした。

 この事件の報道は、私が生命保険の民事訴訟を取り下げた一九九〇年一〇月か
ら激しさを増します。利佐子の血液からトリカブト毒が検出される。恭子、なつ江、利
佐子、五年間に心臓不全が原因で、3人の妻が死亡しました。三人目の妻の保存
されていた血液から、トリカブト毒が検出されたという事実は、誰の脳裏にも私が極悪
人と映るのが当然でしょう。利佐子の友人たちが、私への嫌悪の気持ちにはやり、事
実の見極めもなく極悪人としてマスコミに話したことも多大に影響しています。

 世論を形成することにマスコミの力が大きいことは、さまざまの報道を目の当たりに
して納得できることです。其の報道を裏腹に伝えたとき、世論を誤った方向に導き、計
り知れない悪影響を関係者に与えてしまいます。
私の五歳年上の兄は六九歳でこの世を去りますが、生前、松山事件など多くの冤
罪事件の救援活動に奔走してきました。私は兄に真実を伝える手紙を書き救援を頼
みます。兄の返事は、「君は信じられない」という厳しい内容でした。兄などの手紙か
ら私を極悪人とするマスコミのアジテーションの激しさを知ります。極悪人という私へ
のレッテルを、兄にまで信じさせた逮捕後の報道が、いかに激しいものであったか思
い知ることができました。



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全文-02 (2013/01/16(水) 06:18:58)
2011.10.19

 第二回

 利佐子と知り合う切っ掛けと、三匹の猫との反目に触れながら、二人の大阪での生
活がどのような状況であったか、私の経済状態がいかに行き詰まったかを語ります。
二人の結婚生活は大阪ではじまります。私が設立を準備していた総菜の宅配会社
「株式会社ヘルシー」の大阪における立地条件を調査するために、東京から転居した
からでした。私の住まいは、東京の池袋駅西口から徒歩で五分、二LDKのマンションで
持ち家です。大阪転居後も、東京の住まいは帰京のたびに使用するために、家財などはほ
とんどそのままにし、大阪へは利佐子の家財と利佐子の愛猫三匹を連れて移ります。

 利佐子と知り合ったのは一九八五年十一月十日です。なつ江の四十九日の法要
を済ませたその翌日、人のざわめきが恋しくなった私は、自宅から徒歩五分ほどの
西池袋のKクラブに立ち寄りました。その店で私の席を担当したのが利佐子です。翌
日、利佐子に電話で食事に誘われ、食事をしながら話しているうちに、私より十三歳
年下の三十三歳ということがわかります。客とホステスのたわいない会話でした。私
は自分の現在の立場を虚実取り混ぜて座興のつもりで話します。妻に二度死なれて
いること、経営コンサルタント業で年収一千万円であること、総菜会社の設立を準備
するために近日中に大阪に移転すること、などなど、気軽な気持ちで話しました。

 同伴して入店するため幾度か利佐子と食事をするうちに、利佐子はノルマの厳しい
ホステス業に行き詰まりを感じていると言い出します。利佐子は私のマンションに
遊びに来るようになり、大阪に一緒に転居することを承諾し、二人は婚約しました。
翌年1月、大阪に転居して、二月十日、城東区役所に婚姻届を提出します。
大阪に転居してから、利佐子は体調を崩します。大阪の土地柄に馴染めないと
いつも話すことから、三月に入り友人の多い東京へ遊びに行くことを勧めました。
それ以来、利佐子は大阪と東京を往復し、体調は完全に回復します。生命保険会社
が生命保険金の支払いを拒否したひとつの理由として、私と知り合う一年ほど前、
自律神経失調症で、病院に通院していたことを告知していない、告知義務違反を
挙げています。大阪での体調の崩れはその再発でしょう。

 あとになって公判などで知ったことですが、利佐子はマージャン中毒と言われるほ
どマージャンが好きで、クラブに勤めていたころはほとんど毎晩、店が終わるとジャン
荘で徹夜でマージャンをしていたそうです。その根城にしていたジャン荘が、池袋の自
宅から徒歩で五分ですから、東京に戻ったときの利佐子はジャン荘に入り浸っていた
のでしょう。あるクラブのバンドシンガーをしているT氏本人の公判での証言によると、
私と知り合う一年ほど前まで利佐子と同棲していたT氏が、利佐子と別れた理由は、
マージャンが原因だったと言います。利佐子のジャン荘通いは相当ひどかったようで
す。大阪では、ジャン荘に通った形跡はありません。

 利佐子が東京に戻るとき、私が同行したことはあまりありませんでした。仕事が忙
しいわけではなく、猫三匹の世話が必要で二人で二泊以上家をあけることはできませ
ん。白い雄のペルシャが一匹、黒い雌のペルシャが一匹、ヒマラヤンが一匹、雄雌は
忘れました。三匹は猫としては大型です。利佐子には親子のようになついています。
利佐子がいないとき、白い雄は私によく臭い小便を引っかけます。雄犬でもないのに
片足を上げて飛ばします。

 大阪に移り住んで一週間ほどしたとき、利佐子は猫を理由に。私と一緒に寝ていた
ベッドから、居間の和室に布団を敷いて一人だけ寝所を移しました。大阪のマンショ
ンは、六畳の和室が隣り合わせに二部屋、約八畳ののリビングキッチンを挟んで、玄
関に近い方に四畳半の洋室とトイレや風呂場があります。その洋室にベッドを入れて
いました。もう一方の和室は、三匹の猫の専用の部屋です。
夫婦のいとなみは、私が和室に通うことになります。そのとき、三匹の猫は「ウー」
とかなんとか言って私を牽制します。自分たちより格の低い者が、布団に滑り込むの
を許さないという態度です。夫婦のいとなみのときぐらいは、専用の部屋に引きこもっ
てもらいたいのですが、利佐子は常に猫を自分の周囲にはべらせていたいのです。
私と一緒に猫が布団のなかにいても意に介しません。私は落ち着きを失ってしまいます。

 利佐子が東京に行っているあいだ、大阪で私は三匹の猫を相手に格闘していました。
利佐子とではなく、私は猫と結婚したのではないかと、行為が錯綜してしまいます。
利佐子と一緒に住むようになってから、利佐子を観察する時間よりも、猫を観察する
時間が長いのです。利佐子と一緒にいるときも、無意識に猫の動きを追っています。
これでは利佐子との愛を培うことなど出来ません。
私には浪費という悪癖があります。自らの生活を調えるための浪費ではありませ
ん。女性との愛を培うための浪費でもありません。一心に女性の嬉しそうな笑顔が見
たいための浪費なのです。不正行為によって得た私の資産は、この浪費によって減
少します。

 一九八一年十二月、「株式会社ヘルシー」の設立準備を開始したときの予算は七
千万円でした。なつ江が体調を崩し、心電図に軽い異常が見られたときです。六ヶ月
後発症し入院します。のち三年三ヶ月入退院を繰り返し、一九八五年九月、帰らぬ人
となります。着付けの師範免許を持つなつ江は和服に目がなく、人間国宝が描いた
手描き友禅などの高級な和服を次つぎに購入します。私はなつ江の嬉しそうな笑顔を
見るのがこの上なく幸せで、資産が消えていくのもかまわずなつ江のやるに任せていました。
なつ江の死後、資産の整理をしてみると一億円近い資産の大部分は消えています。
なつ江の残した一千万円の生命保険金は貴重な生活資金となります。
私は東京を離れ、食文化の中心といわれる大阪で総菜会社の設立を模索して見る
ことにしました。資金は池袋の自宅マンションを売却することにします。十一月上旬、
大阪に赴き大阪での事務所兼住居とするマンションを契約し、大阪転居の準備を進
めました。

 その後利佐子と知り合い、年収一千万と話したウソが、客とホステスのたわいない
会話では済まなくなります。私は、会社設立のための経営企画書のなかで、損益につ
いて、見通しを立て、その損益計算書に、九百万円の年収を計上していましたので、
利佐子に訂正することを行いませんでした。利佐子は私の年収一千万円の話を信じ
、結婚後、この金額を生活の経済基盤とします。



全文-03 (2013/01/17(木) 21:04:28)
2011.10.24

第三回

 大阪に転居してからの経済状況はひどいものでした。池袋のマンションは利佐子が東
京の本拠地としているため売却できません。二月に池袋のマンションに限度一杯まで
抵当権をかけて借り入れを起こし、その資金でひと息つきます。
私の浪費癖は治まりません。利佐子には月五十万円の生活費を渡し、東京への往復旅費や
遊行費なども補填します。利佐子と知り合う前、住居兼事務所として借りた寝屋川市のマンション
は事務所として使用し、新たに城東区に住居としてマンションを借りました。それらの家賃も含めると、
月に百万円ほどの生活費がかかります。

 数ヶ月間の生活資金は確保してありましたが、四月にサラ金から借り入れた資金で、
利佐子の両親を関西旅行に招待し、五月に友人三人を招待して石垣島に旅行することを利佐子に約束し、
予約金を四月に旅行会社に支払います。生前、なつ江がデパートから総額約二千万円で購入した
宝石数店を、デパートの得意先係員が、九百万円ほどで転売できると言い、それをあてにした借り入れ
でした。宝石の代金は三百八十万円しか受け取れません。私の経済状態は先行きの見通しが立た
なくなります。長年東京で生活してきたわたしには大阪の食の味覚もつかめず、宅配に必要な
住宅密集地域の立地条件も東京より劣り、大阪での設立に自信を失っていました。
五月に入ると経済状態の行き詰まりは目に見えてきます。東京に戻ろう。池袋のマンションを売却し、
借入金を精算して裸になって出直すことにしました。会社に勤め収入を得ながら、総菜会社の企画に
賛同する出資者をさがすことにします。生命保険も、私の掛け捨ての定期保険四社と利佐子の
終身保険二社を解約すれば支払いの見通しはつきます。
 
 利佐子は五月一九日からの沖縄旅行を楽しみにしています。沖縄旅行から帰って
きてから、事実をそのまま話すことにしました。利佐子が私と苦労をともにしてくれる
か、愛想が尽きて私から去っていくか、利佐子の判断に任せるほかはありません。
利佐子は、トリカブト中毒で死亡したのか、死因を心筋梗塞とした当初の判断が正
しいのか、前日の行動も含めて、利佐子の死亡当日の足取りを追ってみます。
石垣島の観光旅行は四泊五日の予定でした。五月二十一日、利佐子は那覇空港
で、東京から来る友人三人と落ち合って石垣島へ向かい、私は猫の世話のため大阪
に戻ることにしていました。

 前日二人は大阪を発って、午後、那覇空港に到着します。私は沖縄を訪ねるのは
初めてですし、利佐子も那覇市内の観光は久し振りです。私たちは忙しく那覇市内の
名所旧跡を観てまわります。午後七時、有名なステーキハウスで夕食をとり、繁華街
をぶらついて早めにホテルに戻りました。午後十一時ころ部屋で寿司をつまみながら
ビールを飲み、その後、床につきます。
朝八時に起床し、洗面など済ませて九時前にレストランに行きます。朝食はバイキ
ング形式で、取ってきたのは、利佐子はパンとコーヒーでした。私はパンにスクランブ
ルエッグ、ソーセージ、野菜サラダ、それに牛乳とジュースです。
大阪では、ふだん利佐子が起きるのは正午近くです。朝食は取らず、昼過ぎにコー
ヒーとクッキーなどで軽く食事を済ませ、夕食で多めの食事を取り、テレビを見ながら
夜半に夜食を取ります。わたしとは六時間時間差のある生活です。利佐子はコーヒー
が好きで、那覇ではコーヒーを飲むためにパンを少し口にしたという程度です。
朝食を終えて部屋に戻ったのが十時前、出発の準備をしてロビーに下りたのが十
時十五分、ホテルを出たのは十時三十分ころでした。ホテルからタクシーに乗り、那
覇空港に着いたのが十時五十分過ぎです。

 友人三人を乗せた羽田空港からの便が、那覇空港に到着する予定時刻は午前十
一時二十分でした。到着が早まる可能性もあり、友人たちと落ち合う場所、石垣島へ
の乗り継ぎ客の待合所の前で待機します。私たちは乗り継ぎ客ではないので、待合
所には入れません。ガラス越しに外から中を注視していました。
十一時三十分を過ぎても、友人三人は待合所に現れません。南西航空の石垣島
空港行きの出発カウンターは、この待合所から、二キロほど離れた場所にあると聞い
ていましたので慌てました。石垣空港行きの出発時刻は午後時零時です。利佐子を
その場に残して、私は全日空のカウンターに問い合わせに行きました。到着が遅れて
いるとのことです。利佐子は戻り、利佐子と一緒にいらいらしながら、まばたきも忘れ
て探します。十一時四十分ごろ場内放送で利佐子に呼び出しが掛かります。全日空
のカウンターに行った利佐子が、係員に伴われて戻ってきました。歩きながら利佐子
に事情を訊き、係員に連絡用の車への同乗を頼みますが、乗客でないと断られます。
利佐子は待合所を通りエプロンに出ていきました。

 私はタクシーで南西航空のターミナルビルに向かいます。タクシーで五分くらいで
す。ターミナルにわたしが着いたとき、利佐子は搭乗手続きを済ませて、搭乗口にむ
かう出口にいました。私は利佐子や友人たちと、ゲート越しに口早く言葉を交わしま
す。利佐子は、航空機のタラップを上がったところで手を振り、搭乗口に消えました。
それが元気な利佐子を見た最後です。

 私は元のターミナルビルまで、三十分ほどかけてぶらぶら歩いて帰りました。
大阪行きの便まで二時間ほど時間があり、食事をしてターミナルビルを散策します。
ロビーで居眠りをしていると、午後二時過ぎ場内放送で呼び出しがあり、利佐子の発病を知ります。
南西航空のターミナルビルに行きましたが、二時間ほど待たされます。私が石垣空港に着いたのは
午後五時過ぎでした。そのときすでに、利佐子は死亡していました。

 私と別れてからの利佐子の状態、警視庁の取り調べと、判決で知り得たことを、時
間を追って記述します。航空機に搭乗した利佐子は、搭乗手続きの遅れで、友人たちの十一列前
の席に座ります。航空機は午後零時五分に出発しました。安全ベルトを外しての飛行は二十分
くらいで、飲み物のサービスはなく、客の求めがあれば応じる態勢でした。石垣空に着いたのは
午後零時五十三分です。利佐子は到着後友人とベンチに腰掛けて喫煙しますが、トイレにも行かず
飲食もしていません。常に友人三人と一緒です。午後一時ころ一台のタクシーに四人が一緒に乗り、
宿泊先のホテルに向かいました。

全文-04 (2013/01/19(土) 08:47:21)
2011.10.26

第四回

 一時十五分ホテルに到着します。そのときに大量の汗をかいていたとの友人の証
言があります。ホテルのチェックインの手続きは、四人を代表して利佐子が行いまし
た。利佐子は書類にきちんと記入し、はきはきした態度で、何の異常も認められなか
ったと、応対したホテルの係員は証言しています。友人たちも同じ証言です。
ホテルはコッテージ方式で、客室はそれぞれ別棟になっています。チェックインを終
えてカウンターのある建物を出て、小道を客室に向かって歩いている途中、午後一時
二十七分、客室の手前で突然吐き気を訴えます。客室に駆け込むなり嘔吐しますが
、胃液様の物を若干吐いただけです。その後、ベッドに横になり、冷や汗、嘔吐、手の
痺れ等を訴え、症状は急激に悪化します。

 午後二時三分、救急車でホテルを出ます。救急車の車内では意識も晴明で、救急
隊員の質問に、「変わった物は別に食べていない。朝食でコーヒーとパンを少し食べ
ただけ」などと、はっきりした口調で答えています。
午後二時十分ころ救急車内で、突然、呼吸と心臓が停止します。二時十二分ころ
心肺停止のまま病院に到着し、蘇生のための治療を受けますが、一度も蘇生するこ
となく午後三時4分。死亡が確認されます。旅先での急死のため、翌日行政解剖が行われ、
死体検案書に死因は心筋梗塞と記載されました。

 利佐子の保存された血液からトリカブト毒が検出されたということが、なにを物語るか。
血液の検出から四年後に逮捕されますが、なぜ四年のあそびがあったのでしょう。
利佐子の死から逮捕までの経過をたどります。

 生前、利佐子は、数人の友人に高額な生命保険の加入を話していました。池袋の
自宅での通夜の日、利佐子の友人たちに私は激しく追求されます。一部のマスコミ関
係者が、取材のためにマンションの下で控えていると聞きました。告別式は、マスコミ
関係者が出入りするなかで葬儀場で行われます。そのとき利佐子の友人の撮った私
の顔写真が、二ヶ月後、目隠しなどのない素顔のまま、実名を明らかにした記事とと
もに、後に廃刊となる写真週刊誌に掲載されます。

 告別式から一ヶ月ほど経ったある日、引っ越し準備中の大阪のマンションに、利佐
子の友人から依頼されたと言って、スポーツ系の新聞社のO記者が、取材のために
私を訪ねてきます。私は質問にていねいに答えます。七月だったと記憶してますが、
その日刊紙に、私を中傷する記事が連載されます。O記者は、一審判決が出たあと
で、拘置所在住の私に対して、勝利宣言のような追い討ちの手紙をよこします。連載
した記事に、よほど自信があったのでしょう。

 写真週刊誌と日刊紙の、殺人疑惑を全面に掲げた報道以来、外出のときの電車内
に、私の事件を記事にしたことを伝える、週刊誌の宙吊り広告を見かけるようになりま
す。私はすぐ目をそらしますが、また目線を向けてしまいます。一部のマスコミによる
私の事件の報道は、利佐子の保存血液から、トリカブト毒が検出されたとの証言が
あるまでの約四年間、散発的ですが途絶えずに続きました。

 利佐子の葬儀を終えて七か月後、一九八六年一二月、私は新聞広告の求人募集
欄を見て応募し、採用されて会社勤めを始めます。会社で経理部に所属した私は、仕
事に熱中します。会社は株式を店頭登録によって一般公開し、米国と台湾に子会社
を持つ従業員六百人ほど、年間売上約一〇〇億円の製造販売会社です。企業会計
人として腕を振るうには、私にとって最適の企業でした。私の事件についても、会社の
トップに正直に話し、仕事をおろそかにしなければそれでいい、との了解を得ます。
海外の二つの子会社との連結決算は、私の未知の分野ですが、それだけに強い興
味がわき、精力的に勉強しました。入社以来、日夜を分かたず奮闘し、総菜会社設立
の望みは、遠い存在となります。
 
 私の年収は、残業手当なども含めると七百万円ほどでした。他の借金は全て清算
しましたが、親族に残している約五百万円の借入金を返済するために、家計を月十
万円程度に切りつめて預金をしました。住まいは、世話になっていた横浜の両親のも
とから、就職後すぐに、会社のある東京都足立区に、家賃四万円のアパートを借りて
引っ越します。質素な生活を一年ほど続けて返済資金が貯まると、困った習癖が芽を
出しました。同僚と地元のミニクラブに飲みに行ったことが切っ掛けとなり、ふたたび
銀座などに飲みに行くようになります。

 入社して一年三か月後の一九八八年三月、前任者の常務取締役部長が健康上の
理由で退職し、都市銀行の支店長を定年退職して就任していた経理部長も、高齢で
嘱託となっていたために、私が総務部長兼経理部長に抜擢され、事務部門の統括を
一手に引き受けることになりました。
一日四,五時間の睡眠時間で、私は仕事をこなしました。旧態依然とした経理シス
テムを、新しいシステムに組み替えます。二年ほど前に開業した台湾子会社の操業
が本格的となり、海外連結決算を有価証券報告書に記載して、大蔵省に報告するこ
とが義務となると、そのシステム作りに苦心します。会計監査に来る公認会計士の指
導を受けながらの海外連結決算のシステム作りは、産業界でも未知の問題が多く、
一生をかける仕事として充分に価値があるものでした。決算期には、米国、台湾と海
外子会社への出張を繰り返しながら、海外連結決算のコンピューターによるシステム
化を図り、処理基準の作成に熱中します。この分野の勉学に身を入れ、わずかしかな
い専門書を読みあさりますが、体系的な理論書はなく、自ら理論の体系化を進めるな
ど、ゆくゆくは、この道の専門家となることを目標とします。

 部長就任当時は、総菜会社の設立に、わずかですがまだ色気がありました。その
色気も、海外連結決算の魅力にはとても及びません。すでに病人食の宅配業も現れ
、コンビニエンスストアが整備されるなど、食品業界は日進月歩です。部長就任後二
年くらいのあいだに、総菜会社へのこだわりは完全に消えてしまいます。

 企業会計人としては経済の感覚は優れているはずなのですが、なぜか、私生活で
は経済的な感覚は希薄になります。将来の生活を支えるために、職権を利用して不
正で得た資金でしたが、衝動的に浪費の悪癖が頭をもたげ、女性の嬉しそうな顔が
見たさに、またもや銀座などを飲み歩き、浪費を重ねます会社の椅子に、尻が張り付
くほど忙しいのですが、睡眠の時間を削ってまで、無意義な時間を作ります。不正で
得た資金は手元にとどまらず、銀座のクラブなどをはじめとする飲食店や高級ブティ
ック、それに、心にかなう女性のふところを目指して飛んでいきました。

全文-05 (2013/01/20(日) 10:00:49)
2011.10.31

全文-5

 会社勤めのあいだ、逮捕されることは脳裏をかすめることはありませんでした。利
佐子が病死でなく中毒死であるとすれば、私が毒物を利佐子に服用させるには、友
人たちと落ち合う午前十一時二十分以前に済ませておかなければなりません。航空
機が延着したのは予想外であって、定刻に到着することを前提として行動していたか
らです。利佐子の保存血液からトリカブト毒が検出されたと証言されるまで、殺人疑惑
と騒がれても、私には毒物の特定はできませんでした。服用してから何の異常も示さ
ず、約二時間後に突然吐き気をもよおして、発症するような毒物の存在は、私の知識
では皆無です。この疑問には、殺人疑惑を騒いだマスコミも答えていません。私が逮
捕されることはないと確信していたのは、これが原因です。

 一九八九年夏ころ、NHKのA記者が取材に訪れ、「利佐子の血液からアコニチンが検出された」
と言って私の感想を引き出そうとします。私はアコニチンとは何かを知らず、答えませんでした。
書店などで調べて、トリカブトの毒素の一成分で、即効性があることを知ります。
速効性があるということは、服用してから約二時間経過してから発症するなどということ
はあり得ません。私がトリカブトを栽培していたことを、どこかで聞き込んで、私の反応を見る
ためにA記者は話したのだと推測しました。服用から発症まで約二時間の絡むような話に、
私は拘泥することはありませんでした。

 利佐子の保存血液からトリカブト毒が検出されたという証言は、私にショックを与え
ましたが、書物で読んだ速効性があるという記述は信憑性があり、私の動揺はすぐに
治まりました。利佐子の死から、証言があった一九九〇年一〇月まで四年五ヶ月が
経過しています。血液の鑑定は、利佐子が死亡してから数ヶ月あとに実施されたと判
断しますと、それから約四年逮捕されないということは、トリカブト毒の速効性の問題
が解決できないからと見るのが順当です。

 保険金支払い請求の民事訴訟は、保険金が欲しかったことも事実ですが、もうひと
つ、殺人疑惑は真実の話ではなく、私は潔白であると、証明することが目的でもあり
ました。保存血液からトリカブト毒が検出されたと証言があったとき、私は身に覚えが
ないことから、今後も充分に争えると断定します。
私はこの民事訴訟で、重大な過ちを犯していました。かって不正行為で得た資金
を、経営コンサルタント業で得た収入だと、民事訴訟を担当した弁護士さんにウソをつ
いていたのです。この収入が民事訴訟の一つの争点でした。弁護士さんから訴訟を
継続する条件として、コンサルト先の会社の確認がぜひ必要だと求めれます。
実際には関与先がなく 、不正行為を打ち明けることもできず、私は弁護士さんの信
頼を失いました。信頼を失っては民事訴訟を継続することはできません。十一月、私
は訴訟を取り下げました。

 それからは、マスコミの取材攻勢が激しくなります。危険水域を大幅に超えた河の
堤防が決壊したごとく、各社の報道が世論を呑み込んでいきました。週刊誌は言うに
及ばず、テレビも連日のように私の話題をワイドショーなどで取り上げます。私が八年
前、自宅のベランダで、栽培するために購入したトリカブトの鉢植えでしたが、それを
販売した店が判明したことも加わって、報道合戦は激しさを増し、極悪人としての私の
レッテルは世評に定着します。十一月中旬、ある新聞社の記者が取材に訪れます。
その記者が、「トリカブト毒は速効性があり、服用して五分もすると発症する」
と教えてくれました。速効性に、時間的裏付けが与えられたのです。時間的裏付けが
与えられたのです。五分が若干変動するとしても、服用からは発症まで二時間近く掛
かることは、常識的に考えられません。逮捕されることはないという私の志向は強くな
ります。

 会社などで世間のうわさを耳にしていると、裁判の第一審はマスコミによってはじめ
られたという雰囲気です。あるテレビ局などは、カプセルにグリセリンを塗って、溶解
時間を計る実験をして見せてくれました。マスコミは私への取材のため、会社へ際限
なく押しかけてきます。私は十二月に入り、会社を依願退職しました。
マスコミとの接触を避けるために、札幌に転居してからの私の生活は、持ち込んだ
パソコンを使用しての海外連結決算のシステム作りと、税理士試験の受験勉強に明
け暮れる毎日でした。札幌に転居して新年を迎えたときの手持資金は、百万円を切っ
ていました。生活費の予算は月十万円です。家賃や光熱費、雑費および書籍代など
を差し引くと、食費は月二万円ほどです。総菜会社設立準備のときの料理実習の経
験を生かして、食材は安物を使いますが、工夫をして内容を充実させます。ですが、
食べるのは私ひとり、それが寂しいことでした。

 三月から失業保険金の給付を受けます。就職は無理なので、二年間、この給付金
と手持資金を合わせて生活することにします。その間に税理士資格が取れない場合
は、アルバイトで収入を確保して受験勉強を続けることにしました。
私はこの経済的なつましさと、心の豊かさが同居した生活が私本来の生き方であるこ
とに気がつきます。三十二歳までの生活は、このような日々でした。その後の生活の
破廉恥さは、我ながらあきれ果ててしまいます。

 札幌に転居して初めての尾行に、税理士試験の受験申し込みを済ませて、札幌国
税局を出て北一条通りを、西三丁目の交差点の方向へ歩いていたときです。札幌に
も遅い春が訪れ、桜のつぼみも膨らみはじめていました。不審な男が私の十メートル
ほど後ろをつけてきます。私は歩みを速くしたり遅くしたりして、男との間隔を測ります
が、男の歩むリズムも同じです。この通りには、中央警察署もあり、民放テレビ局の社
屋もあります。友人の話で、警察には札幌の自宅の所在が知れていることはわかっ
ていました。尾行はこの通りからはじまっています。私は、マスコミ関係者と見当をつ
けて、まくことにしました。若いころ、革新政党で活動していた私は、尾行者をまく要領
は心得ています。距離がひらくように仕向けて、アマをまくのは簡単でした。札幌では
よく出歩きましたが、マスコミにつかまって取材を受けたことは一度もありません。
六月九日の逮捕の日は、二人の刑事が自宅からつけてきました。途中で、尾行に
私が気がついたとわかると、刑事は、千歳空港の出発ロビーまで、牽引車に引かれ
るようについてきます。厚かましさにかけては、さすがにプロは違います。連絡を受け
た警部が、羽田空港で私を待ち受けていました。

 服用から発症まで約二時間という疑問を持ったままでの逮捕に、私は釈然としませ
ん。横領容疑の取り調べが終わり、殺人容疑の取り調べがはじまると、警部は私に、
「五年も逮捕が遅れた原因は、服用から発症まで二時間近く経過している問題が、解
決できなかったからではないのですか」と訊いてみます。警部は、「捜査にも手順がある」と、
歯切れが悪い言い方をします。殺人容疑で再逮捕されてから、その拘留期限の切れるまでの
二十二日間、執拗にこの問題を問いただしますが、それを是とするような答えは得られず、
疑問が募るばかりでした。私はこの問題が、この事件の核心となる事柄であり、
裁判でも最大の争点になると確信しました。


全文-06 (2013/01/23(水) 20:04:28)
2011.11.15

全文-6

二 有罪と定められたレールに乗って走っている気分

 暑い、じっとしていても汗が噴き出してきます。私が東京拘置所に収容されたのは、
一九九一年七月二五日です。
夜中に、突然、黒の礼服を着た訪問者が現れます。孤独な私の慰問のためか?それ
にしては、小物を収める棚の近辺を漁っています。私はそっと起きると、ほうきを持っ
て身構えます。出て来た!私は思いきりほうきで叩きます。ゴキブリ君は、布団のヘ
リを伝って一目散に逃げていきました。翌朝、ゴキブリ君の訪門口を探しますが、
コンクリート造りとはいえ、建物が何しろ古い。三畳に、洋式便器と流し台の設置された
一畳ほどの床、流し台の下などは、板が腐り穴だらけです。
毎夜訪ねてきます。二センチほどの黒い光沢のある平べったく横にずんぐりしたやつ
です。夜中でも本が読める程度に明るいので、動きはよくわかります。話し相手のい
ない私は、極悪人扱いされて追いまわされた、やるせない気持ちを、ゴキブリ君にぶ
つけます。ひとわたり棚を探索してから帰途につくのを見計らって、「君も極悪人として
追いまわされているだろう、似た者どうし、さあ勝負」 とつぶやき、ほうきを持って私は
一騎打ちをはじめます。私の勝つ確率は四日に一回くらい、私が勝った次の夜には新手
が一匹繰り出してきます。ひと夜に二匹訪ねてくることはありません。拘置所だからで
しょうか、ゴキブリ君の世界はよく統制が取れているのです。夏のあいだ、ほとんど毎
夜、この戦いを繰り返しました。

 手錠の感触から離れて、すでに三か月が過ぎています。拘置所では、日常生活は
もちろん、所内を移動するときも手錠とは無縁でした。第一回公判に臨むため手首に
手錠がかけられたとき、「ああ、手錠か」 という程度の感触でしたが、公判の回数を
重ねるに従って、手錠の感触は、冷たく心に食い込んできます。
第一回公判に臨んだ私は、気負いだけが心を支配していました手錠が外され、被告人が
控える個室で、開廷を待つ一時間ほどのあいだ、備品の雑誌に目を落としますが、
字面を追うだけで内容は頭に入りません。またか、またか、と三度小用に立ちます。
午前十時、手錠を掛けて入廷し被告人席に着席したときは気持ちは落ち着いていました。
裁判官などはすでに着席しています。正面は一段高くなり三名の裁判官、
一段下がった右側が弁護人席、左側が検察官席です。被告人は傍聴席を背にして、
二名の看守と共に弁護人席に近い長椅子に座ります。前には長机が置いてありました。
手錠が外され、傍聴人が入廷し、裁判が開始されます。私は振り向いて傍聴席を
見る余裕が出ていました。傍聴席はほぼ満席です。人定質問で裁判長の前の被尋問
席に立った私は、質問を受けながら、裁判官の表情の動きを捉えようと努力します。
三名の裁判官も、マスコミの報道に無縁ではないのです。私に対してどのような心証
を得ているのか気がかりです。人定質問が終わり被告人席に戻ってからも、三名の
裁判官の表情を見比べることに、公判が終わるまで、全神経が集中してしまいました。

 検察官の起訴状朗読がはじまると、三名の裁判官は、わずかにうなずきながら聞い
ているように私には感じられます。うなずくとは、合意を表す合図です。午前十時から、
昼食を挟んで、午後三時三十分までの四時間三十分ほどの公判中、検察官と弁護
人がそれぞれ陳述します。それを受け止める裁判官の反応の表情から有罪の心証
に傾いていると読み取りました。気のせいだろうか? 私は首をかしげてつぶやきます。
裁判官がそのような先入観を持って、第一回公判に臨むことはないのかもしれません。

 この杞憂は、逮捕後の取り調べで、カプセルの服用から発症まで約二時間の問
題に、答えが得られなかったことの影響と、私には血液採取後のトリカブト毒の混入
を立証することが不可能で、利佐子の保存血液からトリカブト毒が検出された事実が
私の脳裏で葛藤し心を圧迫していたからです。この圧迫感は、公判が進行するにつ
れて杞憂でないことが明らかになります。
私は冒頭陳述の口述ように文書を用意していましたが、その機会がなく、文書を陳
述書として提出して第一回公判は終わりました。陳述書には、血液からの検出の問
題には一切触れてません。

全文-07 (2013/01/25(金) 06:03:06)
07-2011.11.17

全文-07

 第二回、第三回公判において、利佐子を解剖し血液を保管した筑波大学O助教授
の証人尋問が行われました。血液の鑑定はO助教授が行ったのではなく、東北大学
のM教授で、O助教授はその鑑定報告書にもとづく証言でした。
O助教授の証言を簡潔に示します。解剖直後は、病死だろうという気持ちは変わり
ありません。利佐子の死亡から10日ほどたった6月初め、写真週刊誌の記者から、
利佐子が高額の生命保険に加入していると聞き、死因として薬物の可能性も充分に
検討しなければと思います。助教授は、独りで考えていても、らちが明かないと、
7月10日、研究室の先生方四人とその他研究員六、七名を集めて検討会を行います。
多くの薬物をリストアップした中に、誰が言い出したか記憶にないとのことですが、
トリカブト毒もリストに入りました。
一回だけ行われた検討会でトリカブト毒が浮かび上がり、O助教授は九月末ぐらい
に東北大学からトリカブトを取り寄せ、根を薄く切ってシャーレの中に並べてエタノー
ルを注ぎ2、3週間放置します。翌年一月二十日ころ、その抽出液を犬になめさせ、中
毒を起こした犬の血液を東北大学M教授に送りました。鑑定の結果、血液からトリカ
ブト毒が検出されます。

 第四回、第五回公判において、利佐子の保存血液の鑑定を検察側に依頼されて、
フグ毒を検出した東京大学N講師の証人尋問がありました。
利佐子の死亡から約五年、逮捕から一か月後の一九九一年七月、鑑定のため、試
験管に入った血液を封筒に入れて東京大学に警察官が持ち込みます。N講師はそれ
から鑑定をはじめ、血液からフグ毒を検出し定量も行っています。第四回公判はこの
年の一二月ですが、鑑定の進め方、定量分析の方法、致死量を含む草フグの肝臓の
量、肝臓からメタノールを溶媒として抽出・濃縮した物質がどろどろ状になることを明
らかにし、どろどろ状物質を更に精製するには、特殊な機器と薬品、それに高度な技
術が必要だと証言します。
両毒の鑑定内容の四回の公判を経過して、私の気持ちはしだいに追い詰められて
いきます。その後の公判は、逮捕されて取り調べを受けたとき、私が無実を明らかに
したいために供述した、六種類の購入品の購入理由を、検察官は全て裏返しにして、
極悪人としての私の立場を固めようとした公判でした。

 トリカブトの購入は、福島県白川郡所在の山野草販売店野天著を承認として召喚
し、購入の日と数量について、仕入れ伝票から、一九八一年十一月ころから翌年九月
ころまでの間、四,五回にわたり、鉢植えのトリカブトを合計六十二鉢購入したと証
言させます。実際には、私は一九八二年六月下旬から同年九月上旬の間に三回五十二鉢
を購入しています。証言と実際の相違である、一九八一年一一月ころの購入が、なつ江
の発症にかかわる、検察側の立証に重要な役割を果たしていることに、控訴審の準備中
に私は気がつきます。

 クサフグの購入は、神奈川県横須賀市で漁業を営むM氏と、そこで従事している人
を、証人として召喚し、購入の日と数量について、一九八四年三月から翌一九八五年
秋ころまでの間、6、7回にわたり、約千二百匹を購入したとの証言を得ます。
実際には、私は一九八四年四月から翌年六月までの間、六回にわたり、千八十匹
ほど購入します。
証言と実際の相違である一九八五年秋ころは、後に記述するように、この時期マウ
スは購入しておらず、検察官が主張するマウスによるフグ毒の効能実験はできない
のです。この証言を検察側は是認しますが、主張に一貫性がないと言えます。

 カプセルの購入は、東京都荒川区所在の薬H店の店員をしょうにんとして召喚し、
風邪薬のフルカントジン、強壮剤のレバゴルトV、鎮痙剤のパボランカプセル、のカプ
セル入りの薬を週に一、二回の割合で購入していたこと、一九八五年九月ころには、
製造中止となったパボランカプセルの在庫品の全部七、八個をまとめて購入したとの
証言を得ます。
実際には、薬H店の関連会社が製造したと店員に勧められて、フルカントジンを
一、二回、同じ理由で勧められたレバゴルトVを、私が試用してみようと数か月間購入
します。パボランカプセルは、なつ江が腹痛のときの常備薬として年に四箱ほど買い
置きし製造中止と聞いて在庫品を七箱ないし八箱を購入します。
パボランカプセルは一箱十二カプセル入りですが、検察官は利佐子がトリカブト毒と
フグ毒をカプセルで服用したことを強調したいために、カプセルの購入を印象づけよう
としたのです。利佐子が服用したとされるカプセルは一個です。それが目的なら、なぜ
百個近いカプセルを購入する必要があるのでしょうか。

 メタノールとエタノールの購入については、逮捕後の取り調べで、消毒用のエタノー
ルの話はしますが、私がどのように供述したか記憶が定かでありませんので、実際の
購入について記述します。
消毒用にエタノールを薬H店から購入しますが、早朝で薬H店が開店前のときは、
斜め向かいのJ薬局から購入しました。ところが間違えて、J薬局から購入したのはメタノールでした。
購入した日と数量は、一九八二年七月から一九八五年九月までの三年二か月の間に、月五本から六本、
五〇〇ミリリットル入り容器で一九五本ないし二百三十四本購入します。
検察官の主張は、私がアルコールを使用して、トリカブトの塊根とクサフグの肝臓から毒を抽出した
ということなので、消毒用にメタノールを誤って購入したことは、大変不利に働きます。


全文-08 (2013/01/25(金) 06:12:40)
2011.11.22

全文-08

 エバポレーターの購入については、逮捕後の取り調べで、総菜会社の内容を説明
するために、私が明らかにしたことでした。
私の供述をもとに警視庁捜査一課は、東京都千代田区所在の理化学材料を販売
しているT株式会社で事情調査を行い伝票等から、一九八二年六月七日と翌一九八
三年三月二三日の二回と、一九八三年七月九日に部品のガラスセットの購入を認定
します。
実際には、一回目の購入は一九七九年で、逮捕後の取り調べでは強く主張してい
ますが、十年が経過して伝票が保存されていなかったためか、無視されます。この時
期の購入が、エバポレーターを買う動機を説明する上で重要な意味があるのですが。
マウスの購入についても、逮捕後の取り調べで、総菜会社の内容を説明するため
に、私が明らかにしたことです。

 私の供述から、捜査一課は、東京都練馬区所在の実験動物を販売する株式会社N
の事情聴取を行います。私が購入したことは確認出来ますが、購入の日や数量につ
いては確認できず、私の供述を一応参考にしたようです。
私がマウスを購入した日と数量は、一九八三年十一月か十二月、池袋のペットショ
ップから五匹、一九八四年二月か三月、株式会社Nから五十匹(最小販売単位)、一
九八五年六月か七月、同Nから五十匹、一九八六年四月二十六日、大阪所在の実
験動物を販売するA店から五十匹(最小販売単位)です。
私はこの事実を逮捕後の取り調べで、全て供述していますが、裁判官は、トリカブト
の購入との関連で、株式会社Nからの購入を、一九八二、三年ころと違えて認定しま
す。クサフグの購入時期を一九八四年三月ころから翌一九八五年秋ころまでの間と、
検察官の主張のとおり裁判官も認定しますが、では、クサフグからフグ毒を抽出して
マウスで毒性試験をしたという、検察官の主張の筋書きは、どのように解釈したらよ
いのでしょう。残念ながら、この矛盾の露呈は、第一審の裁判が終了した後に私は気
がつきました。

 第一審の三七回の公判のほとんどは、私を極悪人に仕立てる筋書きを描くため
に、検察側が召喚した証人の証人尋問で満たされています。多くの公判で、証人尋問
が終わると検察官は私を裁判官の前に引き出し、その証人にかかわる事柄を私に尋
問します。私は事実を話せばいいのだという気負いから、軽くいなす意気込みで被尋問席に
立ちますが、取り上げられた数々の問題は、六年かr一二年も前のことで、記憶が薄
れている事柄が多く、なんの準備もなく公判で質問され、記憶をたどりますが、記憶の
もつれは、ほぐす糸口を間違うと、ますます絡みつきます。

 逮捕直後から、私は取り調べにあたった警部や検事に、供述のわずかな食い違い
をとらえられては揚げ足を取られます。そのことは、公判が開始されてからも検察官
によって続きました。私は公判が進むにつれて被尋問席に立つと、それ以前の公判
での供述と、整合性を欠かないようにと最新の注意を払いますが、以前の公判での
供述調書が手元にない悲しさ、気負えば気負うほど、l整合性を欠き失点を重ねます
。検察官は六年から一二年前ほど前のことを追求してくるのですから、記憶が定かで
あるはずはありません。公判を重ねるなかで、記憶が掘り起こされ、供述を二転三転
させながら、私の認識は事実に合致していったと言えます。

 裁判に不慣れな私は、不慣れということすら思い及ばず、心のどこかで裁判を侮っ
ていたのかも知れません。その一つとして、弁護士の先生方への態度に現れます。
先生方とは各公判の前に接見(面会)によって、打ち合わせをすべきなのですが、国
選弁護人の弁護報酬は非常に低額だと聞いていた私は、遠慮からその要請をせず、
公判のたびに書状で、証人への質問事項などを先生方へ連絡して済ませるといいう
安易な態度でした。弁護人への書状で連絡するだけで、証人へ聞きただしたい事項
が、先生方に正確に伝わるはずはありません。開廷中の法廷で、私は弁護人とこそ
こそ打ち合わせをして、裁判長に幾度か注意されます。このようなことでは、十分な
時間と費用を補償されている検察官に、太刀打ちできる訳がありません。

 検察官の起訴状などは、取り調べのときのダイジェスト版だと、ほとんど気にもかけ
ずに私は朗読を聞いていました。起訴状に沿ったトリカブトやクサフグなどの六種類
の購入品に対する検察官の主張は、トリカブトの根塊とクサフグの肝臓から、エタノー
ルないしメタノールを溶媒として、トリカブト毒またはフグ毒を含む溶液を抽出し、エバ
ポレーターで濃縮して水飴状物質またはどろどろ状物質を得て、マウスで毒性の効能
実験を行って、両毒をカプセルに詰めて利佐子に服用させたという筋書きです。
検察側の筋書きは、逮捕後の警部や検事の取り調べで、ほぼ想像がついていまし
た。私の頭を支配していた、服用から発症まで約二時間の問題が、この想像を軽く考
えたのです。六種類の購入品について、記憶をたどり充分に事実を整理しておくべき
なのに、なんの準備もなく公判に臨みました。召喚された証人の供述と実際との食い
違いを、弁護人のの適切な証人尋問で正していく努力を私は怠ったのです。服用から
発症までの二時間の問題にこだわり、検察官の有罪との主張の矛盾、例えば、クサ
フグを購入した時期には、マウスは一匹も購入しておらず、毒性の効能実験はできな
いのに、なぜ購入したと主張するのか、という矛盾などは、事前の準備があれば公判
で指摘できます。裁判に不慣れな私が、裁判を侮っていたのかもしれないというのは、
このような状況について述べたのです。

 事前の努力が充分ではなかった私は、第一七回公判あたりから、証人への尋問と
その供述を聞く態度が、明らかに有罪との心証をあらわしているように感じて、気後
れし、気持ちが守勢に立たされてしまいます。

全文-09 (2013/01/28(月) 22:11:15)
2011.11.24

 全文-09

 三  証人尋問調書が手元にない悔しさ

 夏の暑さはまた来年、喧嘩仲間も訪れない涼しい静かな季節を迎えました。この季
節になると、銀座の町の風情がよく思い出されます。拘置所に閉じ込められても、銀
座の町とはまったく無縁ではありません。公判がある日、護送車は裁判所への行き帰
り、銀座四丁目の交差点を通過します。車窓からは、銀座の町を、眺めることできる
のです。銀座の秋は、私にとって人生を分外に踏み違えた季節です。少年のころから馴染
んでいた革新政党に、青年時代に入党し、専従活動家として汚れのない生活を送っ
来ました。三二歳で革新政党を離れます。会計事務所などの勤めを経て、三三歳の
秋、P社に入社し経理課に所属しました。さっそく銀座への飲み歩きの洗礼を受けま
すが、その伝票が数日後に経理課にまわってきます。一般社会の裏のシステムを知
らなかった私も、そのからくりを一つひとつ覚えていきます。免疫体のない私の心身
は、悪い慣習に抵抗することなく犯されていきました。

 入社後二年ほどで経理課を任されるようになると、不正行為で得た資金で、銀座に
個人的に飲みに行くようになります。アルコールに弱い私は、店の雰囲気と女性との
会話が楽しいのです。私の通う銀座の店は、個人的に行くようになってから、約十五
年間替わっていません。ホステスさんを追いかける男性は多いと聞きますが、私はホ
ステスさんを追いかけたことはなく、本支店合わせて四店あるその店に居着いてしま
いましたが、経済的に援助をした数人のホステスさんを含めて、肉体関係を求めたこ
とは一度もなく、手を握ったことことすらありません。女性の笑顔を見たさに、会話をし
、援助をしたのです。少年時代から蓄積した女性観が、寸分も変わることなく生きてい
たといえます。その店から受けた心の温まる思い出は、自由を奪われる身となってか
らも忘れることはできません。
裁判所からの帰りが遅くなり、手錠と腰縄という惨めな姿で、ネオンの輝きを増した
銀座の町を、眩しく感じながら通ることが有ります。車窓から見る銀座の町、いつまた
自由に散策できるか、気が遠くなる思いがしました。

 私の公判での闘いは、利佐子が服用したとされる、カプセルに詰められるトリカブト
毒の毒量の問題からじまります。トリカブト毒は、経口的にそのまま摂取すれば、苦み
を伴う強いひりひりした刺激があり、とても耐えられないとのことですから、検察官は、
利佐子はカプセルで服用したと推認します。利佐子がトリカブト毒を服用したと仮定す
れば、この推認に私は意義はありません。
私が購入したカプセルで最も大きい物は、パボランカプセルの、容量0.六七mlの
白いカプセルです。利佐子が服用したと仮定すれば、この白いカプセルに、トリカブト
毒を含む水飴状物質を詰めて服用したことになります。利佐子の保存血液から検出
されたトリカブト毒の毒量は、体重で換算して約五,九mgです。この毒量が白いカプ
セルに詰められるか、が争点です。この問題では、東北大学のM教授が、鑑定結果
の違う三種類の鑑定書を提出しています。

 最初の鑑定書は、一九九二年五月、第九回公判で提出されたもので、警視庁捜査
一課のY警部補が、専門家の指導で、白川産トリカブトの乾燥根2.2gからメタノール
で抽出・濃縮した水飴状物質を鑑定した結果です。鑑定結果は、「乾燥根1g当たり、
水飴状物質の収量は〇.一gです」

 二回目の鑑定は、一九九四年一月に提出された「共同鑑定書」に記載されていま
す。白川産トリカブトの根塊三十一個を、一個ごとにメタノールで抽出.濃縮した水飴
状物質を鑑定した結果です。各個の鑑定結果を平均すると、「乾燥根1g当たり、水飴
状物質の収量は約〇.二三g、それに含まれる毒量は二.六mgです」

 三回目の鑑定書は、一九六四年二月、第二八回公判で提出された物で、最初と同
じY警部補が、白川産トリカブトの生根約一〇〇gからエタノールで抽出.濃縮した水
飴状物質を鑑定した結果です。生根一〇〇gを乾燥させると、約三〇gの乾燥根にな
るとの証言があります。それで換算すると、鑑定の結果は、「乾燥根1g当たり、水飴
状物質の収量は約〇,〇四七g、それに含まれる毒量は約三,六mgです。

 最初の鑑定書が提出された第九回公判で、鑑定結果から、致死量の二mgを含む
水飴状物質が、白いカプセルに詰められるか、私は計算してみました。計算では、カ
プセルが九個以上必要です。公判はすでに九回を経過して、いろいろと調べたいこと
があるのですが、鑑定書や証人尋問調書が私の手元に一冊もなく、検察官の主張に
適切な反論ができません。カプセルが九個以上必要だという結果は、私の悔しさを検
察官にぶつける強力な武器となります。この時点から、利佐子が服用したとされるトリ
カブト毒とフグ毒が、白いカプセルに詰められるのかという問題が、服用から発症まで
約二時間の問題とともに、私の非常に重要な事項となります。

 二回目の鑑定書が提出されたときには、必要最小限度の六冊の鑑定書と九冊の
証人尋問調書が手元にありました。年金で生活している八四歳になる父にコピー代
の借用を申し込み、快い返事を受けて、弁護人にコピーをお願いし、一九九三年一一
月に届いたのです。これらの資料から、二回目の鑑定結果でも、利佐子の体内総毒
量を含む水飴状物質が、白いカプセルに詰め切れないことを明らかにできました。
三回目の鑑定書が提出されたとき、私は挫折感を味わいます。三回目の鑑定結果で
は、容量〇,七mlの二号カプセルに、トリカブトの致死量の約二七倍詰められている
のです。これがが事実なら反論の余地はありません。

 私は第三十回公判で、東北大学M教授に三つの鑑定結果の相違について詳細に
質問しますが、M教授は曖昧な答弁に終始します。
白いカプセルには、フグ毒も詰めなければならないのですが、フグ毒については、
クサフグの肝臓からアルコールで抽出・濃縮したどろどろ状物質の収量や、それに含
まれる毒量の、鑑定および証言は一切なく、私が問題にしたくても、この件に関する
鑑定および証言は一切なく、私が問題にしたくても、その糸口がつかめません。この
件に関する鑑定の申請を、弁護人に依頼しようと検討しているうちに、事実審理が結
審すると知らされて、果たせませんでした。
 
 第二五回公判(一九九三年十一月)で、私は不思議な雰囲気に包まれます。法廷
は薄暗くされ、スクリーンが裁判長の正面、私の真横に据えられます。東京理科大学
F教授の鑑定書をもとにした証言がはじょまると、法廷はまるで研究発表の会場のよ
うになります。F教授はこの研究について、最近、学会で発表したと証言します。
道理で、私はうなずきます。学会での研究発表を、そのまま法廷に持ち込んだと思わ
れる道具立てです。証言の内容も、研究発表をそのまま再現したようなやり取りを
検察官と行っています。

 私は首が痛くなります。スクリーンが真横にあって見にくいのです。正面に向けた
真横にあるスクリーンを見るために、私は腰を前の長机にささえるようにして首を前方
に突き出し、左横を見ながら長時間その姿勢を保っていました。ただ、傍聴席のマス
コミ関係者が、私の表情をうかがおうと、傍聴席の片隅に寄っているので、私はその
視線を避けるために、自らの視界についたてを立てるように、首をできるだけ正面に
向けようと不自然に伸ばしながら横目を使っていたのです。肉体的にこれほど疲れた
公判は初めてでした。

全文-10 (2013/01/31(木) 18:57:52)
2011.11.29

 全文-10

 苦労して聞いていたわりには、証言の内容はお粗末きわまりない物です。F教授
は、学会での研究発表だけにしておくべきでした。利佐子の具体的条件に照らしてみ
れば、まったく場違いの研究発表です。だが待てよ? 私は証言を聞き進むうちに、こ
の研究が警視庁科学捜査研究所からの鑑定嘱託によって、三年ほど前からはじめら
れたことがわかったのです。私の逮捕が約二年五か月前ですから、それ以前から当
裁判を目当てにして研究が進められていたことになります。それならわかります。
検察官がやけに熱心な理由が。

 鑑定内容の詳しい解説は第2章に譲ることにして、なにを言わんとしているかを、
簡略に説明します。この鑑定は、発症時間にかかわるものではなく、カプセルの服用
から、死亡に至るまでの、経過時間に関係するものだということを、まず指摘しておき
ます。利佐子は午後二時十分に心臓停止に至り事実上死亡しますが、その時刻から
約四時間前にカプセルを服用した可能性があることを、明らかにしようとする意図を
持つ鑑定です。その条件として、小麦粉と混合して、利佐子はトリカブト毒の血中濃度
が、服用から約四時間後に最高血中濃度に到達したときに死亡したという前提に立ちます。

 私はこの鑑定結果が、利佐子に適用できないことに、公判がはじまって二時間ほど
経った時点で気がつき、検察官とF教授の、馴れ合いを思わせるやり取りを聞いてい
て、ばからしくなってきます。F教授は、「最高血中濃度到達時間は作用が最も強く現
れる時期で、そのところで死に至る可能性がある」 と証言します。それを受けて、検
察官は、最高血中濃度と致死との関係を強調し、利佐子がカプセルを服用して、四時
間ほど経過してから死亡したことを、印象づけようとF教授と盛んにやり取りを繰り返
します。

 利佐子は午後二時十分に心肺停止に至り事実上死亡しますが、仮にトリカブト中
毒死とすれば、保存血液の濃度から、体内総毒量は約五,九mgと推認されており、
致死量の約三倍です。F教授がスクリーンで描いているグラフは、一時間後、二時間
後、四時間後と血中濃度を直線で結んでいきますが、その直線のつながりの形から、
上に膨らむ曲線になることがわかります。

 利佐子の死亡から四時間前の午前十時十分にカプセルを服用したとすると、その
後の利佐子の血中濃度の動態は、二時間後の南西航空に搭乗して間もない午後0
時十分に、致死量の約一,五倍の三mg程度、三時間後は元気にチェックインの手続
きをしていますが、その状況を無視して検察官が発症時刻と主張する午後一時十五
分に、致死量の二倍を超える四,五mg程度、そして、死亡する午後二時十分に、致
死量の約三倍の五,九mgに達するのです。

 なにがばかばかしいかは、説明する必要もないほど明らかです。服用から発症ま
で約二時間を立証するために、涙ぐましい努力をしたことはうかがえますが、苦肉の
策にすぎません。
私は弁護人に頼んで、利佐子の具体的条件を挙げて、F教授に質問してもらいまし
た。それに対してF教授は、「そのことについては、私は何とも申し上げられない立場
でございますので」 と答えます。私は、口を噤んで叫びました、「あなたは、どこで証
言していると思うのだ! ここは殺人事件を裁く法廷にほかならない。あなたは、一人
の人間を陥れる手助けとなる証言をしているのだ。『私は何とも申し上げられない』
と言うがすでに多くを物語っているではないか」 と。学生を教える立場の人が、この
ような無責任なことでいいのでしょうか。

 この鑑定に関する公判は、二日間、六時間ほど費やして証人尋問が行われまし
た。研究発表の準備にかける費用と労力は、相当にかかったようです。内容の希薄さ
に比べて、このあたりの舞台装置を見ると、検察官の立場の強さをつくづく感じてしま
います。私にこれだけの費用と労力を与えてくれるなら、私の意にかなった鑑定
の実施によって、無罪を間違いなく勝ち取る自信があります。国選弁護人の先生は、
国から支払われているわずかな弁護料でよくやってくれています。ですが、熱意を持
って動けば動くほど赤字になるといいます。検察側のせめて三分の一でいいのです。
権力を武器にした鑑定嘱託と、その裏付けとなる費用が弁護側にあったなら、このよ
うな理不尽さは、簡単に打破できるのですが。被告人とは、なんと弱い立場なのだろ
うと、私は、第二五回公判のこの日、しみじみと味わいました。

 四 効果的な抗弁が組み立てられない
 
 裁判が開始されて、ほぼ二年が経過しました。東京拘置所の窓から眺める四季
折々の庭の風情に、私は飽きることがありません。
冬の気温の低い日は、体が震えて止まらないことがあります。昼、ペンを持つ手が
かじかんで、文字が進まなくなり、窓の外に目をやると、土鳩が前の建物の梁に鈴な
りです。強い鳩、弱い鳩、その駆け引きを見ていて、その面白さに心が安らぎます。山
鳩も庭の低木に巣を作り、餌を求めて庭をよちよちと歩きます。その美しい姿に気品
を感じますが、冬は姿をあまり見かけなくなりました。
春は桜の季節です。庭の染井吉野が満開になると、清楚さや華やかさを誇るよう
に、語りかけてきます。染井吉野が散ると、間もなく八重桜が満開となり、重厚さを押
しつけるように、、にぎやかに話しはじめます。染井吉野は花が散ってから若葉が顔
を出しますが、八重桜は花と若葉が一緒に顔を出します。その違いでしょうか、私の
心に醸し出す和やかさは微妙に変わるのです。

 夏の虫たちとの遊び、ぶつぶつと話しかけて独りで相槌を打ちます。夜中のゴキブ
リ君との一騎打ちは相変わらずですが、昼間、もぞもぞと虫が出て来ます。彼らは先
祖代々、ここの住人のようです。流し台の下が彼らの居住区とわかりますが、居住権
があり、追い出すわけにはいきません。追い出されるとしたら、あとから住んだ私のほ
うです。ここから、追いだされてみたいものです。
一匹お出ましになり、私は顔を近づけてよく見ます。遊んでも面白くないので、草鞋
虫君なら無視します。私が遊ぶのは団子虫君です。扁平なら草鞋虫、丸みがあったら
団子虫、体の色はともに灰褐色色ですが、団子虫が濃い色をしています。お出ま
しは団子虫君です。私が人差指で、体を上から軽く押さえつけて、指を離すと、団子
虫君は体を団子状に丸めます。指ではじいて転がしますが、よく転がります。目、ある
のかな、目が回らないだろうか。畳の上では、背を下にして体を開いてくるりと反転し
て簡単に起き上がりますが、私は丸まった団子虫君を真っ平らな机の上に置きます。
団子虫君、かわいそうに、体を開いて、よいしょよいしょと、たくさんの手足をばたつか
せますが、体を反転できず起き上がれません。三十分ほどもがいていた団子虫君、
疲れたらしく、もがくのをやめて動かなくなります。私は人差し指で畳の上に転がして
やります。団子虫君は起き上がると、慌てたように逃げていきました。

 秋になると柿の木が実を付けます。拘置所に柿の木、庭の幅は、同じ作りの前の
建物まで、三十メートル弱です。初めての秋、私は窓外の香木が柿の実を付けたの
を見て驚きました。柿の実は豊かに生りますが、カラス君が枝に留まってもついばみ
ません。渋いのでしょう。実が地面に落ちてしばらくすると、カラス君がついばみはじ
めます。私は話しかけてみました。実は甘いのかと。カラス君はついばみに夢中です。
私も手にしたいと思いますが、それはかなわないことでした。

全文-11 (2013/01/31(木) 19:07:40)
2011.12.05

全文-11

 検察官は、小麦粉との混合を持ち出して、服用から致死まで約四時間に拘泥しま
した。それは当然です。私が逮捕されて、取り調べを受けたときの、警部や検事の話
を総合すると、利佐子が那覇空港で友人三人と会う予定だった、午前十一時二十分
以降のカプセルの服用を立証するには、ほとんど不可能な条件を満たしていたから
です。午前十一時二十分以降、航空機が延着するとも知らず、私と利佐子は友人三
人が現れるのを必死で探していました。現れたら即、利佐子は友人三人と行動を共に
します。また、航空機が延着したから機内の席が離れたので、予定では、機内でも友
人三人と、一緒の並びの席に座るはずでした。この条件については、警部も検察も私
の供述に反論はしていません。

 このような条件のなかで、両毒入りのカプセルを、私が利佐子に、服用することを
勧めることが、できるでしょうかと主張します。そこで警部も検事も、服用から発症まで
約二時間の問題について、私がどのようにしたのかを、幾度もしつこく尋問しました。
この取り調べの状況から、服用から発症まで約二時間の問題が、全く解決されていな
いことを、検察側は認めたことになります。

 この時は進行しているF教授の小麦粉混合の研究に、検察側がどれほど期待して
いたか、あの舞台装置を見てもわかります。第二五回公判は、検察官にとって晴れ
の舞台だったでしょう。しかし、利佐子の血中濃度の動態を加味すると惨めな舞台で
もあるのです。まさか、裁判官が、この惨めな舞台に目が眩んで、利佐子の血中濃度
の動態という簡単な事実を見極められず、騙されるとは思いませんでしたが、念のた
め、一九九四年一月、第二七回公判の前に、利佐子の血中濃度の動態を加味した
供述書を裁判所に提出します。

 陳述書を提出して、これから反論だと意気込んでいたところ、弁護人から、二か月
後の三月で事実審理は結審すると知らされます。私は自らの耳を疑いますが、聞き
違いではありません。被告人の立場とは、こんなものでしょうか? 一体、私の主張を
どれだけ聞いたというのだ! これから裁判資料を入手し、反論を組み立てようとして
いるのに、私の怒りは頂点に達します。私に反論のための時間を与えないということ
は、やはり、血液から両毒が検出されたことによって、裁判は、有罪と決めつけて開
始されたとしか思えません。

 私は、犯したと誤解されている殺人行為について、よく自問自答をします。琉球大
学のO助教授は、解剖後、心筋梗塞と断定しますが、一か月ほど経過して高額な生
命保険の加入を知り、他殺の可能性も念頭に置いて血液の検査をはじめます。O助
教授は、私が実益を求めて殺人を犯した可能性を考えたのです。
一般論として、実益を求めて殺人を犯した人は、他者の治療を受け入れる心は、希
薄だと思います。実益を求めての殺人は、精神をコントロールできる状態で犯す殺人
です。精神のコントロールが正常な状態で犯した殺人は、殺人が悪行だということは
知っていても、心をえぐるような感覚ではなく、心を素通りする程度の感覚だと思われ
ます。他者の説得も素通りするでしょう。よく、自らの心に他者が潜むと言われますが
その他者に寄りかかれば、言い訳をするだけになります。真に犯した殺人行為を反
省しその心をえぐるには、自ら行う以外にありません。
自分の殺害という行為によって、閉ざしてしまった相手の人生を、深く深く考えてみる
以外にないのです。それが極悪な行為だったと、反省できたかどうかわかるのは、自
分の心を透かして見ることができる本人だけです。

 私は殺人は犯していません。私は、いま述べた一般論を持って私を評していた世
間の声が、非常につらく心に響いたのです。妻を二億円近い生命保険に加入させ、
約一か月後に殺害して、完全犯罪が成立すると考えるほど、私は間抜けではありま
せんが、世間にとってそれは言い訳と聞こえるだけでしょう。血液からの両毒の検出
という証拠を、打ち負かすことのできる立証、それにはアリバイに匹敵する論証が必
要ですが、それが、服用から発症まで約二時間の事項なのです。この事項の審理は、
公判でまだ一度も行われていません。この審理を、私は気力を整えて待っていました。

 二か月のあいだに七回の公判が予定されます。各回の公判の審理内容も日程も
決まっていました。私が提出した陳述書の審理を行う余地などありません。一九九四
年二月七日の第二八回公判から、三月十四日の第三二回公判までの、五回の公判
で、カプセルに詰められる毒量の問題と、服用から発症まで約二時間の問題が、五
週間ほどで審理されます。この二つの問題は、私が最も重要と捉えている事項です。
そこで審理される鑑定書も証言内容も、私はまだわかりません。第三二回公判が事
実審理の実際上の結審だと知って、私は途惑いの気持ちをあらわにして、弁護人に
怒りをぶつけます。

 後悔することが私にはありました。それが途惑いの気持ちに影を落としています。
一九九四年一二月二二日、大阪に出張して公判が開かれます。この大阪公判に
私は参加しませんでした。理由は私の意気地無さです。大阪までの連行は新幹線で
す。手錠をかけ腰縄を打たれ看守に付き添われて、駅構内を歩き、車内で座っていな
ければなりません。頭からすっぽり何かをかぶって、顔を隠すということは、殺人を犯
していない私には論外です。

全文-12 (2013/01/31(木) 19:23:57)
2011.12.12

 全文-12

 世間に顔を晒す気概に乏しい私は、欠席しました。これが三度目です。一度目は一
九九二年二月、那覇で開かれた公判で、二度目は期日は不明ですが秋田の公判で
この場合の欠席理由も同じです。大阪公判の後、公判の審理内容を先生方から聞い
て驚きました。なつ江の死因がトリカブト中毒であるという、大阪大学医学部S教授の
証言が、状況証拠をもとに展開されたのです。私にとっては突然の衝撃でした。先生
方から聞く事ができたのは概略ですから、詳しいことを知りたいのですが、証人尋問
調書もなく手立てがありません。出席しなかったことを、大変悔やみました。この証言
の反面が、第一審が終了した後に、服用から発症まで約二時間の事項と、肩を並べ
るほど重要な事柄になります。

 私の手元にある裁判資料は、第二五回公判の直前に入手した資料です。それ以
前の公判では資料が手元にないため、検察官に被尋問席に引き出されても、効果的
な抗弁が組み立てられませんでした。入手した裁判資料を調べた結果、その抗弁を
補完したい事柄が様々あるのですが、公判の内容と日程が決まっていて、割り込むこ
とができません。F教授の証言に反論した陳述書についてだけは、被告人尋問調書
に明記しておきたかったので、第二七回公判で、別の事柄で被尋問席に引き出され
たとき、打ち合わせのとおり、弁護人に尋問してもらいました。しかし、即時に検察官
が、「当尋問事項と関わりない」 と異議を申し立て、裁判官が認めて、私の望みは去
ってしまいます。このようなことは、これまでの公判でたびたびありました。その都度、
裁判官への私の不信は強く重なります。

 同じ第二七回公判で、私は夜道でわずかに見えていた明かりを見失います。闇は
深いのです。裁判官の表情から、私はそのような印象を受けました。裁判官が、私に、
「利佐子の血液から両毒が検出されたことをどう思うか」 と尋問します。私は、
「採血されて八か月間保管されているあいだに混入された」 と答えました。私は有罪
はほぼ決定していると確信します。

 利佐子から採取された血液の保管方法について、私が初めてO助教授の証言に
接した第二回公判では、私の気持ちには、多くの疑問が貼り付きました。第三回公判
のO助教授の証言を聞いて、私の気持ちは、疑問が不信に変わります。私はその不
信の気持ちを質問によって直接O助教授にぶつけてみたかったのですが、その後、O
助教授は被尋問席に座ることはありませんでした。約一年後の第一七回公判で、弁
護人から、那覇公判の現場検証の訴訟資料「血液保存実況見分調書」 の写真を見
せてもらいます。実験室と冷蔵庫の写真を見た私は、唯一の直接証拠ともなりうる重
要な血液を、これほど無造作に保管するものかと驚いてしまいました。

 実験室は十坪以上ありそうな部屋で、実験器具が置かれ、日常多くの研究員が実
験のために使用していることがうかがえます。この部屋の一遇に、上下二ドア式で、
上段が冷凍庫、下段が冷蔵庫という、ごく一般的な大きさの、鍵の掛からない家庭用
冷蔵庫が置かれています。現場検証が行われたのは、一九九二年二月で、O助教授
は一九九〇年六月に東京の日本大学に転勤し、利佐子の血液も一九九一年十二
月ころ琉球大学から日本大学に移されたため、検証のときに現物は保管されていま
せん。現場検証の写真では冷凍庫と冷蔵庫のドアが開けられ、冷蔵庫の中は薬品類
が整然と収められており、立会人が指で示す冷凍庫の入り口近くに試験管が置かれ
ています。
O助教授の証言では、利佐子の血液を入れた二本の試験管は、解剖日、警察署
名、神谷利佐子と紙に書いたラベルと一緒に、袋に入れて縛って保管したということ
です。現場検証で立会人が指で示した保管状態では、実験室に出入りができ、利佐
子の血液の保管を知る人なら、誰もが利佐子の血液に細工をすることが可能です。
保管後、研究員など十名ほど集めて検討会が行われ、トリカブト毒がリストに入り、そ
の後、トリカブト塊根のエタノール抽出液が放置されます。第十七回公判での、利佐子の
友人Aの証言では、O助教授は週刊誌の記者に血液の保存を話しているということです。

 私は利佐子に、トリカブト毒を服用させていません。物的証拠として、混入を防ぐ完
璧な保管をしていたのなら、血液からトリカブト毒は検出されませんでした。
O助教授の保管状態では、血液の保管中にトリカブト毒が混入したことは、疑いよう
のない事実です。
裁判がはじまった当初から、私が危惧していた、保存血液からのトリカブト毒の検
出という事実が、裁判官の有罪との心証を決定づけていないか、ということを、第二
七回公判で、裁判官は態度によって明確に示しました。この心証を覆すことは、もは
や不可能です。私は、アリバイに匹敵する二つの事項、服用から発症までの約二時
間の問題と、カプセルに詰められる毒量の問題で、論証を完璧に行い、無罪を勝ち取
る以外ないと決意します。

 アリバイに匹敵する二つの事項は、第二十八回公判以降の五回の公判で審理さ
れるはずです。五週間の短期決戦となります。私は、二つの事項の論証を組み立て
るために、有罪と決めつけて鑑定を行い、証言をする、東北大学のM教授に、どのよ
うに反論したらよいか、少ない資料を調べながら、様々なケースを検討します。そのな
かで、一つの問題が浮き彫りにされます。
裁判官は、私に、「トリカブト毒を保管していた密閉ガラス瓶に、らっきょう漬けを入
れて、それを食べて怖くなかったのか」 と尋問します。私は「平気でした」 と答えま
す。この尋問は、トリカブトの塊根を密閉ガラス瓶を使用してエタノールに漬け、それ
を東京のマンションEWで空けて、札幌のシャトーSに持ち込み、らっきょう漬けを入れ
て使用していたのです。逮捕後、このらっきょう漬けの入った密閉ガラス瓶を捜査当局が押収し、
M教授に鑑定を依頼したところ、トリカブト毒が検出されますが、その尋問です。

 検察官は、私がトリカブトの塊根からトリカブト毒を抽出・濃縮し、マウスで毒性実験
を行い、完成した水飴状物質を密閉ガラス瓶で保管し、その水飴状物質をカプセル
に詰めて利佐子に服用させ殺害したとの筋書きを描きます。検察官は、密閉ガラス瓶
の鑑定結果で、筋書きは裏付けられたと強調したかったのでしょうが、その主張はな
かったように記憶しています。この審理のなかで、先ほどの裁判官の尋問がありました。

 トリカブト毒の猛毒成分は、アコニチン、メサコニチン、ヒパコニチン、ジェサコニチン
の四成分ですが、トリカブトを漢方薬として扱う製薬会社のM研究室長が、「毒素の構
成比のパターンが違えば、産地が違う可能性は高い」 「トリカブト根をエタノールに漬
けておいても数年間は高い毒性を維持する」 「四種類の毒素は構造的に非常に似
ており、体内で特定の一つだけが代謝されるとは考えがたい」 という主旨の証言をします。

 この証言からわかることは、検察官の描く筋書きどおりとすれば、利佐子の血液か
ら検出されたトリカブト毒の成分比率と、密閉ガラス瓶から検出されたトリカブト毒の
成分比率がほぼ一致しなければなりません。私の手元にある裁判資料には、密閉ガ
ラス瓶の鑑定結果や、証言の記述が見つからず、結論は出せませんが、もし、血液と
密閉ガラス瓶の比率が一致していたのなら、図星の手柄を立てたと意気込み、検察官は
大いに騒ぐでしょう。騒がなかったことから、一致していなかったと私は推測しています。

 この問題を、今後の五回の公判で持ち出そうと考えますが、これに関係する裁判
記録がなく、審理に割り込ませる糸口がつかめません。私か、あるいは弁護人が、密
閉ガラス瓶の鑑定をしたM教授に質問しても、検察官の「当審理に関係ない」 との異
議申し立てと、裁判長の是認で、なしえないことは必定です。
もう少し早くこの問題に気がついていれば、弁護人の先生方と相談ができたのです
が先生方との打ち合わせは、公判当日の改定前の十五分ほどの接見です。山のよう
にある課題も、処理しきれない状況で、この問題を相談するのは無理でした。私は、
第一審で明らかにすることは諦め、控訴審を念頭に置いて、時間をかけて調査するこ
とにしました。


全文-13 (2013/01/31(木) 19:28:17)
2011.12.19
 
 全文-13

 五 黒子がしゃしゃり出て演技する心境

 「七重八重、掻き回せども味噌汁の、実のひとつだになきぞ悲しき」などと、稚拙な
駄洒落を口にしながら、朝食の味噌汁を掻き回します。給食を担当する人は何十人と
配色して回りますから、味噌汁の容器を一人ひとりいちいち掻き回してから、食器に
つぐわけにはいきません。年に二.三度ですが、私は味噌汁に、恨めしそうな目で訴
えてから、無性に腹が立ってきます。もちろん、自分のさもしさにです。拘置所での一
番の楽しみは、食生活と言えます。
三食のうちで朝食が一番腹に染みます。午後四時に夕食を済ませてから、翌朝七
半ころの朝食まで、口は食べ物と挨拶を交わすことはありません。朝の食べ物との
出会いに、いつも同じように感激します。一汁二菜が付く昼食や夕食と違い、朝食は
麦飯に味噌汁、それに振掛けや佃煮など二品が、日替わりで少々付く程度の質素な
ものです。それでもクークーと鳴り物入りで訴える、背と腹がくっつきそうなおなかは満
足してくれます。

 経済的に豊かなら、甘味なものは、日常的に口にすることができます。私の大好物
のショートケーキなどと贅沢を言わなければ、せんべいにキャラメル、あんパンにチョ
コレートなどの多くの庶民的な甘味物や、牛乳、納豆、練乳、マーガリン等が購入でき
ます。私は、加糖の練乳とマーガリンを等量練り合わせて、パン食のときの、パンに
ぬって食べるのが好きです。下手なカスタードクリームより、よほどうまいのです。チュ
ーブ入りの練乳も安価ですし、マーガリンも安く、経済的に豊かでない私は助かりまし
た。この頃、マーガリンはバターより健康によい食品だと言われてました。
私は久しぶりのクリームパンを頬張り、味わいながら少しずつ飲み込んでいきま
す。小机の上には、まだ、あんパンがあり、にやりとします。明日からの第二十八回公
判を前にして、至福のひとときでした。

 第二八回公判に臨んだ私は、東北大学M教授の証言を聞いて挫折感を味わいま
す。警視庁捜査一課のY警部補が抽出・濃縮を行い、二号カプセルに詰めた物質を、
M教授は鑑定してY鑑定書として提出し、証言しているのです。そのカプセルの鑑定
結果では、トリカブト毒が致死量の約二七倍詰められていると説明します。挫折感を
味わいながら聞いていた私は、この後半の直前、一月下旬に弁護人に届いた、「共同
鑑定書」 を借りて目を通しはじめます。
「共同鑑定書」 は、東北大学のM教授、O教授、S教授の三教授が共同で鑑定を
行い提出した鑑定書です。鑑定書は、Ⅰ鑑定事項、Ⅱ鑑定事項、Ⅲ鑑定事項、Ⅳ鑑
定事項、の四項目に分かれています。その中に参考資料として、私の事件を判断す
る上で、非常に重要な事実や例示が記載されてます。記載の量が多く、内容が多岐
にわたるので、十分な時間を持って詳細に調べなければなりません。
公判中調べる時間のない私は、Y鑑定書に関わる内容がないか、飛ばし読みのな
かから、拾いこみを行います。ありました。季節を違えて採取した三十一個のトリカブ
ト塊根を、M教授自ら、一個ずつ、抽出・濃縮し、鑑定した結果です。M教授自らが、
鑑定資料を準備し、鑑定したのです。これほど確実な鑑定結果は望めません。私はこ
の鑑定結果を、メモにして持ち帰ります。

 私は、この第二八回公判で、裁判長の制止も構わず、弁護人と小声で証人尋問の
打ち合わせをします。制止など、構っていられなくなったのです。弁護人の証人尋問
に、もどかしさを、感じはじめたからです。裁判長は、これ以来、私が証人に質問でき
るように、かなりの質問時間を設けます。これは、私への便宜を図るためではなく、有
罪との心証を決した余裕から、裁判の進行を遅らせないための便法と私の目には映
りました。裁判官の態度と表情でわかるのです。検察官が証人に尋問し、証人が答弁
するときは、証人への裁判官の態度は穏やかです。私が証人に質問し、証人が答弁
するときは、裁判官の証人への態度と表情は変わらず、私へ向けられたとき、口をへ
の字に結び厳しい表情に、がらりと変わります。私は気のせいであることを願います
が、私が質問に立つたびに、その感覚は私の心に蓄積し、ぬぐいようがありません。
この感覚とともに、私は弁護人への気遣いから疲れを感じはじめます。弁護人との
打ち合わせのない、独断での私の質問、弁護人の証人尋問の口数が少なくなってい
きます。弁護人が何を意図して、証人尋問を組み立てているのか配慮していない私
の態度が、弁護側の弱点をさらけ出していることを、私は気がつきませんでした。この
弱点が、のちに、私が公判の雰囲気から、浮き上がった存在に感じることにつながっ
ていきます。弁護人への筋を違えた気遣いをしながら、ひとりで張り切っていたので
す。

全文-14 (2013/02/02(土) 18:09:20)
2011.12.21

 全文-14

 服用から発症まで約二時間の論拠を初めて示したのは、『共同鑑定書』 です。そ
の筋書きは、「致死量のトリカブト毒を摂取した場合、口唇や舌のしびれ感は摂取直
後から二十分ないし三十分以内に出現し、不整脈は悪心、発汗、嘔吐等と前後して
三十分から約一時間前後に出現することが多い」 とし、「トリカブト毒とフグ毒を同時
に服用すると、両毒による拮抗作用があり、その拮抗作用は、両毒をそれぞれ致死
量の約五倍で同時投与した場合に、時間延長の効果が最も大きく、投与から発症ま
で、発症から死亡までの時間が、それぞれ平均的に二倍程度延長した。」 としてい
ます。この二つの事柄は、共同鑑定書と、それを説明した証言を、私がまとめたもの
ですが、前の「嘔吐等が約一時間前後に出現する」 と、後の「投与から発症まで二
倍延長した」 を、乗じて、「服用から発症まで約二時間」 を、鑑定書は捻出してい
るのです。

 後の鑑定結果は、マウスおよびラットによる実験結果を、人に適用していますが、こ
れについて、「ヒトとマウスやラットとの、両毒の作用機構は基本的に同一である」 と
証言し、「ヒトのアコニチン(トリカブト毒)およびテトロドトキシン(フグ毒)による毒性
(作用)発現の機構もマウスやラットと同様に、生命維持にとって重要な臓器・組織の
細胞膜に存在するナトリウムチャンネルの興奮作用および阻害(抑制)作用にそれぞれ
基づくものと考えられる。すなわち、ヒトにおいてもアコニチンおよびテトロドトキシン
の作用機構は、マウスおよびラットのそれと基本的に同一のものである」 と説明するのです。

 また鑑定書は五つの症例を例示していますが、公判中の短時間では充分に検討
することができず、「嘔吐等が約一時間後に出現する」 ことは確認に至りません。
参考資料に、ヒトの中毒症状として、「初期に酩酊状態、のぼせ、顔面紅潮、眩暈、
舌や口のまわりから順次頂部、上肢部、腰部へと下降するシビレ感、蟻走感、心悸亢
進、さらに進むと流涎、舌の硬直、言語不明瞭、悪寒、冷汗、悪心、嘔吐、口渇、腹痛
、下痢などからチアノーゼ、瞳孔散大、体温低下、血圧低下、喘鳴、視力障害、意識
混濁、脈拍細小・不整・微弱・緩徐、呼吸緩慢・痲痺などを起こして死に至る」 と記載
されています。

 この症状の進行を見ると、「嘔吐等」 は中期以降の症状であり、利佐子の発症が
嘔吐からはじまり、それ以前に初期症状であるしびれ感が全くなかったことが、
利佐子がトリカブト毒中毒ではないことの裏付けになると確信します。

 一九八四年二月八日、第二九回公判で、O教授は両毒の拮抗作用の鑑定結果と
証言を行います。これ以前のこうはんで証言した大学の先生方は、利佐子の死亡当
日の具体的条件と動態を示しての私の質問には、言葉を濁して曖昧な答弁に終始
します。その上、検察官の奥の手、「異議申し立て」 が寄せ手となり、私はひるみ、立
ち往生しているうちに、一般論として質問できる、肝心な事柄の質問の時間を、失うこ
とがありました。この轍を踏まないようにと、O教授への質問を、二項目だけは解答を
得ようと腐心します。それに対するO教授の証言は、次のような主旨のものでした。

 両毒をヒトに同時に投与したときの症状の現れ方について、「両毒の拮抗作用があ
っても、症状は、初期、中期、末期と、順次出現する。両毒の拮抗作用があっても、
しびれ感などの初期症状が出現しないわけではなく、遅れるだけである。」
両毒の投与比率を変えた場合の、生存時間の延長について、「アコニチンを致死
量の約五倍投与するのに対して、同時投与するテトロトドキシンの投与量を、致死量
の一倍、二倍、三倍、四倍と変えて実験してみると、生存時間の延長倍率は一・二倍
とか一・五倍とか二倍とかに変わってくる。致死量の約六倍のテトロトドキシンの投与
量は、比較的顕著に延長する投与量を選んでいる」

 この二項目の証言は、非常に重要です。この証言は、両毒の拮抗作用をマウスや
ラットで実験して結果を出し、「ヒトの両毒の作用機構は、マウスやラットのそれと基
本的に同一のものである」 と説明した上での証言です。私は、この二項目の証言で
満足しました。なぜなら、利佐子は、事前に初期症状のしびれ感を全く訴えることなく
、嘔吐が最初の症状であり、保存血液からの両毒の検出量は、トリカブト毒が致死量
の約三倍、フグ毒が致死量の約0.六倍と、五対一です。O教授は、利佐子の死亡当
日の、発症状況や、血中濃度の動態から、間接的に、利佐子はトリカブト毒中毒死で
はないと証明したことになります。とくに、両毒の投与比率の問題は、服用から発症ま
で約二時間を正当化して、利佐子に適用しようとした、検察官の論拠が根底から覆る
ことになります。

グラフ-1.2
画像をクリックで拡大します。


 第三〇回公判は、M教授とS教授の共同鑑定書についての説明と証言がありまし
た。共同鑑定書を詳しく調べることのできない私は、自分自身でも不可解と思える心
境にとらわれます。肝心な質問をやめてしまうのです。これ以上、裁判官の心証を悪
くしたくないという気持ちも働きました。私の質問は、利佐子の具体的条件と動態を示
して問題を提起する以外ありません。答弁は、言葉を濁しての曖昧なものです。
裁判官の苦々しい顔が目に映ります。質問しても効果がないのなら、裁判官を刺激す
るのはもうやめよう、という心理が働いてしまいます。わずかに私の心中を動かしてい
るもの、第一審で無罪を勝ち取りたいという期待がまだ残っています。

 前回の公判から今回の公判まで、二〇日間の期間がありました。その間私は考え
抜き、第一審で無罪を勝ち取るのは諦め、控訴審での闘いを念頭において、できるだ
け多くの無罪を立証する証拠を、集めておこうと決意を固めていました。前回O教授
から得た二項目の証言を、M教授とS教授への関連質問で、曖昧な言葉で効果を薄
められることを恐れました。裁判官を刺激したくないという心理は無罪を勝ち取りたい
という期待よりも、せっかく得た証拠を、裁判官を刺激して、さらに心証を悪くし、裁判
官がO教授の証言を取り上げて、M教授達に尋問し、崩しにかかる隙を与えたくない
という心の動きでした。

 私は、第二五回公判の小麦粉混合のときの体内総毒量の検討を生かして、両毒
の拮抗作用についても、利佐子の具体的条件を反映した体内総毒量の動態のグラフ
を描いてみます。この結果、トリカブト毒が致死量に達しても、利佐子は発症していな
いという不思議な結論でした。この結果をグラフにまとめて、第三〇回公判で裁判所
に提出しますが、裁判官からはなんの尋問もなく無視されます。



全文-15 (2013/02/02(土) 18:30:22)
2011.12.16

 全文-15

 第三一回公判において、トリカブトの産地と成分比率などについて、M教授の依頼
で鑑定書を提出した千葉大学のS教授は、長年にわたるトリカブト毒の研究にもとづ
き、トリカブト毒の抽出にかかわる証言をしています。この公判で、私はS教授に直接
質問することを許可されます。私の関心は、カプセルに詰められるトリカブト毒を含む
水飴状物質の量と、それに含まれる毒量の問題です。

 共同鑑定書からメモをとって私が計算した結果では、M教授が自ら抽出・濃縮した
「共同鑑定書」 の三一個の鑑定結果は、「水飴状物質の収量は、乾燥根1g当たり
平均で約二二五mg、その毒量は約二.六mg」 です。Y警部補が抽出・濃縮し、M教
授が鑑定した「Y鑑定書」 の五個の鑑定結果は、「水飴状物質の収量は、乾燥根一g
当たり平均で約四七mg、その毒量は約三.六mg」 です。毒量は塊根ごとに違いが
あり、Y鑑定書の塊根は毒量の多いものだったと考えれば問題ありません。問題なの
は、水飴状物質の収量です。共同鑑定書の約二二五mgに対して、Y鑑定書は
約四七mgで、五分の一ほどです。同じカプセルに、Y鑑定書は共同鑑定書の約五倍
の毒量が詰められることになります。

 この違いは何が原因なのか、私はS教授に質問します。共同鑑定書が溶媒にメタノール
を使用し、Y鑑定書がエタノールを使用していること、塊根は乾燥根と生根であることなど、
抽出・濃縮方法を具体的で詳細に説明します。
 
 この二つの抽出・濃縮方法の効率について、S教授は、「アルコールの抽出方法は、ほとんど
すべてのものがアルコール抽出エキスとして取れる。メタノールがエタノールより抽出効率は
いいが、生根からの抽出では、生根から水が溶出してエタノールに水が含まれ、抽出効率が
良くなり、抽出効率はメタノールと大差がない」と証言しています。また、アルコールだけで、
トリカブト毒だけをより多く選択的に抽出できるかという質問に、S教授は 「困難だ」 と答えます。
更に、両抽出方法の違いによって水飴状物質の収量に大幅な差が出るかと質問しますが、
「そう差がないが、抽出に時間をかけたY鑑定書が多分たくさん抽出されてると思う」 と答えます。

 共同鑑定書とY鑑定書の鑑定結果を比較すると、乾燥根に換算して一gの塊根か
らの水飴状物質の収量が、共同鑑定書が約二二五mg、Y鑑定書が約四七mgです。
S教授の証言では、抽出に時間を掛けたY鑑定書が、水飴状物質の収量が多くなる
はずですが、実際には、収量は、Y鑑定書が共同鑑定書の五分の一です。この収量
に含まれる毒量は、塊根に含まれる毒量の違いを無視すれば、同量です。このことが
同じカプセルに、Y鑑定書が共同鑑定書の五倍の毒量が詰められる結果を生むの
です。S教授の証言から考えて、その原因は、溶媒の違いにあると私は判断します。
M教授自から抽出・濃縮した共同鑑定書の溶媒のメタノールは、教授の立場を考え
ると間違いはないと思いますので、Y警部補が抽出・濃縮したY鑑定書の溶媒がエタ
ノールではなく、他の溶媒を使用した可能性を私は推測します。Y鑑定書は私は見た
ことがなく、M教授の証言を聞いただけですので、推測の域を出ていません。次回の
公判でM教授が証言しますので、そのとき納得できるまで質問することにしています。

 千葉大学のS教授への抽出効率についての質問が終わって、私は、予定していた
二つの問題の質問をはじめることにしました。一つは前回の公判で裁判所に提出し
裁判官に無視された、「利佐子のトリカブト毒の体内総毒量の動態のグラフ」 を示し
て、致死量に至っても発症していない不思議を、どう判断するかの意見を求めること
です。もう一つは植物毒と動物毒の違いはあっても、アルコール抽出方法に専門的知
識と経験があれば、「フグの肝臓一〇gから、メタノールを溶媒として抽出・濃縮したど
ろどろ状物質の収量」 がどの程度になるか判断がつくと思い、大まかに推定してもら
うことでした。

 この二つの問題は、私の無罪を立証するする証拠として重要な意義を持つもので
すが、質問をはじめたところ、即、検察官の「異議申し立て」 があり、二つの問題とも
あっけなく葬られます。
一九九四年三月一四日の第三二回公判は、M教授が出廷する最後の公判です。
わたしのM教授に対する質問は、鑑定書やM教授の証言の矛盾点を鋭くえぐる、
これまでにない圧巻なものとなるはずでした。気負う気持ちを抑えて質問を続けます
が、まともな答えは返ってきません。そのうちに、気負う気持ちを抑えて質問すること
が、かえって自分の気持ちを白けさせます。公判の雰囲気から、私が浮き上がってし
まうのです。

 僭越ですが、私の裁判を、上演中の素人歌舞伎にたとえてみました。私は、黒子が
しゃしゃり出て演技をするような、ばつの合わない心境に陥ります。この歌舞伎の多く
の観客の中に、演出者である裁判官が席を占め、劇の筋立ては演出の繰り返しで熟
知してます。演出者は、芝居の節目で、演技の出来映えを心に留め、終演後、全体の
演技を評価して、その善し悪しを公表しなければなりません。役者の多くは出入りの
証人が務めます。主役は検察官ですが、脇役である証人を引き連れて、舞台に登場
し演技を行います。

 私は黒子として、舞台の隅で目立たぬように、主役に準ずる弁護人の演技を後見
しています。素人歌舞伎の黒子など、歌舞伎座などの一流どころの、舞台配置をまね
た置物です。演出者との話し合いもなく、脚本も求められず、目を通すこともできませ
ん。劇の進行にともない演出者の顔色をうかがいながら、黒子の惨めな立場を認識
していくことになります。
黒子にも、劇の進行にともなう、心の動きがあるのです。後見している準主役と、脇
役との演技が噛み合わず、混乱などしたとき、黒子自身が飛び出して演技をしたくな
ることもあります。心の動きが、体の動きを伴うのは、主に、主役の大根役者のような
演技と。脇役の演技の絡みが、馴れ合いに終始したときです。私は、主役の検察官を
無視して、相手にされないことを知りながら脇役の証人に、演技のまずさを伝えるた
めに、実際に体を動かして演技をして見せますが、脇役のとぼけた表情と、観客の笑
いを誘うだけです。

 劇の筋立ては開演のときからすでに決まっていて、演出者は役者の演技を見たい
のであって、黒子の演技など見る気はなく、冷たく黙殺します。それでも、黒子は冷静
さを装って演技を重ねます。それ以外に黒子には、観客を納得させる方法がなかった
のです。黒子がしゃしゃり出て、舞台で役者に代わって演技をするなどということは、
観客の笑いを買っても、それは失笑にすぎません。劇場の中で、独り浮き上がってし
まった存在であることに気がついた黒子は、舞台の中央で呆然と立ちすくみ、演技を
やめ、口を閉ざします。

 私は肝心な質問に踏み込むこともなく、M教授への質問をやめてしまいます。いま
にして思えば残念なことで、M教授の矛盾した証言について、M教授の答えがたとえ
言い訳であっても、言質を取っておくべきだったと公開します。公判に臨む被告人の
心境の微妙な揺るぎを、切実に思い知らされた出来事でした。

全文-16 (2013/02/05(火) 17:48:33)
2012.01.05

全文-16

 第三二回公判が終わり、二か月後の五月一九日、第三五回公判の論告と最終弁論を控えて、
私は三月二五日付けで最終陳述書を裁判所に提出しますが、その後の第三四回公判で
取り上げられることもなく無視されます。
私は、「服用から発症まで約二時間」 については合わせて約四万五千字、
「カプセルに詰められる毒量」 については合わせて一万五千字の陳述書を提出しています。
これらの陳述書を裁判官がまともに検討するなら、無罪への期待も少しは生まれますが、
この第一審で経験した、裁判官の任期による交代のときも、期待した私の望みを逆なで
するように、保存血液からの両毒の検出という事実による有罪との心証は、交代した裁判官
に確実に引き継がれていました。このことから、第一審で無罪を勝ち取ることは、ほぼ絶望だと感じ
ています。

 私の興味は、論告求刑にあります。なつ江の死がどのように扱われるか、この問題
です。大阪大学のS教授は、入院中のなつ江の症状を検討して、一九九三年一二月
の大阪公判で、なつ江の死因はトリカブト中毒だと証言しました。この問題は、逮捕後
の警視庁捜査一課の警部と、東京地検の取り調べで取り上げられています。日本で
は司法取引が行われるということは聞いたことがありません。ですが、次のようなこと
が取り調べの課程のなかでありました。

 「なつ江の死因について調査するために、墓からなつ江の遺骨を少々持ち出して、
現在、トリカブトが検出されるか鑑定中だが、利佐子がどのようにしてトリカブト毒を服
用したのか、君がはなしてくれたら、なつ江の死因については不問にしてもいいのだが」
という主旨です。二十二日間の殺人事件の取り調べの過程で、様々な尋問との絡みのなかでの
話ですから、正式な取引ではありませんが、私は取引を持ちかけられたと受け取りました。
実益を求めて利佐子を殺害したのなら、無期懲役、なつ江まで殺したのなら死刑、
私はそのように理解しています。五十メートルプールに耳かき一杯のトリカブト毒の純品を
投入して、その鑑定は可能だと検事は強調します。遺骨の鑑定、私が実際になつ江を
トリカブト毒で殺害したのなら、検出されるでしょう。しかし、なつ江は病死です。
遺骨が鑑定されても、私はなんの心配もしていません。この遺骨の鑑定の問題は、そ
の後、第一審では一切耳にしていません。論告求刑で、なつ江の死因について、どの
ような判断を示すのか、大阪公判に欠席した私は、大変興味を抱いています。

 一九九四年五月十九日、論告求刑の公判が開廷されます。検察官は、耳を塞ぎた
くなるような言葉で私を罵倒しながら、筋書き通りの論告を行います。なつ江の問題
は、なつ江を利用して両毒の効能実験をしたことを強調しますが、死因についてはぼ
やかしてしまいます。遺骨の鑑定結果についても、一切触れません。
検出できなかったからでしょう。求刑は、無期懲役でした。弁護人の最終弁論は、
まだまとまりがついていないようで、聞いていても主張の中核がつかめません。
私が最も重要な問題として提起した、利佐子の体内総毒量の動
態のグラフについては、弁護人への私の説明が不充分だったようで、ほとんど触れら
れていなかったのが残念でした。私が独走せずに、弁護人と常に協調を強めていなら
ばと、悔やみが残ります。

 六 耳を素通りした判決

 一九九四年九月二二日、東京地方裁判所で判決を受ける日です。不透明な私の
心のように、朝からどんよりと雲が垂れ込めていました。首都高速六号線の右手に、
隅田川が並行しています。裁判所に向かう護送車の窓からは、もやで霞んで見通し
のきかない川辺の風景がぼんやりと広がっています。田尾眼の浸水テラスに、ホーム
レスの青いビニールシートのハウスが連なっていました。足立区に住むことが長かっ
た私は、この首都高速六号線は通い慣れた道です。そのころは気にもかけなかった
青いビニールシートが、自由の身を奪われてみると、自由の象徴として目に染みます。
自由の貴さが心身をえぐり、痛みが和らぐことはありません。

 論告求刑公判から判決の日まで、四か月が経過しています。その間、私は冷静に
判決の内容を見極めようとしました。

 有罪を決定する直接証拠はただ一点、利佐子の保存血液からの両毒の検出です。
私の無罪を決定する、直接証拠に匹敵する主張は二点、
利佐子のトリカブト毒の体内総毒量のグラフから、致死量に達しても発症していない状況と、
カプセルに詰められる毒量について共同鑑定書の鑑定結果を適用すれば、
トリカブト毒のどろどろ状物質を詰める余地はないことです。


 利佐子の体内総毒量のグラフを検討すると、死亡時午後2時10分の血中濃度のト
リカブト毒の体内総毒量は致死量の約三倍ですが、その四十三分前の発症時午後
一時二七分の体内総毒量を致死量と仮定すると、血中濃度が直線的に上昇して、服
用から発症まで二二分、カプセルの溶解時間を一〇分と見てそれを加えても、カプセ
ルの服用は午後〇時五五分となり、その時刻は友人達がカプセルを服用していない
と証言した時間帯です。また、東北大学のO教授は、「両毒の拮抗作用は、投与から
発症、発症から致死まで、経過時間がそれぞれ平均的に約二倍に延長する」 と証
言していますから、利佐子に両毒の拮抗作用が最大にあったと仮定した場合でも、発
症から致死までの四三分間は拮抗作用によって約二倍に延長した時間であり、当
然、、カプセル服用から発症までの二二分間も約二倍に延長した結果ということにな
ります。その上、O教授は、「血中濃度時間曲線は、ある程度までは急に上昇し、ある
程度からだんだん下がっていくような、上に膨らみを持つ曲線になる」 と証言してい
ますので、午後一時二七分の発症時にはすでに致死量を超えていると判断できます。
トリカブトの体内総毒量が致死量に達しても発症していない不思議とは、私は、このこ
とを述べたのです。



全文-17 (2013/02/05(火) 18:36:35)
2012.01.10
 全文-17

 カプセルに詰められる毒量については、共同鑑定書で、「アコニチン系アルカロイド(トリカブト毒)
の致死量は、水飴状のとき二二五mg程度と推定される」 と説明しています。M教授は、
「水飴状物質は、水溶液と置き換えても重量に大きな差は出ないと考える」 と説明しています。
この証言は、水飴状物質は比重が約一だという証言ですから、致死量の約三倍の水飴状物質は
約〇.二二五mlとなります。利佐子が服用したと仮定して、その最大のものは〇号(容量〇.六七ml)
のカプセルで、致死量の約三倍の水飴状物質〇.六七五mlを詰めると、それで一杯になり、フグ毒の
どろどろ状物質を詰める余地はありません。

 この二点を、私は陳述書などで説明しています。判決の内容を見極めようとした私
の考え方は、指摘した二点から、裁判官が少しでも論理的に事実を考察する能力が
あるならば、血液保存状態の杜撰さを認識して、私の二点の主張を重視し、この四か
月間の間に、公判の全内容を再審理するだろうと、私の判断は固まりました。全公判
をとおして、裁判官は、保存血液からの両毒の検出によって、有罪との心証に満たさ
れていたことは間違いありません。しかし、私の二点の主張はあまりにも重大です。
誠実さを堅持して職責を果たす裁判官なら、考えを改めて再審理するのが当然です
し、それが常識ある裁判官の務めです。この四か月間、私は考え方を進めているうち
に、無罪は必ず勝ち取れるという勇気が沸き起こりました。

 判決公判の午前十時に法廷に足を踏み入れたときは、法定内を一見できるほど落
ち着いていました。大きな法廷で傍聴席は満席です。被告人席に着くとまもなく、裁判
長に促され、裁判官の五メートルほど前の判決を受ける席に立ち、私は深々と頭を下
げます。緊張は極度に達し足が震えました。裁判長が判決を読みます。

 「主文、業務上横領、横領、殺人、詐欺未遂により被告人を無期懲役に処する。
未決勾留期間は七百日を刑期に参入する。」

 判決理由は椅子に座って聞きますが、ショックは大きく、怒りが心底から湧き出し、
感情が高ぶり判決理由が耳を素通りします。気を取り直して裁判長の声をとらえよう
としますが、関心は私が主張する二点の問題に集中し、ほかに何を言ってるのか心
に反響しません。その部分がやっと出たと認めたときには、言い訳染みた言葉を伴っ
て耳を通り抜けていました。一時間ほどで判決理由の読み上げを終わり、裁判長は
閉廷を告げます。一時間ほどの間、私は三人の裁判官を代わるがわる睨みつけてい
たのですが、一度だけ左陪審席の裁判官が私と視線を合わせすぐに逸らしただけで
それ以外に三人の裁判官とも、私に視線を向けることはありませんでした。昼食後、
弁護を担当した二人の先生が面会に来られ、判決内容についていろいろな角度から
検討を加えました。先生方と話して、心の中で渦巻いていた怒りは凝縮して一点に固まり、
面会を終えて控室に戻ったときには確固とした闘争心に変わっていきます。

 帰途につき護送車が隅田川に沿うと、曳き船の五倍ほど船体の大きい無動力の荷
船を、タグボートが力強く上流に向かって曳いていく姿を、これからの闘いに奮い立ち
ながら見つめていました。

 第二章 論理的でない矛盾に満ちた判決

 一  誰がミスリードを行ったか

 この事件には、多くの謎が含まれています。トリカブト毒は、ほんの微量を口に含む
だけでも、ぴりぴりという下を刺すような刺激と、ひどい苦味で、そのままでは口から
摂取することはできません。自殺など覚悟の上で服用する以外は、そのまま服用する
ことは不可能です。よって殺人の道具に使用するなら、料理などに微量を混ぜてその
料理を大量に食べさせるか、カプセルに詰めて服用させる以外ありません。この事件
の場合は、カプセルで服用させたことになっています。ですから、カプセルに詰められ
る毒量や、どのようなきっかけでカプセルを服用させたかなど、この事件では、数々の
謎を解いていかなければなりません。謎解きというと、思い出されるのが推理小説です。
私がもし、この事件を推理小説に仕立てるとしたら、謎解きの中心には、やはり服用から
発症までの経過時間を据えるでしょう。

 利佐子が殺されたとするなら、高額な生命保険を掛けた私が殺害したことは容易
に推理することができます。ほかに犯人がいるか? という隠された事情の存在も希
薄ですから、ほかの犯人を探すという謎解きには馴染みません。利佐子は、殺された
のか、病死なのか、ということが、数々の謎解きの結果としてわかるだけです。私が犯
人でなければ、ほかに真犯人がいるという事件ではありません。
この事件の謎を解くには、充分な論理的思考とその展開が要求されます。第一審判
決と、それを踏襲している控訴審判決が、論理的に展開されているか全く疑問です。
推理小説は論理の美を描くと、最近読んだ本に出ていました。判決が推理小説と違う
ことは言うまでもありませんが、それでも推理小説と同じように、筋道の通らない判決
は、いくら組み立て方が上手でも私は美しさを感じません。

 推理小説の描き方の方法として、「ミスリード」 というテクニックがあるそうです。
そのテクニックによって読者を間違った方向へ導き、なかなか事実が見抜けず、最後
にどんでん返しで、「そこまで、よくもだましてくれた」 という、推理小説を読み終えた
ときの喜びが生まれるそうです。

 裁判は、検察官と弁護人のやり取りで進行します。激しく対立する論点においては、
どちらかがミスリードを行っていると言えないでしょうか。仮に、検察官が行ったミスリ
ードに、裁判官が事実を見抜けず最後までだまされたとすると、誤審が生じることにな
ります。推理小説のミスリードとは比較にならない問題が起こるのです。
この第二章は、できるだけミステリータッチで描いてみようと思いました。しかし、組
み立てを形にしていくうちに、それは必要ないことがわかります。なにしろ、この事件
は、少し注意深く検討すれば事実が見えてくるのです。有罪との判決を下した第一審
および控訴審の裁判官は、検察官のミスリードを鵜呑みにすることによって、注意力
が散漫になり、なすべき検討を怠ったにすぎません。この事件では、検察官のミスリ
ードがミステリーそのものなのです。

 このことから、被告人であり書き手である私が、事実を裏返しにして、私自身がミス
リードを織り込むような、書き方をする必要がなかったのです。なにしろ、検察官がそ
の役割を、万事演じてくれたのですから。この事件でのミスリードとは、どのようなもの
か? その点を吟味しながら読み進むなら、この読み物は、ミスリードのテクニックとし
ても充分に興味深く読めると思います。



全文-18 (2013/02/05(火) 18:42:42)
2012.01.17

 全文-18

 判決公判から八か月後に判決文が出来上がりますが、それまでに私の手元には、
公判でメモノートに記録していた鑑定書の大部分と、ぜひ必要な証人尋問調書とを、
コピー代を工面して弁護人から送付してもらいました。判決文を受け取るまでに、私
はそれらの裁判資料を熟読します。その結果、利佐子が病死であることを証明する
「三つの事項」「一つの事柄」 によって、私の無実が完璧に論証できる見通しがつきました。

 「三つの事項」 を要約すると、

 「利佐子の血中濃度の動態から、両毒入りのカプセルを服用したと仮定しても、
それはカプセルを服用していないと判決が認定した時間帯に含まれること」
「利佐子が服用したとされるカプセルには、トリカブト毒の水飴状物質を充填すると満杯になり、
フグ毒のどろどろ状物質は詰められないこと」
「利佐子の血液から検出されたトリカブト毒と、利佐子に服用させるために私がカプセルに
詰めたとされるトリカブト毒の成分比率が、大幅に相違し同一性がないこと」 の三点です。


 「一つの事柄」 とは、

 「トリカブト中毒死の場合、例外なく、死亡に至る最終的症状
は心室細動ですが、なつ江は死亡時の入院で、発症から死亡まで心室細動は一切
現れず、死亡の時は静かに心臓の動きが止まる心静止です」。


この一点と先の三点については、第四章で詳細に説明いたします。

 利佐子の保存血液の鑑定時点から逮捕まで約四年間の遊びがありますが、「服用
から発症まで約二時間」 の問題が絡んでいると私は考えています。血液の保存が
混入を防ぐ完璧な状態であるなら、遊びはなかったはずです。保存の杜撰さが、捜査
当局が服用から発症まで約二時間を乗り越えられず、逮捕に踏み切ることができな
い障害でした。別件で逮捕に踏み切るのは、一部のマスコミが事件を大々的に取
り上げてアジテーションを行ってからです。私には、マスコミが裁判の第一審を担当し
ていると感じるほどでした。逮捕されてからも、服用から発症まで約二時間の問題は
解決されていません。検察側の立場から、公判でこの問題が解決されたように見せ
掛けがあったのは第一審の事実審理が終わる間際です。

 原審では、検察官が様々な状況証拠を提起して有罪と断定し、裁判官はそれを認
定します。私は無罪を主張して、その状況証拠にすべて反論しました。保存血液から
の両毒の検出でさえ、保存が杜撰であったことから状況証拠と見られて当然です。
これらの状況証拠が、有罪の証拠となるか、無罪の証拠となるかは、私が示している
「三つの事項」 と「一つの事柄」 が、崩せるか、崩せないかによって決定します。
言い替えれば、状況証拠を道理にかなったように工夫して有罪に見せ掛けても、
「三つの事項」 と「一つの事柄」 が崩せなければ、状況証拠はすべて無罪の証拠と
なるのです。
この第二章では、状況証拠の主なものを記載し、私の立場から説明して、無実の
主張の背景と心境を明らかにします。さらに第四章では、「三つの事項」 と「一つの
事柄」 が崩せないことを詳しく論証し、その論証を崩すことができなければ、誰にお
いても、罪と抗言することは許されないことを力説します。



全文-19 (2013/02/06(水) 19:08:31)
2012.01.24

 全文-19

 二 検察官は当事件をいかに描いてるか

 一九八一年七月、最初の妻恭子が心筋梗塞で死亡しました。逮捕後、警視庁捜査
一課も東京地検も、恭子の死については一切問題にしていません。裁判を通して検
察官も取り上げたことはないのです。恭子が病死であったことは、検察官が描く状況
証拠が、恭子が死亡したのちから、語りはじめることでも明らかです。
当時私は東京都台東区根岸の三DKのマンションに住んでいましたが、恭子との
思い出の深いそのマンションを売却するために、同年十月に荒川区所在のコーポT
を賃借し住居とします。翌一九八二年六月、二度目の妻となるなつ江が、虎の門病院
に最初の入院をし、それを機会に、なつ江の住居である豊島区西池袋の2LDKのマ
ンション(私の持ち家)でなつ江と同棲します。なつ江とは同棲後すぐに結婚し、西池
袋の同マンションを住居とします。

 私は発病後のなつ江の看病に気を遣い過ぎ、当時設立準備をしていた総菜会社の
作業が進みません。なつ江と相談し、平日の昼間だけコーポTを事務所として使用し
ます。作業と言っても経営企画書の作成が主なもので、二KのコーポTでは広く無駄
なので、一九八三年九月からは同じ荒川区内の六畳一間のアパートSに移ります。
このコーポTとアパートSを使用して、私がトリカブト毒とフグ毒を抽出・濃縮して保
存していたと、検察官は話を組み立て、私が別目的で購入した七種について、両毒を
得るために購入したと、それぞれの購入内容を次のように主張します。

 トリカブトについては、検察官は、私が一九八一年一一月ころから翌一九八二年九
月ころにかけて、福島県西白河郡所在の山野草販売店Kから、四、五回にわたって
トリカブト(アコニチン系アルカロイドであるアコニチン、メサコニチン、ヒパコニチン、
ジェサコニチンの猛毒成分) を含むキンポウゲ科植物のトリカブトの鉢植えを、一九八
一年十一月六鉢、一九八二年七月二五鉢、同年八月から九月まで三一鉢、合計六二鉢購入
したと、仕入伝票をたどりながら行った、販売店Kの主人の証言をもとに主張します。

 クサフグについては、一九八四年三月ころから翌一九八五年秋ころまでに六、七回
に渡り、神奈川県横須賀市で漁業を営むM から、一九八四年三月ころ約三〇匹、そ
の後間もなく約六〇匹、夏前に二〇〇匹ないし三〇〇匹、秋に約三〇〇匹、一九五
四年ママ(一九八五年か?)四月に二〇〇匹ないし三〇〇匹、秋ころに約二〇〇匹、
合計一二〇〇匹の内蔵に猛毒(テトロトドキシン)を持つクサフグを、一匹一〇〇〇円
で購入していると、M氏などの証言をもとに主張します。

 エバポレーターの購入については、逮捕後の取り調べで、総菜会社の説明に必要
なため、私が自ら供述しています。私の供述は、購入先、購入目的および数量で、一
九七九年に一式、一九八二年六月に一式、同年七月にガラスセット一式、一九八三
年三月に一式です。捜査当局は販売店の東京都千代田区所在のT株式会社で事情
聴取し、伝票の保存のない最初の購入以外は確認できたと私に伝えます。公判での
検察官の主張は、最初の購入を除いたものでした。

 マウスの購入についても、逮捕後の取り調べで、同じ理由から、私が自ら供述して
います。私の供述は、一九八三年十一月か十二月に池袋のペットショップから五匹、
翌一九八四年二または三月に東京都練馬区所在の実験動物販売会社株式会社N
から五〇匹(最小販売単位)、一九八五年六月または七月に同Nから五〇匹、一九
八六年四月二十六日に大阪府所在の実験動物を販売するA店から五〇匹(最小販
売単位)です。捜査当局は株式会社Nに事情聴取しますが、私が購入したことは確認
できても、伝票が見つからず詳しいことはわかりません。A店では、私の供述どおりに
確認できます。公判での検察官の主張は、私の供述のとおりでした。

 カプセルとエタノールの購入については、逮捕後の取り調べの成り行きから、私が
事務所としていたアパートの、最寄りの駅前にある薬H店が特定されます。公判で薬
H店の店長が証言して、その証言をもとに検察官は、カプセルは、一九八四年七月以
前から翌一九八五年十、十一月ころまでの、一、二年の間に、風邪薬のフルカントジ
ン(ニトロカプセル入り) および強肝剤のレバゴルトV(六〇カプセル入り)、鎮痙剤の
パボランカプセル(一二カプセル入り) を週に一、二回の割合で購入し、同年九月こ
ろ製造中止になったパボランカプセルの在庫品の全部七,八箱をまとめて購入してい
る。エタノールは、同時期に、数回にわたり五〇〇ml入り無水エタノール (消毒用で
茶色い半透明のガラス瓶《遮光瓶》 に入っており、ラベルにもその旨明示されてい
る) を購入したと主張します。

 メタノールの購入については、薬H店では販売しておらず、捜査当局が斜め向かい
にあるJ薬局で事情聴取して明らかになります。その内容は、エタノールの購入とほ
ぼ同じ時期、多数回にわたり、五〇〇ml入りメタノール (燃料用で、白いポリ容器に
入っており、ラベルもその旨表示されている) を多数購入していたこと、その間、
「毒物および劇物譲受書」 によって確認された購入が、一九八四年六月一四日から
翌一九八五年六月五日まで七回にわたり合計二六本あること、検察官は公判で、こ
の事情聴取の内容を主張します。
以上の購入品を材料にして、検察官は私の事件を組み立てました。

全文-20 (2013/02/06(水) 19:31:18)
2012.01.26

 全文-20

 トリカブト毒およびフグ毒を、トリカブトの塊根およびクサフグの肝臓から抽出するに
は、エタノールまたはメタノールを溶媒として使用します。この抽出方法では、アルコ
ールに溶けるほとんどのものが抽出されます。抽出物を含む溶媒のアルコールは液
状ですから蒸留してアルコールを分離しなければなりません。蒸留には例えばヘアー
ドライヤーでもできますが、エバポレーターを使用すると効率的です。この作業を
「濃縮」 すると言います。濃縮した濃縮物は、ヘアードライヤーを使用しても、エバポ
レーターを使用しても同じ濃縮物です。トリカブトの場合は水飴状物質、クサフグの場
合はどろどろ状物質です。エバポレーターを使用したから濃縮物に含まれる毒量が増
える、ということは絶対にありません。アルコールによる抽出と、エバポレーターによる
濃縮は、このような作業をいいます。

 この作業で、トリカブト、クサフグ、エバポレーター、エタノール、メタノールの五種の
購入品を使用します。検察官は、この「抽出」 「濃縮」 そしてその濃縮物の保存を、
先ほど述べたように、私がコーポTと転居後のアパートTで行っていたと主張します。
そこで、この作業によって得られる、トリカブトの塊根とクサフグの肝臓からの、濃縮
物の収量に注目しなければなりません。

 私がマンションのベランダで栽培したときの経験では、トリカブトの塊根は、大きめの
物でも三〇gほどでした。これは生根の毒量です。生根を乾燥させて乾燥根にすると、重量が
約三〇%になると証言されてますから、乾燥根にすると約一〇gです。

 東北大学のM教授は、水飴状物質の比重について証言しています。

 普通、こういった物から抽出した場合の比重が、一より極めて大きいとか、極めて小さいということは、
あまり考えられないので、それを水溶液と置き換えても重量に大きな差はでないと考える。


 東北大学三教授の共同鑑定書では、三一個の塊根の鑑定結果を含めたこれまで
の経験によると、「水飴状物質の収量は、乾燥根一g当たり平均で約二二五mg」 と
記載されています。右(上)囲みのM教授の証言は、水飴状物質の比重は約一gとい
うことを表していますから、「水飴状物質の収量は、乾燥根一g当たり平均で約〇、二二五cc」
となります。私が購入したトリカブトの鉢植えは、検察官の主張では六二鉢です。一鉢で塊根は
一個ですから、約一〇gの乾燥根が六二個取れます。重量で約六二〇g、乾燥根一g
当たり平均で約〇,二二五CCですから、鉢植え六二鉢では、約一三九・五CCとなります。

 検察官は、私が抽出・濃縮した水飴状物質を、密閉ガラス瓶で保存していたと主張
します。確かに、保存していた形態と目的は違いますが、私が所持していた密閉ガラ
ス瓶(二〇〇CC入りと五〇〇CC入りの二種類) の一個から、トリカブト毒が検出さ
れました。検察官の主張する抽出・濃縮が事実と仮定すれば、六二鉢の塊根すべて
を抽出・濃縮し水飴状物質にしても、一三九、五CCですから、密閉ガラス瓶一個に入ります。

 検察官は、この水飴状物質で、マウスを使用し、なつ江を利用して、効能実験を行
い、完成させて、カプセルに詰め、利佐子に服用させて殺害し、その後も保管してい
たと主張します。この主張から当然のこととして、水飴状物質を保存した密閉ガラス瓶
は一個であるということが結論づけられます。この事件の核心の一つですが、詳しく
は第四章で説明いたします。

 クサフグの肝臓からアルコールで抽出・濃縮した濃縮物がどろどろ状物質になると
いう証言はありますが、その収量については鑑定も証言もありません。東京大学N講
師は、クサフグの肝臓等約一〇gに二mg(ヒトの致死量)のフグ毒を含むと証言しています。
クサフグの肝臓から抽出・濃縮したどろどろ状物質の収量については推定してみる
以外ありません。トリカブトの乾燥根一gから水飴状物質が約二二五mg収量がある
ことを参考にすると、クサフグの肝臓一〇gからは、どろどろ状物質は二g程度収量が
あると推定できます。ただし、トリカブトは乾燥根ではなく生根(重量が乾燥根の約三
倍) と比較すべきだという考え方もありますし、クサフグの肝臓には血液や蛋白質も
多く含むから、もう少し多くなるという見方もできます。しかし私がココで問題にしたい
のは、仮に私がクサフグの肝臓からどろどろ状物質を抽出・濃縮したとして、その収量
を推定し、検察官の主張がいかに矛盾しているかを指摘するためですので、収量を
二gとしてもさほど問題ではありません。

 検察官は、クサフグの購入について、一年六か月に、六,七回にわたり、約一二〇
〇匹を購入し、抽出・濃縮を行ってどろどろ状物質を集め、マウスやなつ江で効能実
験を行い、利佐子に服用させたと主張します。「カプセルに詰めて」 と主張したかどう
かは、カプセルに詰められる量から問題ですが、私の記憶にありません。
私が扱った大量のクサフグから判断しますと、平均して体長は約一五センチ、重量
は三〇gぐらいです。料理実習のため捌いたの三〇センチほどの大型のもの六匹で
すが、重量は一〇〇gくらい、肝臓は、量っていませんが、二〇g程度はあったと思い
ます。このことから推定すると、私が扱った大量のクサフグの、平均した肝臓の重量
は、一匹五g程度でしょう。
一二〇〇匹購入したとすれば、それから取れる肝臓は六〇〇〇g、どろどろ状物質
の収量は一二〇〇gです。また、肝臓等約一〇gにヒトの致死量の二mgのフグ毒を
含むと証言されていますから、抽出効率が五〇%としても、三〇〇人のヒトを殺害で
きる量です。

 私が利佐子を殺害する目的でクサフグを購入するなら、これほど大量に購入する必
要はありません。M教授の証言から、どろどろ状物質も比重は約一と判断できますか
ら、一二〇〇gは一・二Lです。購入は三回目で済むものを、一,二Lもどろどろ状物
質を収集して、何に使うというのでしょうか。〇号カプセル(容量〇,六七mg) で
約二〇〇〇個分です。一度にではなく、一年六か月にかけて七回にわたり購入して
いるのです。この問題を、控訴審に至るまで私は取り上げましたが、検察官からは何
ら返答はありませんでした。

 検察官は、私がマウスを使用して、トリカブト毒とフグ毒の効能実験を行ったと主張
しました。ここで耐性ということを説明いたします。「耐性とは、細菌や生物が薬品など
に対して抵抗する力」 のことです。ここまでは辞典にも書いてあります。しかし、「トリ
カブト毒の耐性が、体重当たり、マウスはヒトの約五〇倍である」 と説明している参
考文献は、書店で探しても皆無です。検察官も探し出して法廷に提出することはでき
ませんでした。私が、この耐性のことを知ったのは、第一審裁判の公判での証言から
です。「フグ毒の耐性が、体重当たり、マウスはヒトの何倍になるか」 は未だに知りま
せん。

 このような事情のなかで、私がマウスを使用して、トリカブト毒とフグ毒を使用して、
トリカブト毒とフグ毒の効能実験ができるでしょうか。また、私には両毒の毒量を量る
ことは不可能です。例えば、水飴状物質を少しずつ量を増やしながらマウスに投与し
て、E量でマウスが死に至ったとします。E量の毒量は量れません。マウスの体重は
三〇gです。そこで、六〇kgのひとの致死量を体重で換算して、E量の二〇〇〇倍と
特定します。しかし実際には、耐性を考慮に入れて、E量の四〇倍としなければなりま
せん。これをヒトの致死量2mgから逆算しますと、マウスの耐性を五〇倍として、E量
は〇,〇五mgとなります。しかし耐性が五〇倍であることを知らないと、ヒトの致死量
を一〇〇mgと計算してしまうのです。フグ毒についても同じことが言えます。結局、効
能実験では、マウスについては、致死に至る毒性があることがわかるだけで、検察官
が主張する、ヒトについての効能など何もわかりません。


全文-21 (2013/02/09(土) 22:09:18)
2012.02.06

 全文-21
 
 トリカブト毒とフグ毒の拮抗作用を知ることなど、なおさらです。
東北大学のO教授は両毒の拮抗作用について次の証言をします。
 
 O教授は、両毒の投与比率を変えた場合の生存時間の延長について、次のような
主旨の証言をしている。

アコニチンを致死量の約五倍投与するのに対して、同時投与するテトロトドキシ
ンの投与量を、致死量の一倍、二倍、三倍、四倍と変えて実験してみると、生存時
間の延長倍率は一・二倍とか1・五倍とか二倍に変わってくる。致死量の約六倍の
投与量は、比較的顕著に延長する投与量を選んでいる。

 
 心停止後の血中濃度の動態について、次のような主旨の証言がある。

琉球大学のO助教授は心室細動も心停止の一つであると証言する。
東北大学のS教授は、心停止後の血中濃度の上昇は非常に考えにくいと証言する。
東京大学のF教授は、死亡後、血中濃度は増えるわけがないと証言している。

 
 この証言でも明らかなように、投与比率によって拮抗作用の効果が変わるのです。
専門家が、両毒のマウスとヒトとの耐性の倍率を知り、毒量を精密に量って、まずトリ
カブト毒を単独でマウスに投与しての結果を得てから、両毒をマウスに投与し、その
拮抗作用の効果を知りました。とくに、約二倍の延長幅は、両毒の投与比率を、さま
ざまに変えて投与して探り得たのです。ただし、この効果は致死に至るまでの時間
延長であって、発症までの時間延長は確認できなかったと証言しています。また、マ
ウスの実験結果をヒトに適用する問題は、東北大学の三教授が薬学の専門知識を持
ち寄って検討し、両毒の毒性発現機構は、ヒトはマウスと基本的に同一と考えられる
として導き出したのです。

 多くの測定装置や実験機器を備え、専門知識を駆使した三教授が得た結果でさえ、
服用から発症までの時間が約二倍に延長するということは確認できなかったのです。
私のような素人が、両毒の、マウスとヒトとの耐性も知らず、毒量の測定装置もなく、
仮に手元にトリカブト毒の水飴状物質とフグ毒のどろどろ状物質があり、マウスを入
手したとしても、両毒の拮抗作用を知り得た、などという主張は絵空事に過ぎません。
もちろん、両毒の拮抗作用を知り得る文献などが出ていないことは、公判でも確認さ
れています。
なつ江を利用したトリカブト毒とフグ毒の効能実験については第四章で詳しく解説し
ますので、この章では虎の門病院への一回目の入院がトリカブト中毒だと主張した検
察官への反論にとどめます。

 トリカブト中毒とはどのような症状か、共同鑑定書に五つの症例が明らかにされて
いますのでそれを示します。
 
トリカブト中毒の五つの症例
 
 [症例 1]
平成元年四月、男性医師(五二歳) が採取した山菜(トリカブトをニリン草と誤
認) をおひたしにして医師は小皿に一皿、その長男(一七歳) は二つまみほど食
した(同午後六時五分) 医師は食直後から舌のしびれを感じていたが、同六時四
〇分から外出し同七時五分帰宅直後長男が口、手、足の痺れを訴えたのでトリカ
ブト中毒と直感し、強制嘔吐、医薬品の投与、人工透析等の処置を行った。医師は
同午後九時から不整脈が現れ、同午後一〇時には血圧が七〇mmHgまで低下、冷や汗、皮膚温低下、悪心、嘔吐が続いた。一方、長男は同午後七時すぎには不
整脈が出現したが同午後一一時頃には回復した。痺れ感も翌朝二時には消失し
た。記録された心電図によると長男は医師よりも危険な不整脈を伴っていた。医師
は摂取量が多く症状は末期に近かったにもかかわらず、心電図所見で軽症であっ
たのは、医師が高血圧のために服用している持続型の抗カルシウム剤アダラー
トL(一日二〇mgを二回服用) のためではないかと推察している。 
 
 [症例 2]
 
平成元年八月、男性(四十四歳) は郵送されてきたクズモチを十切れ、、その娘(四歳) は一切れ半食した。男性は五分後に口及び体の痺れを感じ、摂取二十分後に来院した。来院時不穏状態で発汗、嘔吐があり、足の麻痺があった。鎮静目的で医薬品を投与したところ、呼吸抑制が見られたため人工呼吸を開始した。この前後より大腿動脈の拍動触知不能となり。致死的不整脈を発症していたので、心肺蘇生術及び各種の医薬品による治療を行ったが、心停止となり、来院後四時間で死亡した。
その娘は、摂取五分後に口、手足の痺れを訴え、やがて歩行困難となり摂取二十分後に来院した。受診時不整脈は認められなかったが、その五分後に悪心及び不整脈が出現した。直ちに、胃洗浄や医薬品の投与等の処置を行った。その後、血圧低下、痙攣発作及び呼吸停止を起こしたため人工呼吸を施行したところすぐに回復した。その後医薬品の投与等の処置を行い、来院後九時間で不整脈は回復し、全身状態も安定した。 
 
[症例 3]

平成四年四月、午前七時、男性(四十五歳) がトリカブトの根と茎を細切りし浸しておいた水溶液を自殺目的で服用し、同午前七時三十分に来院した。来院時の主訴は口唇周囲のしびれ感であった。同午前七時四十五分に胃洗浄や下剤投与の処置を行ったが、同午前八時二十分には不整脈が現れ、呼吸停止に至った。人工呼吸及び医薬品投与等の処置を行った結果、自発呼吸が戻り同午前八時四十七分には不整脈は消失した。同午前九時から同日夕刻まではわずかに心室性期外収縮を認めるのみであった。 
 
[症例 4]
 
平成四年二月、昼、女性(六十一歳) が自殺目的でトリカブトの根を食し、同十二時三十五分救急外来を受診した。受診時、譫妄状態で血圧低下(七〇mmHg)、瞳孔散大、流涎、下痢、嘔吐が認められ、同十二時五十五分、突然、致死的不整脈を発症した。直ちに、心肺蘇生術施行下に血液吸着療法を行った結果、開始後約二〇分頃より不整脈や心停止の頻度が減少し、硫酸マグネシウムによる不整脈のコントロールが可能となった。翌朝には致死的不整脈は消失したが、心室性期外収縮は翌朝以降も持続した。 
 
[症例 5]
 
平成五年四月、四家族八名が付近の山より採取した山菜(トリカブトをモミジガサと誤認) をおしたしにして食した。摂取約二〇分後全員にした先端部に痺れを感じ、その後しびれ感は体幹及び上肢に広がった。八名中三名は摂取三十分ないし二時間後に前胸部不快感、嘔吐及び呼吸困難を訴え病院で受診した。受診時は不整脈はなかったが、その後不整脈が現れた。胃洗浄などの処置により、摂取五時間後不整脈は回復し自覚症状も軽快した。

 
 トリカブト中毒の特徴としては、よほど軽症でなければ心電図異常が現れます。心
電図異常とは、心臓に不整脈が起き、それを心電図に映したものです。心電図異常
について、公判での専門家の証言をまとめてみます。
代表的な心電図異常としては、房室ブロック、心室性期外収縮、心室性頻拍、心室
細動ですが、この四種類は心筋梗塞などの病気にも出現し、トリカブト中毒に特有な
ものではありません。
心臓は刺激伝導系によって心拍動が著制されます。刺激伝導系は、右心室に洞結
部があり、ここで電気的刺激が発生し、左心房、右心房を通って房室結節に伝わり、
一気に左右心室に伝わって心筋の収縮を起こします。これが一回の拍動になります。

 房室ブロックとは、房室結節を電気が通る過程でとおりが悪くなることを指します。

 心室性期外収縮とは、刺激伝導系からのインパルス(電気信号) が止まると、心筋
が独自にインパルスを起こして収縮する状態を言います。

 心室性頻拍とは、心室性期
外収縮が異常に速くなった状態を指しますが、
まだ一応のリズムを持って心臓から血
液が全身に押し出されています。

 心室細動とは、心筋がてんでんばらばらに動いてい
る状態で、肉眼的には心臓が
震えているように見えます。このときは、心臓は有効な
血液の押し出しを行わず
血液の循環は止まっています。

 この進行の仕方は、通常で
は、房室ブロック、心室期外収縮、心室性頻拍、心室細動
の順なようです。
それでは、トリカブト中毒の心電図異常とはどのようなものか、五つの症例について
共同鑑定書に添付されている参考資料から列記します。五つの症例と読み合わせる
とわかりやすいと思います。
 
五つの症例の心電図異常
 
症例1の医師は、明らかなものとしては心室性期外収縮である。
症例1の息子は、心房細動(心室細動と違い命に別状は来さない) に房室ブロ
     ックが加わったものから心室頻拍に移行する。
症例2の男性は、心室細動で死亡する。
症例2の娘は、心室性頻拍から心室性期外収縮で不整脈は消失する。
症例4の女性は、心室性頻脈、心室細動を繰り返す。
症例5の二名は、心室性期外収縮から心室性頻拍に移行する。

 
 なつ江の一回目の入院は、原因が病気かトリカブト中毒か、心電図異常の経過から
追ってみます。他の症状の経過は検討しません。
 
      一九八二年六月十六日、自宅近所の平塚胃腸病院に入院し、程度の軽い一度の
房室ブロックが確認され、その後程度の重い二度の房室ブロックが現れて
虎の門病院を紹介されます。
      十八日昼、救急車で虎の門病院に転院後、完全房室ブロックが出現しペースメ
   ーカーを挿入します。
      十九日午前十一時、一度の房室ブロックまで回復します。
      二十八日午後、インパルスが自発のみと認められ、ペースメーカーを抜去します。
      七月七日、一度の房室ブロックが消失します。
      七月十一日、退院します。病名は心筋炎でした。
 
 囲み記載の「五つの症例」 を見ていただくとわかるように、トリカブト中毒の心電図
異常は、房室ブロックで治まることはなく、すべて心室期外収縮まで進みます。なつ江
は十八日に完全房室ブロックが出現しペースメーカーが挿入されます。その効果は
外部からインパルスを送る仕組みで、それに反応して心拍動は調整されますが、翌
十九日に自発的インパルスは一度の房室ブロックまで回復していることが確認されま
す。二十八日にペースメーカーが抜去されてから、翌月六日までの九日間は一度の
房室ブロックが続きます。要するに、六月十六日の入院から、翌月六日までの二十一
日間、房室ブロックは続きますが、心室性期外収縮や心室性頻拍は一度も現れてい
ません。この事実は、なつ江の入院の原因が、病気であって、トリカブト中毒ではない
ことを証明しています。

 それでも検察官は、大阪大学のS教授の証言を盾に取って、一回目の入院をトリカ
ブト中毒だと主張します。S教授の証言は、「このときは、一回の投与だけでは少し説
明ができにくいと思う。入院後、トリカブト毒を何度か投与されたのではないかと思う」
というものです。「五つの症例」 を検討すればわかるように、死亡した症例2の男性と
「心停止を頻回繰り返した症例4以外、トリカブト中毒は発症から十二時間以内に回
復し、後遺症は一切ありません。S教授の証言を真に受けると、私は一日に二回、二
十一日間、計四十二回、なつ江にトリカブト毒を服用させたことになります。房室ブロ
ックでとどまる、あり得ない不可能な量をです。これほどいい加減な主張を平然と行う
のです。他の入院についても、主張の内容は大同小異です。

 なつ江を利用してトリカブト毒の効能実験を行ったという検察官の主張は、一回目
の入院を検討しただけでも、完全に破綻していることがわかります。



全文-22 (2013/02/10(日) 11:57:05)
2012.02.13

 全文-22
 
 ここまで主要な状況証拠について、検察官の主張と私の反論とを記述してきま
した。利佐子の血液の保存が杜撰であった事実については、残念ながら、検察官
は論を加えず沈黙します。
 ここからは、残された重要な問題を、鑑定書や鑑定人等の証言を囲み記載しな
がら簡潔に説明します。
 
 利佐子の死亡当日の動態について、検察官の主張は大変曖昧です。
利佐子の最初の自覚症状はどのようなもので、時刻は何時か、といいことが検察
官の主張からは正確に捉えられません。利佐子が宿泊予定のホテルのチェックイ
ンの時刻は午後一時十五分頃ですが、
 

  友人Bの尋問調書、およびホテルの従業員からチェックインのときの状況を聞
 いた利佐子の兄の尋問調書によると、チェックインの手続きは四人を代表して
 利佐子が一人で行い、記入した書類にも筆跡の乱れはなく、てきぱきと手続き
 をしている。どのような自覚症状も一切訴えていない。

 
 ということですので、この時点では自覚症状はありません。
 

  利佐子を解剖した琉球大学医学部O助教授の尋問調書によると、利佐子が
 死亡した翌日、八重山警察署から、何時何分にどういう症状というメモをもらい、
 午後一時二十七分、嘔吐がはじまったということで、その時間をいちおう発症と
 考えたと、証言している。

 
 これが最初の自覚症状です。検察官は、午後一時十五分以前のタクシー内で
の発汗を発症と指摘しますが、事実誤認の曖昧な認定です。最初の自覚症状
が嘔吐ということが問題です。
 

  東北大学O教授他二名作成の鑑定書(一九九四年一月一八日付け) による
 と、トリカブト毒のヒトの中毒症状としては、初期に酩酊状態、のぼせ、顔面紅潮
 眩暈、舌や口のまわりから順次頂部、上肢部、腹部へと下行するシビレ感、蟻
 走感、心悸亢進、さらに進むと流涎、舌の硬直、言語不明瞭、悪寒、冷汗、悪心
 嘔吐、口渇、腹痛、下痢などからチアノーゼ、瞳孔散大、体温低下、血圧低下

 喘鳴、視力障害、意識混濁、脈拍細小・不整・微弱・緩徐、呼吸緩慢、痲痺な
 どを起こして死に至るとされる。

 
 この症状の進み方からすると、嘔吐は中期の症状です。利佐子はトリカブト中
毒ではないので、発症が嘔吐でも不思議ではありません。O教授はトリカブト中毒
の初期症状のシビレ感について、
 

  この口ないし手足や体幹のしびれ感について、共同鑑定書の鑑定人の一人、
 O教授は次のような主旨の証言をしている。
 
  人間の場合には手足、口の痺れを訴えることから症状が起こり、初期の口の
 中のしびれは直接的な口の中での作用で、手足のしびれは吸収後の体の中で
 の作用である。

 
 と証言し、両毒の拮抗作用があっても、
 

  両毒をヒトに同時に投与したときの症状の現れ方について、O教授は次のよう
 な主旨の証言をする。
 
  両毒の拮抗作用により、投与から発症、発症から致死まで、経過時間がそれ
 ぞれ平均的に約二倍に延長する。
 両毒の拮抗作用があっても、症状は、初期、中期、末期と、順次出現する。
 
  両毒の拮抗作用があっても、しびれ感などの初期症状が出現しないわけでは
 なく、遅れるだけである。

 
 と証言します。さらに、末期の症状は、先ほどの囲み記載の鑑定書に寄れば、
意識混濁が現れるのですが、利佐子は意識は清明です。
 

  救急隊員の尋問調書によると、心肺停止の直前まで、問い掛けにはっきりとし
 た口調で答えており、意識の混濁はない。心肺停止のとき、目をむくような状況
 は認めていないと証言している。

 
 検察官はトリカブト中毒死を主張しながら、この初期症状のしびれ感がないこと
と、末期に意識混濁が現れないことに沈黙します。
 
 状況証拠ではありませんが、アリバイに匹敵する証拠であると私が主張する
「三つの事項」 について検察官がいかに論じているか、簡潔に説明いたします。
私が繰り返し提起している、利佐子の死亡当日のトリカブト毒の血中濃度の動態に
ついてですが、午後〇時五十三分以降のカプセルの服用はないと検察官自
ら認定
しながら、その後の血中濃度の動態についての私の提起には耳を傾けず
一切無視して、服用から発症まで約二時間に拘泥します。検察官は共同鑑定
書の記載を取り入れ、
 
 
   共同鑑定書
 Ⅳ 鑑定
 一の1 被害者神谷利佐子と同等の体格の者に対して、アコニチン系アルカロイ
 ドを投与する場合、アコニチン系アルカロイドの致死量は、
  (1)     水飴状のとき二二五mg程度
  (2)     粉末状のとき四五〇mg程度(抽出物と小麦粉の重量比を一対一として
 計算) と推定される。
 一の2 右記致死量を被害者神谷利佐子と同等の体格の者に投与した場合の発
  症時間は、
口唇や舌のしびれ感は摂取直後から二〇~三〇分以内に出現し、不整
脈は悪心、発汗、嘔吐等と前後して三〇分から一時間前後に出現する
と、推定される。
 二   フグ毒とトリカブト毒を同時に生体に投与した場合の生体における発症
時間は,
経口投与では、アコニチン単独投与の場合と差が生じる。すなわち、投
与量や投与形態にもよるが同時投与の場合が単独投与の場合よりも二
倍程度遅くなると推定される。
 三   メサコニチン、ヒバコニチン、アコニチン、ジェサコニチンのそれぞれの体
内吸収速度及び比率を比較することは、
ジェサコニチンを除いて可能である。すなわち、これらアルカロイドの体内
吸収速度は、ヒバコニチン>アコニチン≧サコニチンの順序である。ま
たその比率は別紙6から、およそ三・二対一対一と推定される。なおジェ
サコニチンについての服用液及び血中濃度に関するデータはなく、実際
の中毒時の吸収の程度を推定するのは困難である。
 
 
「一の2」 の投与から嘔吐まで一時間前後と、「二」 の同時投与の発症時間
が二時間程度遅くなる、を乗じて約二時間を捻出したのです。
 

  O教授は、両毒の投与比率を変えた場合の生存時間の延長について、次の
 ような主旨の証言をしている。
 
  アコニチンを致死量の約五倍投与するのに対して、同時投与するテトロトドキシ
 ンの投与量を、致死量の一倍、二倍、三倍、四倍と変えて実験してみると、生存
 時間の延長倍率は一・二倍とか一・五倍とか二倍に変わってくる。致死量の約六
 倍の投与量は、比較的顕著に延長する投与量を選んでいる。

 
 しかし、この証言から、「二」 を利佐子の場合に適用することは不可能ですし、
「一の2」は、根拠が明らかでなく失当です。
 五つの症例を再度記載して検討しますが、一の2では「致死量を投与した場合」
と指定していますから、症例5は排除します。すると、摂取から一時間後に発汗や
嘔吐が出現した例はありません。
 

  トリカブト中毒の五つの症例
 
[症例1]
 平成元年四月、男性医師(五二歳) が採取した山菜(トリカブトをニリン草と誤
認) をおひたしにして医師は小皿に一皿、その長男は二つまみほど食した(同午
後六時五分) 、医師は食直後から舌のしびれを感じていたが、同六時四十分か
ら外出し同七時五分帰宅直後長男が口、手、足の痺れを訴えたのでトリカブト中
毒と直感し、強制嘔吐、医薬品の投与、人工透析等の処置を行った。医師は同
午後九時から不整脈が現れ、同午後十時には血圧が七十mmHgまで低下、冷
汗、皮膚温低下、悪心、嘔吐が続いた。同午後十時から十一時頃が最も症状が
強かった。また、痺れは翌朝四時前まで続いた。一方、長男は同午後七時過ぎに
は不整脈が出現したが同午後十一時頃には回復した。痺れ感も翌朝二時には消
失した。記録された心電図によると長男は医師よりも危険な不整脈を持ってい
た。医師は摂取量が多く症状は末期に近かったにも拘わらず、心電図所見が軽
症であったのは、医師が高血圧のために服用している持続型の抗カルシウム剤
アダラートL(一日二十mgを二回服用) のためではないかと推察している。
 
  [症例2]
平成元年八月、男性(四十四歳)は郵送されてきたクズモチを十切れ、その娘
(四歳)は一切れ半食した。男性は五分後に口及び体のしびれを感じ、摂取二十
分後に来院した。来院時不穏状態で発汗、嘔吐があり、足の麻痺があった。鎮静
目的で医薬品を投与したところ、呼吸抑制がみられたため人工呼吸を開始した。
この前後より大腿動脈の拍動触知不能となり、致死的不整脈を発症していたの
で、心肺蘇生術及び各種の医薬品による治療を行ったが、心停止となり、来院後
四時間で死亡した。
 
 その娘は、摂取五分後に口、手足のしびれを訴え、やがて歩行困難となり摂取
二十分後に来院した。受診時不整脈は認められなかったが、その五分後に悪心
嘔吐及び不整脈が出現した。直ちに胃洗浄や医薬品の投与等の処置を行った。
その後、医薬品の投与等の処置を行い、来院後九時間で不整脈は回復し、全身
状態も安定した。、
 
  [症例3]
 平成四年四月、午前七時、男性(四十五歳) がトリカブトの根と茎を細切りにし
浸しておいた水溶液を自殺目的で服用し、同午前七時三十分に来院した。来院
時の主訴は口唇周囲のしびれ感であった。同午前七時四十五分に胃洗浄や下
剤投与等の処置を行ったが、同午前八時二十分には不整脈が現れ、呼吸停止
に至った。人工呼吸及び医薬品投与等の処置を行った結果、自発呼吸が戻り同
午前八時四十七分には不整脈は消失した。同午前九時から同日夕刻までわず
かに心室性期外収縮を認めるのみであった。
 
  [症例4]
 平成四年二月、昼、女性(六十一歳) が自殺目的でトリカブトの根を食し、
同十二時三十五分救急外来を受診した。受診時、譫妄状態で血圧低下
(七十mmHg)
、瞳孔散大、流涎、下痢、嘔吐が認められ、同十二時五十五分、
突然、致死的不
整脈を発症した。直ちに、心肺蘇生術及び各種の不整脈剤による
治療を行った
が、不整脈、心停止を頻回繰り返した。そこで心肺蘇生術施行下に
血液吸着療
法を行ったかっか、開始後約二十分頃より不整脈や心停止の頻度が
減少し、硫
酸マグネシュームによる不整脈のコントロールが可能となった。翌朝には
致死的
不整脈は消失したが、心室性期外収縮は翌朝以降も持続した。
 
  [症例5]
 平成五年四月、四家族八名が付近の山より採取した山菜(トリカブトをモミジガ
サと誤認) をおひたしにして食した。摂取約二〇分後全員に舌先先端部にしび
れを感じ、その後しびれ感は体幹及び上肢に広がった。八名中二名は摂取三十
分ないし二時間後に前胸部不快感、嘔吐及び呼吸困難を訴え病院で受診した。
受診時は不整脈はなかったが、その後不整脈が現れた。胃洗浄などの処置により、摂取五時間後不整脈は回復し自覚症状も軽快した。
 
 
 共同鑑定書は五つの症例を参考にして鑑定しているはずですから、鑑定書に
記載していない症例を参考にしたという言い訳は通用しません。なぜ、「五つの症
例」 に適応しない内容を、三教授は鑑定書に記載したのか、検察側の強い要請
によるものと考えられます。
 利佐子が両毒を服用したと仮定して、拮抗作用を検討します。
 

  東北大学M教授による鑑定書の利佐子の血液のトリカブト毒の鑑定結果は次
 のとおりである。
 
 アコニチン   二九・一ng/ml
 メサコニチン  五一・〇ng/ml
  ヒバコニチン 四五・六ng/ml
  合計     一二五・七ng/ml

   東北大学N講師による鑑定書の利佐子の血液のフグ毒の鑑定書は次のとおり
  である。
 
  テトロトドキシン等  二六・四ng/ml

   なおこの測定値には、テトロトドキシン以外にその変換物質である4-エビテトロ
  ドトキシン、テトロドン酸を含み、その比率は、三対四対一二六であり、ほとんどが
 テトロドン酸に変換している。

 
 鑑定結果は、トリカブト毒一二五・七mg/ml、フグ毒二六,四mg/mlです。
体重五〇kgのヒトの致死量は、両毒とも約二mgで同じですから、致死量を基準
にした投与比率は、フグ毒一に対して、トリカブト毒の投与量が約五倍ということ
は、先ほどの囲みきさいのO教授の証言から、生存時間の延長倍率は一・二倍と
解釈できます。
 共同鑑定書の「一の2」 は失当であり、「二」 は利佐子の場合には適用できな
いことから、検察官の服用から発症まで約二時間の主張は、まったく根拠のない
作文です。

 カプセルに詰められる量については、先ほどの共同鑑定書の「一の1」 トリカブ
ト毒の致死量は水飴状のとき二二五mg程度、を適用すると、〇号カプセル(容量
〇・六七mlにフグ毒を詰める余地はありません。その根拠は、血中濃度に体重を
乗じて目安として体内総毒量を換算する方法を、M教授もN講師も認めており、
判決もその方法を認定していますので、利佐子の体重四七kgで換算してトリカブ
ト毒は五.九mg、致死量のおよそ三倍になります。水飴状物質の比重は約一で
すから、二二五mgの三倍は〇,六七五mlとなり、〇号カプセルに一杯になります。
 
 検察官は、この事実を避けて、警視庁捜査一課のY警部補が抽出・濃縮し二号
カプセル(容量〇,三七mg) に詰めてM教授に鑑定を依頼し、致死量の約二七
倍の鑑定結果が出たY鑑定書を採用して、カプセル一個に約五,九mgのトリカ
ブト毒を含む水飴状物質は十分に詰められると主張します。しかし、フグ毒につい
ては、一切見解を明らかにしていません。
 密閉ガラス瓶と利佐子の保存血液の、アコニチンとメサコニチンの構成比率が
大幅に相違することについては、私が、抽出・濃縮し完成させた水飴状物質を、
ガラス瓶一瓶に保存し、カプセルに詰めて利佐子に服用させたと、検察官は主張
していますから、構成比率の相違は、体内吸収速度および比率の違い以外にあ
りません。
 

   トリカブト毒の吸収部位が小腸であることについて、東北大学のS教授は次の
 ような主旨の証言をする。
 
  トリカブト毒は植物塩基で、胃の中のような酸性の状況ではイオン化しており、
 胃の粘膜からの吸収はほとんど起こらない。吸収部位は、小腸粘膜で有る。
 
  また、東京大学のF教授は、次のような主旨の証言をする。
  トリカブト毒は植物アルカロイドで、胃の中では吸収されない。小腸に入ってか
 ら吸収される

 
 この証言からアコニチンもメサコニチンも吸収部位は小腸ですが、先ほどの囲
み記載の共同鑑定書の「三」 で、体内吸収速度はアコニチンとメサコニチンはほ
ぼ等しく(≧の記号)、比率も一対一と鑑定していますので、構成比率が相違す
る原因にはなりません。よって、密閉ガラス瓶と利佐子の保存血液のトリカブトは
別物です。
 検察官は、この事実に口を噤んでいましたが、私が控訴趣意書でこの事実を明
確にすると、答弁書で反論し、密閉ガラス瓶で保存している間に経年変化があっ
たこと、密閉ガラス瓶は水洗いされていることの二点を主張します。経年変化に
ついては、製薬会社のM研究室長が、「トリカブト毒をエタノールに漬けておいて
も数年間高い毒性を維持する」 と証言していますので、経年変換で構成比率が
大幅に変化するとは考えられません。また、水洗いとは、水で洗える部分を水で
流し去ることです。ゴムパッキングなどにこびり着いた水飴状物質を、アルコール
で抽出し鑑定したのです。水洗いとは関係有りません。検察官の反論は問題外
です。
 
検察官は、状況証拠についても、三つの事項についても、都合の悪いことには
無視または口をつぐみ、状況証拠を有罪と印象づけるために、深く掘り下げて検
討することもなく漠然としたものに誘導し、利佐子に関する問題については、利佐
子の具体的条件や動態を見詰めることもなく一般論にすり替えて、有罪との物語
を構成しました。このことは作為に満ちた空理空論だと指摘しておきます。


全文-23 (2013/02/12(火) 10:15:55)

2012.02.15

 全文-23
 
 三 私の女性観と恭子との結婚

 山鳩の鳴き声や小鳥のさえずりで私は目を覚まします。毎朝、爽やかな気持ち

で布団を畳める拘置所の自然が、沈みがちな心を支えていました。子供のころ、

杜の都の広瀬川のほとりで育った私は、この自然の目覚まし時計は珍しいことで

はありません。育った自然環境はすばらしいものでしたが、家庭環境は望ましい

ものではありませんでした。その家庭環境が私の女性観を心に植え付け、現在に

至っています。その女性観について話すことをお許しください。

 戦後父は東北大学工学部教授の職を辞して、革新政党の活動に身を投じます。

私が小学三年のとき、父は占領軍の弾圧を受け、いわれのない政治犯として、自

由を奪われる身となります。実母は、教授夫人から一転して貧しい立場に追い込

まれ、働きながら私を育てます。母は寂しさから、六歳ほど年下の男性Yに身も心

も移しました。小学五年のとき、講和条約が発効し自由の身となった父は、母を

心を込めて説得しますが、母は家庭を捨ててYのもとに走ります。ですが、遊びに

すぎなかったYに、けんもほろろに跳ね返されます。

 母が多量の睡眠薬を飲み自宅で深い眠りについていたとき、唇にひび割れしな

いように脱脂綿に水を浸して母の唇を湿していた私は、東京に働きに出ていた五

歳年上の兄が戻ってきて、父と隣室で相談しているのを聞いてしまい、母の自殺

がYの無責任さにあることを知り、Yへの怒りが込み上げてきます。意識が戻るこ

とを心待ちにした私の願いもむなしく、二日ほど苦しんだ母は、私に見守られなが

ら息を引き取りました。兄は外出し、父は台所で夕食の支度をしているときです。

私は涙を一切流していません。涙さえ浮かばぬほど、私は悲傷に打ち拉がれて

いたのです。

母とYとの寝室のなかでの出来事を、幾度となく、目にし耳にしていた私は、嫌も

応もなく、ませていました。母の死後、父も兄も革新政党の活動で、支持者の寄

付に頼る生活費では私を育てられません。小学五年の終業のとき、県北の他人

の経営する工場に住み込み、働きながら学校に通う三年間の生活がはじまりま

す。母の死はYに振られたのが原因なのか? いや、それだけではない、出来の

悪い私に悲観したのだ。私の自問自答は続きました。しかし、自問自答の結果

は、Yが、母をもてあそんだことにあるのだという結論に達します。私は、生涯、Y

のような無責任な女性との交際は行わないと決心しました。私の女性観の萌芽で

す。中学三年のはじめに父のもとに戻った私は、心の通い合う義母に恵まれたこ

ともあり、過ぎゆく年月のなかで、実母の死の痛手から解放されます。

 最初の妻二一歳の恭子と結婚したのは、私が二五歳のときでした。

私は革新政党の党員として東京の北部地域で活動を行い、私の住居の近くに住

み埼玉県の大病院に看護婦として勤めていた恭子を知り、説得して入党させ、党

活動のなかで心が通い合い結婚します。恭子は子供のころ継父のいじめのなか

で育ち、その反動で、私への信頼、甘え、依存など、私の望む女性観を満たして

いました。結婚七年目に、共に、党活動の実体に感情的疑問を抱き、二人は党を

離れます。それからの私たちは、頻繁に旅行に行くなど、妻の喜びの笑顔を得る

ために、私は恭子が戸惑うほどの、さまざまな努力を重ねます。私の女性観の実

践でした。

 しかし、思わぬ落とし穴がありました。私は二五歳で結婚するまで、男女の性行

為については限りなくすばらしいものと想像していました。しかし、夫も初めての性

行為、妻も初めての行為では、うまく運ぶはずがありません。最初のつまづきがそ

の後も尾を引いて、想像していた満足感は得られず、試行錯誤を続けるなかで性

生活に自信を失います。結婚するまでの私は、若い男性のご多分に漏れず、性

行為への欲求は強く、自らの慰めで紛らわせ、結婚相手以外との性行為は、私

の女性観としての信念に合わないとねじ伏せていました。それが結婚八年目に、

実母の死から学んだはずの信念を踏みにじり、ついに私はほかの女性、なつ江

に手をつけてしまいます。

 恭子と結婚して二年目に、足立区の二KDの住宅公団に当選し住居とします。

その数年後、恭子が知人からチワワ犬を貰い、犬好きの私と共に買いはじめま

す。なつ江と知り合ったのは、私が党活動をやめて、最初に六か月間勤めた会社

です。恭子は党関係の病院を退職し、まだ再就職せずに自宅に居ました。なつ江

がチワワ犬を見たいというので、恭子に電話で同僚を連れていくと連絡します。終

業後、なつ江を自宅に伴うと、「急に誘われて調布に行くことになった」 との置き

手紙と、二人分の食事が用意されていました。調布の恭子の叔父の家には、私

たちはよく家庭マージャンをしに行きますが、同僚が男性だと思い、遠慮せず出

かけたのでしょう。その夜遅くなるまでなつ江はチワワと遊び、私は信念がほころ

びて、なつ江と性的関係を持ってしまいます。私の人生は、この日から、安らかな

日から、悔恨の日々に変わりました。一九七二年十一月の冬が近づく寒い夜のこ

とです。

 なつ江との一か月ほどの性行為で得たものは、私の性について の想像がい

かに頭でっかちであったかということです。男性との性経験が数年に及ぶと聞い

ていたなつ江の反応が、恭子よりもさらに小さかったのです。なつ江との関係は、

なつ江の親族が私の自宅に押し掛けてくることによって、恭子に知られてしまいま

す。恭子の嘆きがいかに強かったか、団地のそばを通る電車の線路際を長

時間うろついていて、近所の人に保護されたこともあります。その後夫婦の生活

はしだいに回復していきますが、私が恭子に望む、信頼、甘え、依存は、恭子が

死亡する八年後まで回復しませんでした。

 なつ江はその後故郷の実家に帰りますが、二年ほどで東京に戻り私を頼りま

す。私の優柔不断さは、女性観の裏返しなのですが、なつ江の願いを断ることが

できず、私の犯した罪の慰謝料のつもりで、住まいを世話し当座の生活資金を与

えます。さらに、西池袋の新築中のマンションを三千万円で購入し、慰謝料として

なつ江に贈与することで別れることをなつ江に約束させます。贈与税を免れるた

めに経理の実務経験の長いなつ江に就職を指示し、私の預金を担保にして、な

つ江に住宅ローンを組ませることを検討しますが、なつ江が就職しないうちにマン

ションが完成し私の名義で購入してしまいます。入居後のなつ江は、就職口も探

さず私の提供する資金で生活を続け、購入する衣類や装身具などもしだいに高

級品へと変化していきました。和つぃは、優柔不断さというより、この事実を恭子

に知られることが恐ろしかったのです。贈与税を免れる方法を見い出せないまま、

なつ江との関係が解消できずに年月が過ぎてしまいます。

 恭子は詮索することの大嫌いな女性でした。なつ江との不倫のあとでも、私の

行動に、日心を差し挟む言辞は一切していません。私は女性観の核心である信

頼、甘え、依存は失いましたが、子供のころの惨めさを補うための寄り添う心は、

恭子から常に感じていました。結婚後、党活動や職場の慰安旅行以外、恭子を

自宅に一人にして外泊したこと一切はありません。恭子は一人でいることは耐え

られない、かわいい女性でした。私の不倫による、恭子の深い孤独の心境を、少

しでも修復したい私は、恭子と約束をします。午前0時を過ぎて帰宅したときは罰

金千円、一〇分過ぎるごとに千円加算すると。恭子は午前0時近くになると、玄

関の前で待ちます。私が午前0時過ぎに玄関に入ると、恭子は「やった!」 

と言ってにっこりします。罰金のあるなしにかかわらず、毎夜、心の温まる笑みを

浮かべて、「お帰りなさい」 と言って私を出迎えます。その笑みは、恭子がこの世

を去るまで続きました。恭子は私の生き甲斐でした。



全文-24 (2013/02/13(水) 18:01:26)
2012.02.20 

 全文-24 

 四 総菜会社の企画と設立準備

 私が総菜会社について考えはじめたのは、党活動をしていたときです。党の機
関専従員をしていた私も、夜勤の多い看護婦の恭子も、勤務を終えてからの食
材の購入は頭痛の種でした。二人の話題となったのは、栄養のバランスの取れた
食材を、定期的に自宅に届けてくれる店はないかということです。二人が党活動
を離れてからは、私の就職で困難を来します。履歴書に、職歴を実際に勤めてい
た株式会社の社名を記載しますが、調査をすれば、その会社は党の直営書店
で、私が元機関専従員であることがわかるのです。就職活動をして、実際にそれ
で断られた会社もあります。そのことから、自営業としての総菜会社の設立は常
に念頭にありました。

 一九七三年九月、新聞の募集広告に応募したP社に入社します。P社での六年
間に及ぶ業務経験によって企業経営への自信もつき、いよいよ総菜会社の企画
をはじめました。東京都足立区や埼玉県草加市は、集合住宅の密集地帯で、共
稼ぎの夫婦も多く、宅配にも便利です。総菜会社の設立場所は、草加市内と決め
ます。一九八〇年十二月、、P社を退職して企画を本格的にはじめますが、専業
主婦となった恭子を伴ってのハワイやヨーロッパ五か国の旅行、それに国内各地
の旅行で忙しく、企画は進みません。一九八一年七月、恭子が他界し、なにもか
も嫌になり、企画を投げ出してしまいます。
同一九八一年一二月、気持ちを奮い起こして、総菜会社の企画と設立準備を
開始します。二人でなつ江の実家を訪れ、なつ江が体調を崩し国立沼田病院で
軽い心電図異常が見られたときです。それが気持ちを奮い起こす切っ掛けでし
た。

 私は総菜会社を「株式会社ヘルシー」 と名付けますが、一九八二年五月に完
成した最初の企画書では、規模は小さくても七千万円の自己資金を中心に、若
干の銀行からの借入金だけで会社を経営することを計画しました。そのため、最
初の経営企画書は銀行提出用の簡単なものでした。なつ江の体調が回復してか
ら設立準備を本格化しようと考えていたのですが、なつ江の病気が長引き、デス
クワークに専念するうちに企画が豊富になり、特に料理の実習による料理表が三
〇〇品目を超えるころから、料理表を取り入れて企画書を大幅に書き替えます。
なつ江が病死する三か月ほど前には自己資金が枯渇状態に陥り、経営企画書
は出資者を募集するという方向で書き直しました。下書きを終え、清書をはじめた
矢先に、一九八五年九月、なつ江が病死します。

 恭子を失い、なつ江を失った痛手から、無性に東京を離れたくなります。大阪に
行こう、そう決心すると、それが最善の方法と思えてきます。関西は食文化の中
心と言われ、関西風の味付けに興味をいだいていた私は、その実際と、あわよく
ば関西地域で総菜会社の事業展開ができないかと考え、その可能性を探ること
にしました。大阪と京都の中間点を足場にすることに決め、同一九八五年十一月
初めに寝屋川市のGハイツを賃借し、大阪転居の準備を行い、自宅マンションや
宝石などの売却を予定して資金の目当てをつけました。その後、同月十八日に
利佐子と知り合い、利佐子は大阪転居を承諾し、Gハイツは事務所として使用
し、大阪市城東区に住居としてTRビルの三DKの住居を借り、翌年一月に転居し
ます。

 私は土曜日と日曜日それに祝日を除く毎日、京阪本線でTRビルとGハイツのあ
いだを通勤します。とくに日程を組んでいるわけではありませんが、仕事場へ勤
務する雰囲気を作ることが、だらだらとした仕事にならないで済むと考えました。
午前九時ころ私は自宅を出て京阪本線に乗り、香里園駅前で食材を購入して、
料理実習をかねてGハイツで朝食を作ります。昼食は関西地域の味付けを知る
ために、できるだけ外食にしていました。各地に足を運んで集合住宅の密集状況
を見分したり、企画書の再点検と清書が主な仕事です。清書はこの年三月に終
わり、「経営企画書」は完成します。

 以上のように、検察官が殺人の準備行為を行っていたと主張する期間、私は総
菜会社の企画と設立準備をしていたのです。経営企画書が完成してから五年三
か月後に私は逮捕され、その四か月後の千九百九十一年十月の第一回公判の
直後に、経営企画書を記憶をたどって「株式会社ヘルシー経営企画書(要旨)」 
として複製し、弁護士に渡しました。(以下、原本を「経営企画書」、複製したもの
を「企画書要旨」 と記します)。口で説明するだけでは充分に意が伝わりにくいと
と思い、文章としてできるだけ原本に忠実に再現したのです。この「企画書要旨」 
は第一審の審理中に裁判所にも提出しますが、判決では事実に基づかずに想像
の上で作り上げた文書だときめつけます。


全文-25 (2013/02/15(金) 09:46:00)
2012.02.22

 全文-25

「企画書要旨」は、東京拘置所に収容された約三か月後に、なんの資料もなく
書き終えたものです。罫紙(六百字詰め) に換算すると四〇ページから成り、業
務内容、宅配料理の献立表、利益計画表(第五期までの予想財務表) を詳細
に記述しています。ここで問題となるのは、業務内容や利益計画表は、企業会計
の専門家である私にとって、なんの資料がなくても作成するのは造作もないことで
すが、献立表については資料がなければ作成できません。なぜなら、次の表を参
照していただければわかるように、献立表には各食品の栄養素として、その単位
あたりのカロリー・蛋白質・脂質・カルシウム・鉄分・ビタミンA・ビタミンB1・ビタミン
B2・ビタミンC・食塩という配列で表示し、献立表の料理の栄養素を明らかにして
いるからです

料理表-2 
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 この献立表の栄養素の配列は、一九八二年から一九八五年にかけて約四四
〇品目に及ぶ料理の実習と、それぞれの料理表の作成を行い、それを組み合わ
せて約一八〇種類の献立表を仕上げたとき、参考図書『日本食品標準成分表』
に表示されている栄養素を、料理表に正確に書き写して作成したため、その参図
書の栄養素の配列がそのまま私の記憶となり、「企画趣意書」 に記載するこが
できたのです。私が設立しようとしていた総菜会社は、宅配する副食材料につい
て、バランス栄養食と銘打って、一日に必要とする各栄養素を、まんべんなく摂取
できるように配慮することにしました。その献立表で栄養素を細かく集計できるよ
うにしたのです。

 現在出版している『日本食品標準成分表』 の栄養素表の配列は変更されてい
るかもしれませんが、当時のこの参考図書には数百ページにわたって、すべての
食品について先ほど述べた一〇種類の栄養素の配列で記載されています。東京
拘置所での書籍の購入はすべて記録されますから、「企画書要旨」 を書き終え
た入所後約三か月のあいだに、この参考書を購入していないことは明確に立証
できます。これらのことから、「企画書要旨」 が想像上の作文であると認定した判
決は、明らかに事実を誤認しています。なお、スタンダートな料理として裁判所に
提出した「企画書要旨」 の数点の料理表の中からハンバーグの料理表を抜粋し
ましたが、使用量、カロリー、栄養素等の数値は記憶になく適当に記入し正確で
はありません。

 ところで、逮捕以前に逮捕を予想して、その言い逃れのために企画書要旨なる
ものをでっち上げたのではないか、との判決同様の見解もあるかと思います。し
かし、それはありえません。私が逮捕を予想して、殺人行為をごまかし総菜会社
を隠れみのにするために、逮捕までに事実でない総菜会社の話を創作したとする
と、当然、総菜会社の全体像を頭に描き、公判での総菜会社に関係する尋問に
対して二転三転することなく答えられるように準備したはずです。ところが、総菜
会社に関連する供述は、数々の問題で二転三転するのです。

 検察官が描く殺人のための準備行為で、総菜会社に関連する問題とは、エバ
ポレーター、トリカブト、マウス、クサフグ、エタノール、カプセルの七品目の購入が
主な問題です。これら購入品は、逮捕から五年ないし十年前に購入し、記憶は薄
れていますから、記憶をたどって逮捕前に購入日と数量を確定しておかなけなけ
れば、公判で、検察官の追求にあっても、答えが二転三転し一貫した供述ができ
ません。逮捕後の取り調べで自ら供述したエバポレーターとマウスを除く五品目
については、公判で販売店の人たちが証言しそ、の場で購入日と購入数量を私
はノートにメモし、その後、これらの証人尋問調書が入手できず、メモを頼りにして
記憶をたどり、実際を明らかにできたのです。それでも第一審の公判では、二転
三転した供述を訂正し、事実を主張する機会はありませんでした。

 二転三転した私の供述内容を明らかにしたいのですが、被告人尋問調書が一
冊も手元に入らず、公判での供述内容が定かでありません。よって、記憶に残る
エバポレーターについての供述内容を説明し、マウスとクサフグは購入目的の実
際を簡潔に記述します。なお、トリカブト、エタノール、メタノール、カプセルの購入
は、総菜会社と関係がありませんので、次項五でその実際を説明いたします。

 エバポレーターの一回目の購入は一九七九年です。会社の取引銀行との関係
で、私が口座を開設していたF銀行室町支店の帰り道、理化学材料を販売してい
るT株式会社のショーウィンドーにエバポレーターが展示されていました。通りす
がりに何度か見ているうちに、興味を覚えて店の人からカタログを貰い、使用目
的や使用方法を理解した上で購入します。関東風と関西風の味付け、濃い口醤
油と薄口醤油、赤ワインと白ワイン、などなど、濃縮して比べたらどのような味の
違いがあるのか、おもちゃを買うようなつもりでエバポレーターを購入します。しか
し、部品が足りず、箱に収めたまましまい込みます。その後、仕事の忙しさに加え
て、恭子がたびたび心臓発作で入院するなどで、エバポレーターを使用すること
なく過ぎていきます。恭子が病死してコーポTに移り住むとき、収まりがつかない
多くの家具と共にエバポレーターも処分してしまいました。

 二回目の購入は一九八二年六月です。五月に最初の経営企画書が完成し、そ
の中で具体化していた顧客に月一回配布する『ヘルシー月報』 の話題集めに、
エバポレーターを利用することを思いつきます。エバポレーターでどのような話題
が提供できるかは、一回目購入のときの利用方法とほぼ同じです。このときは組
み立てる途中でガラス管を破損し、ガラスセットを購入しますが、ふたたびなす底
フラスコを破損し、同年一〇月、なつ江と結婚し仕事場をコーポTからマンション
STの自宅に移したとき破棄します。

 三回目の購入は一九八三年三月ですが、逮捕のときの取り調べで自ら供述し
ていながら、公判では二回目と錯綜して供述が二転三転します。結局、エバポレ
ーターの使用は、水道の蛇口に差し込んでガラス器具内を低圧にするアスピレー
ターが、抜けたり水が飛び散ったりして、実用に供さないまま箱に収めて放置します。

 公判では検察官が、一回目の購入を無視し、二回目を一回目、三回目を二回
目と言い替えて私を尋問します。捜査当局が一回目の購入を把握していながら、
検察官はなぜ一回目を認めないのか。一回目の購入を認めると、その当時は殺
人の準備行為をはじめたとする一九八一年から、二年も前のことであり、エバポ
レーター購入が殺人の準備行為とは無関係となり、私の説明が事実となるからで
す。

 私は第一審ではこのことに気がつかず、一回目から三回目の購入状況が錯雑
として、供述が二転三転し、そのうちに供述を諦めてしまいます。『ヘルシー月報』
についても、この錯雑としたなかで、供述する機会を失い、一度も供述していません。
逮捕以前に逮捕を予想してエバポレーターの購入を、総菜会社の話と結び付け
て創作し準備したのなら、公判で供述が、検察官のミスリードに惑わされて、
二転三転することはありません。


 

全文-26 (2013/02/15(金) 12:07:41)
2012.03.06

 全文-26
 
 一九七九年ころT株式会社のショーウィンドウにエバポレーターが展示されてい
たことは事実であり、そのころ私がエバポレーターを購入したことを捜査当局もT
株式会社の事情聴取で把握しており、当時の売上伝票が破棄されて書類では確
認できなかったということなのです。私の自らの供述に対して、その供述の真偽に
ついて、取り調べに当たったK警部は、一九七九年ころの購入は事実だと私に明
確に話しています。三回購入しても、一度も実用に供したことがないから、この一
回目の購入目的のみが脳裏にあり、検察官の作為ある主張に適時に反論出来
ず、供述が二転三転するのです。

 この状況で、逮捕以前に逮捕を予想して、総菜会社について矛盾なく説明でき
るように創作し準備したといえるでしょうか。料理表の栄養素の配列は、掲載した
料理表を見ればわかるように、一品目の料理表に調味料も含めて平均して一〇
種類の食材を使用します。約四四〇品目の料理表を作成するために四千回以上
『日本食品標準成分表』をチェックし、栄養素の配列を記憶していたのです。
逮捕直前まで私が住んでいた札幌の自宅が、逮捕後家宅捜索されますが、書
籍の中に『日本食品標準成分表』 があるのが確認され、月二万円の食費で効
率よく栄養を取るために、カロリー計算などをしてみた献立表も見つけています。
逮捕の一か月ほど前から、自宅のあるマンションを刑事がたびたび見張るのを、
私は窓から確認していますし、外出のときの尾行は常でしたから、逮捕が間近で
あることはわかっていました。もし逮捕を予想して、総菜会社の話を創作するた
めに『日本食品標準成分表』 を使用したのであれば、その作業中に料理表は作
成しており、栄養素の配列は逮捕前にすでに記憶が終わって、その段階で『日本
食品標準成分表』 などを処分せずにそのまま置いておくことはありえません。
私が実際に殺人のための準備行為を行い、それをごまかすために総菜会社を
隠れみのにしようとして、逮捕までに総菜会社の話を創作したとすると、栄養素の
配列だけが記憶されており、エバポレーター、マウス、クサフグについては、供述
が二転三転するほど、いい加減な記憶しかないということはありえません。これら
についても、周到に用意し確固とした供述が出来るはずです。その点を熟慮すれ
ば、この栄養素の配列を記憶していたという事実が、総菜会社の企画を実際に
行っていたことの、なによりの証拠なのです。
 
マウスとクサフグの購入目的について簡単に説明いたします。
マウスの一回目と二回目の購入目的は、当時、塩分の摂取過多による健康への
影響について、高血圧症などを中心にさまざまに取りざたされてましたが、具体
的な動物実験の結果は明らかにされておらず、マウスで実験して、「ヘルシー月
報」 に掲載できれば話題性があると考えマウスを購入します。
 
マウスの一回目の購入ですが、一九八三年十一月か十二月、池袋のペットシ
ョップから五匹を購入しますが、マウスを殺す可能性のある実験で、なつ江の目を
はばかり、自宅を避けてアパートSに持ち込みます。注射器を購入し、針なしで食
塩水をマウスの口に注入しようとして注射器を噛み砕かれ、扱い方がわからず実
験を中止し、五匹は西池袋の自宅近くにある廃屋の荒れた庭内に放してやります。
マウスの二回目の購入は、一九八四年二月か三月、電話帳で調べ株式会社
Nから五十匹購入します。食塩を一gから十gまで、購入した精製水一〇〇mlに
溶かし、マウスのしっぽにマジックで印を付け一〇グループに分け、一日一回1m
lずつ腹部に注射します。私との体重換算で、一日に三〇gから三〇〇gの摂取量
です。マウスは成長が非常に早く、当時はうろ覚えの知識でマウスの一日はヒト
の一年分の成長に該当すると誤解していました。実験期間を三〇日取りますが、
一週間で体重が二倍ほどに成長し、虐待で凶暴になり扱うことに恐怖を感じ実験
をやめてしまいます。体毛が異常に抜けるとか、手足や体の動きが極端に鈍るな
どを確認しようとした私の前で、体になんの変化も起こさないマウスは、汚れた姿
で元気に動き回ります。ドッグフードを両手で抱えて、カリカリ食べるかわいい姿な
ど、ヘルシー月報への話題の提供は、笑い話としての成果でした。五十匹のマウ
スは、前回と同じ荒れた庭内に放しました。
クサフグの購入は、最後の購入に依存はありますが、横須賀市で漁業を営む
M氏の証言、一九八四年三月ころから一九八五年秋ころまで、七回にわたり約
一二〇〇匹購入したことを、おおよそ間違いないと、私は認めています。そのうち
料理の実習に使える三〇センチほど大型のものは、三回目購入の一九八四年
六月に一匹、四回目の同年九月に二匹、六回目の翌一九八五年六月に三匹です。
フグ料理の実習に至る経過を説明します。私が料理本で実習した料理には、
魚料理も多く含まれています。料理本で魚を捌く面白さはなんといってもフグであ
ることを知り、捌くことに興味を覚え、同時にフグ料理を献立に加えられないか検
討してみます。材料費としては、トラフグは無理ですが、マフグなら可能性がある
ことがわかります。調理は採算上、私が調理師免許を取得することを考えてみま
す。早速フグ料理の実習書を購入して調べると、フグの毒性なども含めて種々の
ことが解説されていますが、とくに捌き方の善し悪しで身や皮に毒が回ると解説さ
れており、興味が強くなります。
手始めにフグを捌いてみることにしますが、都道府県条例でフグの調理師免許
を持たない者は、調理済みでない丸のままのフグは購入できないことがわかりま
す。いろいろ調べて見ると、クサフグなら理由のいかんによっては丸のまま入手で
きると判断します。購入の理由として、料理の実習に使用するとは言えず、大学
でクサフグの毒性を研究している友人に頼まれたと嘘をつくことにし、電話帳でM
氏を調べ、クサフグの購入をはじめます。二回目の購入の時、名刺を渡して身分
を明確にしました。一匹千円は、定置網を仕掛けて捕獲すると聞いて、一回の定
置網で大型の物が一〇匹程度捕れると思い、私が言い出した値段です。しかし
大型の物が捕れず、大型の物を得るために意地になり、飲み代を考えれば、など
と浪費癖がでて、購入が六回にも及び、大変な出費をしてしまいました。
アパートSには料理の実習ができる台所はなく、実習はすべて西池袋の自宅
で行います。購入したクサフグは自宅に持ち込み、実習に使えない小型の物は、
マンションのごみ捨て場に廃棄しました。一九八四年に購入した大型の三匹は、
九月に実習書のとおり捌いてみますが、なんとか捌けた程度で満足がいきません
。再度購入しようと電話をしますが、時期的に捕獲は難しいと言うので翌年まで待
つことにします。一九八五年六月購入の大型の三匹は冷凍保存し、数日後に捌
いてみますが、前回よりましな程度です。フグ刺しの薄造りなどは、とても手に負
えません。フグ料理を宅配の献立に加える見通しの立たないまま、免許取得は断
念します。ただ、捌いた各部位の毒の回り方に興味があり、前回と同じように、捌
いた順を明らかにして、身、皮、肝臓をそれぞれサランラップに包み自宅の冷凍
庫に保存します。

全文-27 (2013/02/15(金) 12:35:19)
2012.03.13

 全文-27
 
 同一九八五年六月か七月、マウスを五〇匹(最小販売単位) 三回目として株
式会社Nから購入し、アパートSに持ち込みます。購入目的は、捌いたクサフグ
の各部位の毒性を調べるためでした。クサフグの各部位は、最初に捌いた部位、
肉、皮、肝臓を六個のワイングラス等に少量切り取って入れ、すりつぶして精製
水を加えます。また、『ヘルシー月報』 の話題集めのため、密閉ガラス瓶にエタノ
ール漬けにして保存しておいた、毒性があると言われている、ジャガイモの芽、梅
干しの種の中身、トリカブト塊根の三種のエタノールを、三枚の小皿にそれぞれ
少量移します。
一匹のマウスをそっと手のひらで抱き、クサフグの肝臓の水溶液を腹部に注射
して容器に戻します。じっとしていたマウスは、急に幾度も飛び跳ね、激しく痙攣し
て死亡します。その凄惨な情景に私はショックを受け、投与は一匹で中止しました
。数日後、最初と最後に捌いたクサフグの各部位を、六個の密閉ガラス瓶を購入
してエタノールに漬けて、総菜会社関係の資料を入れてある段ボール箱に、三種
の密閉ガラス瓶と共に保存します。なお、魚貝図鑑によると、購入した大型のフグ
は、クサフグではなくショウサイフグです。
一九八六年四月二六日、マウスの四回目の購入をします。購入目的は三回目
と同じです。経済状態の見通しが立たず、東京に戻ろうと考え、総菜会社の資料
の整理をはじめました。。そのとき、性懲りもなく、クサフグの部位など九個の密閉
ガラス瓶の毒性を調べてから廃棄することにし、大阪のA店から五〇匹購入して
Gハイツに持ち帰ります。マウスと対面するとその愛くるしさに、私はしばらくのあ
いだ無心に一匹のマウスと戯れていました。毒性を調べるなど論外です。マウス
を陽気に戻して、五〇匹のマウスを、すぐ近くを通る京阪本線の線路際の側溝に
放してやりました。
 
密閉ガラス瓶の処分と惣菜会社の終息についてお話します。利佐子が死亡し、
一九八六年六月大阪から東京に戻った私は、西池袋の自宅
を売却し、葛飾区
新小岩のTビルの一室を賃借し事務所兼住居とします。就職し
て生活資金を得ながら、
惣菜会社の出資者を探すことにし、それに適した経営企
画書にするため、
さらに下書きに手を加えます。その清書をはじめますが、七月
下旬ころから一部の
マスコミの殺人疑惑を全面に掲げた中傷がはじまり、顔写真
と実名が世間に広がるに
及んで、八月、惣菜会社の設立を断念し、Tビルを引き
払い横浜の実家に
一時身を寄せます。
同年一二月、S社に入社し、足立区内の
一KのコーポEに引っ越し、入社
一年三か月後の一九八八年三月、総務部長兼
経理部長に就任しますが、
惣菜会社の設立には、わずかですがまだ未練を感じ
ていました。同年十月、
コーポEから会社に近い二DKのマンションEWに転居し
ます。
経営企画書の下書きと未完の清書、および九個の密閉ガラス瓶を入れた段ボ
ール箱は、引っ越しのたびに持ち歩きます。部長就任後二年ほどのあいだに、惣
菜会社へのこだわりは完全に消えてしまいます。この時期が「株式会社ヘルシ
ー」の終息の時と言えます。
一九九〇年に入り、S社は東京証券取引所に上場されているM社に吸収合併
されることが明らかになります。そうなれば殺人疑惑で世間の話題になった私が、
会社にとどまることは不可能です。S社でも殺人疑惑を問題にされたことがありま
したが、業務で実力を示して乗り切りました。同年三月、私は身辺の整理をはじ
めます。そのとき、惣菜会社の資料は、トリカブト塊根二個を漬けた密閉ガラス瓶
および経営企画書の下書きと未完の清書を残して、ほかの八個の密閉ガラス瓶
の中身や料理表などの資料はすべて廃棄します。
トリカブト塊根のエタノール漬けを残したのは、前年夏ころNHKのA記者から、
「利佐子の血液からアコニチンが検出された」 と聞いたことに起因します。同一
九九〇年一〇月、保険金請求の民事訴訟で利佐子の血液からトリカブト毒が検
出されたとのO教授の証言があり、密閉ガラス瓶を所持していることに不安を感
じ、早急に処分することにします。私は、マンションEWの台所で、密閉ガラス瓶か
らトリカブト塊根を漬けたエタノールを小皿に空けて、日が射していた窓際のカー
ペットの上に置いて点鼻乾燥を試みますが濃縮の効果はなく、風呂場でヘアドラ
イヤーの熱風を長時間当てて濃縮し、水飴状になることを確認して塊根とエタノー
ルは廃棄します。 
検察官は、この時期、私が完成した水飴状物質を密閉ガラス瓶に入れて保存
していたと主張しますが、であるなら、右のような私の行為は必要ないのです。と
ころが、東北大学のM教授は、マンションEWのカーペットから、トリカブト毒が検
出されたとの鑑定書を公判で提出しています。小皿からこぼれたのでしょう。この
鑑定結果が、私の行為が実際であることのなによりの証拠です。アパートSの畳
からも検出されていますが、密閉ガラス瓶の蓋を開けて臭いを嗅いだり指先につ
けてなめたり、マウスのときは小皿に空けていますから、そのときこぼれたのが検
出されたのです。
同年十一月、利佐子殺害の疑惑がマスコミによって大々的に報道されたことか
ら、S社を依願退職します。身辺整理をした三月のときには、このような事態にな
るとは思いませんでした。ただ、私がS社から不正行為で得た資金は、不正運用
による金利などを差し引いても、一億円を超えています。ある事情があって不正
行為は表沙汰にならないという確信がありましたが、もしものときは、その責任を
とらなければならないと考えながら、私は一年を目標にして海外連結決算のシス
テムを作り上げ、その後S社を退職することを決心していました。
同年十二月、マスコミを避けて札幌のシャトーSに転居します。そのとき持ち込
んだ密閉ガラス瓶に、らっきょう漬けなどを入れて使用しますが、逮捕後、警視庁
捜査一課がシャトーSを家宅捜索して、密閉ガラス瓶二個を押収し、東北大学M
教授に鑑定を依頼します。その結果、らっきょう漬けを入れた密閉ガラス瓶から、
トリカブト毒が検出されます。
 またこの転居のとき、経営企画書を一度読み返してから、下書きと未完の清書
を廃棄しました。これにより、惣菜会社関係の資料はすべて廃棄したことになりま
す。


全文-28 (2013/02/15(金) 12:35:47)
2012.03.15

 全文-28
 

 五 子育てへのあこがれ

 

一日も欠かさず毎日、拘置所に区役所の有線放送が聞こえてきます。「午後五

時になりました。外で遊んでいる小学生のみなさん、おうちに帰りましょう」 私は

この放送を聞くたびに、身につまされます。私は鍵っ子でした。遊び仲間の子供た

ちが家に帰りはじめると急に寂しくなり、最後の一人が立ち去るときその子をじっ

と見つめて立ち尽くします。家は大小六部屋もある一軒建てで、寂しがり屋の私

は夜一人で家にいるのがつらく、帰宅時間が不規則な美容師をしている母の帰り

を、長時間外で待ちました。

 

 私はある書物で、次のようなことを読んだことがあります。


 ヒトとは、大人と子供が入り交じったような不思議な生き物だ。動物界にはネ

オテニー(幼形成熟)という現象があるという。卵から成体に達する過程で幼生

形の段階で発達が止まり、幼生形のまま生殖腺が成熟して生殖する現象のこと

をいうそうだ。ウーパールーパーと俗に呼ばれているアホロートルがその代表的

な動物だというが、霊長類ではヒトだけがその特徴を持っているといわれている。

写真で見るとゴリラの子供の体形はヒトの体形によく似ているが、成長するにつ

れて体形は変わり成体となるとヒトとは似なくなる。ところが、人は成長しても身

長などは伸びるが体形はほとんど変わらない。

 

毎日きまって、小学四年五年のころの鍵っ子の感傷に浸る私は、体形だけでな

く、完成されていない未成熟な脳の持ち主だと思います。ですが、私はこの感性を

失いたくありません。この未成熟な感性は微妙な味わいがあるのです。子供のこ

ろの経験が、厳しいものであったにもかかわらず恭子と結婚したとき、早く子供を

作り、模範的な父親として、子供を育ててみたいという欲望が強かったのは、やは

り未成熟な脳が原因だと思うのです。
恭子も不幸な子供時代を送りながら、子供を産み育てる意欲は私と同じでした
結婚後、子育てという楽しい話が続きます。そのとき私は職業について考えてし

まいます。党の機関専従員と言っても、革新的書籍の外販が主な仕事で、誇りを

持って仕事はしていますが、できれば、将来役に立つ技能を、身につけたいと希

望していました。それも独学で済み、党活動にも貢献できる資格です。

最初に就職した音響機器の製造販売会社が倒産したとき、技術部に所属していた
私が、労働組合活動の延長で残務整理として経理を担当し、経理の有用さ

を知ります。恭子と結婚する二年前でした。恭子と結婚して子育てが話題になっ

ていたとき、職業について、経理の勉強をして将来その道に進みたいと、私は恭

子に打ち明けます。恭子は賛成し、手助けすると嬉しそうでした。

大学を出ていない私は、日商簿記検定試験一級の合格を目指しますが、その

受験科目の一つ、原価計算の難関にぶつかります。私は学習参考書を分析し

て、「家庭で出来る原価計算」 という学習方法を編み出します。家庭を工場に見

立て、すべての家計費を詳細に記録し、私と恭子の家事労働の時間を労務費と

して把握しながら、製造工場の原価計算システムと同じ方法で家計の原価計算

を行うのです。恭子も面白がって積極的に手伝います。三年続けて効果は抜群

です。企業会計の中で、原価計算は最も得意な分野になりました。

しかし、地ならしはしたものの、結婚から五年経っても、子宝が授かりません。

私たちは病院で検査を受けます。検査の結果、私に問題はなく、恭子が卵管の

異常で妊娠は難しいと診断されます。それからは、夫婦で努力は続けますが、子

育ての話題は口にしなくなります。党活動を離れて一年後の結婚八年目に私は

不倫を犯し、その不幸から夫婦で立ち直るために、足立区の住宅公団から、草加

市内の三DKPマンションを購入して転居します。「午前様なら十分千円の罰

金」は、このころからはじめました。恭子は夜勤のない銀座の診療所に勤めます。

P社に勤務していた私は、都心の銀行に寄ったときには、必ず恭子を誘って銀座

で食事をしました。

銀座の診療所を退職した恭子は、友人に勧められて服飾デザインの勉強をは

じめます。恭子の描くデザインのデッサンは、素人の私が見てもすばらしい出来で

した。その才能に驚いた私は、恭子に服飾デザイナーになることを勧めます。恭

子もその気になって努力をします。このころ日商簿記検定試験一級に合格した私

は、受験資格が調って税理士試験の受験勉強をはじめますが、P社の業務の忙

しさと、惣菜会社の企画をはじめたこともあり、勉強は進みませんでした。私たち

は結婚十四年目に、草加のマンションから、東京都台東区根岸のマンションを購

入して、新たな気持ちで生活をはじめます。恭子の服飾デザイナーを目指す勉強

は熱が入りますが、その二年後ほどのち、恭子は人生の終焉を迎えてしまいま

す。


全文-29 (2013/02/17(日) 08:59:20)
2012.03.22

 全文-29
 
 一九八一年七月、恭子が心筋梗塞でこの世を去ったとき、なつ江は「奥さんに
済まない」 と言って電話口で泣き崩れました。私はそのとき、なつ江の真情を初
めて知ります。なつ江は死んだ恭子への悔やみのためか、数ヶ月のあいだ私をマ
ンションの部屋に入れてくれません。私も強いてなつ江に会う気になれず、しばら
く電話でのやりとりが続きます。不倫を犯した日以来、私はなつ江の住むマンショ
ンに泊まったことがありません。十一月ころから部屋に入れてくれますが、なつ江
は、「奥さんが亡くなったからといって、簡単に泊まる気にならないで」 と言い泊
めてはくれませんでした。

 十二月、私は不徳の行為を詫びるために、なつ江を自家用車で送りがてら群
馬の実家へ一緒に行きました。このとき、なつ江は実家で体調を崩し、国立沼田
病院で診察を受け心電図に軽い異常が見られます。心配から私も実家に泊まり
ますが、それが切っ掛けとなり、その後はときどきマンションにも泊めてくれるよう
になります。なつ江の心電図異常は、私にとって大変ショックでした。恭子を心臓
病から守れなかった私の苦渋が、なつ江は守らなければという心情となります。
独りで居るのが寂しくて仕方がないという気持ちも強く、翌一九八二年三月、なつ
江に結婚を申し込み、なつ江は、死亡した恭子の一周忌が過ぎてから入籍すると
いう約束で結婚を承諾します。

 
なつ江との結婚生活は、戸惑いからはじまりました。なつ江は、八歳年上の私
を「じじい」 と呼びます。私は、「はい」 と答えます。一九八二年六月、なつ江は
自宅で発病し、虎の門病院に第一回目の入院をします。この発病のあとすぐに同
棲し、十月に入籍 しました。自分の生活の基盤がやっと固まったことに安心した
のか、ときには、なつ江は私を召使いのように扱います。態度には現しませんでし
たが、最初のうちは気持ちの上で反発していた私も、しだいになつ江の心情がわ
かるようになります。不倫の相手という立場で、長いあいだつらい生活を強いられ
ていたなつ江は、それまで鬱積していた甘えという行為で思いきり私にぶつけて
いたのです。それを知って私は、それを知って私は、なつ江が気持ちのとおりに振
る舞うことを黙認します。結婚当初は愛情よりもむしろ不徳の行為への償いの気
持ちが強かった私は、日ごとになつ江への愛情が心を満たしていきます。

 
子供を作ることは、病気が全快してからというのが二人の約束です。なつ江は
基礎体温表をこまめに付けて、夫婦生活には大変気を使っていました。自分の病
気が早期に治ると思っていたなつ江は、病気のあいだの気分転換だと言って、気
持ちに任せて高価な宝石や毛皮のコート、それに高級な和服などを購入します。
体調の良いときは、二人でよく旅行にも行きました。なつ江の療養生活は三年続
きますが、一九八五年九月、実家で再発し、地元の金海循環器科病院で帰らぬ
人となります。なつ江の死は、私に激しいショックを与えます。最近二度の入院の
ときと同じように、一日か二日で回復すると信じていたからです。葬儀を終えるま
では気を強く保っていましたが、その後一か月ほどは放心状態で過ごしました。
 
 なつ江の四九日の法要を済ませたその翌日、私は自宅から徒歩で5分ほどの
西池袋のKクラブに立ち寄ります。地元で飲むのは初めてでした。その店で私の
席を利佐子が担当し、翌日、食事に誘われます。Kクラブのすぐそばにある小料
理屋で待ち合わせ、利佐子は紺地に花柄をあしらった和服で現れます。気の強さ
を感じさせるようなすこし癖のある顔立ちですが、美人です。落ち着きも感じられ
ます。前の日、騒がしい店内で見た洋装姿の利佐子とは印象が違いました。和服
姿はその後店内で一度見たきりで、日常生活で着ているのを見たことはありませ
ん。クラブ勤めの仕事着だったようです。幾度か食事をするうちに、利佐子はホス
テス業を辞めたいと言います。私は、十三歳年下のこの美しい女性が、まさか! 
と思いますが、期待に胸が膨らみました。

 私は
寂しさが募っていました。この若い女性と結婚し子供でも育てることができ
たら、二人の妻の死の痛手から、立ち直れるのではないか、その様な希望を持ち
ながら、利佐子との会話は深まっていきます。なつ江に死なれてまだ二か月ほど
しか経っていません。それにもかかわらず再婚相手を心に描くとは、常識的に許
されることではありません。私はそのことを充分にわかっていました。ですが、この
ように美しい若い女性に巡り会える機会は、二度とないと思えました。子供を産ん
で育てるにも、年齢的にまだ充分に適応できます。子供の居る楽しい家庭生活を
思うとき、私の脳裏には不道徳な行為だという感覚は消えていました。子育てへ
のあこがれは、なにものにも変え難い強さで、私を利佐子へ押し出します。

 
利佐子はホステス業を廃業し、私と大阪に移り住みます。三匹の猫の激しい干
渉にもめげず、利佐子が大阪に居るときは、私は夫婦のいとなみのため、毎夜、
猫と利佐子の寝ている寝室に通います。そのうちに、利佐子の私を見る目より、
猫を見る目に温かみを感じます。懐妊しないことへのいらだちが、私をいじけた気
持ちにしたのかもしれません。利佐子にとって私は愛する対象ではなく、生活を支
える土台にすぎないのではないかと疑いはじめます。利佐子が東京に行ったと
き、なにをしているか私にはわかりませんし、詮索する気にもなれませんでした。
それでも、利佐子の愛情を独り占めにしたいため、利佐子の希望は次つぎにかな
えようとします。しかし、いま考えると、四月に入り利佐子が月の半分も東京に行
っていても、私は寂しさを感じなかったのは、やはり、私の心の中で、愛はそれほ
ど育っていなかったのだと思います。利佐子が死亡したときのあの複雑な感情は
、それが影響したのでしょうか。

全文-30 (2013/02/17(日) 08:59:41)
2012.03.27

 全文-30
 
大阪に転居したとき、子供が欲しかった私は、利佐子に、常用していたピルの
服用をやめるように頼みました。五月二十日、八重山警察署の事情聴取で、警
察官から利佐子がピルを所持していたと聞いたとき、気が動転し、知っていたと、
強がりを言った覚えがあります。そのときの、なんともいえない複雑な気持ちは、
しばらく続きました。その気持ちが薄れていったのは、利佐子の青森の実家で行
われた法事の席で、医師をしている利佐子の親戚の方が、タバコとピルと、心筋
梗塞との因果関係について話されたときです。

 
利佐子は、タバコを一日四十本ほど吸うヘビースモーカーでした。それに避妊
用ピルを長いこと常用しています。その医師の方は、「三十歳代の女性の心筋梗
塞になる率は、ヘビースモーカーがピルを常用していると、通常の七倍であるとい
う統計がある」 という主旨の話をしました。恭子もなつ江もタバコは吸いませんで
したが、私が銀座に飲みに行ったとき、ヘビースモーカーの女性は多く見かけて
いましたので、利佐子にタバコを控えるようには言えませんでした。せめて、ピル
の服用を続けていたことに気がつき、私がやめさせる努力をすべきだったと残念
に思います。

 
私の遊びとはなんだったのか、よく考えることがあります。銀座に飲みに行くこ
とは、女性の喜びの笑顔を見たい真剣な気持ちからで、遊びではありません。私
は五十一歳で逮捕されるまで、ソープランドをはじめとして金銭で女性の肉体を
買ったことは一度もありません。賭事としてのマージャン、競馬、競輪、競艇もした
ことは一度もありません。ゴルフもできません。パチンコは嫌いです。では、遊びと
はなんなのか、結論は、妻との旅行の楽しさ、それに尽きます。そのとき子供が加
わったら、遊びの楽しみは倍増したでしょう。私の三人の妻との子育てへのあこがれは、
それぞれ事情は違いますが成就し
ませんでした。子供欲しさからの非常識な行為は、
二度と行わないと心に誓い、
一か月ほどのちに、私は大阪市福島区の病院で
パイプカットをします。熟考して
の決断でしたが、子育てへのあこがれを捨て去るには、
寂しい痛みが伴いまし
た。
 
第三章       疑惑にまつわる問題の実際のすがた
 
 一 自署 『仕組まれた無期懲役』 の紹介
 
 『仕組まれた無期懲役』 の表題は、出版元の「株式会社かや書房」 (東京都
千代田区神田神保町一-二〇、電話〇三-三二九一-二六二〇)の経営者が
付けてくれました。。本書(定価二千円+税、三七九ページ) では「獄中記」 と呼
び表していますが、二〇〇一年の執筆中は表題が決まらず憂慮していました。二
〇〇二年六月に本書が出版され、私の手元に届いたとき、表題を見て私は感激
しました。表題が私の気持ちにぴったりだったのです。被告人の悔悟の実録は売
れますが、無実を主張する作品は売れないのが実情のようです。本書も例外で
はなく、私の無理なお願いを赤字覚悟で引き受けて下さった出版元には、多大な
負担をおかけしました。

 
本書は、上告趣意書および補充書での私の主張を要約し原審の判決に系統
的な反論を加え、拘置所での日々の生活と心境を物語って居ますが、いま記述し
ている当文書とはまた違った、書物に表したわかりやすさがあると思います。私が
本書を手にした時は、すでに受刑者として刑務所に収容されており、出版元とは
直接連絡が取れず、その後十年が経過しており、在庫の状況はわかりませんが
、興味のある方は購入してぜひお読みいただければ幸いです。
『仕組まれた無期懲役』 の原稿を書き上げた二〇〇二年の正月は、希望に満
たされて迎えました。本書の原稿を書きながら、上告趣意書を読み返していくうち
に、無罪以外にありえないと言う確信が強まったからです。

 上告審は五名の裁判
官で構成されるのが常ですが、私の事件を審理する第一
小法廷は、二年ほど前
から四名の裁判官で構成されていました。毎月十三日に、
最高裁判所から「拘留
延期決定通知」 という書類が届くのでわかります。一月
十三日の書類も四名連
記でしたので、審理が遅れているのはそれが原因かと思い、
決定はまだ先かと考
えていたところ、二月十三日の書類で五名になりました。
いよいよ審理が本格化
すると思っていた矢先、二月二十日付の「五名全員一致による」
という判決文が
届きます。私の上告趣意書を詳細に検討するには、相当の日数を要する
はずで
すが、一名の裁判官は充分な審理をせずに判決を下したと思います。最高裁判
所とはそういうところか、というのが私の判決への感想です。八十五万字に及ぶ
上告趣意書の私の主張の主旨は、原判決の事実誤認の指摘ですが、その主張
は歯牙にも掛けられず、法令違反がないとの決定が、わずか九行の判決理由に
表れていると、裁判に精通していない私は感じました。それから七日後の二月二
十六日、懲役が執行されますが、本書の存在で希望に満ちた気持ちは失いませ
んでした。

 
上告趣意書を記述する過程で読んだ刑事訴訟の本に、「裁判官に読んでもら
うためには、簡潔でページは少ない方がいい」 と勧めていました。私は悩みまし
たが、上告趣意書は私の最大の武器ですので、調べたすべてを網羅して書き上
げました。それが上告審に災いしたことは否めませんが、現在ではよかったと思っ
てます。
上告趣意書が完成して最高裁判所に提出する前に、八十五万字に及ぶ長文
を克服する方法を検討しました。裁判官は、弁護人上告趣意書は、かならず目を
通すと聞いていましたので、弁護人上告趣意書で、私の上告趣意書での主張の
核心を捕らえて立証してもらうことが、逃すことができない方法です。その結果とし
て、最高裁判所の五名の裁判官は、私の上告趣意書を精査すると考えたのです。
二名の国選弁護人が選任され、先生方に私の上告趣意書を渡して、主張の
核心となる事項を説明し、先生方の上告趣意書に反映してくれるよう強く願望し
たのですが、たぶん、私の上告趣意書を、精査することは行わなかったのでしょ
う、反映してもらえませんでした。これで原審での闘いは終わり、懲役を受ける身
となります。

 
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